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身体が重くて堪らない。寝返りを打とうと試みるが、なにかが巻きついてくる。
縛られているのか。もがくほどに、ぎゅっと全身に絡んできた。
「んん、っ……くるし……」
「おはよう、エレノーラ」
「!?」
視線の先に飛び込んできた美貌。寝起きの思考には威力が凄まじく、すぐさま顔を覆った。
美しさで殴ってくるとは、視界の暴力であろう。しかも、純白のドレスシャツがはだけている。
すぐさま逃げ出そうと試みた。距離も近いし、心臓に悪い。だというのに、殊更腕の拘束が強くなる。
仕方なく、薔薇色に染まる頬を隠しつつ、上目遣いに覗き見た。
「……お、おはよう、ございます……」
柔らかく細められた瞳、薄く弧を描く唇。整った顔立ちに乱れはなく、緩く流れる銀糸から色香を放ち、エレノーラの反応を面白がっている様子だ。
過剰に意識しているのがエレノーラだけみたいで、羞恥心に襲われる。
恥ずかしいけれど、キリアンの腕の中は夢のように気持ちがいい。心はとても満たされていた。
「ずっと傍にいたのですか……? 嬉しい、です……」
「そうか………………く、っ……!」
微笑みをこぼしたかと思えば、心臓を押さえて苦しみだす。エレノーラは顔面蒼白だった。
よほど辛いのだろう。キリアンは荒い呼吸を吐きながら、シーツの上にふせって汗を滲ませている。首まで真っ赤だ。
「キ、キリアン、すぐにわたしが治して」
「今すぐ、愛してると……言ってくれないか?」
(どういう意味……?)
今、求めるべき言葉ではないだろう。苦しくておかしくなってしまったのか。
考えあぐねていると、潤んだアイスブルーの瞳が向けられる。真っ青に輝く眼差しで乞われたなら、エレノーラは跳ね除けられない。
滑らかな頬に手をそえて、キリアンの相貌を正面から見つめる。
「わかりましたから、少し待っ」
「エレノーラ……死にそうなんだ……はやく」
「愛してます、愛してますからね、キリア、っん」
声をかけた途端に、視界が反転した。気づけばベッドに押し倒されて、ぬくもりが重なっている。
銀糸のカーテンに囲われる中、顔のいたるところに唇が触れて、華やかな香りが鼻先をつく。
くすぐったさに吐息をこぼすと、腕の拘束が強くなった。
「きゃっ、キリアンっ、な、なにして」
「君と朝を迎えるのは、こんなに気分がいいものなんだな」
小さな花をポンポン飛ばしてエレノーラの髪を弄び、全身で喜びを表現している。よく見ると、寝癖で毛先が跳ねていて可愛らしい。
思えば、じっくりとキリアンの顔を見るのは初めてだった。高い鼻梁と滑らかな肌。崩れのない型の中に浮かぶ、透き通った高貴な輝き。
薄く冷やかな海の色でも、エレノーラを熱っぽく映している。瞳にいる自分自身に笑いかけると、キリアンが感極まったように、エレノーラを胸の内に閉じ込めた。
「エレノーラ、ずっと私の傍にいてくれ……」
「わたしは何処にも行きません、けど……まだ、具合が悪いのですか?」
「うん、すまない……今は、このまま抱き締めさせてほしい」
片時も離れたくないとばかりに、力強く腕が巻きつく。首筋に顔をうずめて、愛らしくすり寄る姿は、エレノーラの心を虜にした。
銀糸の手触りを愉しみながら、あやすよう指先を滑らせる。
「もしかして、わたしが言ったことを気にしてますか?」
「君に傷痕を残してしまった罪は私にある」
「キリアン、わたしは責任を取ってほしいわけじゃないんです。正直に言葉にしてくれたら分かり合えますから」
好きなこと、嫌いなこと。相手に望むこと、口に出して伝えたなら、理解し合える。
完璧な人間なんていないのだから、足りない部分は互いに補えばいい。妻として、キリアンを支えるのがエレノーラの役目だ。
