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8 ヒロインだったなら


 面倒な令嬢たちから解放されはしたものの、涙を流したところで誰一人、心配して来てくれる者はいなかった。


(ははっ、本当に悪女って辛いわね)


 フィオレッタの時はその場に居る全員が駆け寄ってきてくれたことだろう。


 形だけの同情は不要だけれど、それでも誰も来てくれないとなれば話は別だ。


 イライラを押さえるために、パーティーでたんまり大好きな甘いものを堪能しようと思っていたのに……。


「どうしてこうなったの……?」


 私の呟きは誰にも届くことはない。代わりに響き渡るのは、人々の悲鳴と叫び声だった。


「逃げろ!!」


 貴族たちの華やかなドレスが乱れ、タキシードの男たちも、体裁をかなぐり捨てて出口へと殺到する。

 あちこちで椅子が倒れ、陶器の食器が床に砕け、甘く香っていたパーティー会場は、今や修羅場そのものだ。


「グルルルルッ」


 ――これは、いわゆる魔獣というやつなのだろう。不気味な紫黒の瘴気を纏い、四足の巨体で会場の中央をのし歩いている。


 目は血のように赤く、怒りに満ちているようにすら見える。


 王宮主催のパーティーで魔獣が現れるなんて――こんなこと、あっていいはずがない。


 会場の隅には、魔獣の足元に立つ数名の黒いローブを被った男たちが見える。彼らが操っているのだろうか。


(なんでよ! この世界の悪役はソフィアなのに!)


 悪役である私が襲われる側になるなんて、そんな展開聞いてない。


 そういえば、ヴィンセントの回想シーンで似たようなことが書かれていた覚えがある。


 “あのとき、自分がいたのに救えなかった”“何もできなかった”と嘆くヴィンセントを、フィオレッタが慰めるというものなのだが……。


「きゃあっ!」

「や、やめてくれえ!」

「こちらです皆さま! 急いで!」


 逃げ惑う貴族たちの悲鳴が、絶え間なく響く。


 もしかして、これがそのアレなのだろうか。


 私も早く逃げなきゃ。こんな危険なところにいたら本当に命が危ない!

 そう思って踵を返した、その瞬間だった。


「誰かお助けくださいッ!」


 かすかに、女性の悲痛な叫び声が聞こえた。

 私は反射的に振り返る。


「だれかぁ! お願いします……うぅ、だれか、気が付いて……」


 瓦礫の山の中から、ドレスがほころび、髪が乱れたまま、必死に手を伸ばす令嬢の姿があった。


 エステル・ロゼリアン嬢だ。

 彼女の体の下には、崩れ落ちた天井の装飾や柱の破片が折り重なり、その身動きが封じられている。

 人々の悲鳴、魔獣のうなり声、崩壊する建物の轟音に紛れ、誰も彼女の声に気づいていない。


 しかし、人間の匂いでも分かるのだろうか? 魔獣は確かにエステル嬢を見据えており、段々とエステル嬢に近づいていた。


「ああ、もうっ……!」


 私は叫びながら、ドレスのスカートをたくし上げた。

 履いていたヒールを乱暴に脱ぎ捨て、冷たく硬い大理石の床を素足で蹴る。


「エステル・ロゼリアン! 無事ですか!」

「ふ、夫人?! どうしてここに……!」


 瓦礫の下から、顔を上げたエステル嬢が驚いたように目を見開く。


「勘違いされたくないから言っておくけど、私はあなたのことなんて大嫌いだから。顔がちょっと可愛いくらい……いや、めちゃくちゃ可愛いけど! だからって、いつまでも調子に乗らないことね。あなたも可愛いけど、ソフィアの方がずっと可愛いんだから! 悪役が美形なのは、遥か昔から決まっているお約束なんだから!」

「は、はい……? 何でも構いませんが、とにかく早く逃げてください! あなたが居たってただ巻き添えを食らうだけです!」

「ああ、もううるさい! そんなことは分かっているわよ!」


 咄嗟に返す声は震えていた。でも、逃げることなんてもう考えていなかった。


 エステル・ロゼリアンはただの物語の世界の人物。名前を聞いても、思い出せるかどうか怪しいほどのモブキャラだ。


(だけど、顔を見て会話を交わした相手。ムカつくけど、情が移っちゃったのよ)


 ただのキャラクターだと思っていた存在が、今は確かに“人間”としてここにいる。

 私の目の前で、苦しみ、助けを求めている。

 目の前にいる人間が死んでも、目覚めが悪いだけ。どうせいつものように悪夢に登場してくるでしょうね。そんなの、もう嫌。人が目の前で死ぬのを見るのは嫌なの。


「お願い、お願いだから何か出てよ……」


 この身体は、悪役ソフィアのもの。

 小説の中で魔法を使うシーンこそ無かったけれど、設定には「生まれつき強大な魔力量を持つ」とあった。

 だから、母は命を落としたと──。


 そんな設定をつくるくらいだもの。ちゃんとソフィアだって魔法が仕えるわよね?


