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(騙 さ れ た……)


 客間の整えられたベッド。中央には静かに眠る、エレノーラの姿があった。

 顔色は悪いが、心臓も安定してリズムを刻んでいる。ひと息ついたせいか、キリアンはその場に膝をついた。


 汗ばむ前髪を乱雑に掻きむしる。全身を巡る魔力が感情に呼応して、辺りに漂いはじめていた。

 魔力暴走は周りも己自身も傷つける。キリアンの魔力は膨大で、脅威的な力は孤立させるに値した。


 危険なうちは会うつもりがなかったというのに、ローレンスにしてやられて、思わず舌打ちを漏らす。


(だが、あの日と同じだ……)


 シーツの上に散らばる金糸を、そっと指先に絡めた。慈しみ、祈るよう、くちづける。

 はじめてエレノーラと出会ったときも、彼女の傍では魔力が落ち着いた。今も、荒波のごとく渦巻いていた流れが、なだらかな動きに変わり心地が良い。


(やはり、私は君を……)


 瞼をふせていると、無音の世界でふたりきりの気分に陥る。自覚すればするほど、泥沼に堕ちていくようだ。

 なんのために救おうとした、なんのために国を潰したか。自問自答を繰り返し、傷つけ続けた過去を悔い詫びる。


「すまない、エレノーラ……」


 細く折れそうな指。滑らかな肌。掴んだ手のひらが握り返してくれることはないが、しっとりと伝わる熱が胸の奥まで響く。


「私の、私のものなんだ……エレノーラ」



 ◆



 静寂を荒らす、ひとつの足音。大理石の床を無遠慮に踏み締めながら、ローレンスが室内に入ってくる。


「やっぱりここでしたか」


 あれからキリアンは客間から出なかった。仕事を片付けながら、たまに顔を覗き、ひと息つく。

 3日間、同じことの繰り返しだ。


「少し眠ったらどうです?」

「……眠れない」

「ところで、何故栞を……って栞ですよね……?」

「エレノーラは本を読むのが好きなんだ」


 作業を中断して、虚ろな瞳を向ける。視界に表情が引き攣ったローレンスが映り、眉根を寄せた。


「なんだ?」

「いやそれ、まさか殿下の血……」

「どう見ても薔薇の花びらだろう」

「どう見ても花びらに見えませんが……」


 引くほどひどい出来だろうか。厚紙に花びらをバランスよく配置して、保存液を塗り込む。固まれば完成だ。

 質素でこれといった特徴もなく、少し悩ましい。とはいえ、薔薇が好きなエレノーラならば喜んでくれるだろう。


「頼んでいた本と一緒に、コレを渡しておいてくれ」


 試行錯誤しつつも、出来上がった栞をローレンスに託す。あらかじめ取り寄せていた本は、エレノーラの好みに合わせてミステリーものを選んだ。

 いつも便箋やペンで代用していたから、栞はきっと役に立つ。自分で言うのもなんだが、良いサプライズプレゼントだと思う。


「ご自分で渡さないんです?」

「私は公爵領に一旦戻る。ちゃんと確かめておかないとな」


 更地と化した公爵領は、見るに耐えないだろう。そもそも公爵当主のくせに、暴走した張本人はキリアンである。

 気は乗らないが、わがままを言っている場合でない。


「屋敷はもちろんですが、地割れがひどいので時間がかかるでしょうね」

「……そうか。どのくらいの被害がある?」

「3割ってところでしょう」

「そ、そうか……」


 急に眩暈がしてきた。目の奥がぎゅっと鷲掴みされているような、鈍い痛みに襲われる。

 目元を押さえて項垂れた。心音に合わせて、こめかみまで脈打つ。もはや、なにも考えたくない。エレノーラと離れたくない。


「……折角だから、ふた回りほど大きな屋敷にしよう。庭園には薔薇園や噴水も配置して、それから別邸に書物庫を」

「殿下、夫人を邸から出さないつもりです?」

「そんなわけ……」

「なら、今度こそデートに誘って」

「なっ! で、で、デートだと……!」

「なんですか、大袈裟な」


 カッと耳まで熱を持つ。一体、ローレンスはなにを言い出すのか。全くもって破廉恥な男だ。

 咳払いをして呼吸を整える。兎にも角にも、ローレンスを部屋からさっさと退散させねば。


「急ぎの書類には目を通している」

「これですね、処理しておきます」


 素早く確認すると、ローレンスが目を細めた。なにか言いたげな視線が突き刺さる。


「まだ、なにかあるのか」

「殿下が思うより、夫人は理解してくれますよ」


 ローレンスは言葉ひとつ残して去っていく。逃げてきた己を叱咤するように、胸の中にわだかまりを生んだ。

 口にしなければ伝わらない。想いも、行動の意味も。銀色の長い睫毛をふせたまま、キリアンはソファーの背に力なく凭れた。




