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エピローグ1:滝沢ミラ

 鏡の前で、微笑み方を整える。

 唇の端を少しだけ上げ、目元を緩める――十年もやっていれば、筋肉が記憶してくれる。

 どんな光でも、どんなカメラでも、求められた「滝沢ミラ」になることは、もう難しくなかった。


 けれど、その完璧な笑顔の裏側で、ふと、空洞のようなものを感じる瞬間が増えた。

 撮影のフラッシュが消えたあと、残るのは静寂と、心のどこかで鳴る「それで、次は?」という問いだった。


 モデルとしてのキャリアは、恐らく今が頂点だ。

 ニューヨーク、パリ、ミラノ。

 ショーウィンドウの内側で、自分の姿が何度も切り取られ、雑誌を飾るたびに、確かに称賛は増えていった。

 でも、その度に、何かが少しずつ削がれていった気がする。


 “Élan Mirable”。

 サステナブル・ラグジュアリー――それが、次に見出した「私の居場所」だった。

 大量消費と虚飾の世界で生きてきたからこそ、ほんとうの意味で美しいものを作りたかった。

 装飾ではなく、継続できる誇りを。

 そう信じて、会社を立ち上げた。


 けれど、現実はそう単純ではなかった。

 理念だけでは、資本は動かない。

 理想を掲げるほどに、投資家の目は冷めていく。

 “美しい言葉”では売上は上がらず、ストーリーを語れと言われる。

 ――結局、世界はどこまでもロジックと演出でできている。


 (……分かってた。最初から、分かってたのに)


 その閉塞を打ち破るように、Amason Streamからのオファーが届いた。

 《The Queen’s Choice》。

 女性が“理想の男性”を選び抜く、世界同時配信の恋愛リアリティ番組。


 ――正直、最初は笑ってしまった。

 けれど、次の瞬間、どこかで“悪くない”と思ったのだ。

 自分の理想が、どれほど通用するのかを確かめたかった。

 事業家としてでもなく、モデルとしてでもなく、ただ一人の女性として。

 その実験として、出演を受けた。


 しかしながら――現実は冷たかった。


 選ばれた男性陣は、経歴も容姿も申し分ない。

 だが、どれだけ会話を重ねても、響くものがなかった。

 理想を語る人はいた。

 「世界を変える」と、眩しい笑顔で言う人もいた。

 けれど、誰一人として――“現実を動かす方法”を持っていなかった。


 地に足をつけた考え方をする人もいた。

 だが、その目は自分のキャリアと成功しか映していなかった。

 数字を並べ、成果を誇り、巧妙に“共感”を演じる。

 けれど、そこに“ノーブルさ”がない。

 ――根源的な、品位というものを感じなかった。


 撮影のたびに、心が少しずつ冷えていくのがわかった。

 彼らを相対的に比べ、形式上“選ぶ”作業。

 確かに、それが番組の構成上のルールではあった。

 でも、あの頃の私は、もう選んでなどいなかった。

 ただ、決められた手順を、粛々と消化していたに過ぎない。


 “理想を見据えつつ、現実を理想に近づけるための方策を、強かに考えられる人”――

 そんな人間が、本当にこの世界に存在するのだろうか。


 あの時の私は、

 それをもう、半ば諦めかけていた。


※※※


 《The Queen’s Choice》の最終回収録が迫っている。

 台本を閉じるたびに、胸の奥が重く沈む。


 “選ばなければいけない”――それが、番組のルールだった。

 演出を担うディレクターたちは言った。

 「ここまで残った二人は、あなたが“選んできた結果”なんです。だから、どちらかを選ぶのが当然です」と。


 理屈はわかる。

 けれど、彼らの言葉の底にあるのは「ストーリーの整合性」であって、

 “人間の誠実さ”ではなかった。


 「誰も選ばない選択肢は?」と尋ねたとき、

 彼らはあからさまに顔を曇らせた。


 「そんなことをしたら、視聴者からクレームが来る」

 「スポンサーも納得しない」

 「最終回が“炎上”したら、あなたのブランドにも傷がつく」


 ――そう言われてしまえば、何も言い返せなかった。


 自分の誠実さを守ることが、

 こんなにも“わがまま”に見える世界。

 それが、いちばんつらかった。


 ダボス会議の招待状が届いたとき、

 正直、逃げ出したい気持ちもあった。

 ただ、別の自分を取り戻すために――少しでも頭を冷やすために――

 私は出席を決めた。


 けれど、あの会場に集まっていた講演者たちは、

 多くが《The Queen’s Choice》の男性出演者と変わらなかった。

 野心と理念を巧みに語る。

 けれど、その裏には必ず、支配と利益の計算が透けて見える。


 世界のトップが集うこの場所でも、

 本物の“思想”や“覚悟”を感じる瞬間は驚くほど少なかった。


 ――ただ一人を除いて。


 GAIALINQのCOO、一ノ瀬直也。


 ステージ上で、彼は穏やかな口調のまま、

 AIとエネルギーの新しい共存モデルを語った。

 華やかなプレゼンテーションではなく、淡々と、

 しかし世界の構造を確かに理解している者だけが持つ“圧倒的な説得力”があった。


 理想を見据えながら、現実を理想へと近づけていくための方法を語る人。

 それを“綺麗事”としてではなく、経済と倫理の双方から語る人。

 ――そんな人物に、私は初めて出会った気がした。


 (この人と、話をしてみたい)


