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2 断罪エンドは嫌です!


「こちらがソフィア様の夫君、ヴィンセント・フォンレーヌ公爵様です。前公爵夫妻が亡くなられて以来、16の頃からこのフォンレーヌ公爵家を収めておられる、とても優秀な方なんですよ」


 彼女が次に持ち出した肖像画はヴィンセントだった。

 黒髪に青の瞳。誰もが見惚れてしまうほど、美しく端正な顔立ちをしている。


(美少女ヒロインのフィオレッタを守る、カッコイイヒーローだもの。このくらいじゃないと務まらないわよね)


 ソフィアというキャラクターを説明をするうえで最も欠かせない男。フォンレーヌ公爵家当主、ヴィンセント・フォンレーヌ。

 彼は小説『きゅるりーん物語』の男主人公であり、ヒロインと結ばれるヒーローだ。


 ソフィアとヴィンセントの結婚は、互いの両親が決めた愛のない結婚だった。


 家族と疎遠になっていたソフィアは、ひたすらに愛を求めた少女だった。そのため、夫となったヴィンセントに対し執着せずにはいられなかった。


 一方で、ヴィンセントはソフィアになど興味の興の字もなく、建前上、礼儀正しくは接するものの必要以上の関心を寄せることはなかった。


(まあ、ソフィアがフィオレッタような明るく愛らしい令嬢だったのなら、少しはヴィンセントも関心を向けてくれたのかもしれないけれど……)


 残念なことに、ソフィアは悪女。

 使用人たちへは物を投げつけ、感情のままに怒鳴り散らし苛立つことがあれば相手が誰であろうと容赦しない。

 ヴィンセントがソフィアのような傲慢な女に惹かれるワケがないのだ。


 ましてや彼のように民の声に耳を傾け、決して横柄な態度を取らない誠実な人間が、他者を見下し我儘放題に振る舞う女に心を許すはずもない。


 ソフィアがどれだけ気を引こうと取り繕っても、ヴィンセントのまなざしがソフィアに向けられることはなかった。


 そして、傲慢な悪女ソフィアとは違い、物語のヒロイン・フィオレッタは誠実でいて、とても美しい少女だった。

 彼女は地方の貧乏貴族の娘で、貧しいながらも優しい家族と楽しく暮らした。

 

 フィオレッタは貴族という身分を隠し、家を抜け出してはシスターたちに紛れてボランティア活動に励む心優しい子に育っていた。


 いつものようにフィオレッタがボランティア活動をしていた時、自身が収める街の様子を見に来ていたヴィンセントと出会う。


 まさに、運命的な出会い。

 感情的でヒステリックな性格のソフィアと違い、誰にでも明るく優しい天使のようなフィオレッタ。次第に、ヴィンセントとフィオレッタは互いに惹かれ合うようになる。


 そして物語は山場へと入り、勘違いからの身分さの悩みや、すれ違いがじれったいロマンティックな恋へと展開していくのだが……。


 そんな二人の一番の障害となったのがソフィアだった。


 夫の異変にすぐに気が付いたソフィアは、ヴィンセントが夢中になっているというフィオレッタを見つけ出し、消し去ろうとした。

 

 しかし、物語の正義であるヒロインフィオレッタに、暗い闇がかかった悪役ソフィアが勝てるはずない。フィオレッタが間一髪だったところを、颯爽と現れたヴィンセントが助け出すのだ。

 

(ヴィンセントがフィオレッタを助け出すシーンは本当にかっこよくて、何度も見返した覚えがある。本当に見事なロマンティックなシーン……)


 だけど今はそんな呑気なことを言っていられない。二人のロマンスが輝かしく見えるのは、悪女ソフィアの犠牲があったからだ。


 そして今、ソフィアは私なのだ。

 二人のラブストーリーのために犠牲になるほど、私は彼らに対して思い入れはない。


 その後、ソフィアは殺人未遂の罪でティアルジ公爵家の別邸で幽閉されることになる。

 読んでいる時は悪役にしては可愛げのあるエンドだなと思っていたけど、それはきっと、ソフィアにとってこれ以上ないほどの地獄だったのだろうと今になって思う。


(私はそんな結末を迎えるつもりはない。断罪エンドなんて、絶対に嫌……!)


