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 午前八時。

 遊馬は寝ぼけ眼でリビングのテーブルの書き置きを読んだ。

『出てきます。車を借ります。ちゃんと帰ってきます』

 箇条書きのような文章。神経質そうな筆跡は黒崎のものだ。

 ちゃんと帰ってきます。黒崎には『またな』と破った前科がある。『ちゃんと』と強調しているあたり、彼もそれを意識したのだろう。どうやら彼なりに反省しているらしい。

 キッチンへ行き、冷蔵庫を見る。食材が減っていない。何も食べずに出たようだ。

「まったく……」

 遊馬は手早く朝食を作った。食パン二枚にベーコン入りスクランブルエッグ。サラダとスープをたいらげ、身支度を済ませて二階の事務所に下りた。

 事務所の郵便受けを覗く。

「ん?」

 黒い封筒が入っていた。宛名も送り主も書かれておらず、切手もなかった。

 郵便受けに直接入れたのだ。

 誰が?

 遊馬は周囲を見回した。明かりのついた通路は無人である。その先の階段から、雨のにおいを含んだ冷たい空気が流れ込んでくる。誰かいるような気がして小走りで階下を覗いた。誰もいない。

 事務所に戻り、玄関のドアに鍵をかけた。

 事務室のデスクで封筒を開ける。中には白いカードが一枚だけ入っていた。

 印刷されたメッセージを読む。


 黒崎探偵事務所の皆様へ

 十二月二十四日、午後六時に棺桶工場へおいでください。

 棺の底でお待ちしています。


 封筒をもう一度よく見た。やはり、差出人を示すようなものは何もない。メッセージカードも同様だ。

 昨日の顔のない男を思い出し、ゾッとする。

 とにかく黒崎に知らせなくては。黒崎に電話をかけるが、いくら待っても出ない。

「こんな時に何してるんだよ」

 ブツブツ文句を言っていると玄関のチャイムが鳴った。

 今日は客が来る予定はない。

 またチャイムが鳴り、ドアを叩く音がした。

 遊馬は素早くメッセージカードと封筒を引き出しにしまい、音を忍ばせて玄関へ向かった。

 もし、あの男が立っていたら。ふとわいた考えを振り払う。

 ドアスコープのカバーをずらし、覗き込んだ。

 魚眼レンズのように歪んだ視界。男が二人いる。二十代後半と四十代後半に見えた。どちらもスーツ姿で、コートを羽織っている。服のしわから活動的な印象を受けた。屋内より屋外にいることが多そうな雰囲気だ。

 チャイムを鳴らし、ドアを叩いているのは若い男だ。遊馬はなぜか白アスパラガスを連想した。長身でどこか頼りなさげな顔だからだろうか。

 年配の男は若い男の斜め後ろに控えている。

 遊馬は年配の男が気になった。水牛のような恵まれた体躯。リラックスした空気を出しているが、眼光が妙に鋭かった。

 警察っぽいな。

 二人を観察した結果、そう思った。

 遊馬はドアチェーンを一瞥したが、結局何もせずドアを開けた。

「黒崎探偵事務所の方でしょうか?」

 若い男が尋ねた。

「はい、そうですが、あなた方は?」

「警察の者です」

 二人は警察手帳を見せた。若い男は長野(ながの)、年配の男は繁田(しげた)といった。

「ちょっとお尋ねしたいことがありまして」

 遊馬は二人の刑事を応接室に通した。

 給湯室で茶を用意しながら黒崎に電話をかけたが、出なかった。

 諦めて応接室に戻り、彼らに茶を出した。

 繁田が口を開いた。

「ここは、萩原探偵事務所ではありませんでしたか?」

「ええ。私はそこの調査員でした。萩原が亡くなって、ここに事務所を開いたんです」

「亡くなった?」

 繁田は目を見開き、聞き返した。

「一年前に、病気で。萩原をご存知ですか?」

「知っている、というほどではありませんが、何度か顔を合わせたことがあります。……そうか、死んだのか」

 繁田は息をつき、切り替えるように視線を上げた。

 本題かな。遊馬は促した。

「それで、ご用件は?」

 長野が言った。

「黒崎さん」

「あっ、すみません、私は遊馬です」

 自己紹介をしていなかった。遊馬は名刺を二人に渡した。

「所長の黒崎は今、留守にしておりまして」

「どちらへ?」

「さあ……。ただ、仕事の情報なら共有していますし、私一人でも問題ないと思いますよ」

「そうですか」

 長野は繁田をちらりと窺い、質問した。

「昨日、午後五時から七時頃、何をされていましたか?」

「仕事です」

「ここで?」

「いいえ、外で」

 遊馬は一呼吸置いてから続けた。

「西区に行っていました。依頼の調査のために」

「何の調査ですか?」

「人探しです。それ以上のことはお話しできません。警察の方といえど、個人情報ですので……。相応の理由があれば、依頼人に許可を得てから開示します。お二人は何のご用でここに?」

 不法侵入で通報されたのかなあ。遊馬はぼんやり思った。

 あの顔のない男。あれは化物ではなく、ただの従業員だったのかもしれない。もしくは警備員。過去に不法侵入者がいて、その対策として仮面を被って不法侵入者を追い返していたのでは。ちょっと無理があるか?

