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「──エレノーラと結婚などしたくなかった!」


 日常なんて、呆気なく崩れ去るものだ。

 敗戦したあげく、和平条約の人質として送られたときから、エレノーラの居場所は何処にもない。

 祖国はもちろん、ここエヴァレスト帝国でも。


 元敵国の王女なのだから、自分の立場はわかっていた。無理やり押しつけられただけの、名ばかりの妻でしかない。

 それでも、夫婦という枠で居られるうちは、関係の改善をしよう。エレノーラの存在が、邸の雰囲気を壊さないようにと、努力を惜しまなかった。


 いつか笑顔を見られるのではないか。憐れな夢に希望を抱いていた自分自身が、とてつもなく滑稽に思える。

 不本意な結婚を強いられた夫キリアンが、笑顔を見せてくれるはずがないというのに。


 扉をノックしようと上げていた腕をそっと下ろして、その場に立ち尽くす。

 さっさと去るべきなのに、身体が云うことを訊いてくれない。


「……だから、協力してくれ。お前なら慣れているだろう?」

「はぁ、どういう意味ですか。失礼な」


 今日の客人はキリアンの部下だ。平民の出でありながら、トップクラスの剣の使い手である。

 実力で這い上がった彼は、腕前を買われてキリアンの側近も務めているらしく、邸に居ることが多かった。


 あまり人を傍に置きたがらないキリアンが、わざわざ側近に頼み事となれば、自ずと結果は見えてくる。

 キリアンは、エレノーラを捨てるつもりなのだろう。


「とにかく頼む、このままだと辛いんだ……」

「わかりましたよ、キリアンの頼みですからね。協力はします」

「ああ、助かるよ。なにかあれば言ってくれ、すぐに──ッ、エ、エレノーラ……」


 扉を開けてすぐ、人が立っていれば驚くのも無理はないだろう。しかも相手がエレノーラなら、尚更のこと。

 目を見開いて動揺する顔つきは、瞬く間に険しい表情へ変化した。

 眉間に皺を寄せて、不愉快さを隠しもしない。


 冷ややかなアイスブルーの瞳、高い鼻梁と形のいい唇。彫刻のごとく型崩れのない相貌は、怒りで歪んでいても美しいままだ。

 後ろへ撫でつけられた、艶のあるシルバーの前髪が少しだけ乱れていて、より男性の色香を放っている。


 たとえ恨みの対象でも、エレノーラにとっては救世主であった。祖国から抜け出せたのはキリアンのおかげだから、どんなに胸が痛くても笑っていられる。


「お邪魔をして申し訳ありません。お茶をお持ちしたのですが」


 微笑みながら投げかけるものの、キリアンの瞳にエレノーラは映らない。逸らされた視線は何処か遠くを見ていて、足早に立ち去ろうとする。

 ちょっとでいいから声を聴きたい。想いのままに手を伸ばしたが、触れるより先にキリアンが腕を振り払った。


「──ッ」


 あからさまな拒絶。日常茶飯事といえど、キリアンを見るエレノーラの薄紅色の瞳は、哀しみで揺れていた。

 口を開こうとしたものの、耐えるよう息を詰めたキリアンは、ペリースを翻して廊下の奥へ消えていく。

 脚が長いせいか、姿が見えなくなるまで早かった。広い背中をぼんやり眺めていたが、ふと我に返る。


(……いけない、片付けないと)