さらりと銀糸を梳きながら、キリアンに言い聞かせる。キリアンは悩ましい表情を浮かべていたが、ふと口許が和らいだ。
目の前にいるのは、皇弟でもグランドマスターでもなく、公爵当主でもない。単なるキリアンという男なのだろう。
「ああ、そうだな……私のかわいい妻」
◆
レティノアール公爵邸は城ほどの広さがあり、屋敷の修繕には時間がかかる。
なにか手伝えることはないかと、皇宮の中を探し回っていたのだが、何処へ行ってもキリアンが現われた。
眉間に皺を刻み、不愉快さを隠しもしない。
「何故、料理を? 手が荒れたらどうする!?」
「暇だと落ち着かないのです」
「そんなに重いものを持って怪我をしたら……いや、骨が折れるかもしれないだろう……!」
「わたしはそんなに貧弱ではありません」
皿を持った程度で骨が折れるわけがない。意外にも、キリアンは心配性であった。
キリアンから見れば小柄で頼りなく見えるだろうが、見た目に反して力仕事は慣れている。
メイドたちと仲良くケーキを作り始めて数十分後。あとは盛りつけるだけの、完成まで目前という時だった。
急に皇弟が登場したのだから、周りが萎縮するのも無理はない。
どういうわけか怒っているし、じりじりと壁際に追い詰められては、エレノーラも諦めるしかなかった。
先日のお礼も兼ねて、キリアンにプレゼントをするつもりだったけれど、またの機会にしようと思う。
「わかりました、部屋で大人しくしています」
仕方なく厨房から離れようとしたのだが、キリアンはじっと見下ろしたまま動かない。人目のある場所で叱責されては、居たたまれなさが勝る。
冷や汗を滲ませていたところ、腕の檻で捕らえていたキリアンが、耳元でそっと囁く。
「エレノーラ。一体、誰のためのケーキだ?」
「えっと、その、キリアンに」
「そ、そうか……ならいい」
キリアンはボソボソと呟きを漏らすなり、サッと口許を押さえながら視線を逸らす。首を傾げて覗き込むと、目尻が赤く染まりきっていた。
(まぁ、どうしたのかしら……熱?)
具合が悪くて苛立っていたのだろう。熱ならば、エレノーラは癒してあげられる。
キリアンに近寄り額に触れようとしたものの、するりと避けられた。猫のような見事な動きに、エレノーラも意地になる。
「熱があるのでしょう? わたしが治しますから、じっとしててください」
「いや、ちが……いいからッあ、ちょっ、な」
「っ、あ……」
背伸びをして迫ったとき、バランスを崩しキリアンの上に倒れてしまった。
すぐさま起き上がろうとしたものの、腰にぎゅっと腕が絡みつく。
「こんな、場所で、私を襲うなんて……」
「ち、違います……っ」
周りで成り行きを見守っていた使用人たちが、一斉にザワつきはじめた。背中にたくさんの視線が突き刺さる。
羞恥心を煽られたエレノーラは、キリアンを押し退け逃げ出していた。顔が熱くて堪らない。
遠ざかるエレノーラの背を眺めつつ、キリアンは床にふせっていた。
「ふ、ふふっ……か、かわいいな……エレノーラ……」
顔を覆って身悶えるキリアンを、目を見開いて見つめる使用人たち。異様な空気が漂いはじめる。
「殿下が笑っていらっしゃる……」
「はじめて見たわ……いつも無表情で近寄りがたい印象だったのに」
「ねぇ、奥方さまを監禁してるって噂……本当なんじゃないの?」
「ああ、毎日薔薇をかき集めてたって話もあったぞ」
一同が隅に固まって、恐る恐るキリアンの様子を窺う。ふとキリアンが立ち上がり、ジュストコールを叩いて身なりを整えた。
さっきまで笑みを浮かべていたのが嘘のようだ。乱れた髪を掻き上げたかと思えば、真顔で使用人たちに冷ややかな眼差しを向ける。
「ねぇ、君たち。エレノーラが作ったケーキ、厳重に保管しておいてくれ」
「は、はい……かしこまりました……」
足早に立ち去る背中を眺めながら、使用人たちは呆然と立ち尽くしていた。




