7 必然的なこと
「えっと……」
(誰この可愛い子! ソフィアの友達とか? ……いや、ソフィアの友達なら絶対性格悪いじゃない)
軽く身構える私に、銀髪の少女――エステルは柔らかな笑みを絶やさず、上品にお辞儀をしてみせた。
「ロゼリアン伯爵家の、エステル・ロゼリアンでございます。私のことを覚えてくださっていますでしょうか?」
名乗られても正直ピンと来ない。
伯爵家というからには、それなりに格式高い貴族のお嬢さんなんだろうけど……。
「夫人は礼儀にとても厳しい方でしたもので仕方のないことではありますが、また忘れられてしまっては悲しいです」
まさかソフィアったら、名乗り出なかったこの子に意地悪するために忘れたフリでもしていたのかしら。
「そんなこともありましたね……あの頃はすみません、エステル嬢」
とりあえず、それらしいことを口にしてみる。
記憶がないのを悟られたくないし、これ以上敵も作りたくない。
「……え」
一瞬、エステルの目がわずかに見開かれる。
「エステル嬢?」
「ああ、いえ、なんでもございません」
エステルはすぐに表情を整え、にっこりと微笑んだ。
「今から皆さんとあちらでお茶をするのですが、よろしければ夫人も如何ですか?」
「わ、私が行ってもよろしいのですか?」
「もちろんでございます。社交界の華であられる夫人が居ないと、始まりませんよ」
(……そう言っていた割に、皆さんすごく不満そうだけど?)
エステルに案内され、会場奥の丸テーブルに腰かける。そこにはすでに数名の令嬢たちが揃っていた。
「夫人が公爵様と会場に来られた時は、本当に驚きましたわ」
「ええ、本当に。皆さんの視線が釘付けでしたもの」
さっきから人に会うたびにその話をされるけど、そんなにソフィアとヴィンセントが一緒にいることが珍しいのだろうか。
「まさかご一緒に入場なさるなんて。てっきり、またおひとりで来られるものだとばかり」
「もしかして、またあの奥の手を使われたのですか? ほら、ご自身で命を絶たれようとするアレを……」
「それはいくらなんでも夫人に対して失礼ではありませんか?」
「ふふっ、ごめんなさい。そんなつもりは無いのよ。どうか許してくださいね、夫人?」
(……ああ、なんだそういうこと……)
ソフィアにお茶を一緒に楽しむ友人が居たとは意外だと思ったら、ただこの人たちは嫌味を言いたかっただけなのね。
誰も大声で罵ったりしない。悪意は全部綺麗なリボンで包んで、紅茶の香りに紛れ込ませて微笑みと一緒に差し出してくる。
全く、趣味が悪いんだから。
だけどこんなふうに皮肉を浴びせられても怒ってはいけない、言い返してもいけない。それが社交界でのルール。
まだ精神的にも、肉体的にも幼かったソフィアはいつもここで言い返したりでもしたのかしら。その結果「傲慢で躾のなっていない悪女」として噂になってしまう。
(なんだ……やっぱり、ソフィアはなるべくしてなった、可哀想な悪役なんじゃない)
目の前にいる令嬢たちの中で、一番身分が高いのはここまで私を連れてきてくれたエステル・ロゼリアン伯爵令嬢。
だけど本来ならここで最も上位に立つべきは公爵夫人である私だ。
言い返したって、誰にも咎められる筋合いはない。
(ヴィンセントがどうして私と一緒に会場に来たか? そんなの知らないわよ。まさか、あなたたちは本当に私が自殺未遂でも起こしてヴィンセントを脅し、一緒に来たとでも思ってるの?)
