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・・・猫を捨てる事です

 あのしつこく粘る残暑がようやく過ぎ去ったかと思うと、急転直下で寒気が流れ込んだせいか今年は紅葉がいつになく鮮やかだ。11月中旬、雨季には2つの吉報が届いた。


 1つ目は、無事に正社員登用試験に合格し来年4月から総合職に職群転換することが確定したことだ。部内で盛大にお祝いのランチ会が開かれ、両親もワインをプレゼントしてくれ、麻里奈達も例の如く食材片手に駆け付けてパーティを開いてくれた。


「これでお金の心配なくなるね!」

「猫ちゃん達に高級な猫缶食べさせてあげなきゃ」

「せっかくだからもっと広いトコに住んだら~?」

「いっそマンション買っちゃおうか、麻里奈ちゃんみたいに」


 どいつもこいつも金の話しかしないことに雨季は辟易(へきえき)としながら、サブウェイのパーティトレイが2種類並ぶテーブルから、適当に一つサンドイッチを取る。久々のサブウェイは、踊り出したくなる美味しさだった。


「そんな羽振りのいい事できる訳ないでしょ、いくら年収倍になるからって家はさすがに無理だよ」


 ねえ、シロちゃん、と言ってアンジェラを撫でるが、しかし狭い部屋の中を縦横無尽に行き来する猫達を見ているとさすがにワンルームは厳しい気がしてきた。もうすでに5匹の子猫達はアンジェラサイズになろうとしているのだ。


「ペット可の賃貸でもうちょっと広いところがあればいいんだよね・・・無理かな」


 レタスが落ちないようにサンドイッチにかぶりつきながら、雨季は頭の中で、来年以降の月収でどのくらいの家賃が出せるか計算していた。


「あるでしょ、賃貸ならむしろ家余りなんじゃない?」

「地元離れることになっても狭いよりいいでしょ」

「いや~雨季ちゃんいいじゃん、職あり部屋ありペットあり、で」

「うんうん!着実に地に足ついた生活になってるね!」


 友人達の後押しもあり、本格的に引っ越しを視野に入れ始めた雨季に届いた2つ目の吉報。雨季の実家のご近所に住む山川夫人が、息子家族が住んでいた一軒家を貸し出したいと申し出てくれた。


「ほら、いつも畑仕事しているおばあちゃん、家庭菜園がすごいところ」

「白菜くれる人でしょ?息子さん達どうしちゃったの?!」


 育子が寄こした電話によると、山川夫人の息子夫婦には不登校の中学生の男の子がいたのだが、山梨の妻の実家に滞在させてみたところ、近所に友達が出来、持病の喘息も良くなったので、父親の仕事がリモートワーク可能だったことを機に思い切って一家で移住した。


 可愛い孫のためだと頭では理解しても寂しさが募る山川夫人は町内会の会合で、野良猫が生んだ子猫達を育てるために家を出た雨季の話を聞き、それなら空いている息子夫婦の家に住んではどうかと提案してくれた、というのだ。


「なんかね、家具とか残っているのは使っていいみたいで、水道光熱費とかの実費だけ払ってくれればって言うんだけどさすがにそれは厚かましいじゃない?せめてそれなりのお家賃は払わなきゃねえ・・・」

「そりゃそうだ」

「だから今度お家にお伺いして話聞いてらっしゃい」


 そんなわけで、一度遊びに来てくれという山川夫人の誘いを受け、おばあちゃんっ子の雨季はさっそく父を従え手土産片手に山川夫人宅に()(さん)じる。


 雨季の実家から徒歩1分、スープが冷めないどころかアイスも溶けない距離にある家は、周囲の戸建て4軒分の広さはある敷地の中に古い平屋の家屋と納屋、そして小ぶりな二階建ての戸建て住宅があり、それ以外の土地はみごとな菜園や果樹に埋め尽くされていた。


「まあまあ、橘さん、いらっしゃい。お忙しいのに、悪いわねえ」


 出迎えてくれた80歳の山川夫人は優しい笑顔で雨季達を歓迎し、息子家族が住んでいた戸建てに案内した。


「猫ちゃんがいるんでしょう?ここで飼ってくれていいのよぉ。私もね、猫と暮らすのが憧れだったのよ。雨季さん、会社に行っている間は私が面倒見てもいいのよ、お散歩とかねえ」

「山川さん、猫は散歩させなくていいんですよ」


 空気が読めない正敏が冷静に突っ込むと


「あら、わたし・・・、いんすたぐらむで見る猫ちゃんの動画で、紐つけてお散歩させているの見たからつい・・・。ああ、あれは、あーてへしゃるいんてれじぇんとなのねえ・・・」


 そう言って急にしょんぼりしてしまった山川夫人をなぐさめるために、雨季は父親に噛みつく。


「パパ何言ってんの!最近の猫は意識高いから散歩だって時々するんだよ!」

「そうなのか?」

「そうだよ!」


 怪訝(けげん)な顔をする父親を肘で小突(こづ)いて、雨季は夫人に向き合う。


「山川さん大丈夫です、ウチの猫達体力余ってるから遊んであげてください!インスタで見てるのはAIじゃなくてちゃんと本物の猫達ですよ!」


 雨季が力説すると、夫人は嬉しそうに笑った。


 その後、帰省した山川夫妻にも挨拶し、雨季の引っ越しが正式に決定した。かくして、夫人は話し相手と憧れの猫を、山川夫妻は一人残した母と実家を見てくれる管理人を、雨季は(わず)かばかりの賃料でペット可の一軒家を、誰の効用も下げることなく手に入れることに成功したのだった。

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