No.19「諦めろ」
ヤナギが放った攻撃はそこらの岩を打ち砕くほどの凄まじい威力だったが、標的となった機械耳の男――リューは、攻撃に負傷したような形跡もなく、その場から煙のように消え去っていた。
「は~逃がしちゃったか~」
攻撃の風圧でひらひらと木の葉が舞う中、ヤナギは地面に刻まれた深い攻撃痕を見ながらつまらなそうに呟いた。
ヤナギの左手は爪が黒色なこと以外は普通の人間と同じ形をしていたが、彼が腕を伸ばすと、自身の能力でできた不定形の黒い物体が這い出し、蛇のように少しずつ腕に巻き付いていく。
それは瞬く間に硬質化し、だんだんと右腕と同じ鋭い爪をした、禍々しい武具のようなものが形成されていった。
「今度会ったら捕まえて飼ってあげるよ」
無邪気な声に、濃密な殺意が宿る。
◇
一方、ヤナギの攻撃を軽やかに交わし逃げ去ったリューは、森の中を相変わらず裸足で歩いていた。
「うーん……オレが捕まえるべきだったかな~でも悪魔がいたしな~」
歩きながら考えていたのは、先ほどまで観察していた少年――辛のことだった。
「青い子はやっぱり殺しておくべきだったかな? しっかし何か色々来たし……ま、いいか♪」
足取り軽く、弾むように森を進みながら、ぶつぶつと独り言を呟いている。
そうしていると段々と思考が整理されていき、ある一点に思い至ったリューは、ふと笑顔のまま表情に陰りを見せた。
「……んー?」
そういえば。
リューは一点、気になることがあった。
◇
蝶神に連れられてやってきた隠れ家のような邸にて、凪と爪戯はお茶を勧められていた。
しかし辛の安否が気になる二人は、出された上品な茶菓子に手を付ける気分にもならず、茶の間はしんと静まりかえっていた。
「蝶神ぃぃ!!」
「ひい!」
そこへ、破裂音のような轟音と共に乱暴に戸が開かれた。現れたのは辛の父、北王だった。
鬼の形相である。
「何連れて来てるんだよ!?」
北王に胸倉を掴まれたまま、蝶神は涙目で弁解した。
「だって任せるって言ったじゃない」
「だからってお前なあ!!」
その凄まじい気迫に、見ているだけで気圧されそうになりながらも、凪は辛の様子が気になって勇気を出し、二人の会話に割って入った。
「あの……辛君は無事なんですか……?」
「あ゛?」
「すみません」
即座に地を這うような低音で凄まれ、凪は冷や汗をかきながら瞬時に質問を引っ込んだ。生存本能が警鐘を鳴らしたのだ。
北王は蝶神から手を離すと、乱れた襟を直す素振りもなく、ようやく少し落ち着いた調子を取り戻して言った。
「いいからさっさと出ていけ。辛がお前らと居続けることは無理だ」
それだけ言うと、足早に部屋から立ち去った。
取りつく島もない。
「ちょっと~」
北王の後ろ姿に向かって蝶神が声をかけるが、北王は無視して、そのまま廊下の角を曲がって行ってしまった。
「あの……ところでさっきの人は……?」
たった今現れた人物のことを、森で辛を連れて行った人としか認識していない凪は、嵐が去ったところで恐る恐る蝶神に尋ねた。
「あれは辛の父親よ」
思ってもみなかった答えに、二人は驚きの声をあげた。
「え……嘘だろ……?」
「えー……」
辛の親というにはあまりにも若々しい姿は、親子と言われなければ分からないほど面影がないように感じた。
それに辛は普段口数が少なく、そんなに喜怒哀楽の激しくないのに対し、今のようなテンションの高さ、というより沸点の低さで蝶神に迫った北王の姿は、内面も似ている気がしない。
「似てるでしょ! 信じて!」
「はぁ……」
蝶神の必死の主張にも、二人の反応は鈍い。
納得しない様子の二人に、蝶神は腕組みをしながら補足説明を加えた。
「何ていうか、あれは神でもないくせに年をとらないっていうか。あれとは長い長い付き合いだけど、会った時からあのままよ。あ・の・ま・ま!」
「へー」
辛を連れていった人物が父親だったというのにはひとまず安心するが、しかし出ていけと言われてしまったのには納得がいかない。
「父親に言われたからって出て行かない。辛のこと心配ですし」
爪戯はきっぱりと断言した。
凪ももちろんそのつもりで、すでに別のことを考え始めていた。
「あれ、そういえば……辛君って今、妖の能力が制御できないんだよね?」
「そうね。見た者を操る妖の能力──……辛は制御が出来なくて、見た者が誰だろうと自害へ追いやってしまうわ……」
凪と爪戯が辛の元へ合流したとき、蝶神が辛との間に能力で壁を築いたのはその為だった。
「そんな状態なのにお父さんは平気なの?」
蟲人の妖である母親と違い、同じ人間であるはずの北王はさきほど壁の向こうで辛に対峙し、彼を連れて行ったはずだ。
