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半妖の青年は“五つの異能”で理不尽を覆す。神と悪魔の運命に挑む【SIN】  作者: 神野あさぎ
蝶妖

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No.23「蝶妖Ⅳ」

 朝。かのとが目覚めると、北王ほくおうはもう仕事に出た後のようで、机には一枚の書置きが残されていた。


 仕事行ってきます。


 仕方のないこととはいえ、最近の北王ほくおうは夜遅くに帰って来て、朝も早くに出て行ってしまう。実質、かのとが起きている時間のほとんどは一人で過ごさなければならなかった。

 書置きを眺めても、父の手書きの文字から伝わる温もりが、却って不在の寂しさを残酷に実感させるようで、気分は暗く沈んでしまう。


 父がいないと、家の中の空気は澱み、時間の流れがやけに遅くなるような気がした。

 かのとは、この窒息しそうな無の時間をなんとかやり過ごそうと本棚に目をやった。

 本でも読んで待っていよう。

 高いところの本をとるために乗った踏み台が、大きく傾いた。

 かのとは受け身も取れずに体ごと床に打ち付けられる。


 鈍い音がして、痛みが走る。

 だが、痛くても、当然反応してくれる者はこの広い家にはおらず、ただ体の下敷きになり擦れた左腕が熱を持って痛んだ。

 こんなとき、父さまなら。


 怪我をしてもオレのところに来い、治してやる。

 以前、能力を見せようとして上手くいかずに怪我をしたときに、父にかけられた言葉を思い出した。

 でも今は、その父は傍にいない。

 かのとは反対の手で擦れた左腕を庇い、痛みにじっと耐え、父を想って声も出さずに涙を流した。


『ああ……本当に可哀想……』


 また、だ。

 かのとがつらい時、心が弱った時、嘲るように、あるいは憐れむように死んだはずの母が現れる。

 あやかし特有の不気味な揺らぎを帯びて耳元を撫でられ、そうされるとかのとの体は反射的に硬く縮こまる。

 傍には、黒蝶が何匹か不吉に舞っている。


『治してやるなんて言っておいて、肝心な時に居ない……』


 あやかしかのとの背後に回り、肩にそっと冷たい手を置いて囁き続けた。


『嫌われているのかもね』


 あやかしは薄く笑みを浮かべ、かのとの心に毒を刷り込むように語りかける。


かのとは半分があやかしだから──……』

「……母……さま」

『あいつじゃなくて私が生きていたら……こんな風にはしなかったわ……』


 そうしているといつの間にか自宅の景色は消え、まるで美しく毒々しい蝶が舞う、二人だけの異界へと誘われてしまったかのような錯覚が起こった。


「……じゃあ……何で……死んだの……?」


 黒い靄がかのとの心までもを蝕んでいく。


『私なら……かのとに寂しい思いはさせなかった』

「……」


 違う。父さまは仕事で、仕事で仕方なく居ないだけで。

 かのとは涙を垂らしながら、自分に言い聞かせるように必死に心の中で反論をした。


『本当にそうなの?』


 あやかしかのとの心の声にまで干渉し、脳に直接語りかけた。

 本当は嫌われてるんじゃないの。貴方の存在が邪魔なんじゃないの。


 これ以上妖あやかしに耳を貸してはいけない。

 かのとあやかしの甘く残酷な呪縛を振り切るように、無言で廊下を駆け抜け、玄関の外へ飛び出した。


 外は雨が降っていた。灰色の厚い雲が空を覆い、しばらくは止みそうもない。冷たい雨はかのとの行く手を遮り、まるでかのとを孤独な家に閉じ込めているかのように思えた。

 それでも、これ以上家の中でじっとしていたくはなかった。

 かのとは、雨に打たれることも構わずに、行くあてもなくふらふらと歩き出した。


 ◇


「……かのと?」


 夕暮れ時。北王ほくおうが自宅に帰ると、びしょ濡れのかのとが家の軒下に裸足で座り込んでいた。

 まるで捨てられた子犬のように震えている。


「何で外に?」


 服は濡れそぼり、髪からも雫が垂れていることから、長時間この土砂降りの日に外に出ていたということが窺い知れる。


「まさかオレが帰ってくるのを待っていたのか?」


 何も言わないかのとに、北王ほくおうは呆れたようにため息をついた。


「風邪ひくぞ」


 北王ほくおうかのとを抱えて家に入れると、タオルを頭から被せて乱暴に、けれど丁寧に拭いてやった。


「家の中で待っていればいいだろ。何で外に……前にオレが倒れたからか? 心配したのか?」

「……」


 かのとは質問には答えずに、タオル越しに暗い目をして言った。


「父さまは……オレのこと嫌いなの……?」

「は?」


