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愉しそうなローレンスを尻目に、エレノーラは身構える。きゅっとシーツを握り締め、言葉を待った。
「本当は口止めされてるんですがね。殿下はあの日、夫人との仲を取り持ってくれとお願いしてきたんです」
(なんですって……?)
淡々と紡がれた言葉が、脳内を巡り巡って耳から抜けていく。理解することを、拒否しているかのようだった。
「しかし、まぁ……嫌われてるからって死のうとするとは……さすが戦鬼の妻というか……」
失笑を漏らすローレンス。確かに、己の愚かな行動により多大な迷惑をかけた。しかしながら、あまりにも失礼だろう。
「殿下はこの結婚に、不満はなかったと?」
「直接、本人に聞いてみてはどうです?」
殺したいほど憎まれていると思っていた。でも言葉通りであれば、キリアンは関係を修復しようとしていたと受け取れる。
結婚を嫌がり、冷たく拒絶していたのに、本当はエレノーラを妻として認めていたとでもいうのか。
(そんな、はずは……)
死を覚悟したとき、キリアンは涙を流しながらも、必死に訴えかけていた。
跪き赦しを乞う姿が、記憶の片隅から顔を覗かせる。
『君に嫌われて当然のことをした……』
『私は君に嫌われたら生きていけないんだ』
『すまなかった……エレノーラ』
何度も謝ってくれていたのに、どうして心を開いてあげなかったのだろう。保身ばかりに気を取られ、キリアン自身を見ようとしなかったエレノーラの落ち度だ。
ひどく傷つけた罪悪感に押し潰されて、心が悲鳴を上げている。
「あの、殿下に会えませんか……お願い、します」
恐る恐る問いかけてみたところ、待ってましたとばかりにローレンスが微笑みを漏らす。
口許に曲線を描き、胸元から鍵型のアーティファクトを取り出した。
「貴女なら会いに行くと思いましてね、あらかじめ陛下に許可を得ています」
「会わせて、くれるのですか?」
「ええ、もちろん。陛下にも了承済ですし、殿下はここ皇宮の最上階にいます」
見知らぬ場所だとは思っていたが、まさか皇城とは予想外である。公爵邸が崩れてしまったから、一時的に保護をしてくれているのだろう。
どう償うべきか考えるだけで頭が痛い。ぐっとため息を耐えていると、ローレンスが手を差し出した。
「話しておくこともありますので、俺が案内しますよ」
「はい、よろしくお願いします」
ゆっくりと身体を起こしたエレノーラは、ローレンスの手を取った。キリアンのいる最上階まで足を運びつつ、軽めの声音に耳を傾ける。
「聖剣で受けた傷は治りが遅いので、完治まで時間がかかります。それと夫人の身体についてですが」
一旦、口を閉ざしたローレンスは、真摯な眼差しを向けてきた。
「陛下のご命令で、生命維持の紋様術を追加してあります。自死を選択しようとした場合、拘束され意識を失いますからね?」
紋様術は身体に刻む、魔術の一種である。通常時は見えないが、術が発動すると肌に模様が浮かび上がる仕様だ。
万が一、エレノーラが死のうとすれば、魔力で作られた鎖が身体を縛りつけ、意識を奪うという。
絶対に愚かな真似はするな、との圧に冷や汗が滲む。
「帝国の存続がかかってるので」
朗らかな笑みを向けられましても、規模が大きすぎて理解が追いつかない。
今やエレノーラの命が、帝国と同等に扱われている。恐ろしくて倒れそうだ。
「俺は言いましたよね? キリアン・イネス・エヴァレストがどういう男か、理解したほうがいいと」
(全然、わからない……)
考えるほど額の裏に鈍痛が走る。皺が刻まれた目許を隠そうと、手のひらで覆った。
キリアンといい、ローレンスもふたりして、もっとわかりやすい言い回しができないものか。似た者同士とは、彼らのことをいうのだろう。
「着きました、少し離れていてください」
最上階のさらに奥、大きな観音扉の前でローレンスが立ち止まる。
扉には赤い光で描かれた魔法陣が浮かび上がり、近づくなと警告するよう火花を散らしていた。
圧倒的な魔力を感じて、肌がヒリついていく。ローレンスは慣れた様子で鍵型のアーティファクトをかざすと、円陣が姿を消した。
「どうぞ、俺は外で待ってますので」
「はい、ありがとうございます」
重たい扉を開けて、薄暗い中を突き進む。カーテンで仕切られた室内は、一切の光すら遮断していた。
足音を立てず、ベッドに歩み寄る。暗い部屋で横たわる人影が視界に入り、エレノーラは息を呑んだ。
