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6 冷たい男


「ごきげんよう、公子様」


 丁寧に礼を取りながらも、内心は冷や汗だらけだった。


 正直、フレデリックのことはあまりよく知らない。原作でも登場回数はわずかで、彼の心情が明かされることはほとんどなかったから。


 ただひとつ、はっきりと描かれていたのは――彼が妹のソフィアをあまり好いていなかったという事実。

 

 ソフィアが生まれた瞬間、彼女は母親を失った。

 それは同時に、フレデリックにとっても母を奪われた日であった。


 彼の幼い心にどれほどの傷を残したかは想像に難くない。

 記憶のないソフィアと違い、フレデリックには母と過ごした時間が確かにあった。大好きで仕方がなかった母を突然奪われることがどれほど苦しいものなのか、私にはよくわかる。


「……公子様?」


 フレデリックはほんのわずかに眉をぴくりと動かし、口角を少し上げた。

 その笑顔は一見穏やかにも見えるが、その奥に潜んだ悪意を隠しきれていなかった。


「公子様とは、またずいぶんと他人行儀なんだね?」


 低く、柔らかな声。

 背筋がひやりと冷える。


「えっと……」


 ソフィアがフレデリックをどう呼んでいたのかは分からない。だけど、予想くらいは出来たからあえて誰かに聞くことはなかったのだ。


(そもそも会話をすることもないと思ってたし……)


 母を亡くし、父からは疎まれ、兄との関係も冷え切っていた。だからこそソフィアは血縁である家族に何の期待も持たず完全に諦め全てを断ち切っていた。


 だからソフィアはフレデリックとの関係にも一線を引いていた。……いいや、引かれていたはず。


「珍しく社交界に来たかと思えば、ヴィンセント公爵と共に会場に入ってくるものだから皆動揺していたよ。これは一体どういう風の吹き回しなんだ?」

「あ、あの……」


 どう言葉を継げばよいか分からず、曖昧に声をもらす。


「まさか、また何か企んでいるのか?」

「え……ちがいま……」

「さあ、どうだかな。君のせいで我がティアルジ家はどれほど迷惑被っていると思っている? 君はもう少し立場を弁えて行動すべきだ」


 フレデリックの言葉はまるで何もかも既に決めつけられているかのように重く、冷たく突き刺さる。

 高圧的で、話す隙すらも与えてくれない。


「公子、どうやら彼女は今朝から体調が悪いそうなんだ。先に皇帝陛下への挨拶をしても?」


 割って入ったのは、ヴィンセントの声だった。


「体調が悪い? はっ、そうですか」


 フレデリックの顔に浮かんだのは、明らかな嘲笑だった。

 まるで「またいつもの仮病か」とでも言いたげな表情。


「まあ、貴方の目が届いているのなら大丈夫でしょう。……では、僕はこれで」


 フレデリックはそう言うと、ヴィンセントに軽く頭を下げ、そのまま足を進めた。


 すれ違いざまに見えた、私を見下ろすその目はとても冷たく、情というものが一切なかった。冷ややかで、無関心とも嫌悪ともとれる眼差し。


(これが、ソフィアの生きてきた世界……)


 誰からも愛されるヒロイン・フィオレッタではなく、皆から嫌悪される悪役・ソフィアの過ごした日々。


 どうしてソフィアが社交界を嫌っていたのか、会場に入ってすぐに分かった。

 そして、こんなにも冷たいヴィンセントに縋るほど、ソフィアが疲弊していたことも。


 物語では名も与えられなかった人物たちから向けられる刃のように鋭い視線が突き刺してくるたびに、苦しくて、苦しくて、今にも倒れてしまいそうだった。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




「帝国の太陽、セザール・ディ・ロスマンス皇帝陛下にご挨拶申し上げます」


 スカートの裾を摘み上げて、片足を後ろに引いて軽く頭を下げる。

 

(よしっ、完璧では?)


