4
朝を迎えて視界に飛び込んできたのは、真っ赤な薔薇の山である。2度目となると驚きもしない。薔薇を蹴り飛ばし、浴室へ向かう。
やはり、薔薇。何処へ行っても薔薇。もう面倒になってきた。
無視をして身支度を整えつつ、ナターシャに問いかける。
「今日の予定はなにかある?」
「今日は旦那さまから朝食のお誘いがございます」
「朝食のお誘い……その後は?」
「昼食のお誘いです。それからお茶の時間と夕食です!」
(丸1日じゃないの……)
昨日の今日で、殺害予告後に食事の誘いとは、大層ご立腹のようだ。
さっさと片をつけようと毒殺を選んだのか。苦しめる方法としては理にかなっている。
よほど、離婚を申し出たことがお気に召さなかったらしい。
「できました! すでに旦那さまはお待ちなので案内します!」
すでに待っているとは、『はやく殺したくて堪らない』というキリアンの心境が聞こえてくるかのよう。
大きなため息を吐いて、姿見に目を向ける。波打つ金色の髪は見事に結い上げられ、水色のドレスが美しい彩りをそえていた。
ふわりと浮いた裾が靡くたびに、キラキラと光を放つ。素敵なドレスだが、別にパーティーに行くわけではない。
「ねぇ、ナターシャ……着飾りすぎだと思うのだけれど」
「ですが、今日ははじめて一緒にお食事じゃないですか!」
「これだと殿下も引くわよ……」
「旦那さまの指示です」
(なにを考えてるの……?)
せめて綺麗な姿で死ね、というキリアンなりの慈悲か。
キリアンの思考がまったく読めない。とはいえ、丸1日も時間をもらったのだから、タイミングさえ間違えなければ離婚の話し合いができるだろう。
エヴァレストの皇帝に手紙を出して、1週間近く経っている。返事が唯一の望みだったのに、残念ながらなんの音沙汰もない。
仕方なくエレノーラはひとり、戦鬼のグランドマスターキリアンに挑むべく、リビングへ重たい足を運んだ。
「殿下、お待たせして申し訳ありません」
「エレノーラ! 来てくれて嬉しいよ……!」
フリルつきのドレスシャツにトラウザーズと、簡易な服装ながらよく似合っている。いつもの見慣れた騎士服と違い、爽やかな印象を持たせた。
天使の輪を放つ銀糸は緩く整えられ、神が創りし美貌と、シャツから覗く胸元が輝いている。眩しすぎて目が痛い。
(誰なの、この人……)
満開の花のような笑みで出迎えてくれたが、瞼は閉じられたままだ。
しかも、昨日の壊れた通信機が嘘のように、滑舌よく喋っている。
とはいえ、視界に入れるのも嫌なほど恨んでいて、一緒に食事をするとは変な人だと思う。
「君の席はここだ、座ってくれ」
案内された場所は、上座のキリアンから見てすぐ左側。対面の一番遠くに座らされると思っていただけに、ほぼ隣の席といえる近さのせいで緊張が走った。
口を固く引き結び、両手を握り締める。椅子に腰を下ろしたところで、エレノーラはハッとなった。
「殿下、お身体の具合は如何ですか。昨日……その、倒れ」
「キリアン」
「え……?」
キリアンが壁に頭を打って気絶した出来事を思い出し、顔色を窺いながら問いかけた。
だが返ってきたのは、キリアン自身の名である。呆気にとられていたものの、なにか深い意味でもあるのか読み取れず、無意識に顔をしかめていた。
「私の名前くらい知っているだろう?」
(名を呼べということ……?)
毒を飲んで苦しまずに死ぬ方法はない。必ずもがき苦しみながら、相手に助けを求めるだろう。
たとえ目の前の人物が犯人であっても、縋りついて血反吐を吐きつつ、恨みをぶつけるはずだ。
復讐心に燃える男は、滑稽で憐れな姿を肴にワインを呷る。自身の名を呼んだまま、息絶える女を微笑んで見つめるのだろう。
『愚かな女だったな、エレノーラ』
やはり『君を殺す者』シリーズは面白い。そろそろ佳境に入り、犯人は主人公の前に姿を現した。
しかし主人公を手にかけたくせに、泣きながら「ようやく俺の者になった」とかなんとか言ってたか。
あのシリーズは魔物だ。影響を受けたエレノーラの頭の中が、キリアンを犯人として処理しようとしている。
冷酷無慈悲なグランドマスターと言われているけれど、殺す前に綺麗な格好にはさせてくれたし、ささやかな優しさはありそうだ。
思考を切り替え、キリアンに従おうと思う。機嫌さえ取っておけば、離婚に応じてくれるかもしれない。
どうせキリアンは、異国の置き物のように瞼は開かないから、名を呼んだとしても羞恥心は襲ってこないだろう。
「あの、キリアンさ」
「キリアン」
敬称もダメなのか。食事を一緒にと望んだり、名を呼ぶことを強要して、いきなり距離を縮めてくるとは、どういった心境の変化だろう。
もはや、エレノーラはやけくそである。にっこりと口許に曲線を描き、名を呼んでやった。
「キリアン、ありがとうございます。ドレスも気に入っ」
「く、っ…………!」
名を呼んだ途端に、キリアンは胸元を押さえて椅子から崩れ落ちた。
まさかこれは、エレノーラを毒殺するのではなく、犯人に仕立て上げるための罠か。
(なんてこと……っ)
いや、犯人とか毒殺とかどうでもいい。苦しむキリアンに駆け寄り、顔を覗き込む。
端麗な顔立ちが薔薇のように染まり、額には汗が滲んでいた。呻くほど心臓に負担がかかっているらしい。
医者を待っていたら間に合わないだろう。一刻を争う事態に、エレノーラのほうが倒れそうだ。
「殿下、申し訳ありませんが触れさせて」
「キリアン」
(なんて?)
