学問は、猫を愛でながらも出来るものなり。
最寄り駅から徒歩5分、築36年の鉄骨マンション4階404号室。いたいけな子猫達が流刑に処され留置されている場所だ。
夜の帳に紛れて俺は室外機伝手にベランダをよじ登り、なんとか雨季の部屋に辿り着く。破れかけた網戸と冬は結露に悩まされること必須の素材の窓の向こう、けたたましい笑い声が漏れ出ていることから察するに連中はいつもの飲み会に興じているに違いない。窓に両手をあて、全身の体重を掛けて横にスライドさせてみてもビクともしなかった。
「おいチビ達!スカジャンおじちゃんだぞ、聞こえるか?!」
叫んでも返事はなかった。中の声が大きすぎるのだろう。
「くそっ、猫の耳はデリケートだっつのにアバズレどもめ・・・!」
つい思わずガラスを蹴飛ばしドン!と音を立ててしまった。何の音?という声が聞こえたので俺は慌てて隣のベランダへ逃げる。カーテンが開かれたのか部屋の中の明かりが漏れ、鳥か虫でもぶつかったんじゃなーい?という声の後ベランダはまた暗くなったが、きちんと閉められなかったカーテンの隙間から中の様子が伺える。案の定、酒を飲みながらゲラゲラ笑い転げる雨季とその仲間たちの姿が確認できた。
「ヤベぇぞ・・・早くチビ達を救出しないと・・・!」
俺の首筋を、冷や汗がつたる。
遡ること18時間前、俺は高田馬場駅の高架下にいた。
初めて訪れる新宿界隈、テレビで見たことのあるオフィスビル群の、ツンとした小ぎれいさとは打って変わって歌舞伎町や新大久保は、雑多で深夜でも賑わいどこも人間で溢れていた。
眠らない街の住民は、陽気で猫にも優しい。
俺が道を確認しながら歩いていると、迷い猫とでも思ったのかチキンを一かけ食べさせてくれる人間もいた。小腹をヤンニョムチキンで満たし、指定された場所で待つこと数分。
「・・・スカジャンってのはオメーか・・・?」
背後から声を掛けられ振り向くと、現れたのは片方の前足の先に添え木を当て、片目が大きな傷跡で塞がれた毛の長い猫だった。
思わずたじろぐほどの強烈な威圧感。
絶対、カタギの猫じゃない・・・!
「あ、そ・・・そうっ、ス・・・」
どうしよう、依頼料に内臓でも請求されるんだろうか。俺は緊張でフミフミが止まらない。
「チャチャチャ、チャン、トドロキさん・・・っすよね、こ、この度は・・・」
「堅苦しい挨拶はいらねーよ」
チャン・トドロキは俺の足元にバサっと封筒を投げた。
「これで足りるか?」
震える手で封筒を拾い上げ中を引っ張り出すと、写真付きの書類の束が出てきた。俺は一瞬で、それが依頼の調査報告書だということを理解する。最初のページにクリップ止めされた写真は張本梓、ぶりっ子の元アイドル。ザッと見ると他の写真も雨季の友人達と雨季本人だ。
「え、これ雨季の友達全員調査してくれたんスか?!」
「当たり前だろ、子猫の命が掛かっているんだからな」
「・・・チャンさん・・・!」
こみ上がる涙で夜の街のネオンが滲んで見える。
「しかしお前も、なかなかヤベェ人間達見つけ出したな」
「ええっ?!」
こみ上がる涙が秒で引っ込んだ。
チャン・トドロキ曰く、橘夫妻に目立った問題はなかったとのことだった。ギャンブルの残債も反社との繋がりもなく、強いて言えば正敏が定年まで勤め上げたゼネコンが国際イベントでの賄賂事件に絡んだことがあったらしいが正敏本人が関与していた訳ではなく、“橘家”自体はホワイトとのこと。しかし・・・
「とりあえず娘とそのツレ全員洗ったけど、とんだトラブルメーカーばっかだな。俺の基準で地雷ランク低い奴から並べてるぞ」
「このアイドルも?!」
アイドルスマイルを浮かべる梓の写真を見つめる。芸能人だったんだからヤバい裏事情なんてないと思っていたが・・・、報告書の内容とチャンの説明によると、梓の地雷過去はこのようなものだった。