 遊馬の思考は、繁田の発言によって止まった。

「昨晩、あなたは西区蛇ヶ原町の棺桶工場に行っていたのではないですか?」

 遊馬は繁田を見返した。

「もしかして、僕達をつけてきた車って、あなた方ですか?」

「そうです」

 繁田はあっさり認めた。

「我々はある事件の捜査をしています。遊馬さん。なぜあの棺桶工場へ行ったのですか?」

「さっきも言いましたが、依頼の調査のためです。人探しです」

「誰を探してるんですか?」

「これもさっき言いましたが、個人情報ですので……。あのう、不法侵入で通報があって、ここに来たのでは?」

「いいえ」

 遊馬はひとまず安堵した。同時に、首を傾げる。

「では、何の事件の捜査ですか?」

「それは言えません」

 繁田は即答し、続けた。

「棺桶工場から出てきたあなた方は、かなり慌てているように見えました。中で何があったんですか?」

「ああ、人に追いかけられたんです」

 遊馬は依頼に関する情報を極力伏せ、顔のない男と出くわしたことを話した。刑事達は怪訝そうな顔でそれを聞いていた。

「――で、逃げたわけです」

「では、工場には行っていないんですね?」

「はい。行こうとしたところでそいつが現れたので」

 遊馬はふと思いついたことを口にした。

「あの工場で、首吊り死体って見つかってませんか?」

 刑事達の顔色が変わった。

「なぜ?」

 長野が引きつった顔で尋ねた。

「なぜ、そんなことを?」

「いや、なんとなく……」

 空気の変わりように、遊馬は内心狼狽した。

 素早く思考を整理し、言った。

「もしかして、工場で他殺死体が見つかったとか?」

 繁田の目が鋭くなる。

 互いに探り合う沈黙が張り詰めた。

 突如、携帯の着信音が鳴り響いた。

 遊馬は咄嗟に自分の携帯を見たが、液晶は暗いままだった。

 長野が席を立つ。

「すみません、ちょっと失礼します」

 応接室を出ていく。しばらくして玄関のドアの開閉音も聞こえた。

 困ったな。

 遊馬は繁田の厳しい視線を感じながら、冷め始めた紅茶を飲んだ。



 遊馬ビルに戻ってきた黒崎は、エレベーターで二階に上がった。通路を進むと、階段に男がいた。黒崎に背を向け、電話で話し込んでいる。

 黒崎はドアの前に立ち、『黒崎探偵事務所』と彫られた真鍮のプレートを眺めた。

 ここに初めて来た時のことを思い出す。

 ドアの前に立った萩原を後ろから眺めていた。

『……十五年だ。十五年、私は探偵をしていたんだ』

 あの時の彼はどんな気持ちだったのだろう。

『忘れないでくれ。君は私の最後の依頼なんだ』

 黒崎はため息まじりにこぼした。

「疲れた」



 応接室のドアが開く。振り返ると、黒崎が立っていた。

「……どうも」

 繁田に向けられた声には覇気がない。雰囲気も異様だった。

 何より、顔色の悪さに遊馬はぎょっとした。

「あなたがここの所長さんですか?」

「ええ、黒崎と申します。すみません、留守にしていました」

 依頼人だと思っているらしい。遊馬は口を挟んだ。

「警察の方だよ。昨日の黒い車に乗ってたのはこの人達だった。外に男の人いなかった?」

 返事はなかった。黒崎は戸口のそばに立ちつくしたまま、繁田を凝視している。ただならぬ空気に繁田は戸惑った様子で遊馬を見やり、黒崎へ視線を戻した。

 黒崎がゆっくり口を開いた。

「――ひつぎのそこにうまれつく」

 繁田が顔を強張らせた。

「なぜ――」

「繁田さん」

 長野が足早に戻ってきた。声が切迫している。

 繁田は言いかけた言葉を飲み、

「どうした」

 と促した。

「またです」

「場所は」

「白居団地です。朝、通報がありました」

 そこで長野は黒崎に気付いた。黒崎も長野を見る。

 あっ、と声を上げ、互いに指をさした。長野が続ける。

「第一発見者」

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