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猫が読むのだと思って書け。

 帰宅すると、リビングには号泣する母親、自治会の役員達に事情を説明する父親、役員のおじさん・おばさんの面々。


「だってシロちゃんがケージから出せ出せって言うんだもん~!誰だって窮屈なトコは嫌でしょお~!アタシのせいなのおおお~!!」


 聞けば育子はアンジェラをリビングで散歩させている最中に洗濯物を干そうと掃き出し窓を開けたらしい。その一瞬の隙を付いてアンジェラは庭に出たかと思いきや、ものすごい勢いで逃走したという。


「大丈夫だよ橘さん、そんな遠くには行きっこないから。見つかったら連絡するから」

「自治会のグループLINEに流しておきますよ」


 皆親切に育子を慰めているが、雨季の懸念はそちらよりもあちらだ。


「ねえ、シロちゃんいなくなったらこの子達どうなるの?」

「この子達?」


 皆一斉に雨季を見る。


「シロちゃん子ども産んだばっかなの!ここに赤ちゃん猫が6匹もいるの!」

「なんだって!」


 おじさん達に玄関のケージを見せると、中では母親の不在に泣きじゃくる子猫達の姿。


「これダメだよ!急いでミルクあげなきゃ!」

「牛乳でいいのか?」

「いやいや、猫用ミルク!」

「牛乳だってミルクだろ」

「何言ってんだ橘さん!人間の赤ちゃん牛乳飲まないだろ!」

「そんなものあるわけないでしょお~!アタシのせいなのおおおおお!!」

「いや早く医者に連れてかないと!」


 ケージの中では子猫が絶叫。

 ケージの外では高齢者が阿鼻叫喚。


 とにかく二人がかりでケージを持ち上げ車に運びついでにおじさん達も座席に押し込み、雨季は土曜日に行ったばかりの動物病院に向けて車を走らせた。


「急患急患!先生早く!」

「子猫が死にそうだ!」


 ケージを抱えたおじさん二人は恥も外聞もなく受付に詰め寄る。


「ちょっと恥ずかしいから静かにしてよ!」


 雨季は怒鳴りながらおじさん達を蹴散らしスタッフに事情を説明し、他の客と動物達に頭を下げながら順番を譲ってもらった。


 診察の結果子猫の容態に問題はなく、獣医の先生とスタッフが手際よくミルクを飲ませると落ち着いたのか子猫達は鳴き止み始めた。


「とにかくミルクのお世話が大事です。3~4時間おきにやってもらいます」

「え、夜も?」

「当たり前ですよ、人間の赤ちゃんだってそうでしょう」

「・・・・・」


 獣医師はミルクが終わった猫を慣れた手つきで測量する。


「あと排泄ですね」

「センバツ?」

「それは野球。トイレのことです。子猫は自分でおしっこができませんから、湿ったティッシュで肛門の所をトントンしておしっこをさせてあげてください」

「え、全員?」

「当たり前ですよ!6匹全員です!」

「・・・・・・・」


 獣医師は最後の一匹の測量を終え全員をケージに戻した。


「それから保温、とにかくケージの中が冷えることのないように。エアコンとか扇風機の風が当たる場所は絶対ダメです。動物用湯たんぽなど使ってください」

「え、うち全館冷暖房なんですけど」

「なんですかそれ」

「家の中全部廊下もトイレも冷房効きます」

「最低ですね」

「・・・・・・・・・」


 獣医師は眉間に皺を寄せ、雨季を一瞥(いちべつ)してからパソコンを操作する。


「暖房にするなり壊すなりしてください。ご自分で6匹全員飼われるならペット保険に入ることもおすすめします」


 ミルク、排泄、暖房、ペット保険・・・雨季の膝の力が少しずつ抜けていく。


「・・・なんか、すごく、手間もお金も掛かるんですね・・・」

「あなたほどではないと思いますよ」

「・・・・・」


 動物病院で人間性を指摘された者など自分くらいだろう、と雨季は自分で自分にツッコミを入れる。


「シリンジはうちで買えます。ミルクや湯たんぽはスーパーとかのものでいいです。子猫が汚れたらシャンプーしなければいけないのでその時はまた来てください。とにかく毎日ひたすら温めながらミルクをあげることだけ考えてください。スタッフがミルクのあげ方教えますので隣の部屋に行ってください。お大事に」