「先ほどから黙って聞いていたら……」
私が口を開いた瞬間、皆の目が好奇心で煌めいた。
待っていたのだろう。
傲慢な悪女が自爆する瞬間を。感情を抑えきれず、声を荒げてくれるのを。
攻撃の対象が欲しかったのね。頭の悪い人間同士が仲良くなるには、共通の敵をつくるのが一番だから。
「皆さん、ひどいわ」
ふっと声を震わせながら、私は俯く。
そして、両目からポロポロと涙を零れ落とした。
「私は皆さんにそんなに嫌われていたのでしょうか?」
虐められ、悲しみに涙を流すヒロインのように必死になって涙を流した。
昔飼ってたカブトムシのカブおを思い出して……。
カブおが死んだあの日、庭にお墓を作って「カブお、ごめんねぇぇえ!」と大号泣したあの日の思い出を、今こそ活かすとき。
(ありがとう、カブお……)
「夫の気を引くために何でもする女だと、そう思っていたんですね? 悲しいです……」
嗚咽交じりに絞り出す声。
言葉の端々に、絶妙に「誰がどんな噂を流していたか」を想像させる伏線を織り交ぜる。
すると、令嬢たちの顔が青ざめた。
令嬢たちだけではない。会場にいたほとんどの人の視線がこちらに集まった。
噂好きな貴人たちが、次の話題を必死で仕入れようと、耳をそばだてているのがわかる。
普段は悪女と呼ばれ、傲慢に振舞っていた女が泣いているのだ。恰好の的となるのは当然。
「も、申し訳ございません夫人!」
一番に声を上げたのは、エステル・ロゼリアンだった。
「本当にすみません夫人、私たちはけしてそんなつもりでは……」
「まさかそんな……申し訳ございません夫人!」
次々と口々に謝罪の言葉を並べる令嬢たち。
先ほどまで私をあざ笑っていた彼女たちは、今や一様に青ざめている。
社交界で一番避けなければいけないのは、“悪女を泣かせた”という印象を与えること。
特にその悪女が「フォンレーヌ公爵家の正妻」で、「ティアルジ公爵家の出身令嬢」となればなおのこと。
泣いたもん勝ち。それは、どの世界でも同じことなのね。
こんなことを考えてしまう私が、フィオレッタではなく、ソフィアに転生したことは必然的なものだったのかもしれない。
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「ヴィンセント……これは一体どういうことかな?」
二階席のバルコニーから、下でお茶をしている妻と令嬢たちの姿を見下ろしていた。
ニコニコと笑い合う声が届いていたかと思えば、彼女の表情が一変し、険しくなった。
(また、何かやらかすな)
そう思って席を立とうとしたその瞬間。
彼女は涙を流し始めた。
「さあな、俺の方が知りたいよ」
俺の古くからの友人であるイシス・ルクセン侯爵は、眉を少し下げて質問を投げかけてきた。
何かあったのか。それはもう、どこから話したらいいか分からないほどだ。
イシスとは昔からの仲ということもあり、どんな悩みも打ち明け合えるような仲だった。そのため、手のかかる妻の相談も彼にしていた。
「もしかして、何かあったのかい?」
「ああ。丁度昨夜、彼女から婚姻解消をしてくれと言われた。あと、自分は記憶喪失になったとも」
「……ヴィンセント、人の妻にこんな言い方をするのは悪いが……」
イシスの言葉は半ば呆れ、半ば心配しているように聞こえた。
「彼女は更に頭がおかしくなったのかもしれないな」
思わず苦笑がもれる。ここまでくると、呆れて笑うしかなかった。
記憶喪失。彼女は昔からそんな意味の分からないことを口走っていた。
階段から落ちて怪我をした、令嬢から侮辱された、使用人から酷い扱いを受けた――。
数えきれないほどの出来事を、たかが俺の気を引きたいがためにでっちあげてきた。
「記憶喪失、ね……」
「何も信じてはいないさ。今までにも何度も似たような嘘を吐いていただろ。彼女は、人の関心を引くためになら何だってするひとだ」
「ふーん。それで? 離婚の話は受けてあげるの?」
「いいや。彼女のことだ、この話だって裏があるかもしれないだろう」
「……へえ、驚いたな」
目を少し見開いたイシスは、クスリと笑う。
「まあ、彼女可愛いもんね。いいんじゃない? 本当に中身がすっかり変わったのなら、今から夫婦愛でも築いちゃえば?」
「……イシス、お前面白がっているだろ」
思わず眉をひそめて睨んでやると、イシスは肩をすくめて笑った。
「ははっ、ただの冗談だよ。……だけど、気を付けなねヴィンセント。僕たちが思っているよりもずっと、レディーは恐ろしいものだから」
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