No.2「妖寄せ」
和の国――玖の国。
都のきらびやかさから遠い、発展の歩みがまだ浅い里山の国だ。
前回の騒動を経て、青髪の青年・辛と、和装の少女・凪は巡り合った。
霧の薄い森の小径で、凪は両の掌を合わせて頭を下げる。
「私の目的を手伝ってください!」
拝むような姿勢。だが、返ってくるのは沈黙ばかり。
辛は無言のまま踵を返す。
「ちょっ――!」
凪は慌てて背に飛びついた。
「おおおおお願い! 私一人で家を飛び出したものの、さっきみたいなことがあると無力なの!」
彼女の声は切迫している。辛は表情も変えず、凪をずるずる引きずって歩く。
「私は、人を探していて……どうかお願いします! 何でもはしませんけど!」
“何でもします”ではなく、“何でもはしない”。凪らしい強情の裏返しだ。
それでも辛は歩を緩めない。
凪は最後の一手を放つ。
「あんみつ! 奢るから!!」
ぴたり、と辛の足が止まった。表情は硬いままだが、言葉に反応したのは明らかだ。
(……止まった? あんみつで?)
凪は半信半疑のまま胸を撫で下ろす。ひとまず賭けには勝った。
ふたりは肩を並べて森を抜ける。
梢の間を抜ける風に、辛はひそやかに目を細めた。
(妖の気配が、至る所に……。だが標的は別。今のところこちらに興味はない)
辛は“妖と人の間”に生まれた。気配に敏いのは生まれながらの性だ。
やがて開けた場所に出る。小さな茶屋が一軒、ひっそりと佇んでいた。
「おお、発見!」
凪が指を伸ばして喜ぶ。辛は無言で屋根の縁を一瞥した。
軒先には、白い山がいくつも――盛り塩にしてはあまりに量が多い。
「これ、塩? 盛り塩的な?」
凪が首を傾げ、辛はわずかに眉根を寄せる。
「そんなことより、あんみつ食べよう! あ・ん・み・つ!」
きらきらした目で拳を握る凪。ちょうどそのとき、戸が開いた。
「いらっしゃい」
現れたのは若い店主。十字を模した髪飾りが揺れる。
「あんみつ二人分ください!」
凪は縁台に腰を下ろし、辛を手招きする。
「ほら、突っ立ってないで!」
しかし、店主が先に口を開いた。
「申し訳ないんだけどさ。そっちの人から、少しだけ“妖気”を感じるんだよね」
凪が目を瞬く。店主は淡々と続けた。
「今すぐ立ち去ってもらえるかな? ボク、妖が嫌いなんだ。“悪魔”の次に」
凪の頬に血が上る。
「もう! 何よ! 差別反対だわ!」
辛はただ視線を逸らした。
「こうなるとは思ってた。……慣れてる」
ふたりはあんみつを諦め、再び歩き出す。
「でも意外、甘いの好きなの?」
「……それより、あんたの話を聞いてみたくなった」
「話?」
辛は短く息を呑む。
「オレも、人を探しているから――」
辛は弟・丁を、凪は母の仇を。
目的は違えど、どちらも誰かを追っている。
「ただ、オレといたら、あんたも嫌われる。さっきみたいに」
凪は迷いなく言い返す。
「だったら尚更、私は必要よ!」
彼女は指をぴしりと立てる。
「私があんたの分も聞き込みをする! 私は“治療”はできるけど戦闘は無理。だから戦うのは任せる!」
辛は答えず、ただ前を向く。
「んんん? 反応がない! “仲間”って言葉、早すぎた?」
凪が頭を掻いたその時――
「こいしちゃん、参上!」
茶屋の方から駆けてくる小柄な影。
額に×印の絆創膏、十字の髪飾りを揺らす少女だ。
「間に合った~! さっきはごめんね、うちのお兄ちゃんが失礼なことしたでしょ? これお詫び、饅頭! 持ってって!」
「いいの?」
「うん、あんみつじゃなくてごめんね!」
少女はふと辛を見上げる。
「お兄さん、妖の血でも混ざってる?……なるほど」
ひとり得心したように頷き、続けた。
「うちの“しおにぃ”、生まれつき“妖寄せ”なの。妖を呼んじゃう体質でさ、昔から大変で――」
辛の視線がわずかに鋭くなる。森に散っていた気配の向きが、一本の線で結ばれた。
――地面が、低く鳴った。
茶屋の屋根の上で、黒い影がうねる。
「しおにぃいいい!」
こいしの悲鳴。巨大な妖が屋根を掴む。
辛は迷いなく走り、左掌に金属の刃を生成した。
跳躍、一閃――
ザン、と空気が裂け、妖が真っ二つに崩れ落ちる。
黒い残滓が雨のように降る中、店主は腕を組んだまま、冷ややかにその光景を見上げていた。
「しおにぃ~、なんだねその表情は!」
「うるせぇ」
兄妹の何気ないやり取りを背に、凪は胸を撫で下ろす。
「いや~、ありがと、お兄さん!」とこいし。
辛は短く呟く。
「……饅頭のお礼」
そこへ店主――しおが無造作に盆を突き出した。
「はい、“お礼のお礼”。助けろなんて言ってないけど。食べたら帰れ」
勢い余って凪の頬にあんみつがべちゃりと当たる。
「えっ……」と戸惑いつつも、凪は器を受け取った。辛にももう一つが渡される。
ふたりが甘味を平らげ、見送られながら道へ戻る。
「じゃあね! ご馳走さま!」
凪は明るく手を振り、辛は小さく会釈した。
背後でこいしが「バイバイ~」と手を振る。
その足元――盛り塩の陰から、黒い腕が“ぬっ”と伸びた。
「どうだった?」
誰にともなく、こいしがたずねる。
しおは振り返らかった。
黒い腕が一瞬、白い粉へとほどける。
「たいしたこと、ないな」
しおは肩をすくめる。
「所詮、人間レベルの能力者だし」
こいしが表情を変えずに答えた。
「どこぞの“蛟君”みたいになるのがオチ。」
さらさら――白い粒が風に舞った。
しおは粉の山を見下ろし、ふいに膝をつく。
「ああ……何故“砂糖”じゃないんだ!」
甘党らしい嘆きに、こいしが苦笑する。
そして、遠ざかる凪の背を目で追いながらぽつり。
「あの女の子、どこかで見た気がするんだよね――」
◇
茶屋から離れ、里道を行くふたり。
凪は両手で頬を挟み、「あっ、あの兄妹に聞きそびれた! ま、いいか!」とすぐに立ち直った。
並んで歩く背を、山風が押す。
“妖を寄せる者”がいる土地。
盛り塩の白、散った黒、そして甘いあんみつの記憶――すべてが、この国のどこか深い場所で繋がっている。
辛は胸の奥でひとつ名を呼ぶ。
丁──
彼を追う旅は、まだ始まりにすぎない。
凪は隣で笑う。
戦う者と、癒す者。出会うべくして出会った二人は、同じ方向を見据えて歩き出した。
因みに、辛も甘党だ──




