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プロローグ:新堂亜紀

 夜のオフィスというのは、不思議なものだ。

 昼間あれほど戦場みたいだったGAIALINQプロジェクトフロアも、21時を過ぎると別世界になる。総合商社は眠らないとよく言われるが、最近は逆にワークライフバランスがしきりに強調されるので、プロジェクト序盤の混沌が整理されつつある今の時期は、早めに帰宅するメンバーが多い。


 外の街の光がガラス越しに揺れて、デスクライトだけがぽつぽつと灯っている。


 コアメンバーが誰も帰らないのは、忙しいからというより――多分、仲間と居たほうが楽しいから、あまり帰りたくないという事もあるのだと思う。

 日中は誰もが数字とデータに追われているけど、この時間だけは素のままでいられる。


 玲奈はカフェコーナーのソファに足を投げ出し、タブレットをいじっている。

 麻里は隣でカプチーノを啜りながら、何かニュースサイトを眺めていた。この頃はAI関連ニュースが多すぎて、専門家である筈の麻里自身のフォローも追いつかないと良く嘆いているのを聞くようになった。

 私はと言えば、明日のプロジェクト進捗定例Mtg用資料の修正をする気力もなく、惰性でメールを開いたまま手が止まっていた。


 「……ねぇ、これ、やっぱり泣けるわ」

 玲奈が不意に呟いた。


 「またマンガ?」

 麻里はニュースサイトのチェックに飽きてきたみたいだ。


 「そう。“波うららかに、めおと日和”。ほら、戦前から戦時中にかけての新婚さんの話よ。海軍士官とお見合いしたばかりの新妻。それがもうね、ほんと泣けるの」

 「戦争もの?」

 「うん。でも戦争そのものより、“それでも暮らしていく”って感じ。……直也がもしこの時代にいたら、絶対エリート軍人になっていただろうから、いろいろ想像しちゃう」


 (……出た、妄想劇場)


 麻里が小さく笑う。

 「玲奈、それもう完全に“妄想彼氏シリーズ”でしょ」

 「いや、ちょっと想像してみてよ。直也が戦前にいたら……絶対大本営参謀とかやってると思わない?」

 「まあ、あの頭の良さと冷静さならね。でも、逆に終戦工作を進めて、それが発覚して、東條英機あたりに干されるタイプかも」

 「それ、ありそう」


 「直也くんなら、それでもその最前線で最後まで不屈の戦闘を繰り広げそうね。占守島守備隊を指揮してソ連軍に大打撃とか」

 私も仕事に飽きてその話しに加わってみた。


 「亜紀さん、なんて恐ろしい想像するんですか! イヤですよ。それじゃあ直也玉砕しちゃうじゃないですか。もう縁起でもない」

 玲奈に怒られてしまった。まぁでも確かに言う通り。


 「直也はどちらかと言えば、不毛な玉砕戦闘を選ばずに、強かに抵抗し、最後に母国からの戦闘停止命令を受けてから、やっと武装解除に応じて、そのまま堂々と帰国する、映画『太平洋の奇跡』の主人公みたいなタイプだと思いますけれどね」

 まぁ、麻里の言う事も一理あるわね。


 ちなみにこの映画は主人公がFOXと呼ばれた男だったけど、私は女FOXモードを持っているのよ。キツネダンスを踊れるのよ、私。

 

 まぁ何れにしても、直也くんは絶対負けない。私に言わせれば絶対不敗のヒーローね。

 実際ダボス会議での彼の講演は大きな話題を集め、今では彼は『ダボス会議のニューヒーロー』と呼ばれ始めている。――また女性から注目されそうで、少しイヤね……。

 

 そんな取り留めのない話をしていた、まさにそのときだった。


 玲奈のタブレットがピコンと鳴った。

 「……あ、またニュース。Amason Streamのアカウントから」

 「Amason? あのデータセンターサービス最大手の?」

 「じゃなくて、配信サービスの方。……あー、“The Queen’s Choice”の新シーズン始まるって」


 “女王が男を選ぶリアリティ番組”。

 恋愛ゲームを本気でやる人々を、私はいまだに理解できない。

 「もう恋愛をコンテンツ化してから何年経つのかしらね」

 麻里が軽くため息をつく。


 「……あれ、逆指名制度が導入されてるって。女性側が“この人に参加チャレンジして欲しい”って最終回収録前にいきなり指名するらしい」

 「へぇ。まあ、そりゃ新しい切り口ね」

 玲奈が画面をスクロールした瞬間、指が止まった。

 「……え?」

 「どうしたの?」

 「……これ、見て」


 タブレットの画面をこちらに向ける。

 表示されていたのは、番組のキービジュアル。

 中央に立つ女性――滝沢ミラ。


 「……ちょっと待って。滝沢ミラって、あのミラ?」

 麻里が眉を上げた。

 「そう、ファッションモデルでもあり、“Élan Mirable”の創業者。サステナブル・ラグジュアリーの旗手よ。

 ダボス会議にもパネリストで出ていなかったっけ?」

 「で、その彼女が……誰を?」

 「……え?」

 玲奈の声がかすかに震える。

 画面がゆっくりスクロールされ、次の瞬間、私たちは息をのんだ。


 “Selected: NAOYA ICHINOSE(ITSUI & CO., LTD.GAIALINQ PROJECT COO)”


 「…………は?」


 一瞬、音が消えた。

 モニターの稼働音だけがかすかに響いている。


 「……え、それ、同姓同名の別人とかじゃ……」

 「顔、出てる」

 玲奈が指先で画面を拡大する。

 その写真を見た瞬間、私は言葉を失った。


 あの笑顔。

 ダボス会議のスピーチのとき、世界のメディアに取り上げられたあの写真。

 ――間違いようがない。


 「……何これ、どういうこと?」

 麻里が冷静に言うけど、その声は震えていた。

 「直也が……番組で、恋愛対象に?」

 「そんなわけないでしょ。AmasonはGAIALINQのサービスが開始されたらデータセンター事業におけるガチ競合よ? ……ケンカ売ってんのかしら(怒)」

 「……でも、“選ばれた”のは事実みたい」


 画面には、キャッチコピーが浮かび上がる。


 『プロジェクトに恋した女。The Queen’s Choice Japan Season5 Coming Soon』


 私は額を押さえた。

 (……いや、いやいやいや、ないでしょこれは)

 「……広報に確認する」

 慌てて社内チャットを開く。

 深夜にもかかわらず、広報部から即レスがあった。

 《現在事実確認中です。五井物産として公式コメントはまだ出せません》


 「……つまり、マジで“起きてる”ってことね」

 玲奈が青ざめてつぶやく。

 麻里が深く息を吐く。

 「ねえ、これ、直也さんに伝える?」

 「今夜はやめておこう。多分、本人も“見てない”方が幸せ」


 私はタブレットを閉じた。

 けれど、画面の残像が脳裏に焼きついて離れなかった。

 “滝沢ミラが恋した男”。

 “世界が注目する日本人”。

 ――その肩書きの裏で、今ごろ彼は、静かに眠っているのだろうか。


 外は雪。

 オフィスの窓から見える街の灯りが、どこか現実味を失って見えた。


 (……まさか、直也くんが“恋愛リアリティの主役”になる日が来るなんてね)


 苦笑しながらも、胸の奥がざらついていく。

 静かな夜が、地獄の夜明けになる――そんな予感が、妙に確信めいて感じられた。


※本編はカクヨムにも掲載しています。

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