 その想いが胸の奥に残ったまま、会議を終えた。

 そして、奇跡のような偶然が訪れる。


 チューリッヒ空港。

 出発までの時間を潰すために入ったラウンジ。

 視界の端に、ワインのグラスを傾ける一人の男性がいた。


 ――一ノ瀬直也。


 動悸が激しくなった。

 ほんの一瞬、ためらいもあった。

 でも、この機会を逃したら、二度と話せないかもしれない。


 私は、勇気を出して声をかけた。


 最初は、ただ礼を言いたかった。

 彼の講演に感銘を受けたことを伝えたかった。

 けれど、気づけば、自分の抱えていた苦しさを口にしていた。

 《The Queen’s Choice》のこと。

 選べない現実。

 そして、選ばなければいけないという理不尽。


 直也は少しのあいだ黙って聞いていた。

 その沈黙が、私には“受け止めてくれている”とわかった。


 そして――彼は、淡々とこう言った。


 > 「番組のルールの中で、誰も傷つけずに終える方法を考えましょう。」


 彼は素早くAIを用いて番組が公式に提示しているルールを確認した。

 そしてその中から『盲点』を見つけ出してくれだのだ。

 それが「逆指名制度」という言葉を私が初めて認識した瞬間だった。


 彼は、その制度を最終回直前に使うことで、

 形式上は“指名”でありながら、

 実質的には“誰も選ばない”結末を成立させられる――そう助言してくれたのだ。


 視聴者に裏切られたと思わせず、番組を壊さずに、自分の誠実さを守る。

 そんな抜け道を、ルールの中から見つけてくれた。


 ――その時、ミラは悟った。

 この人は、理想を語るだけの人ではない。

 現実を動かす力を持っている。


 そして同時に、彼がどれほど自分とは違う次元にいるのかも、痛いほどわかった。


 出会ってわずか数十分。

 けれど、胸の奥で何かが確かに動いた。


 それは恋というより――

 崇高なものに触れてしまった人間の、静かな震えだった。


※※※


 「逆指名」を最終回直前――しかも配信開始直前に行使するのは、前代未聞のことだった。

 だが、ルール上は何の問題もなく、番組側も、話題性を歓迎した。

 「今までにない展開になる」と、ディレクターの顔はむしろ興奮していた。


 けれど、彼らは知らなかった。

 私が指名する相手が、一ノ瀬直也だということを。


 Amason Streamの担当者は一瞬絶句し、すぐに社内で協議が行われた。

 GAIALINQ、五井物産、ダボス会議――その名の影響力は、想像をはるかに超えていた。

 だが最終的に、ディレクターは笑って言った。

 「いいじゃないか。リアリティーショー史上、最もリアルな“恋愛”になる。」


 ――その時は、まだ誰も理解していなかった。


 配信が始まると、瞬く間に世界中で話題になった。

 「一ノ瀬直也」という名前が、トレンドを独占した。

 番組のファンだけではない。

 経済誌、国際メディア、果ては大学の講義までもが彼の「不戦敗」を取り上げ始めた。


 彼は番組の“指名”を断った。

 ただそれだけのことだった。


 けれど、その一言が世界を動かした。

 ――“不戦敗”。


 戦わないことが、敗北ではなく、

 誠実と敬意の形として成立する。

 そんな逆説が、人々の心を掴んだ。


 私自身、あの時はまさか、ここまでの反響になるとは思っていなかった。

 彼に相談し、ルールの範囲内での「逃げ道」を見つけただけのつもりだった。

 それが、世界的なムーブメントになるなど、夢にも思わなかった。


 最終回の収録当日。

 私は、決断を下した。

 “誰にもローズを渡さない”という選択。


 かつての私なら、恐れていたはずだ。

 炎上を。

 批判を。

 「責任を放棄した女」と言われることを。


 けれど、奇跡が起きた。


 世界は、私を責めなかった。

 むしろ、支持してくれた。

 “本当の愛を理解している”とさえ言われた。


 それは、私の力ではない。

 直也が、あの瞬間、すべてを引き受けてくれたからだ。

 彼の「不戦敗」という言葉が、

 私の“誰も選ばない”を肯定してくれた。


 Amasonは、配信史上最高の視聴数を記録した。

 GAIALINQを主導する五井物産は、株価を上げ、時価総額を伸ばした。

 けれど、私の胸に残ったのは、数字ではなかった。


 ――彼に、重いものを背負わせてしまった。


 彼の立場を思えば、あの演出はどれほどの覚悟を伴っただろう。

 それを思うと、胸の奥が痛んだ。


 けれど、「振り返り回」の収録で、そもそも番組出演しない筈の彼が現れてくれた。

 スタジオの照明が落ち、MCが紹介の言葉を告げた瞬間――

 彼が歩み出てくるのを見た瞬間、涙が溢れた。


 「なぜ……来てくれたの……」

 心の中で、何度も同じ言葉が繰り返された。


 あの人は、約束を守る人だ。

 たとえ、それが自分に火の粉を浴びせることになっても。


 私は――あの瞬間、確信した。


 本物の“敬意”は、恋よりも強い。

 でも、その敬意の果てに恋がないなどと、

 誰が言えるだろう。


 世界のどこにいても、

 どんな肩書きを持っていても、

 心の底から「尊い」と思える誰かに出会えること。


 それこそが、私にとっての選ばなかった愛だったのだ。


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