第7話:一ノ瀬保奈美
夜のリビングは、テレビの光と間接照明だけが灯っていた。
私はソファの端に座り、ブランケットを膝にかけたまま、リモコンを握っていた。
「……ねぇ直也さん、ほんとに観たくないの?」
「うーん……正直、あんまりね」
苦笑いしながら、彼は肩をすくめた。
「だって、自分が出てる恋愛リアリティーショーなんて、どう考えても気恥ずかしくて見れないよ。そう思わない?」
「でも、亜紀さんや玲奈さん、麻里さんもみんな見てると思うの。
どうせ来週GAIALINQの人たちも、その話ばっかりになるでしょ?」
「……まぁ、それは避けられないかな」
観念したようにため息をついて、直也さんは私の隣に腰を下ろした。
Amason Stream《The Queen’s Choice》。
今夜は「振り返りスペシャル」。
タイトルが画面に浮かぶ。
ダイジェストで早くも直也さんが少し映っていた。
「……ほんとに出ちゃってる」
「出ちゃってるんだよ、これが」
ふたりして、同時に小さく笑った。
MCが明るい声で進行を始め、スタジオの映像が映る。
滝沢ミラさん――世界的なモデルで、スタートアップ事業家。
テレビの中で、彼女は深紅のドレスを纏って微笑んでいた。
「……やっぱり、きれいな人だな」
私が言うと、直也さんは小さくうなずいた。
「空港で会った時も、あんな感じだったよ」
「空港……?」
「うん。チューリッヒ空港。ダボス会議の帰りにね、ラウンジでワインを飲んでたら、隣の席に彼女が座ってて」
「……そんな偶然ってあるの?」
「海外の空港の高級ラウンジだと、結構あるんだよ、これが」
少し照れたように笑うその横顔は、いつものように穏やかだった。
「彼女から声をかけられて、最初はダボス会議でのオレの講演についての話だったんだけど、《The Queen’s Choice》の最終回の撮影を控えるって話にもなって――残ってる候補、この二人の男性には、正直そこまで惹かれていないって相談してきたんだ」
「……相談って……なんで直也さんに?」
思わず声が強くなる。
「いや、こっちは完全に聞き役だったから、そこまでは分からないな。
それで、“じゃあ一ノ瀬さんを逆指名制度使って、指名させて頂いてもいいですか?”って相談されたんだよ――」
「――どうして?」
思わず声が裏返った。
「どうして……そうなるの!?」
「だから、“そんなの出たら番組全体が崩れちゃいますよ”って止めたんだよ。
でも、“逆指名を断って頂いて構わないので、助けてください”とか言われちゃってね……」
(……そんなの、おかしいよ……)
画面の中では「カレワラのペンダント」を渡す場面が始まった。
私は固まった。
「……どうしてプレゼントなんて渡したの?」
「いや、あれは……“不戦敗”のお詫び、というか……」
「お詫びも何も、直也さんは、巻き込まれただけでしょ? それなのに、ペンダントをプレゼントする必要なんかあるの?」
少し感情的になってしまった。
直也さんは困ったように笑って、
「ほんとに、そんな大げさな意味じゃなかったんだけどな」
そして――滝沢ミラが、泣きながら直也さんに抱きついた。
沈黙。
部屋の時計の音だけが聞こえる。
「……あの、これは……その……」
直也さんが気まずそうに笑う。
「抱きつかれた側も、ほら、どうすればいいか分からなくて……」
「……もう、見たくない!」
言葉を遮るように言って、私は立ち上がった。
直也さんが少しだけ顔を向ける。
「保奈美、あれは……」
「いいよ。分かっているから……」
食器を片づけるふりをしながら、テレビの光が背中に当たる。
少し涙が出てきたのを必死に隠した。
(分かってる。分かってるけど――)
しばらくして、後ろから静かな声がした。
「……保奈美、怒ってる?」
「怒ってない」
「そうは聞こえないな」
「怒ってないよ」
「……ほんとに?」
その時、少しだけ声が震えた。
次の瞬間、頬にふわりと温かいものが触れた。
「保奈美」
「……なに」
「頼むから、機嫌を直して。ね?」
私は息を呑んで、そして小さく頷いた。
「……そんなの卑怯だよ……いつもそう」
「うん、知ってる」
少しだけ笑って、直也さんはリモコンを取った。
画面の中では、まだエンドロールが流れていた。
>“To the man who turned love into respect.”
そのテレビを直也さんは消した。
食器の片付けを終えた私は直也さんの隣に座った。
「ねぇ、直也さん」
「うん?」
私は直也さんの手をつねった。
「うっ、イテーー!」
だって仕方がないもん。
「保奈美は、面白くありません」って伝えるしかないもの。
でもその後。
私が少し涙を流していたのが分かった直也さんは、横からギュッと抱きしめてくれた。
だから許してあげることにした。
静かな夜のリビングに、
二人分の呼吸だけが、穏やかに溶けていった。