 昨日会った時には普通にしていたのに。北王ほくおうには全く心当たりがなかった。


「急にどうし……」

「……だっていつも……家に居ない……帰ってくるの、いつも遅いし……待っていても怒る」


 かのとは堰を切ったように心の内を吐き出し始めた。

 溜め込んでいた不安が、言葉となって溢れ出す。


「……母さま……死んだのはオレのせいで……父さまは人間だから……オレは化け物だから……」


 かのとの息は、言葉を重ねるごとに荒くなっていく。

 そんなことないと、まるで見当違いだと、どう言ったらかのとに伝わるのだろうか。北王ほくおうはすべての誤解を解こうと、真摯に言葉を選んだ。


「別に怒ってないし恨んでもいないぞ。それにあいつが死んだのはお前のせいじゃない。オレが家に居ないのは──……」


 北王ほくおうの言葉は果たしてかのとに届いているのか、北王ほくおうが話している最中にかのとはふらついて床に倒れこんだ。


「仕事が……かのと?」


 かのとの顔は異様に赤らんでおり、呼吸は小刻みになっていた。

 熱か。風邪か。

 北王ほくおうがそっと触れると、すぐに分かるほど額は高熱を持っていた。

 高いな。薬を。人間と同じ物で効くのか。

 一瞬よぎる不安。だが、迷っている暇はない。


かのと、少し待ってろ、今──……」


 看病に必要なものを一式持ってこようと立ち上がると、かのとは弱々しい力で北王ほくおうの腕を掴んで引き留めた。


「……あ……」


 北王ほくおうが驚いて振り向き、二人の目が合うと、かのとはハッとしたように、すっと掴んだ手を離した。


「……ごめんなさい……」


 普通の子どもならまだ甘えたり駄々をこねたりする年頃だろうに。

 かのとはいつも、迷惑をかけまいと静かに引き下がる。その聞き分けの良さは、かえって痛々しいほどだった。


「……何でお前が謝るんだよ」


 謝るのはこっちの方だ。

 北王ほくおうが複雑な思いでかのとの熱い頭に手をあててやると、かのとはようやく安心したように目を閉じた。


 ◇


 熱に浮かされる夢の中で、かのとはまたも口の端を上げて嫌な笑い方をするあやかしを見た。


『ねぇ……かのと、貴方を守れるのはあいつじゃない。……そうでしょう?』


 底のない暗闇の中、母は長い髪を蛇のように靡かせて笑いながら、逃げ場のないかのとを苦しめた。


 ◇


かのと、大丈夫?』


 深夜。北王ほくおうが自室で薬草を調合していると、心配した蝶神ちょうがみが現れた。


「さあ……」

『さあって……』


 北王ほくおうは薬の資料を読みながら、苦渋に満ちた複雑そうな顔をした。


「あいつ……どうも薬が効いていないみたいでな」

『え……?』

「あいつのことを化け物なんて思っていないし、普通に接しているつもりだが……でもこういう時、人と違うんだって思い知らされる──……」


 日頃どんなことでも飄々とした態度でこなしていく北王ほくおうが、これほど切なげな、無力な顔を蝶神ちょうがみに見せるのは珍しいことだった。


北王ほくおう……』

「言っておくがかのとは確かにあやかしの血が混じっているが、それは事実なんだなって思い知っただけで別にかのとを見捨てようとか考えてないからな」


 北王ほくおう蝶神ちょうがみに、そして自分自身に言い聞かせるように念押しをした。


「あいつはオレの子だ。何としてでも助ける──……」


 二人が話していると、部屋の外から微かな物音が聞こえ、北王ほくおうは即座に席を立った。


かのと!」


 部屋の戸を開けると、布団に寝かせていたはずのかのとが、すぐ前の廊下に力なく座り込んでいた。


「どうした? 今はまだ寝てないと」

「……あ……あの……」


 北王ほくおうが屈んで様子を見ると、かのとは青い顔で震えていた。


「……夢……夢が……その……だ……から……」


 かのとは口元に手をあて、不安そうに小さな声で訴えた。


「……が……来て……怖……い……」


 声は聞き取りにくかったが、きっとまた悪夢を見たのだろう。

 普段は一人で眠れるようになったとはいえ、かのともまだまだ子どもだ。

 ましてや高熱で心細い中だ。

 かのとは深刻そうに怯えているが、北王ほくおうは自分を頼って部屋まで来てくれた我が子が、ただただ愛おしかった。


「気がつかなくてごめんな。傍に居るから今は休め……な?」


 北王ほくおうが優しく頭を撫でてやると、かのとは強張っていた肩の力が抜け、少し落ち着きを取り戻したように見えた。

 その夜、北王ほくおうは朝まで息子の手を握り続けた。

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