9
改めて、黒崎と遊馬、繁田と長野は向かい合った。
長野が冷えた鼻先を撫でながら言った。
「僕、半年ほど前まで白居団地近くの交番に勤めてまして。白居団地に行くことも多かったんです。ほら、あそこは有名な自殺スポットですから。黒崎さんは管理人の代わりに遺体を確認していたんですよね。ほら、腐爛死体は見た目がショッキングですから、トラウマになる人も多くて……。よくやるなあって思ってましたよ。確か、五年くらいあそこに住んでましたよね? まさか探偵になっているとは思いませんでした」
遊馬は黒崎を見た。黒崎は正面を向いたままだ。
繁田が切り出した。
「黒崎さん、あなたはなぜあの言葉を知っているんですか?」
「遺書を見たからです」
「なぜ?」
「出来心で。同じ言葉が書かれた遺書を、僕は一年くらい前にも見ました。その時の死体も、喪服を着ていました。しかも、妙な首の吊り方をしていたんです。吊っているというより、括り付けられているような感じでした。どういうことでしょうか?」
繁田は質問に答えず、問い返した。
「今日はどうして白居団地へ?」
「他殺死体があるか確かめに」
応接室の温度がさらに下がった気がした。暖房の音が虚しい。
「これ、殺人事件の捜査ですよね。しかも、連続殺人事件」
繁田と長野の表情が険しくなる。
「自殺に偽装された他殺。ご丁寧に遺書まで用意して……。『ヒツギノソコニウマレツク』って、どういう意味なんですか? 他にも見つかってるんでしょう? あの遺書を持った他殺死体が」
重い沈黙が張り詰める。
遊馬の頭に、蛇ヶ原町の衛星写真が浮かぶ。
林の中の、黒い棺。
不審な手紙。あれを届けたのは誰だ?
――棺の底でお待ちしております。
ヒツギノソコニウマレツク
遊馬は腰を上げた。三人が注目する。
「見せたいものがあります」
事務室から持ってきた手紙を彼らに見せた。
「今朝、うちにこんなものが届いたんです」
黒崎探偵事務所の皆様へ
十二月二十四日、午後六時に棺桶工場へおいでください。
棺の底でお待ちしています。
「棺の底……」
黒崎が呟いた。
「差出人に心当たりは?」
繁田が尋ねる。
「昨日、僕達を追いかけてきた男ですかね。あそこ、本当に棺桶工場なんですか?」
「ええ、かなり小規模ですがね。生産数はそこまで多くありません」
「へえ」
意外だった。それにしては大きな建物だ。
「どうしてそんなところを見張ってたんですか?」
遊馬の携帯が鳴る。液晶には一咲とあった。
断りを入れ、応接室の外で電話に出る。
「もしもし、一です。今、よろしいでしょうか?」
「はい、どうされましたか?」
「あの、ちょっと、気になることがあって……今朝、郵便受けに手紙が入ってたんです。差出人の名前は書かれてないんですけど、サキと関係があるんじゃないかと思って」
「手紙ですか? 電話ではなく?」
加賀美サキとは電話でのやり取りしかしていないはずだが。
一は答える。
「はい。黒い封筒に、白いメッセージカードが一枚入ってました。宛名も書かれてなくて、直接郵便受けに入れたみたいなんです」
遊馬は応接室のドアを一瞥した。
「一さん、写真を送れますか?」
一旦電話を切り、彼女からのメールを待った。すぐに届いたメールに添付された写真を見る。
何も書かれていない黒い封筒。
そして、白いメッセージカードには、
十二月二十四日、午後六時。
棺の底で待っています。
皆の首に縄を。
足場には杯を。
印刷された文を読み、電話をかけ直した。
「なぜ、これが加賀美さんからだと思ったんでしょうか?」
「棺の底って言葉を、サキから聞いたことがあって。『私達、棺の底に生まれついたのね』って。それで、遊馬さん。私、二十四日にあの工場へ行こうと思うんです。手紙の内容は怖いけど、もしかしたら今度こそサキに会えるかもしれないので……。一人だと怖いので、お二人もついてきてもらえませんか?」
遊馬は返事を躊躇い、別のことを口にした。
「本当に、会いたいんですね」
「はい。私には、サキだけなんです」
彼女の声には、切実な響きがあった。
遊馬は応接室に戻ると、一咲の名前を伏せて依頼に関する情報をすべて明かした。白い小屋で目撃した首吊り死体が一と同じ顔をしていたというくだりでは、刑事達は首を傾げながら聞いていた。
