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 キリアンから向けられた、縋るような眼差しに唖然とする。眉尻を下げて潤んだ瞳から、次々と涙がこぼれ落ちた。

 頬を濡らす雫を拭きもせず、キリアンが恐る恐るエレノーラの手に触れる。


「エ、エレノーラ……いま、私を、嫌いだと」

「それは……殿下のほうでしょう……殺したいほど憎んでいるじゃないですか」

「殿下……? もう、名前も呼んでくれないほど、私が嫌いなのか……」


 ポロポロと涙を流す様が、エレノーラの胸に突き刺さる。罪悪感に苛まれ、自身が悪いように思えてならない。

 たしかにひどい言葉を投げつけた。とはいえ、25歳の男性が泣くと思わないだろう。


 頭の中で知らない奴が、『エレノーラがキリアンを泣かせた!』『ひどい女だ!』と喚いていた。

 泣きたいのはこちら側である。


「そう、だな……私は怖れるあまり、逃げてばかりで君に嫌われて当然のことをした……」


 項垂れ自嘲するキリアンから、エレノーラは顔を背ける。

 人を、傷つけてしまった。いくら自身を屠ろうとした相手であっても、キリアンは夫で、救世主として心に居座り続けている。

 傷つけられる痛みを知るエレノーラにとって、死にそうに顔を歪めるキリアンの姿は、見ていられないほど辛いものがあった。


(どうして、どうしてよ……わたしが消えることを、望んでいたんじゃないの……?)


 キリアンには愛する人がいて、理不尽な結婚を強いられたせいで恨んでいる。邪魔なエレノーラをじわじわ追い詰め、殺そうとしていた。

 なのに、喜ぶべきところでキリアンは泣いている。これでは、エレノーラのほうが悪いみたいではないか。


 キリアンとは良き関係を築きたかった。家族になれなくてもいい。妻として支え、救ってくれたキリアンに、恩を返せるよう努めるつもりだった。

 いつからだろう。理由もわからずに、彼の幸せを願っていた。

 今になって気づいても、壊れたものは元に戻らない。そんな事実に、ショックを受けている自分自身が滑稽で、笑えてしまう。


(わたし、本当に好きだったのね……)