(確かにソフィアは脇役かもしれないけど、物語に必要な主要キャラ。まさかこんなところで、死んだりしないわよね……?)


「な、なんか出ろ、なんか出ろ……!」


 胸の前で両手を合わせて、必死にそう呟く。

 その間にも、魔獣は段々とこちらに向かって歩き始めていた。


「夫人! どうかお逃げください!」

「私だって、できるならそうしたいですよ」


 これが単なる小説の世界なら、私は迷わず自分の命を優先しただろう。

 だけど、目を合わせて会話を交わしたら。それはもうフィクションじゃない。


「は、はは、どうしよう怖くて足がすくんじゃう……」


 本当は怖くて怖くて、今にも気を失ってしまいそうなほどだった。

 だけど今、私がやらなきゃこの子が死んでしまう。


「お願いだから!!」


 目をぎゅっと閉じて、すがるように、強く願った。


 ──その瞬間だった。


 眩い光が突如として現れ、会場全体を包み込む。


 キィィィィィン……ッ!


 青白く輝く光が、私の手のひらから迸るように放たれた。

 まるで意志を持つかのように魔獣へと一直線に向かい、その身を焼くように突き刺さる。


 苦しげな咆哮。倒れ伏す魔獣たち。

 全てを倒せたわけではないけれど、大部分の脅威は、その光によって消し飛んだ。


「は、はは……さすが、悪女さま」


 どうやらこの世界はまだ、メインキャラクターであるソフィアを死なせるわけにはいかないらしい。


「はあっ」


 一気に全身から力が抜けて、膝から崩れ落ちる。


「ここに居たのか!」

 

 その声の持ち主は、ヴィンセントだった。


(ここに居たって……私のことを、探してくれていたの……?)


「魔術師と騎士団が次期に来る。君は急いでこの場から――」


 ああ、ピンチの時に駆けつけてくれるヒーローってこんなにもかっこいいんだ。

 私がヒロインだったら、きっと嬉しくて嬉しくて仕方ないんだろうな。こんなにも頼りに思えるなんて……。


 もう大丈夫。男主人公で、ヒーローのヴィンセントが来たんだから。

 彼が居たら、全てが上手くいくんだ。

 

「おい……」


 ポタ、ポタ。

 鼻のすぐ下、人中の辺りに何か水のようなものが垂れる感覚がした。

 何だか身体が熱くて、手足の先が冷たい。


(うそ、私もしかして今ヴィンセントの前で情けなく鼻水垂らしちゃってる?)


 怖くて泣きそうだからって鼻水を垂らすなんて……うう、情けなさ過ぎて本当に泣いちゃいそう。


 だが、幸か不幸か、それは鼻水では無かった。

 顎を通って流れ落ちたそれは、ポタ、ポタ、と今朝アンリエットが着せてくれた淡い水色のドレスへと落ちた。淡い水色の生地に、赤黒い液体が強く目立つ。


「しっかりしろ、ソフィア!」


(あ……今、ヴィンセントが私の名前を、初めて呼んでくれた……)


 心の奥が少しだけじんわりと温かくなった。


「……ヴィンス」


 そして私もまた、初めて彼を愛称で呼んだ。 

 彼の瞳が、わずかに見開かれるのがだんだんと閉じていく視界の向こうで微かに見えた。


(こうしていると、勘違いしちゃうよ)


 ここは本来、フィオレッタのものなんだから。……でも、彼があんまりにも優しいから……。


(私が……私がソフィアじゃなくて、フィオレッタだったらよかったのに……) 


 私の身体を守るように抱きかかえたヴィンスとの距離は、もう目と鼻の先。

 鼻血を流しているみっともない姿は見られたくないと反射的に顔を覆うとしたとき、私の頭がぐらりと揺れた。

 

「な、なんか、めまいが……」


 クラクラと揺れる視線の中。私は、目を閉じた。

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