「それ、信じたんですか?」
長野が思わずといったふうに尋ねた。
「とりあえず、依頼人の話は信じることにしているんです。こちらが信用していないと伝われば、依頼人もこちらを信用しませんからね」
「疑うのが仕事の我々とは逆ですね」
「それで、依頼人から先ほど連絡がありまして――」
写真を彼らに見せる。
「この手紙――招待状でしょうか――の日時に、あそこへ行くつもりだと言っています。私達にもついてきてほしいと頼まれました」
刑事達が顔を上げた。
「行こう」
黒崎があっさり同意した。
長野がすかさず言う。
「ちょっと待ってください」
しかし、言葉は続かず、彼はもどかしそうな顔で唇をへの字に曲げた。
じっと黙っていた繁田が静かに口を開く。
「本当に、行くつもりですか?」
遊馬と黒崎は同時に「はい」と頷いた。遊馬は決意を込めて言う。
「依頼を遂行できる可能性があるなら、行きます」
つかの間の沈黙。それを破ったのは繁田のため息だった。
「あそこで何が行われているか、教えましょう」
「繁田さん、いいんですか」
長野が慌てた様子で繁田を見る。繁田は力なく首を振りながら答えた。
「恐らく、今回の殺しも自殺で片付けられるだろう。俺達には手出しができない」
「いや、ですが……」
「だから、この機会を利用する。あの本、持って来い」
長野が渋々席を立つ。繁田は遊馬と黒崎に言った。
「今から話すことは他言無用でお願いします。いいですね?」
じっと見つめられ、二人は頷いた。
「――あの工場は表向き、更生施設なんです。前科者や、素行の悪い人間を受け入れている所です。社会に戻るためのリハビリとして、棺桶を作っている。あの建物は三十年前に建てられました。設立者は吾子良次郎という男です。彼は大学院で精神医学を専攻していました。研究テーマは『犯罪者の更生』。大学院を出た後は就職しましたが、一人で研究を続けていたそうです。自費出版で本を二冊出しています」
戻ってきた長野がテーブルに二冊の本を並べた。
「犯罪者の更生と聞いて、まともだと思ったでしょう。でもね、彼の理屈は学者のそれではなかったんです」
繁田は目で本を示す。
どちらもハードカバーで、かなり状態が悪かった。日焼けして濡れた跡もある。
一つは白く、もう一つは黒いカバーだった。タイトルと作者名の下に絵画が印刷されている。
白い本のタイトルは『犯罪者更生における精神治療』。
黒い本のタイトルは『隔離治療』。
黒崎が身を乗り出し、掠れた声で呟いた。
「ウィリアム・ブレイク……」
彼の視線は装画に注がれている。装画は独特の絵柄で、同じ画家の作品であることが窺えた。
繁田は白い本を指し、
「こちらが四十年前の本で――」
次に黒い本を指し、
「こちらがその五年後に出版された本です」
と説明した。
白い本の装画は三体の天使と横たわる男の絵だ。灰がかった色彩と薄明かりが印象的な、神聖さを感じる作品だった。
対して、黒い本に使われている絵はどこか恐ろしげだった。赤褐色の怪物と黄金の女が腕と翼を広げ、天と地で対峙している。神聖さより禍々しさを感じる絵だ。
「ウィリアム・ブレイクを知っていますか。こちらが『復活』、こちらが『巨大な赤き龍と太陽の衣を纏った女』です。ウィリアム・ブレイクは画家であり、詩人でもありました。両方に詩が引用されています」
「『無垢の予兆』ですか?」
黒崎が尋ねる。
「そうです」
繁田は本を開いた。紙に染みついた煙草の臭いがむっと漂う。
黄ばんだページに載ったエピグラフ。
夜ごと朝ごと
惨めに生れつく人もいれば
朝ごと夜ごと
甘やかな喜びに生れつく人もいる
甘やかな喜びに生れつく人もいれば
終りなき夜に生れつく人もいる
「吾子良次郎は、犯罪者は環境によって生まれるものだという考えを持っていました。『犯罪者更生における精神治療』では、犯罪者の更生のためには犯罪者に寄り添ったカウンセリングが必要だと説いています」
遊馬は言った。
「まともでは?」
「ええ、確かに一理はある。ただ……」
繁田は黒い本――『隔離治療』を指した。