手足を拘束され、意識のないキリアンの姿。乱れた銀糸を整えながら、エレノーラは睫毛を震わせる。
「傷つけてごめんなさい、キリアン……それから、愛しています」
反応はまったく返ってこないけれど、語りかけることを止めなかった。
拘束されてもなお、暴走した魔力がキリアンを苦しめたのだろう。擦り切れ血が滲む身体が痛々しく映り、エレノーラは唇を噛み締めた。
包むよう手をそえて神力を注ぐと、淡い光に照らされた肌が美しく白い姿へと変化する。
傷を癒やしても、物足りなさに襲われてしまうのは、エレノーラを見ない瞳のせいか。
銀色の睫毛に縁取られた瞼が、固く閉ざされたままで惜しくて堪らない。絹糸のような手触りを堪能するよう、指先に絡めていく。
「許してくれなくてもいいです……でも、待ってますから……はやく、目を覚ましてくださいね……」
聞こえていなくても、伝えずにいられない。
長めの前髪をそっと梳くと、またアイスブルーの瞳に映してくれることを祈って、滑らかな額へとくちづけを落とした。
◇◇◇
真横に立つ男の視線が鬱陶しい。銀色の前髪をかき上げ、深いため息をこぼす。
「夫人に会いに行かないんです?」
キリアンは目許を覆った。瞼の裏にこびりつく悪夢。首筋から血を流し、腕の中で弛緩していく華奢な身体。
聖剣クレメンテは美しい見目に反して、殺傷能力が桁違いだ。かすり傷でも死に至る場合がある。
エレノーラの滑らかな首筋には、一生消えない傷痕として残るだろう。
(私が、つけた、傷痕……)
自死を選択するほどに、エレノーラはキリアンを嫌っている。
たとえ、祖国で悲惨な扱いをされていたとしても、国を滅ぼした男など愛してくれるはずもない。
手放してやるならば、このタイミングだろう。なのに、己が刻んだ傷痕が、己のものであるかのように輝いて見えるから。
『好きよ。わたしの勇者さまなの』
嘘でもいい。同情からの言葉でも、エレノーラが言った、というだけで一喜一憂する。
目映く映る薄紅色の瞳は、10年前と同じだ。誰しも恐れをなし、キリアンに近づきたがらない中で、ひと際目を惹く色彩。顔色を窺い、媚びを売る奴らとは違う。
負の感情とは心を壊していくもの。だが、エレノーラはひどい境遇を受けていながら、人に優しくできる強さがあった。
彼女は救世主だと言うが、本当に救われたのはキリアンのほうである。
だからこそ、あの地獄から助けてやりたかった。また笑顔が見たかったから。
なのに、己自身が傍にいることで、不幸にしてしまうのではないかと怖れたあげく、向き合わなかった結果だろう。
夫である資格もないのに、離してやれないとはなんと愚かな男か。
口を閉ざして動かないからか、ローレンスが痺れを切らした。
「殿下が会わないなら俺、話しちゃいますよ?」
「……なんの話しを」
「夫人と結婚したくてクソ野郎を嵌めて国を滅ぼした、とか?」
「な、ッ……!」
堪らず、ベッドから勢いよく身体を起こす。威圧的な眼差しをお見舞いするも、ローレンスは風を浴びているかのごとく涼しげだ。
「……そんな、事実は、なかったはずだろう?」
努めて冷静に問う。口許に笑みを浮かべてみせるが、視線は鋭く説得力がない。ローレンスはため息すら漏らしている。
「夫人には同情しますよ。冷たい態度を取られて監禁までされて」
「私は監禁などしていない!」
「気持ちは伝わらなければ意味がありません。本当に逃げられますよ?」
ローレンスの言葉がナイフのように突き刺さる。さすがのキリアンも崩れ落ちた。
もはやエレノーラと、顔を合わせる資格すらないように思う。
会いたくてたまらないくせに、顔を見る勇気もない。また「嫌い」だと、罵られてしまうのではと考えるだけで、頭がどうにかなりそうだ。
「……エレノーラは、無事か?」
倒れる直前の記憶が微かにある。心臓は確かに動いていた。
傷の深さにより、エレノーラは目覚めるか眠りについたままか。ふたつにひとつ。万が一目が覚めずとも、キリアンは手放す気など毛頭なかった。
ふと、キリアンを見るローレンスが、深刻そうに表情を歪ませる。一気に不安が押し寄せ、動悸が忙しなく脈打つ。
「それが、夫人は……」
「なにを改まって……無事、だよな……?」
「危険な状態でして、もしかすると今夜が峠……」
「な、んだと……? はやく言え!」
脱ぎ捨てていたシャツを掴み、部屋を飛び出す。瞬時に消えた背中を眺めながら、ローレンスは口角を上げた。
「まったく面倒な人ですね」
やれやれと呆れつつ、ローレンスも主君を追うため部屋を出た。