また壊れたのか。今は名前なんてどうでもいいだろう。名前に固執するほど呼んでほしいのなら、本命に頼めばいいものを。
けれど、苦痛に顔を歪ませながらも乞い願う姿には、何故か胸を打たれた。
叶えてやりたいと思うのはどうしてだろう。
「わかりました、わかりましたから……触れますよ」
「キリアン」
「呼びますから! キリアン……!」
声をかけつつ、集中して神力を放出する。仄かな金色の光が徐々に広がり、キリアンの身体を包み込んだ。
荒かった呼吸が落ち着いて、楽になったらしいキリアンがクスッと笑みをこぼす。
「……君は、昔から変わらないな……私が怖くないのか……?」
「何故、怖がる必要が?」
ゆっくり身体を起こしたものの、キリアンはうつむいたままエレノーラを見もしない。
長い銀色の髪が重力に従って、さらさらと流れ落ちていく。
「強すぎる魔力は呪いと同じ、誰しも怖がるものだ……特に君は、私から国を奪われたようなものだろう……」
誰もが羨む地位と容姿に加えて、桁違いの魔力量と聖剣の使い手。国をいとも容易く屠るほどの強さを持ち、向かうところ敵なしの彼が、人目を気にして交流を避けている。
祖国を滅ぼしたのはキリアンだけれど、エレノーラは恨んだことはない。むしろ、感謝をしている。
エレノーラにとって、キリアンは救世主だった。地獄のような場所から救い出してくれた、絵本と同じ勇者なのだ。
しかし、キリアンは知らないから、エレノーラに対して罪悪感を抱いていたのだろう。
たとえ目的のひとつとして、懐柔するために吐かれた言葉であっても、エレノーラは拒むことができない。
「キリアン、貴方はわたしの救世主なんです。わたしは貴方の味方ですからね」
嘘偽りない、本心からの言葉だった。気丈に振る舞っていても、弱さを曝け出せる人がいないだけで、脆い部分は誰しも持っている。
孤独はとても辛いものだ。ひとりで耐えられるほど甘なくない。
どれだけ強くてもキリアンだって人間だから、支えてあげる人が傍にいないと壊れてしまう。
(可哀想な人……愛する女性と離されるなんて)
きっと想い人は、キリアンを理解してくれる人だったはずだ。エレノーラが妻の座を明け渡せば、キリアンは幸せになれるだろう。
「……救世主、か……」
なにかを呟き、項垂れたまま顔を覆った。余計なことを言ってしまったかと心配になったものの、キリアンは深く息を吐いてから言葉を紡ぐ。
「エレノーラ……君は、私をどう思う……?」
「どう、とは……?」
「好きか、嫌いか?」
友人でもほしいのだろうか。質問の意図はわからないが、エレノーラの答えは決まっている。
「そうですね、どちらかといえば好きです」
「は……ははっ……そ、そうか……」
肩を震わせていたかと思えば、床に崩れ落ちた。あまりにもショックで、死にそうという意思表示なのか。
キリアンの気持ちを汲めなくて、モヤモヤしてしまう。
「わたしが好きなんて、嫌でしたか? キリアンはわたしが嫌いですよね……?」
「な、っ……なにを言う……! 嫌ってなど」
「ですが、触れられたくないでしょう?」
「それは、その……触れられると、その……私の身体が大変なことに……」
(なにを言っているのだろう、この人……)
言い訳なんて必要ないのだが、必死な姿は可愛く見える。
不思議な気分だった。頭ふたつ分も高い身長と、彫りの深い男性特有の色香が漂う顔立ち。
可愛らしさは皆無なのに、母性本能をくすぐられているような心地になる。
「では、何故わたしを見てくれないのですか」
「き、今日は……格好よく……いたいから……」
「なんですか、それ……」
無意識に呆れた視線を向けていた。ふと、エレノーラの中に闘争心が沸き起こる。
嫌われるなら、とことん嫌われてやろう。すでに変な人だと思っているし、今さら取り繕っても遅い。
キリアンから『離婚したい!』と言わせてやる。格好いい姿なら、本命に見せるがよろしい。
エレノーラは制止を振り切って、キリアンに迫った。