「こっちはその一理すらなくなって、極端に偏ったものになっていました」
「どういった内容なんですか?」
「『犯罪者更生における精神治療』は、犯罪者を保護するという内容でした。それが、犯罪者を社会から完全に隔離するという内容になっています」
「完全に、とは?」
「吾子は『病院』という言葉を使って説明していましたが、実際のところは座敷牢ですね」
「座敷牢って、昔の屋敷とかにあったやつですか?」
遊馬は二冊の本を見比べた。
「なんか後退してませんか? 『隔離治療』が後に出たんですよね? カウンセリングからどうして座敷牢なんですか?」
「独自研究には限界があったんでしょう。この本の持ち主は大学教授を務めたこともある研究者だったんですが、吾子はその人の家を訪れ、この本を押し付けて帰ったそうです。その人曰く、『どちらも研究者が書いた本ではない。二冊目にいたっては小説にも劣る駄文の寄せ集めだ』と。参考文献を載せたページを見てください」
『犯罪者更生における精神治療』は数ページに渡って参考文献が記されているのに対して、『隔離治療』のほうは『William Blake Auguries of Innocence』とあるだけだった。
「吾子を知る人達の話を聞くには、吾子は他人の声に耳を貸さない独善的な性格だったようです」
繁田は『隔離治療』のページを捲った。メモ用紙を挟んだページを開き、指を滑らせてある文章で止めた。
遊馬はその文章を読んだ。
彼らは生まれ育った環境によって、怪物になってしまったのである。彼らは終りなき夜に生れついた者の末路だ。
怪物を殺し、人として蘇生させなくてはならない。怪物を殺すには、彼らを生れる前の状態に戻す必要がある。そのために、催眠を用いる。
患者を年齢退行させ、乳児の頃を再現する。そして、狭い闇の中に患者を置く。そこで絶えず水中の音を聞かせる。患者は母親の子宮で羊水に揺蕩っていた頃を思い出すだろう。
「気持ち悪いな」
黒崎が吐き捨てた。遊馬も同意した。
「正気とは思えないね……これ、実行したんですか?」
繁田は渋面で頷いた。
「あの棺桶の中でね。あれは三十年前に建てられました。当初は工場ではなく、グループホームだったんです。吾子は医師免許を持っていなかったので、病院は開業できなかったんです。そして、グループホームを開設して一年で自殺者が出ました」
「そりゃ、あんな狂った環境じゃあ、無理もないですよね」
「ですが、吾子自身には特にダメージはありませんでした」
「めちゃくちゃな治療で人を死なせたのに?」
「遺族が吾子を訴えなかったんです。遺族に話を聞きましたが、消えてくれてよかったと吾子に感謝していましたよ」
遊馬は絶句した。
「グループホームはそれから三年ほど経って閉鎖されました。その後、吾子は資金と医者探しに奔走します」
「医者って、まだ諦めてなかったんですか」
「結局、医者は調達できず、あそこは棺桶工場になりました。吾子がどういうつもりで工場を創設したのかは分かりません」
「じゃあ、その吾子良次郎が、あなた方が捜査している事件の犯人なんですか?」
「いいえ」
繁田は即答し、唇を湿らせてから言った。
「吾子良次郎が死体で発見されたのは十年前――」
「えっ」
「東区のある廃屋で、首を吊った状態で見つかりました」
しん、と応接室が沈黙する。
「遺書は」
鉛のような声で尋ねたのは黒崎だった。
繁田は懐から手帳を取り、そこからペンを取った。先ほど吾子の本から抜き取ったメモ用紙にサッと書き、本の上に置いた。
黒崎が身を乗り出す。
棺の底に生れつく 吾子良次郎
「これが彼の最期の言葉であり、連続殺人事件で最初に発見された『遺書』でした。現場には不審な点がありました。一つは足場に使った椅子の位置です。椅子は吾子の足もとからかなりずれていました。足場にできなくはないが、普通に考えてそこに置かないだろうという位置だったんです。そして、もう一つ。首の策条痕は縊死特有のものでしたが、吾子の胃からは睡眠薬が検出されました」
何が起こったのか、容易に想像できた。
犯人は吾子良次郎を睡眠薬で眠らせ、無防備な身体をロープに吊り下げたのだ。