張本梓はその容姿と才能を活かして最初は子役として芸能界で活躍していたが、高校生の時にカリスマ放送作家・冬元タカシがプロデュースするアイドルグループ『桜が丘1丁目』の初期メンバーとしてアイドル活動をスタート。桜が丘はデビュー後しばらくは鳴かず飛ばずだったものの、ファンの投票でセンターを決めるというコンセプトと、顔・歌・ダンスの厳しい基準をクリアした選り抜きのメンバー達のパフォーマンスが相まって6枚目のシングルで大ヒット。以後紅白をはじめ歌番組の常連となり、メンバーも各々の活動が軌道に乗り・・・というグループとしてはいたって普通の感じがするが、この桜が丘、梓が脱退する結成5年目までは離脱者と加入者がめちゃくちゃ多くオタクの界隈では「ブラック企業」と言われていたがその原因が梓だと言う。
「こいつは芸歴も長いし実家も太いから、スタッフが特別扱いすることを妬んだメンバー達に嫌がらせをされることが多かった」
「かーっ!人間ってヒマっすね」
「しかしその嫌がらせをしてくるメンバー達を梓はことごとく返り討ちにした」
「マジか!!」
梓は芸能界でのコネと資金力を武器に、自分の足を引っ張る奴らをあの手この手で葬った。報告書に印刷された何枚もの画像は、梓の前でメンバーが泣いていたり言い争っている画ばかりである。
「更に姉妹グループの中の弱いものイジメにも首を突っ込んでいた」
「イジメはダメだろ!」
「いや、イジメる奴を梓がイジメ返した」
「どういうコト?!」
どうやらこのアイドル、可愛い顔とは裏腹に相当血の気が多いらしい。1vs多数のイジメを見つけると、梓vs多数のバトルに持っていき相手が芸能界を去るまで執拗に攻撃し続ける。イジメっ子に対し「あずよりブスでバカで凡人なんだから人に構ってる場合じゃなくな~い?」と、生放送本番開始5秒前の音楽番組収録現場で吊るし上げるのが得意技。スタッフ達から付けられたコードネームは、“レディ・サンソン”だったという。
「こ、こえぇ~・・・サイコパス・・・」
「まあそんなだから支持する奴も一定数いたけど、度を越し過ぎてこいつも芸能界にいられなくなったという訳だ」
その過ぎた度というものの中に、業界のお偉いさん達のスーパーブラックなスキャンダルもあり、証拠片手に色々な“ご相談”を繰り広げていたとか。
「こ、こんなヤバいのが友達とかどうなってんだよ・・・」
俺はすでにチビる寸前である。
「次はコイツだ、奥野純子」
父親が元経済産業省事務次官。メガネとパーカーが似合う一見ただのITオタクのように見えるが・・・
「父親が元総理の裏金問題を影で主導していた」
「汚職!!」
「そしてその証拠隠滅を10年手伝い続けたのがこの娘だ」
「家業?!」
「おかげでITスキルが向上し副業も絶好調」
「え、副業って実は週末ハッカー?!」
どうしようもねえ親子だ。まあハッキングについては俺らも人のことは言えないがな。
「それと・・・ああ、この女の恨みは買わねえ方がいいぞ」
次の報告書は西谷響花、帰国子女で外資系ローファーム勤務のインターナショナル才女。そういえば唯一結婚歴があったような。
「新卒で入社したメーカーで同期と社内結婚したが、旦那が新卒入社の女子と不倫した」
「あっちゃ~・・・気の毒に・・・」
「んで両方から慰謝料ふんだくってから社内に暴露して二人とも依願退職に追い込んだ」
「ワーオ!!!」
もはや昼ドラだ。
「コイツはどうなんすか?!花房麻里奈!ただのバリキャリOLですよね?!」
「・・・いやスゲーよ・・・もう感嘆だわ・・・」
裏社会の住民風情を醸し出すチャンが、「ムリ」と言わんばかりに頭を両手で抱え丸まった。
「何に?!」
「男関係だ」
大手広告代理店主任・花房麻里奈。
仕事狂いの色狂い。
曜日毎に男がいるなんてモンじゃない。
勤務する会社ビルのフロア毎に男がいる、都道府県毎にも男がいる、なんなら世界各国にも男がいる!