 かくして、雨季の地獄が始まった。


 獣医のいいつけどおり全館冷暖房はオフにし、猫用湯たんぽでケージ内を保温し、ホームセンターで買い込んだミルクを用意しシリンジを満たし、お腹が空いたのかまた鳴き出した子猫に震える手で授乳を始めた。


「ちょっと雨季ちゃんそれじゃ飲めないんじゃないの?!」

「いやこの姿勢って言われたもん!」

「ふつう赤ちゃんは仰向けで抱きかかえながらミルク飲むでしょう?!」

「いや猫はうつ伏せなんだって!」


 横には口出しする母親、目の前には「ニャアアアアア!!!」と大合唱する子猫。


「貸しなさい!ママがやるから!」

「いやママレクチャー受けてないじゃん!」

「アンタは母親にさえなってないでしょ!」


 シリンジを奪った育子は子猫の口に吸い口を入れる。


「ミルクこぼれてる!多い多い!」

「ほら拭いて拭いて!」

「ゆっくりあげるの!窒息しちゃうから!」

「ニャアアアアア!!!」

「ああゴメンもうちょっと待って!」

「シリンジもう一本買ってきなさい!」


 育子がミルクをあげ雨季が排泄の世話をするというチームプレイで初回のミルクタイムはなんとか終了した。


「・・・これ3時間おきにやるの・・・?」


 すでに今日一日の体力を使い果たした雨季と育子は玄関で倒れこんだ。


 窓からは夕日が差し込み壁紙を茜色に染める。綺麗な夕焼け、などと()でる余裕はない。沈む夕日は次のミルクタイムへのカウントダウンである。


「夕飯は買ってくるぞ。シリンジもだな」


 正敏は素早く家を出て、車を走らせていった。


「・・・アンタ、明日会社行くなんて言わないでしょうね・・・」

「い、言いませんよ・・・」


 誰のせいだ!と言いたいが、言ったところで正しすぎる反撃を食らうのは目に見えている。お前が猫を家に入れたのがそもそもの元凶だ、と。


「ちょっと電話してくる・・・」


 よろよろと階段を昇り自室に入り、スマホと共にベッドに倒れこみながら三島に電話を掛けた。


「雨季さん大丈夫?何があったの?」


 久々に聞いた優しい言葉である。雨季は事の顛末(てんまつ)を説明した。


「ちょっとそれ大変じゃん・・・」


「そうなの・・・それで、しばらく在宅勤務できないかなって思って大川課長に相談しようと思ったんだけど・・・」

「大川課長今会議中でもうすぐ戻ってくるから、そしたら一旦私から話してどうなるか聞いてみるよ」

「ありがとう、ごめんね・・・」

「いいって、こういうのはお互い様でしょ」


 できた同僚だ、私は恵まれていると雨季は柄にもなく神仏に感謝する。しばらくベッドに突っ伏し、そういえば今朝のキャラメルマキアートから何も飲んでいないと気付いた時、電話が掛かってきた。


「橘チャン!話は聞・い・た・YO!」


 ノリがイラつくと評判のあの宇賀神部長の声を聴き、思わず「お前かよ」と声に出しそうになったが幸いにも疲れ果てて声は出なかった。


「ウチにもウェルシュコーギーペンブロークでアーサーって名前の子がいてね!もちろん名前の由来はあのキング・アーサーだよ知ってるかい?!」


 あー知ってます・・・と答えて、知っているのは部長の犬の名前かアーサー王物語のことかどちらだろうと疑問に思う。


「いやいや僕はね、動物を飼う大変さはよお~く分かっているよ!なんたって彼らは言葉を話せないだろう?意思疎通なんて出来ているようで出来ていない!それが動物と共に生きることの難しさでありしかし同時に喜びなんだヨ!」