遊馬は尋ねた。
「遺書は吾子が書いたものなんですか?」
「紙に残った指紋から、そう判断されました。不審な点がありつつも、吾子の死は自殺として処理されました」
繁田は紅茶を一口飲んだ。
「吾子は親類と絶縁状態で、遺体の引き取り手もありませんでした。彼は無縁仏として葬られましたよ」
「絶縁状態って、何かあったんですか?」
「吾子は母方の祖父母に育てられたんですが、かなり折り合いが悪かったそうです。成績が良く、医者になったら給料の大半を仕送りすることを条件に医学部へ進学しましたが、医者にはなれなかったため、勘当されたんです。大学院は吾子が自分で稼いだ金と奨学金で通っていました」
「両親はどうしたんですか?」
「母親は吾子の出産時に亡くなっています。父親は妻を階段を突き落とし、不起訴処分を受けた後は行方知れずです」
「階段から突き落とした?」
「吾子の父親は妻へ日常的に暴力を振るっていたそうです。妻は家を出て逃げたんですが、お節介というか馬鹿な奴がちゃんと話し合えと夫に居場所を教えてしまったんです」
遊馬は無意識に顔をしかめていた。話している繁田も渋面である。
「夫は証拠不十分で不起訴処分となりました。言い争う声を聞いた者はいましたが、アパートの階段から突き落とされたところを見た者はいなかったんです。そういった経緯もあり、母方の親類からは冷遇されていたようですね。不幸にも、吾子は父親似だったそうですから。学生時代の彼は美男子でしたよ。しかし、『隔離治療』を出版した時の彼は見る影もなかったそうです。知人が言うには、『餓鬼のようだった』と」
遊馬は二冊の本に視線を落とした。狂気の研究が、今はひどく虚しいものに思えた。
「それで、工場はどうなったんです?」
黒崎が尋ねた。
繁田は小さく頷いてから答えた。
「工場長が変わりました。名前は加賀美実」
「加賀美?」
遊馬は顔を上げ、聞き返した。
「はい。我々はこの人物が連続殺人事件の犯人と見ています。首吊り死体が発見されるのは主に廃屋です。現場には決まって遺書が置かれています。文面はすべて同じ。『棺の底に生まれつく』という言葉と、名前が書かれています」
「遺書は本人の筆跡なんですか?」
黒崎が聞き、繁田は首肯した。
「間違いなく本人の筆跡です。筆跡鑑定をして、遺族にも確認しました」
今度は遊馬が質問する。
「あの、容疑者が分かってるのに、どうして逮捕しないんですか?」
繁田の口角がぐっと下がった。
ずっと黙って座っていた長野も痛い所を突かれたとばかりに顔を歪めた。
「吾子良次郎の死体が発見された時は、不審な点があったんですよね? 足場の椅子の位置に、胃から検出された睡眠薬。それ以降に発見された死体には、おかしなところはなかったんですか?」
遊馬は黒崎を見た。
「そういえば、君が見つけた死体はロープがおかしかったんだっけ?」
「ああ。プロの目ならすぐ他殺だと気付くだろうな」
刑事達は押し黙っている。
「あの工場、生産数はどのくらいなんですか?」
遊馬が代わりに答えた。
「そんなに多くないらしいよ。結構小規模なんだって」
「じゃ、そういうことだ」
「何が?」
「座敷牢が欲しい人間は、お前が思うより多いってことだよ。いや、座敷牢というより処分場か。工場を稼働し、作業員をしばらく養える額――その資金源は何だと思う?」
遊馬はこめかみがヒリつくのを感じた。
「まさか、遺族が金を?」
「金を渡した時点では遺族じゃなかったかもな」
刑事達はまだ黙っている。
遊馬は彼らが否定しないことに愕然とした。
「いや、だからといって、警察が何もできない理由にはならないだろ? 現に繁田さんは連続殺人事件って言ってるわけだし、捜査してるからここまでの情報を得てるわけで――」
遊馬は唐突に言葉を切った。頭にふと嫌な考えがよぎったのだ。そしてそれは最悪の答えだった。
「……繁田さん、さっきあなた『今回の殺しも自殺で片付けられるだろう。俺達には手出しができない』って言いましたよね?」
「ええ、言いました」
繁田が重々しく口を開いた。
「お察しの通りです。あそこはある需要に応えている。一家の厄介者に消えて欲しいという要望に。この世には、家名に傷がつくのを何としてでも阻止したい人間がいるの、ご存知でしょ?」
