世の中で一番楽しく立派な事は・・・
引っ越しの片付けと猫用住居の整備があらかた済んだので今度は部屋中の床や壁を水拭きし、バスルームは手作りの重曹洗剤を使って隅から隅まで丸洗いした。そうすると少し、まあ今後も住めそうかな、という気になるから不思議なものだ。
在宅勤務終了後の大掃除で一汗かいた雨季は湯船にお湯をため、入浴剤代わりの岩塩とともに疲れた体を沈める。狭い湯船に足を折りたたんで浸かりながら岩塩の成分が溶け込んだお湯を肌に擦り込みリラックスしてから、全身を洗ってバスルームを出る。
バスタオル一枚で部屋に入り、下着と薄いTシャツ、ショートパンツに着替え扇風機の前に座るとアンジェラが寄ってきた。
「なに、暑い?クーラー付けようか?」
アンジェラはそのままゴロンと寝転び扇風機の方に腹を向ける。雨季は風がアンジェラに当たるように扇風機の首を調節し、そよ風が来るとアンジェラは気持ちよさそうに目を細めた。
「今年も暑そうだから冷感マットとか買ったほうがいいのかねえ・・・」
冷凍庫から取り出した氷塊とウイスキーをグラスに入れジョニクロのロックを作り、チビチビ飲みながら雨季はスマホで猫用のグッズを検索する。
子猫が死んでしまったと同時にアンジェラが帰還した月曜の朝、ひとしきり泣いた雨季はその日は休みをもらいアンジェラと残りの子猫達を病院へ連れて行くのに大忙しだった。母子共々健康に問題はないことが確認され、アンジェラの避妊手術の相談をしてから部屋に戻ると、子猫達は盛大に鳴きながら一斉に母猫に向かって突進し、アンジェラも大きくなった子猫達を代わる代わる舐めるのに一生懸命で、それを見ていると雨季の心は幾分慰められた。
しかし母猫が帰ってきたからと言って雨季の日々の負担がなくなるわけではなく、もうすぐ離乳食に移行する子猫達への給餌という新たなフェーズに順応しなくてはならなかった。
「ほお~ら、オトナのお食事ですよ~」
夕飯の時間、スプーンに盛ったウェットフードを差し出すが子猫達は皆後ずさり逃げ回り、果ては母猫のおっぱいに戻っていく。
「うーん・・・ママのミルクが飲み足りないのか・・・」
明日にでもまた、行きつけのホームセンターの店員に相談しようと決めフードを片付けているとスマホが震えた。見るとグループLINEで週末の飲み会の相談が進んでいる。
『じゃああずはお酒係ね♡』
『したらツマミになりそうなもの用意してくよー』
『あたしと響花でメイン買ってくわ』
『了解』
ハイソな友人たちが各々美味しい酒と食べ物を持ってきてくれる。ならば自分も客人をもてなす用意をしなくてはならない。
『可愛い猫達が待ってまーす』
アンジェラと子猫達の写真を送信すると一斉にスタンプが送られてきた。
「アンタ達、お客様が来るんだからちゃんといい子にしてなきゃダメよ。シロちゃんははじめましてなんだから挨拶してね」
子猫を舐めていたアンジェラは顔を上げて、ニャーアと返事をしてまた子猫を次々と舐め始める。
7月に入り一気に気温が高くなり、一日中冷房を付けていて室内が涼しいからか、はたまた親子の時間を取り戻すためか、猫達は新しい布製ケージの中で6匹で集まり団子状態で寝ることがほとんどだ。
「さて、じゃあトイレ洗うからね」
よっこいしょ、と立ち上がり廊下で2台分のトイレの掃除に取り掛かる。玄関で猫砂を全部ゴミ袋に入れ、濡らしたキッチンペーパーで拭き上げてからバスタブの中にトイレを入れ洗剤で泡立てたスポンジでゴシゴシ洗う。猫の健康寿命は環境の清潔さも関係していると獣医に言われて以来、雨季の掃除の頻度は増している。
(あたしが頑張るんだ)
名前も付けなかったことを後悔し、命を預かることの重みを実感した今、この先がどうなろうと6匹の猫達を守り切る覚悟を決めた雨季はいつになく猫優先となっている。
朝から晩まで、猫のため、猫のため、猫のため。
この感覚は覚えがある。
いつでも、どんな時も。
相手のため、相手のため、相手のため・・・。
『雨季が頑張ってくれるから助かってるよ』
そう言われて有頂天になっていた自分を思い出し、そんな自分を無言で罵る。
その人の隣は、行ってはいけない場所だったのに。