 ひとつ息を吐いて、ワゴンに手をかけた。冷たくされるのは慣れているし、祖国での扱いに比べれば暴力を振るわれないだけマシである。

 奴隷と変わらない態度を取られても文句は言えないのに、今のエレノーラは公爵夫人。加えて、皇位継承権を放棄したといっても、夫キリアンは皇弟なのだ。


 皇族の血を受け継ぐ彼にあてがわれたのが、敗戦国の王女なのだから、冷たく当たる理由としては尤もだろう。

 いつまで公爵邸に置いてもらえるのか。なんて考えていたところ、また扉が開く。


「おや、ご夫人。いらっしゃったとは」

「お久しぶりです、ローレンス卿。すみません、すぐに片付けますので」

「いえいえ、構いません。……そうだ、良かったら俺と話をしませんか」


 話しとはなんだろう。もしや、キリアンの言っていた頼み事の件なのか。

 ローレンスはやり手だ。人当たりが良く、仕事も早いと皆が一様に褒めていた。

 本題を切り出されるまで、時間もかからないだろう。覚悟を決めて、エレノーラは応接室へ案内した。


「夫人の好きなものってなんです?」


 ソファーに腰を下ろすなり、「出ていけ」とでも言われるかと思いきや、掠りもしない話題で呆気にとられる。

 ローレンスはリラックスしている様子だが、エレノーラには意図が計れず、冷や汗が滲む思いだ。


「あの、ローレンス卿。本題をお話しください」

「ん? 今、話してますよ。趣味でもいいんですが、嫌いなものもあれば」


 表情は柔らかいが、一挙一動を逃すまいとする視線は鋭い。問いかけの意味もわからず、対面するエレノーラは尋問を受けている気分だった。


 とはいえ、ローレンスが訝しむ気持ちは理解できる。帝国を裏切った国の王女が、王弟にして公爵当主の妻となれば、間諜を疑って当然だろう。

 少しでも杞憂が晴れるようにと、素直に口を開く。


「嫌いなものはありません。趣味……といえるかわかりませんが、花を眺めるのが好きです」


 祖国の庭園は立派なものではなかったものの、気候に負けず大輪を咲かせる様は、心を浄化していくほどに美しい。

 一面の緑にひっそりと彩りをそえて、爽やかな香りを放つ花々に、エレノーラはいつも癒されていた。

 なにより、花は喋らないから好きである。


「花、ですか。なるほど……なんの花が好きですか?」

「そうですね、薔薇が好きです」

「なるほど、なるほど。では、他には?」


 好きなものなど聞いて、どうするつもりなのか。意味のない質問を繰り返し、気づかれないよう追い詰め、口を割るのを待っているみたいだ。


 いっそエレノーラから切り出したほうが早いが、こちら側から離婚を申し出ては、不敬と見倣されるに違いない。

 それとなく意思を伝えようと試みる。


「本を読むのも好きです。それで……」

「いいですね、俺も好きですよ。読んでいる時間は嫌なことを忘れられますからね」


 心からの言葉なのだろう。微笑むローレンスの表情に、嘘はないように見える。

 これが演技ならば大したものだが。


「どうぞ、続けてください。夫人はもっと話すべきです」

「……ローレンス卿、わたしなら覚悟ができています。下働きの経験もありますし、ひとりで生きていけると殿下にお伝えください」


 どのみち、公爵邸を追い出されたとしても、エレノーラはエヴァレスト帝国から出られない。

 国境には聖門といわれる結界があり、通るには特別な許可証が必要となる。

 たとえ許可証があっても、エレノーラの身体には特殊な紋様術が施されているため、抜けられないようになっていた。


 逃げる気はさらさらないけれど、皇族の監視がある場所ならば何処へ行っても問題ないだろう。

 エレノーラの意思を察したらしいローレンスが、険しい眼差しを向けてくる。


「夫人、貴女は勘違いをしています。おそらく、逃げられませんよ」

「逃げようとは思っていません。わたしは充分良くしてもらいました」

「いいえ、貴女はわかっていない」


 エレノーラを捉える瞳が、猛禽類のように光を帯びた。鋭い言葉と相まって、胸の奥に突き刺さる。

 たかが敗戦国の王女がひとりで生きていけるほど、世の中は甘くないという警告だろう。


 ローレンスの忠告は間違っていない。居場所のない女ひとり、なにができようか。

 だからといって、離婚を望むキリアンの傍にのうのうと居られるほど、エレノーラの神経は図太くなかった。


「わかっています……けれど、殿下は」

「少しは理解したほうがいいでしょう。キリアン・イネス・エヴァレストがどういう男か」


 冷ややかな空気に煽られ、ぞくりと肌が粟立つ。

 たしかに夫婦とは名ばかりで、エレノーラはキリアンを深く知らない。好きでもない女を嫌々娶らされた、可哀想な人とだけだ。


 思えば、はじめて出会ったときから、エレノーラを恨んでいたのだろう。

 祖国の裏切りに気づいたエヴァレストは、キリアンの総指揮により数年で滅ぼされた。

 騎士の数に差はなかったものの、隙のない統率力とキリアン自身の魔力に、勝てる者はいなかったに違いない。


 城を落としたキリアンは、返り血を浴びた姿で謁見の間に現われた。恐れをなした父が、エレノーラを盾に命乞いをしたのも記憶に新しい。

 国が恐怖で染められていく中、唯一エレノーラにだけはキリアンが美しく映った。


 おそらく、祖国の敗戦が決まった日から、キリアンは復讐の機会を窺っていたのだろう。

 離婚なんて生易しいものでなく、エレノーラに待っているのは死のみだ。


 冷徹無慈悲な血を好む戦鬼、キリアン・イネス・エヴァレスト。

 本当の地獄はこれからなのだと突きつけられたようで、無意識にドレスの裾を握り締めていた。


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