 私はただ静かに楽しく、幸せに生きていきたい。誰にでもあるような日常が欲しいだけだ。

 だったら、悪女ではなく物語のモブあたりにまで落ちてしまえばいい。


 娘に無関心なティアルジ公爵は、ソフィアに湯水のごとくお金を使わせていたというし、金銭面においては気前が良かったらしい。公爵から一生不自由なく暮らしていけるだけのお金を貰って、どこか遠くの国へ行くのも悪くないかもしれない。


 けれど、そのためにはまずあの男。

 全ての引き金となる夫ヴィンセントと離婚しなくてはならない。


 そうすればきっと、『きゅるりーん物語』のメインストーリーからソフィアは外れることが出来るはず。ヴィンセントはソフィアのことを嫌っているし、こちらから離婚の話を持ち出せば二つ返事で了承してくれるだろう。


(なんだ、すっごく簡単なことじゃない!)

 

「ソフィア様、どうか先日のような真似はもう二度とされないでくださいね。ソフィア様のお綺麗な肌に傷跡が残ってしまったら、ベロニカ様もさぞ心配されることでしょう」

「……そうね、心配をかけてしまってごめんなさい。もうしないと約束するわ」


 3日間この公爵家で過ごしてみて、如何にソフィアが使用人に対してきつくあたっていたのかが分かった。皆が私に向ける冷たく、恐怖におびえた視線が痛くて仕方ない。


 メンタルが鋼なのか、それとも天然過ぎてそれにすら気づいていなかったのか……。

 どちらにせよ、嫌悪と恐怖の目で見つめられていた中でアンリエットの無頓着さと人懐っこい性格が今はありがたかった。


「では、私はお茶を淹れてまいります。ソフィア様のお気に入りのフラワーティーをご用意しますね」


 アンリエットはそう言うと、すぐに部屋から退室した。


「ふう。……ベロニカ・エングラー、これまた厄介な人の名前が出たわね」


 アンリエットの言っていたベロニカとは、ソフィアの伯母にあたる人物だ。

 彼女が何とも厄介で、ソフィアとして転生した私にとっては要注意人物の一人。悪女ソフィアの育ての親であり、ソフィアが悪に染まることとなった全ての元凶。


 ――ソフィアは出産予定日よりもずっと早くに産まれた未熟児だった。それが要因となり、ティアルジ公爵夫人は出血多量で命を落とした。

 そこで現れたのがフォンレーヌ侯爵夫人の姉、ベロニカ・エングラーだった。


『私が妹に代わって、このか弱い姪を育てます。この子はまだ未熟児ですので暖かい西の別宅で育てた方が良いでしょう』


 妻の死を前に、悲しみに暮れていたティアルジ公爵に娘のことを気にかける余裕などなかった。

 公爵はベロニカの言葉に頷き、生まれたばかりの娘をベロニカに託した。

 

 しかし、ベロニカの行動は善意からのものではなかった。彼女は生まれたばかりの姪を利用して、公爵家から膨大な養育費を搾り取る算段だったのだ。


 当初、ソフィアが別邸で過ごすのは物心がつくまでの短期間の療養という話だった。しかしベロニカは「ソフィアはまだ病弱で、長期療養が必要だ」と主張し、長きに渡ってソフィアをら邸宅に閉じ込めた。


 本来ならば、父であるティアルジ公爵がそれを止めるべきだった。しかし、彼はソフィアの存在を直視しようとはしなかった。


(きっと、公爵は自分の妻を殺した娘の顔なんて見たくなかったんでしょうね)