 憧れや希望が、いつの間にか愛となって芽生えて、無意識に儚い夢をキリアンに抱くようになっていた。

 ぼんやり立ち尽くしていると、強い風が吹きつけ金糸を攫う。薔薇の香りに包まれる中で、炎のような明るい光が辺りに広がっていく。


「すまなかった、エレノーラ……だが、私は君に嫌われたら生きていけないんだ」


 光に誘われるがまま、キリアンに視線を這わす。差し出すよう伸ばされた手のひらから、光を纏った剣が現われた。

 聖剣クレメンテ。2対の翼と水晶の装飾が特徴的な、世界にひとつだけの大きな剣だ。


 祖国が敗戦した日を最後に、目にする機会がなかった。海のごとく鮮やかで麗しい神の贈り物。

 キリアンのために創られたといっても過言ではないほど、青と銀色が美しく混ざり合っている。

 終わらせてくれるのだろうか。エレノーラは魅了されたかのごとく、聖剣を眺めていた。


「ここを突き刺せば、私は絶命する。私を捨てるならせめて……君の手で終わらせてくれ」


 心臓を指差し柄を向けられるが、エレノーラには届いていない。

 ただ、傷つけた代償を支払えば、キリアンが幸せになれる。そんな想いばかりが巡っていた。

 柄を握り締めて構える。キリアンは哀しみを滲ませながらも、微笑んでいた。


「キリアン……嫌いなんて、嘘です……本当は、愛してました……ごめんなさい……」

「っ、エレ、ノーラ……?」


 どうにか担ぎ、首筋に刃を押し当てる。今のエレノーラには、キリアンの声はなにも聞こえていなかった。


「ま、待て……っ、やめろ……やめて、くれ……ッ、エ……エレノーラ……ッ!」


 睫毛をふせて剣を払う。痛みより熱が通り抜け、脳まで脈打った。同時に瞼の裏を照らす、蒼白く高貴な輝き。

 浮かび上がるキリアンの表情は晴れやかで、全身がぬくもりに包まれていく。腕の中にいるような、あたたかさが気持ちがいい。


 とても幸せだな──と思ったのを最後に、エレノーラの記憶はここで途切れた。




 ◇◇◇




 瞼が貼りついているみたいに重い。ゆっくりと持ち上げ、何度かまばたきをすると視界が開けてくる。

 見慣れない場所だった。此処はどこなのだろう。


「おや、夫人。ようやく、お目覚めですか」


 声のするほうへ視線を凝らすと、ローレンスが立っていた。いつもと異なり、腰まで長い赤毛を結もせず、憔悴しきった様子だ。

 ベッドの傍まで椅子を運んで、よいしょと腰を下ろす。


「身体はどうです?」

「……わたし、生きて……」

「ええ、そうです。大変だったんですよ、わざわざ忠告までしてあげたのに」


 何故、生きているのか。忠告とは、どんな意味が隠されていたのだろう。

 考えたいことは山ほどあったが、まだ頭の中が覚束なかった。起き上がろうとすると、ローレンスから制止が入る。


「ああ、そのまま寝ててください。まだ傷口が塞がってないので」


 首筋を示され、自身の首にそっと触れる。丁寧に巻かれた包帯の感触が、指先に伝わってきた。


「聖剣で斬ったそうですね? 忠告を無視してずいぶんと無茶をしたようで」

「忠告は守ったつもりです……わたしは何処にも逃げてません」

「いいえ、殿下から離れること自体が逃げです。もちろん、冥界であっても」


 自死を選んだのは衝動的だった。

 あまり記憶はないものの、エレノーラが消えればキリアンは幸せになれる。

 愛していると気づいて、すぐさま解放してあげたくて、想いに駆られるままに行動していた。

 でも、あの涙の意味が未だにわからない。


(そうだわ……わたしが、ひどい言葉を言ってしまったから……)


 傷つけたことを思い出し、胸が張り裂けそうに痛む。同じとき、首の傷口がズキズキと脈打った。


「殿下は、何処ですか」


 赦してくれないかもしれない。けれど、謝りたかった。

 なにより、キリアンの顔を見たい、声が聴きたいと思っている。冷たくあしらわれても構わないから、傍にいたいと願ってしまう。

 もう、顔も見たくないと怒って、この場にいないのだろうか。


「殿下でしたら拘束中です」

「拘束中……? どういうこと、ですか」

「夫人が自死を選んだショックで、魔力暴走を起こしまして。公爵邸は壊滅状態、騎士総出でなんとか止めた次第です」


 エレノーラの浅はかさが原因で、事態は思うより深刻だった。

 魔力暴走は一度でも引き金が引かれたら、自身では止めることができない。魔力量が膨大であるほど、被害の規模が大きくなる。


 キリアンは帝国一の魔力量を誇り、唯一の聖剣の使い手だ。暴走を起こしたとなれば、キリアン自身もただでは済まないだろう。


「キリアンは、大丈夫なのですか?」

「ええ、無事ですよ。ただ、魔力が落ち着くまでは拘束を解くことができませんが」


 深いため息を吐きつつ、ローレンスがひとつひとつ答えてくれる。

 よく見ると、ローレンスの顔にも細かい切り傷があった。騎士総出でキリアンを止めるために、かなり苦労を強いられたようだ。

 しかしながら、キリアンがショックを受けた理由がまったく思いつかない。


「どうして、暴走をしたのでしょうか……わたしは嫌われているはずなのに」

「はぁ、夫婦喧嘩は魔獣も喰わないって知ってます?」

「ローレンス卿、わたしは知ってるんです……殿下が結婚を望んでなかったと」


 ことのあらましをポツポツ話していると、ローレンスが腹を抱えて笑い出す。

 面白い話題は一切していないつもりだが、だいぶツボに嵌ったようで、涙まで流していた。


 戦慄”恐怖の薔薇事件”を話したときには、『馬鹿ですね』と口走り、とても皇族相手とは思えない物言いである。

 キリアンのことをよく理解しているくらい、付き合いが長いようだし、互いに心を許しているのだろう。

 彼らの仲の良さが、少しだけ眩しく映る。


「ふ、ふふっ……真相は本人から聞くべきだと思いますが、ひとつだけ教えてあげます」


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