・・・猫の世界に真理多し
上司の理解で完全在宅勤務をさせてもらえることになり、子猫達の世話をしながら仕事をするという二刀流の日々が始まった。
そして気付いたことは、仕事をしながら乳飲み子の世話を両立するというのはおよそ不可能なことであり、だから育児休暇というものがあるのだという当たり前の事実なのだが、残念ながら権利は人間の赤ちゃんにしか行使することができない。今雨季が面倒を見ているのは猫の赤ちゃんであり、育児休暇の取得はできないがために労働条件は在宅勤務ではあるもののフルタイム。今朝は玄関に持ってきたパソコンでオンライン会議に参加しながらその手元で猫の赤ん坊にミルクをあげる。
「橘さんの方は問題ないですか?」
「大丈夫です。いつも通り私の方で対応させていただきます」
「ありがとうございます。猫ちゃんの方から要望はありまちゅかー?」
猫好きの社員のウケ狙いに笑い声が巻き起こり、雨季は手の中の子猫をカメラに近づけ
「ニャいでしゅー!」
と、返すとさらに笑い声が上がる。みんなが可愛い、可愛いと笑顔になると雨季の疲れも少し和らいだ。
「ねえどうやってミルクを飲ませるの?」
「んっと、こうやってシリンジの先を、口に入れて飲ませるんです」
「ええ~本当に可愛い~」
「こんな小さな猫私初めてみた~!」
おそらく向こうでは、会議室に取り付けられた巨大モニターの画面いっぱいに子猫の顔が映っているのだろう。みんな会議であることを忘れて顔をほころばせている。
「でも橘さん大丈夫?夜中も授乳してるんでしょ?」
「まあ母と交代でやっているんで・・・少しは慣れましたし・・・」
「無理しないでね、集まったカンパ金、後でペイペイで送るからね」
雨季が育児放棄された子猫の世話のために在宅勤務をしていることはすでに本部中に知れ渡り、どこからともなくミルク代のカンパが始まったとのことだった。ひたすらお礼を言ってからZOOMを退出する。
「良かったね。アンタ達、ちゃんとありがとうございましたって言うんだよ」
会議に参加させた猫の口元を濡れタオルで丁寧に拭いてケージに戻し、次の一匹を掬い上げる。濡れティッシュで肛門をトントンしておしっこを出させ、それよりお腹が空いたと主張するように短い手足を空中で動かし短く鳴き続ける子猫を四つん這いの姿勢になるように支え、ミルクを入れたシリンジを口元に持っていく。待ってましたと言わんばかりに子猫は勢いよく吸い付いた。
「はいはい、慌てないよ」
手の中で無心でミルクを飲む子猫達は、少しずつ体の大きさも重さも増していく。ミルクを飲み終えぽっこりと膨れるお腹を見て雨季はいつも安堵し、どこか異変はないかとしげしげ体を見ていると、一つの変化に気付く。
「・・・んんー?」
一文字を引いたような閉じた目の目頭が、割れ目ができたように開き始めている。
「え、アンタ目開くの?!」
驚いた雨季は子猫の顔を自分の顔に近づけ目元をじっと見つめるが、しばらく待っても目が開く様子は見られなかった。
「なんだぁーすぐには目って開かないのねー・・・」
残念、残念、と呟きながら子猫をケージに戻し、次の子猫をまた掬い上げる。こちらはまだ目が開く兆候はなかった。
その夜のミルクタイム、ケージに掛けていた新聞紙を持ち上げ中を覗くと、こちらに顔を向けている1匹と目が合って雨季は声を上げた。
「え!目開いた!」
ケージの扉を開け、うっすら半開きではあるが目の開いた子猫を自分の顔の前まで持ち上げまじまじと見つめる。
「うわあーすごい、なんかきれいだねえー・・・」
早速育子を呼び寄せると、飛んできた育子も驚きながら子猫を見つめた。
「あらあ~目開いたねえ~・・・」
それまでの、頭をあっちに振りこっちに振る落ち着きのない動きから、世界を認識しようとするかのようにしっかりと目の前のものを見つめる視線に、
「生命の神秘だわあ~」
と、月並みな言葉で二人は感激していた。
翌日から、次々と子猫達の目はうっすらとだが開き始め、3日も経つと一番に目を開けた子猫はぱっちりとした大きな瞳で雨季を見つめるようになった。
「あいや~、こんにちはネコちゃ~ん」
思わず頬を緩めながらミルクを飲ませる。
目と目が合うだけで以心伝心できているような気になるから不思議だと思いながら、動きが少し活発になった猫達の世話を続けた。
「シロちゃん早く帰ってこないかねぇ・・・せっかくアンタ達の目が開いたのにね・・・」
ご近所では未だ時々ではあるが、手の空いた住民が散歩がてらアンジェラの捜索を続けている状況ではあるものの、目撃情報は皆無だ。帰り道が分からなくなってどこかで再びノラ猫になっているかもしれない、というのが自治会役員達の中での結論になりつつある。
雨季はため息を吐きながら人差し指で子猫の頭をそっと撫でた。
「ママがいないからって非行少年とかになったりしないでよ、里親が見つからなくなっちゃうからね」