遊馬は返答に窮した。
黒崎が尋ねる。
「警察のお偉いさんにもそういう人が?」
「……いえ、警察よりもさらに上に。情けないことですがね、逮捕しようにも上からの圧力で叶わんのですよ。捜査を強行しようとした刑事は皆、処分されました。それもあって、表立って騒ぐ者はいません。五年前、あの工場から通報があったんです。無言電話で、すぐに切れたため誰からなのかは分かりません。結局、悪戯電話として処理されました」
「厄介払いにあれほど都合の良い棺はない。残しておきたいんでしょうね。自殺なら自分の罪を悔いて、とか世間に説明できますから。家の面目も立つわけです」
長野がテーブルに目をやったまま呟いた。
「それで? あなたはこうも言ってましたよね。『この機会を利用する』って」
黒崎が繁田をじっと見た。
繁田は深く頷いた。
「そうです。我々だって諦めちゃいない。有志と協力し合って捜査しています。幸い、我々の直属の上司は見て見ぬ振りをしてくれています。お二人にも協力していただきたい」
遊馬は尋ねた。
「協力って何をすればいいんですか?」
「この招待状の日時に、我々も工場へ行きます。外で待機していますから、あなた方は工場の敷地内から私に連絡してください」
「それだけでいいんですか?」
「ええ。あなた方はあくまで、工場で不審なものを見かけて知り合いの刑事に連絡しただけです。私は知り合いの探偵から連絡があって、心配で様子を見に行っただけ。他の刑事はたまたまついてきただけ。これで通します」
遊馬が繁田と連絡先を交換すると、長野も携帯を出した。
「私にも教えてください」
「俺だけで十分だ」
繁田が長野に鋭く言い放ったが、長野は引かなかった。
「念のためです。繁田さんが工場に行けなくなったらどうするんですか? 知ってるんですよ、繁田さんが上にマークされてるの。何かあった時のために、僕も連絡先を知っておいたほうがいいです。ひよっこ扱いされてますけど、僕だって刑事なんですよ」
「……その刑事を続けられなくなるかもしれないんだぞ」
諭す口調だった。
遊馬はふと、萩原を思い出した。何かがこみ上げそうになり、慌ててこらえる。
「お前はまだ若い。可能性を自分で潰すな」
長野は繁田にぐっと顔を寄せて言った。
「誰にとって不都合でも、罪なら許すなって言ったのはあなたでしょ。僕にとって不都合があっても、そこに罪があるなら行きます。できることをやらせてください」
二人は睨み合い、やがて逸らした。長野が携帯を遊馬に差し出す。繁田は止めなかった。
二人の刑事の連絡先を眺めながら、遊馬はこぼした。
「黒崎君、大変なことになったね」
「まったくだ。もっと情報が欲しい。こっちは丸腰で殺人鬼のいるところに行くんだ」
「何を知りたいんです?」
「加賀美実について。一体何者なんですか?」
「それはまだ掴めていません。吾子の関係者を洗っていますが、手掛かりが全くと言っていいほどなくて。加賀美実というのは恐らく偽名だと思います」
偽名。
遊馬は逡巡し、尋ねた。
「加賀美サキという女性を知りませんか?」
「知りません。誰です、それは」
「加賀美ツトムと加賀美ハルノはどうですか?」
繁田は首を横に振った。
「誰ですか?」
長野が問いを重ねる。
人探しをしているとは言ったが、探し人の名前は伏せていた。探し人に関しては、『電話でしか交流のなかった人物』としか明かしていなかった。
この状況なら仕方がない。遊馬は迷いを断ち切ると、答えた。
「僕達は加賀美サキという人を探してるんです。加賀美ツトムと加賀美ハルノは加賀美サキの兄と姉です」
「加賀美……」
繁田が呟く。顎を擦り、考え込んだ。
黒崎が別の質問をぶつけた。
「死体はすべて、喪服を着てるんですか?」
これには長野が答えた。
「いえ、喪服だったのは吾子と一ハナ、今日発見された遺体のみです。他は普通の格好でした。ジャージやTシャツ短パンのような」
「今日、発見された遺体の身元が分かったら教えてください。加賀美サキかもしれない」
長野が急いでメモを取る。ペンを走らせ、黒崎を見た。
「他には?」