 ――そして、月日は流れ。

 ソフィアは18歳のときに長い幽閉のような暮らしから解放される。それは愛のない結婚によって、このフォンレーヌ公爵家へと嫁いできた時だった。


 もちろん、愛がないのは一方的な話で、ソフィア自身は夫となったヴィンセントに深く依存していたのだが。


『どうすれば私のことを見てくださりますか? どうすれば、私のことを愛してくださるのですか』

『…………』

『お願いです、返事を、返事をしてください……私のことを、みてください……』

 

 ヴィンセントがどれだけ冷たくしても、無関心を貫いても、それでもソフィアは彼を追い続けた。

 悪に手を染めて、自分の夫の視線を持って行ってしまったフィオレッタを殺そうとしてまで、ヴィンセントを手放したくないと思ってしまった。


 それが『きゅるりーん物語』で語られた、悪役ソフィア・フォンレーヌの過去だ。


 ソフィアがどうしてそこまでヴィンセントに執着していたのか。読んでいた時はピンとこなかったけれど……今なら、分かる気がする。


 自分を愛してもいない形式上の夫に縋りたくなるほど、ここは静かで寂しくて、悲しい場所だから。


 ソフィアの自室に置かれた17歳にしては子供じみたお人形の数々は、まるでソフィアの寂しさを紛らわせるために置かれているようだった。


 王さまと、王子さま、そして二人の間に立っているお姫さま。

 この世界では珍しい淡いピンク色の髪を持った家族。これはきっと、フォンレーヌ家を表しているのだろう。


 彼女はきっと、家族に会いたくて会いたくてたまらなかった。愛されたくて、甘えたくて、でもそれを口にする方法さえ知らなかった。

 ただ口を閉じ、感情を抑える方法しか教えてもらっていなかったから。

 

 彼女の生きていた証を見るたびに、この世界が現実なこと。

 そして、彼女と自分の共通点を感じて胸が苦しくなった。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




「疲れた……」


 色々と考え事をしたり、慣れない話し方をして常に誰かと一緒に居たから、いざ一人になると心身ともにどっと疲れが押し寄せてきた。


 そもそも、この身体は病弱すぎるのだ。病にかかっているワケでもないのに、ベロニカによって長年引きこもりの生活を強いられていたソフィアの身体は体力がなく、少し階段を上っただけでも息が上がってしまうほどのか弱さだった。


 私がこの身体に転生するきっかけとなったであろうソフィアが階段から落ちた出来事も、全てはソフィアの運動不足が関係していたという。


 そのため、体力作りとして医者から毎日三十分の散歩を命じられることになった私は、一人で夜の庭園を散歩していた。


「グスッ……」


 前世に未練も何もないし、戻りたいだなんてちっとも思わないが、どうしても夜になると悲しくて涙が出てしまう。


 これは数年前――前世からのクセのようなものだ。

 悪夢も、涙も、自分で制御することが出来ない謎の症状。


 ソフィアの身体なのに、おかしいな。これは肉体の問題ではなく心の問題なのだろうか。


「泣いたって、何かが変わるわけじゃないのに」


 そんな言葉を口にして、自分を叱るように目をぎゅっと閉じた。

 噴水の傍に置かれた白い石造りのベンチに腰掛け、そっと袖口で涙を拭う。


「――ここで、何をしている」


 その時、背後から突如声がして、私は急いで振り返る。

 そこに立っていたのはこの世界のヒーロー。ヴィンセント・フォンレーヌ公爵だった。


「ヴィ……公爵様? どうしてこんな夜に……」

「ここに俺がいたら悪いのか」

「い、いえ、そういうわけではありません!」

「ああ、そうだろうな。ここは俺以外の立ち入りを禁じている庭園だ。それを分かったうえで、君は入ってきたんだろう」

「え……」


(そ、そんなの私が知るはずがないじゃない! 小説で読んだこと以外なにも知らないんだから!)