 ◇◇◇




 額の裏に走る鈍痛。瞼を突き刺す光に誘われ、エレノーラは辺りを見渡す。キリアンに会いに行ったところまでは覚えているのだが、その後の記憶がない。


「ああ、夫人。そのまま寝ててください」


 起き上がろうとするも、傍に控えていたらしいローレンスから止められた。キリアンと別れたあとに力尽きたらしく、ベッドまで運んでくれたようだった。


「すみません、またご迷惑を……」

「まぁ、無理もありません。その身体で力を使えば倒れますよ」


 すぐに意識が戻ったかと思いきや、あれから1週間も眠っていたらしい。神力を使用した反動は、想像より身体に負荷をかけてしまったようだ。

 完治までベッドから動くなと念を押され、できることといえば本を読む程度。ローレンスから手渡された1冊の本を開けば、中から手作りの栞が現われた。


(なによ、これ……)


 薔薇の花びらで作られたようだが、厚手の紙に点々と血痕のように散らばっていて、センスもなにもない。

 花びらは傷んでいるし、押し潰し過ぎだろう。キリアンが壊滅的に不器用だと、理解した瞬間である。


 さらに2週間後。ようやく起き上がれるまで回復し、医師から入浴の許可がもらえた。

 とはいえ、公爵邸の建て直しが終わるまで、皇城に身を寄せるほかない。

 手持ち無沙汰は落ち着かなく、身の回りの世話は自身でやるつもりだったのだが、ナターシャが許さなかったのである。


「ひどいです! 奥さまのお世話は私の役目なのに……!」


 実家に避難していたものの、城にすっ飛んできたナターシャは、わんわん泣いてエレノーラを責めた。もう、とにかく責めた。

 よほど心配をかけたみたいで申し訳なく思い、ずっとナターシャの好きにさせている。


「ならお願いね、ナターシャ」

「もちろんです! 入浴ですよね、しっかり磨いて差し上げます!」


 ナターシャとともに、皇宮の大浴場へ向かった。大理石の浴槽は広々としていて圧巻である。

 お湯加減も丁度よく、肩まで浸かると心地良いぬくもりが沁み渡った。久々に身体も綺麗にしてもらって、とても気持ちがいい。


「ねぇ、こんなに広いんだもの……ナターシャも入らない?」


 公爵邸のメイドであるが、ナターシャは唯一エレノーラの背中の事情を知る人物だ。

 安心して曝け出せる相手なので誘ってみたものの、踏ん反り返ってまで憤慨している。ひとりでは寂しいほど広いのに勿体ないと思う。


「なにを言いますか! 私はお世話のために来たんですっ!」

「眼鏡が曇ってるわよ、遠慮しないで入ったらどう?」

「見えてるので平気です」


(どういうことよ……)


 考えるのを止めて、浴槽の縁に身を預ける。後ろに控えたナターシャが、金色の髪にオイルを塗り込んでいく。

 丁寧で優しい手つきが浸透して、このまま眠ってしまいそうだ。


「あっ、申し訳ありません奥さま……オイルを切らしてしまいました……」

「あら、そうなの? なら髪はもう大丈夫よ」

「駄目です! つやつやにするのが私の仕事です……!」


(真面目な娘ね)


 可愛くて笑みがこぼれる。追加のオイルを取りに出ていったナターシャを待ちながら、湯の中でぼんやり天井を眺めた。


 白を基調とした浴室を見ていると、キリアンの顔が浮かび上がる。毛先に癖のあるシルバー色の髪と、透き通ったアイスブルーの双眸。

 冷ややかな印象を持たせる外見ながら、中身は炎を秘めていて、それでいて脆い。会いたいと思っていたけれど、今さらどんな顔して会いに行けるというのか。


 大きなため息を漏らすと、目の前が真っ白に染まっていく。消えるまでの僅かな間、ぼんやりと眺めた。

 離れている時間が長いほど思い知らされる。キリアンは英雄で、エレノーラは罪人。

 今回の一件は、問題視される可能性が高い。妻のままでいることは赦されないだろう。


(皇宮に置いてもらえるか、聞いてみようかしら)


 皇城ならば皇族の目もあるし、エヴァレストにとっても好都合なはずだ。

 下働きはもちろん、奴隷のような扱いだって慣れている。どうするべきか頭を悩ませていたところ、足音が響いてきた。

 オイルを取りに行ったナターシャが、戻ってきたのだろう。


「ナターシャ、ご苦労さ……っ」


 真っ白な湯気に覆われた中から、銀色の髪が覗き見えて、エレノーラは息を詰めた。


(う、嘘……キリアン!?)


 誰もいないと思って入ってきたのだろうか。近づいてくる人影に、半ばパニックになっていた。


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