だが、先ほどの通り何事もなく今もピンピンしていることを不思議に思った。
「まあそれは思うわよね~」
蝶神は、次々にわいてくる二人の質問に一つずつ丁寧に答えた。
「……あいつ、妖の能力が効かないのよ。理由は聞いたけど忘れた。あいつが妖の能力の影響を受けないせいで、辛の母親の妖に興味を持たれたらしいわ──……」
◇
別室の寝台にて。
辛は、自分が持つ妖の能力を使ってしまった時のことを今でも覚えている。
一回目は幼かったのもあって、自分を殺しに来る相手に何も出来なかった。
ただ怯え、死にたくない一心でいたら、気づけば相手は死んでいた。自らの喉を掻き切って。
目を開けると、自分が見知らぬ部屋のベッドの布団に寝かされて眠っていたことに気づいた。
そしてすぐに左手を上げて自分の状況を確認した。
模様はある。夢じゃない。
意識を失う前に起きた出来事を思い出し、夢であればいいのにと願ったが、妖の証である模様が、手の甲の親指の下あたりに鮮明に現れていることを確認し、現実に起きたことなのだと悟った。
「目覚めたか」
声のした方へ目線をやると、父親――北王がベッドの端に腰かけていた。
「ごめん……なさい」
北王は座ったまま、目線だけを辛に向けた。
「何が? 妖の能力か?」
「それも……だけど……」
「“火”か──……」
「……少しだけ」
北王は辛から目線を外し、遠くを見るような目でぼおっと部屋のどこかを見つめた。
「……この先、お前が“敵”と戦っていくなら、“少し”では済まない相手と会うだろう。丁をさらったのがどういう奴か理解しているんだろう?」
叱責するでもなく、淡々と話す父の姿を、辛は背中越しに見た。
「だからもう一度言うが」
北王は、語気を強めた。
「丁のことは諦めろ」
父の言葉に、改めて目指す道の険しさが重くのしかかる。
「……それでもオレは──……丁を」
辛の決意は揺らがなかった。
北王はその意志の強さを背中で感じ取り、重い表情で口を開いた。
「……三度目はしないぞ」
北王は辛の方へゆっくりと振り返った。
「施したところで一年ももたないだろう。そんな状態であいつらと居てみろ、次は確実にあいつらを殺すぞ?」
好きでこの能力を持っているわけではない、半妖であることを歓迎しているわけでもない。
だが、その力が、もし意思に反して大切に思っている人たちを自ら殺めさせてしまったら。
それは死よりも辛い地獄だ。
「そんな状態では丁にも会えない。お前、丁も殺すぞ? だから言ってるんだ、諦めろ……と」
半ば祈るように言葉を選ぶ北王の声色に、父としての本音と迷いが同居しているのを感じた辛は眉をひそめ、しかしそれに答える言葉は思いつかなかった。
◇
「……妖のチカラ──……」
茶の間で、凪と爪戯は、蝶神から辛の持つ妖の能力について教わっていた。
「ってか、辛君に会った時とか別に操られるなんてなかったし……背中の模様は青色じゃなくて赤っぽかった!」
能力を制御できないという説明は、これまで行動を共にしてきた二人にとって信じがたい話だった。
「……妖の能力を抑える為の封印をしていたのよ。辛の背中にあった模様──……北王が施した特別なもので……条件やきっかけ次第で外れてしまうのよ」
蝶神の説明によると、以前凪が見たときの赤っぽい模様は北王に封印された状態だったということらしい。
「そんな封印を表しているのが赤色の方の模様で、青い方は逆状態ってところね。青色の模様は元々妖が持っている模様で、それが今出てきている感じ。だから妖としての能力が解放されている状態ってこと」
「もう一度封印をすることは出来るんじゃないの?」
「さあ……私はそういうの出来ないから、北王次第かしら……? ただ、以前にも封印が外れたことがあって、再度封印をしてもまた外れて……ってことを繰り返すんじゃないかしら……」
「以前にも外れた──……?」
「そうね、出て行けって言われたけどその前に少し長話をしましょうか。貴方達には知っていて欲しいし、いずれは知ることだと思うから──……」
そう言って蝶神がゆっくりと腕を持ち上げると、上に向けられた手のひらから蝶の左半身を表した模様が、まるで本物の蝶のように光を帯びて具現化し、舞い始めた。
「辛は声にも表情にもあまり出てなかったんだけど、貴方達の存在は嬉しかった思うわ」
そんな風に第三者に言われると、なんだか胸のあたりがぽっと温かくなるようで、凪と爪戯は同時に顔を上げた。
「こんなことになって辛も何かしら決断をすると思うわ。だから貴方達も話を聞いたうえで今後辛とどう関わるか考えて決めてくれればいいわ」
蝶神の能力によって創り出された蝶は、少しだけ指先に止まったあと、再び空を舞い始めた。
語られる過去への案内人のように。