部屋に置かれた特注大型地球儀に刺した無数のピンは、ダーリン達の出身地。ヨーロッパ各国のイケメンは20代でほぼ征服済み、30代で中東の金持ち達とのアバンチュールにふけり、40代の現在はアジアの可愛い系ボーイを狙っているとかいないとか。
(お前とにかく気を付けろよ・・・)
チャン・トドロキの警告に従い俺はこうして子猫奪還のスキを狙う。こんな連中の側に置いといたらいつ姐さんの可愛いチビ達が売り飛ばされるか分からない。品のカケラもなく酔いつぶれる5人組を見ていると、チャン・トドロキの出した驚愕の調査報告の内容がまざまざと脳裏に蘇る。
この連中、昔から個人での素行もさることながら団体行動でも事あるごとに他人に迷惑を掛けまくり続けてきた前科百犯。
帰国子女の響花を除く4人は中学・高校時代、各々渋谷を根城にしていた原初のギャル。ギャル同志の縄張り争いで抗争するのは日常茶飯事、特に花房麻里奈は中学の頃から不良グループの一員として連日ケンカ騒ぎを起こす始末だった。
コイツらが高校に上がる頃には時代も手伝ってか、エキサイティングに荒れる渋谷で連日連夜問題行動のオンパレード。チャンが入手した当時の写真は、警官に追われ逃げる麻里奈、どう見ても売人の男とクラブの片隅で向かい合う純子、厚底ブーツを履いてタヌキの尻尾のようなものを腰からぶら下げセンター街の片隅でタバコを吹かす雨季と梓、というモノだった。
しかしそれも若気の至り、名門大学入学を機に勉学に励むのかと思いきや、安定の乱痴気振りを繰り広げる。
ハロウィンではとにかく本格的な仮装に力を入れ、セーラームーン、カリブの海賊、ブルーベリーアイ、クー・クラックス・クランと、どんどん妙になるコスプレ姿で渋谷の酒場に男漁りに繰り出しては次々出禁を食らいまくり、遂に青春の場所から締め出された経歴を持つ。
社会人になって以降は花房麻里奈が陣頭指揮を執り、長期休暇の度にせっせと海外遠征を繰り返し、エーゲ海クルーズの船内では淫行と蛮行の酒池肉林、麻里奈がトップレスで踊りまくる写真が梓のクラウドに保存されていたのをチャンは見逃さなかった。
色欲に溺れた20代が終わり30代でとりあえず婚活なるものに挑戦するも半年で挫折。再びワールドワイドに男を巡るバカンスに出続けたが悲しきかな、どんな快楽にも抗体はあるようで昔ほど楽しめなくなってきた30代後半、もはや宗教の力を借りるしか涅槃に辿り着くことはできないと禅寺で座禅に励むも若き修行僧の肉体に発情し夜這いを仕掛けたところを住職に見つかり、
「煩悩こそ、人の世を極楽浄土たらしめるもの、キミ達はもうあるがままの自分を受け入れなさい」
という、ありがたーい説法とともに寺から追い出され、以後、体力の衰えという問題も合わさり仕方なく健全な遊びを極めようと酒とグルメに走り今に至る。
「なにが大和撫子だよ・・・ほとんど巨人じゃねーか・・・!」
俺の目には、ケージの中のチビ達が壁の中の人類にしか見えなくなってきた。
「ねえそれほぼ紐じゃん!」
「どうやって履くの?!」
「食い込んでる食い込んでる!」
部屋の中でストリップを始めた花房麻里奈を、酔っ払い共が囃し立てている。まさに歩く有害図書。
「しかも雨季・・・コイツ・・・!」
俺はチャンからもらった報告書の、橘雨季に関する調査内容を思い出す。そこには信じたくない記載があった。
『新卒で総合職入社の不動産会社で上司と3年に渡り不貞関係。関係の清算と共に退職、現在の飲料メーカーは契約社員雇用』