「はあ・・・」

「いいかい橘チャン!動物は人間を選ぶ!我々は選ばれし者なのだよ!よってその責務は全うしなくてはならない!!」

「・・・煉獄さん・・・?」

「子猫は常に世話する人間の手を必要とするよ!キミがいなきゃ子猫は生きられない!だからこちらのことは気にしなくてモーマンタイ!明日から在宅勤務したまえ!」

「え、ウソ!あ、ありがとうございます部長~~~!!!」


 雨季はこの日、初めて部長を尊敬した。


「ふふ、僕だってやるときはやるんだヨ!何のための管理職権力だと思うかい?こんな時こそ部下の力にならなきゃそれこそタダのノリのウザい奴だなんて陰口叩かれるからね!」


 知ってたのか!と驚きだが、今日ばかりは雨季も部長を賞賛せずにはいられない。


「そんなことありません!部長のノリはみんなのオアシスです!!」

「Oh yeah I know it!とりあえず明日パソコン取りに出社すればいいさ!あのフザけた感染症でリモートを強いられた甲斐があったというものだ!これを機に我が社もアニマルフレンドリーが推進されれば他の社員も子猫の保護に積極的になれるかもしれないネ!じゃ明日元気な顔見・せ・て・く・れ・YO!」


 電話を切り、たくさんの安堵ともっとたくさんの不安を胸に枕に顔を沈める。このまま眠ってしまいたいがそうもいかない、自分が世話をしなければ死んでしまう子猫が6匹もいるのだ。


 先ほどミルクをあげた時に初めて触った、生まれたばかりの子猫の小ささと(もろ)さが手の中に残っている。ふわふわとした柔らかい毛に包まれ、小刻みに震える、目も開かない命。ほんの些細な不手際が命取りになる儚さだということを指先で感じ、そのことが雨季の不安に拍車を掛けた。


「ああ~もう、デブ猫め・・・!」


 少しでも可愛いと情けをかけた己を呪っていると、階下から父の声が響いた。夕食とシリンジの用意ができたようだ。


 ふらふらと階段を降り、テーブルに並んだテイクアウトの食事の中からケンタッキーのオリジナルチキン6ピース入りの箱を確保し、冷蔵庫の中から出したミネラルウォーターのペットボトルと共にソファに飛び乗り手づかみでチキンを(むさぼ)り始めると、母の説教が飛んでくる。


「ちょっと雨季ちゃん!アンタお行儀が悪いわよ!ちゃんとお皿を使って食べなさい!」


 とか言いつつ育子も隣に座り赤ワインのグラス片手にチキンにかぶりつく。


「もうお行儀なんて言ってらんないよ!食べなきゃもたない!」

「こら!独り占めしないの!」


 二人でペッペと骨をゴミ箱に吐き出しながらあっという間にチキンを平らげ、ポテトとコールスローサラダも完食し、デザートのシロップたっぷりがけビスケットまで辿り着いたところでやっと気持ちが落ち着いた。


「ねえママ、夜中のミルクとかどうする・・・?一緒にやるか、交代でやるか」

「今夜は一緒にやった方がいいでしょ、アンタ一人でできるならいいけど」

「いや無理です」

「でしょう。だからここにお布団敷くわよ」


 二人して、ふう、と息を()き、ダイニングで一人牛丼を食べる父は無視してゴミを片付け、ソファとテレビの間に二人分の客用布団を敷いた。


 まだミルクタイムまでは余裕があったので、育子が先に風呂に入りその間に雨季はケージの中の子猫を注意深く観察する。眠ったり動いたり、子猫も子猫なりに(せわ)しなく生きるその様子に少しの(あわ)れみが生まれる。


「アンタ達母親がいなくなっちゃったんだよねえ・・・大変だね、あたしも親がいなくなったら生きていけないかも」


 そう呟いているとリビングから正敏が出てきた。


「ちょっと外に出てくるぞ」

「どこ行くの?」

「その辺に猫がいるかもしれないから見回ってくる」


 暗くなり始めた外に消えていく父の背中を見つめながら、帰ってくる時には白い猫を抱きかかえている姿を想像し祈ってみたが、期待空しく正敏は手ぶらで帰ってきたのだった。

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