 皇帝陛下への挨拶の仕方は、前もってアンリエットからしっかり叩き込まれていた。

 でも、いざこうして帝国の頂点に立つ人物を前にすると練習の記憶など霞むほどの緊張感が押し寄せてくる。


 それなのに、身体は自然と動いた。

 ソフィアの真面目な完璧主義者なんて設定がこんなところで活きるとは思ってもいなかった。

 きっと、ソフィアは身体に沁み込むほど作法を勉強したのだろう。


「ほう、フォンレーヌ公爵夫人も一緒とは、珍しいこともあるものだ」


 ちらりとヴィンセントに視線を向ければ、彼はいつもの涼しげな笑みを浮かべて皇帝に向かっていた。


(そんなにソフィアとヴィンセントが二人で居ることが物珍しいっていうの?)


 セザール陛下の言い方には、驚きと少しの皮肉、そして探るような意図が混ざっていた。

 まるで「どうせうまくいっていないのだろう」と言わんばかりの言い方に、少しむっとしてしまう。


(ええ、そうですよ! うまくいってませんよ! だから離婚したいっていうのに肝心のヴィンセントが頷いてくれないんだからどうしようもないでしょ?)


 思わず頬を引きつらせそうになるのをぐっと堪えた。


「ロスマンス帝国に三つしか存在しない公爵家。そのティアルジ公爵家の令嬢と、フォンレーヌ公爵家の公爵が結ばれたのだ。私としても、そなたたちには上手くやってほしいと思っている」


 残念ながら、あなたのその願いが叶うことはありませんよ皇帝陛下さま。

 私とヴィンセントは上手くやるどころか、近い将来私は逃げ出しますから。




「気にするな」


 皇帝陛下への挨拶も済み、ヴィンセントにエスコートされたまま会場を歩いていると、不意に彼がぽつりと呟いた。


「えっ?」


 思わず間の抜けた声が出てしまう。けれど、ヴィンセントは気にする様子もなく淡々と続けた。


「先ほどから上の空じゃないか。君の記憶喪失というのが真実で、彼らのことを全て忘れてしまっているのなら混乱したことだろう」


(……なに? どうしてそんなに優しい言葉をかけてくれるの?)


 フレデリックの時も、国王陛下の時もそうだけど、私のことをずっと庇ってくれるなんて。

 やっぱり男主人公は優しいのね。今もこうして、傍に居てくれているわけだし……。


 ああ、本当に助かった。これでヴィンセントにも放っとかれていたら、私の居場所はそれこそ無くなってしまうもの。


 ふう。安心、安心。


「じゃあ、俺は向こうで話をしてくる」


(……うん?)


「君は……まあ、パーティーを楽しんでいろ」

「え? まっ、ちょっと!」


 あっという間に背を向けて歩き出すヴィンセントを慌てて呼び止める。

 しかし、当然ながら彼は振り返らない。


(いやいやいや……!)


 心の中で思い切り叫んだ。


(嫌われ者のソフィアが、どうやってこのパーティーを楽しめっていうのよ!)


 さっきまでの安心感はどこへやら、突き放されたような心細さに一気に不安に陥る。


 ――前言撤回。やっぱり、ヴィンセントは冷たい男だ。


「どうしよう、急に一人にされたら心細いんだけど……」

「……夫人」

「いや、ヴィンセントがソフィアに冷たくすること自体には喜ぶべきなのかもしれないけど……!」

「ソフィア・フォンレーヌ公爵夫人!」

「は、はいっ!」


 反射的に背筋を伸ばし、声のする方へ振り返る。

 思っていたよりもずっと近く、そこには見知らぬ少女が立っていた。


「大きな声を出してしまってごめんなさい。私の声が届いていらっしゃらないようでしたので、つい」


(すっごい可愛い……!)


 瞬間、目が釘付けになった。


「お久しぶりです、お元気にしていましたか?」


 振り向くと、そこには見覚えのない少女が立っていた。


(こんな子、小説に出てきたっけ? こんな美人がモブキャラなはずないと思うんだけど……)


 艶やかな白金のショートカットをふわりと揺らす。

 澄んだ青い瞳。肌は雪のように白く、とても整った顔立ちをしている。誰しもを虜にしてしまいそうな美人だ。

少しでも面白いと思っていただけましたら下にある☆マークから評価をお願いいたします。

リアクション、感想、レビューもお持ちしております。とても励みになります⋈*.。

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