「……それか。使用人たちの言っていた君が自殺未遂を起こしたという傷は」


 ヴィンセントの視線が、私の左手首に向く。

 涙を拭うために顔の傍に持ち上げた左手は、重力によって袖がめくれて、血が滲んだ包帯が丸見えになっていた。


(自殺未遂って……まさか、三日前のこの世界が夢だと思って夢から覚めるために死のうとしたことのこと?)


 確かにあれは死ぬつもりで起こした行動だ。けれど、それは夢だからであって、死にたいなんて感情は少しも持ち合わせていない。


 私はどちらかというと、しぶとく生き残りたいタイプだ。


 あの時のことをお医者さまは「頭部への強い衝撃により、一時的に混乱状態に陥っていたのではないか」と診断した。


 だからこそ余計な波風を立てぬよう「この件は他言無用」と、使用人たちにも口酸っぱく言い聞かせておいたのに。


 使用人たちはソフィアを完全に嫌っているようだったし、ヴィンセントはこの屋敷の主。彼に報告するのは当然だと思う反面、心の奥底ではどこか苦くて複雑な感情が渦巻いていた。


 返事に迷っていると、ヴィンセントは無言のまま足を進めて、私の両肩を掴んだ。


「え? ……キャッ!」


 強く肩を掴まれ、彼の顔が目の前まで来る。月光に照らされたヴィンセントの顔は挿絵で何度も目にした、美しい顔そのもの。


(近い、近すぎるよ!)


 視界いっぱいにイケメンな顔が映し出され、今にも顔から火が出そうなほど照れてしまう。


「一体、君は何がしたいんだ?」


 しかしそんな私とは裏腹に、ヴィンセントはとても深刻な顔で話し始めた。


「俺のことをこの世の何よりも嫌っているくせに、俺の気を引きたいとでもいうのか?」


 突然の問いかけに、思考が追いつかない。

 怒っているような様子の彼を前に、だんだんと羞恥心よりも恐怖心の方が勝ってきた。


「他人を傷つけるだけに飽き足らず、自分を傷つけようと……命を絶とうとしたのか」

「と、突然どうされたのですか? 公爵様、どうか落ち着いて下さ――」

「命を何だと思っているんだ!!」


 その瞬間、彼の手に込められた力が強くなり、肩に痛みが走る。

 

「痛っ……」


 反射的に声が漏れた。すると彼ははっとしたように目を見開いた。


「……っ、すまない」


 そう言うと、ヴィンセントはようやく手を放してくれた。

 強く掴まれていた肩がじんじんと熱を帯びていて、自分でも知らないうちに呼吸が浅くなっていたことに気づく。


「ご、ごめんなさい、私、本当に知らなくて……」


 口をついて出たのは謝罪だった。咄嗟に言葉を選ぶ余裕もなく、ただ震える声で謝罪をすることしかできなかった。


「悪気があったわけではなくて、階段から落ちて、気が動転して……」


 必死に謝罪の言葉を並べる私を、少し驚いたかのような顔で見つめてくる。

 そして、短く息を吐くと、まるでガラス細工にでも触れるように慎重にゆっくりと私の左手を取り上げた。


 包帯の上からそっと手を添えられ、そのまま暫くの間、真剣なまなざしで私の手首を見つめる。


「もう夜も遅い。護衛もなしで女性が一人出歩いては危険だ」


 子供に叱るようにそう言い放った彼は、その言葉を残すとそのまま背を向けて、月明かりに照らされた庭園の小道を歩いていった。


 残された私は、その背中をただ黙って見送ることしかできなかった。


「……あれ」


 ふと、何気なく視線を落としたそのときだった。

 先ほどまで、触れずともズキンと痛んでいた左手首の感覚が――消えていた。包帯の中の傷がうずく感覚がない。


 確かに痛かったはずなのに。痛み止めもまだ飲んでいないはずなのに。

 そこにはもう、何の痛みも残っていなかった。

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