心月大地
「儂が父になる、か……。父が聞いたら、飛んで蘇りそうだな。」
「大地君、お父さんが亡くなってからだいぶん経つって言っていたものね。挨拶に伺いたかったけれど、私達がお付き合いを始めた頃にはもう、亡くなってって……。」
「良いのだ、明美。父は生きるべき時を生き、そして死すべき時に死んだ。それを受け継ぐのが儂の役目だと思っておったが、まさか儂が子を授かるとは思っていなかった。空太の息子に跡目を継がせる事になる、と思っておったよ。」
三十三歳、大地は、お見合いで知り合った年下の女性の明美と結婚をして、現在明美は妊娠七か月だ。
性交渉の仕方を知らなかった大地は、子供を授かるという段階になって、竜太に色々と相談したり、性交渉の仕方を教わったりするほど、性的な知識が乏しかった。
世界中を回っている時も、そう言ったイベントがなかった、それは大地にとっては良い事だったのか、それとも悪い事だったのか、それはわからないが、ともかく、竜太にそう言う相談をして、くすくすと竜太が笑っていた覚えが大地にはあった。
「ほら、蹴ったよ?」
「命の胎動、それは素晴らしいものだ、母にしかわからぬ事が、あるのだろうな。」
三十歳になる前に父が逝去し、寺を継いだ大地は、日々檀家の所に顔を出したり、寺での職務をこなしていたり、現在では弟の空太が結婚して、遠くに引っ越すというので、その援助をしていたりしていた。
大地は、旅に出た事は後悔していない、知見を広げる為にも、蓮の為にも旅をしたかった、それは間違いではないと思っていた、ただ、父の死に目に立ち会えなかった、というのだけは、少しだけ後悔していた。
父が危篤になった時、ディンが転移を使って移動をするか、と提案してきたが、人の営みを超えた、人知の及ばない事はするべきではない、と大地は思い、急いで日本に帰って来たが、一歩遅く、稚内の空港に到着する寸前に、父は息を引き取ったと連絡が来た。
それだけは悔いていた、ただ、それ以外の事に関しては、悔いる気持ちもなかった、というのが、大地の所感だった。
今では明美と結婚をして、子供を授かるに至った、守護者達の中で一番遅く結婚した大地だったが、あまり不安や焦りはなかった、と言えるだろう。
「大地君、大地君は、世界を守った凄い人。この子はそんな大地君の血を継ぐ子、そろそろ名前を付けて上げないといけないんじゃない?」
「名前、か。そうだな、明美は何か、名の案はあるのか?」
「うーん、大地君につけてほしいな、って思ってる位だよ?男の子だから、大地君が決めてほしいな。」
「そうか。ならば、暫し考えてみよう。」
朝食を終え、寺の方に向かう大地と、それを送り出す明美。
妊婦として、至らない所もあるが、と明美は言っていたが、一人が長かった大地にとっては、それは何の苦にもならない、むしろ、手伝える事があればする、というのが大地のスタンスだった。
今日は法事が一件入っている、その準備をしなければ、と大地は子供の名前の事を考えながら、寺を掃除し始めた。
「という話なのだが、どうだろうか?名付けの経験がないのだが、どう名前をつけてやれば良いのか……。」
「そう言えば、大地さんの奥さんもそろそろ出産でしたっけ。時間の流れって早いですね、本当に。それで、名付けでしたっけ。うーん、僕は春ちゃんに任せちゃったので、何とも言えないんですよね。ただ、こうして欲しい、こういう子になってほしい、って言う願いを籠めて名前をつける事が多い、とは聞いた事がありますよ?悠にぃとかは、そうやって名前を付けた、って言ってました。」
「願い、か。」
「はい、健やかに育ってほしい、優しい子に育ってほしい、そう言う願いを籠めるんだ、って言ってました。子供にとって、名前って言うのは、親からもらう初めての贈り物になって、同時にそれは、呪いになりかねないから、って。」
法事が終わり、約束をしていた竜太と市街の喫茶店に来ていた大地は、竜太に名付けの話を振る。
だいぶん大人びて、ディンより見た目年齢が上がり、父親然としてる竜太だったが、名付けに関しては妻に任せていた様子だ。
ただ、兄の悠輔が言っていた事、それを思い出して、大地に伝える。
「そうだ、棍術の修行の方はどうですか?僕達がたまにお相手してますけど、それ以外では出来てますか?」
「うむ、そちらは問題はない。寺は広いのでな、演舞をする程度の事であれば、差し支えはない。ディセントは今どうなっておるのだ?平和が訪れて時間が経った、とディン殿は言っておったが、グローリアグラントの復興は進んでおるのか?」
「はい、だいぶん復興が進んでましたよ。僕もたまに父ちゃんのお供で行きますけど、あの頃がウソみたいになってます。グロル王も代替わりして、僕達の知ってるグロル王は隠居されてるんだとか。外園さんのご友人だった妖精の人達、も転生して、今ではフェルンの思惑からは外れた所で生きている、って感じです。」
「そうか。あの荒れ果てた大地が、美しくなっているのか。それは良かった、戦争の犠牲になったまま、というのは、少々気分が悪い。」
気がかりだった、と言えばそうであったが、自分達は異世界の人間なのだから、と考えていたディセント、しかし、その様子は気になっていた大地。
それは大地だけではない、俊平達も、各々ディンにディセントの様子を聞いていて、平和が続いていると聞いて、安心していた。
「ソーラレスの仕組みに関しては、どうなっているのだ?地獄菩薩、それを蓮が殺めてしまって、機能不全を起こしている、とは聞いておったが。」
「そっちに関しては、天野さんが動いてくれてるみたいです。まだ、今世地獄のシステム自体を改善しきれてはいないけど、餓鬼を生み出さない、新しいシステムを構築する為に、奔走してるって言ってましたよ。仏陀は、あれ以降国の運営からは手を引いたらしいです。今は、地涌の菩薩達がメインになって国の運営をしてる、って言ってました。」
「そうか、仏陀が過ちに気づいたか。」
「神に祀り上げられて、なんとか良い国を作ろうとした結果だ、って父さんは言ってましたけどね、でも、それが間違いだった、って言って、ディセントを修行して回ってるらしいですよ?」
ソーラレス、というのも懐かしい、蓮が攫われ、仏陀が蓮を地獄の供物にしようとした、そして、蓮が暴走をして、というのが、遠い記憶の様だ。
あの時の蓮は、破壊の概念に乗っ取られかけていた、と後にディンから説明があったが、破壊の概念に関して、は詳しい事は聞かされていない。
結局、世界の終末装置である事、竜神王が千万年間戦ってきた相手だった事、そして蓮の一石によって完全消滅をした事、は聞かされていたが、それ以上の情報は、竜太も知らないと言っていた。
何故世界の終末装置だったのか、何故蓮の一石によって完全消滅をしたのか、それはディンと、知っていてもデインだけだろう、と竜太は言っていて、自分が竜神王として跡を継ぐ事がなくなった、それに安心するのと同時に、ディンをおいて逝く事になる、それが寂しい、とも言っていた。
「……。蓮は、どう思っておったのだろうか。自分が死ぬ事と引き換えに、世界を守った英傑。蓮は、真に守護者だったと言えるのだろう。儂達が一つの世界を守る為に奔走していた、その終着点で、蓮は全ての世界を守った。ディン殿は、蓮の事を知っておったのだろう?蓮が、侵されている事も。儂は、まだ納得しきれていないのだ、あの時、まだ蓮を救う方法が他にあったのではないか、儂達と蓮を引き合わせたのは、その為では無かったのかと。」
「……。蓮君の事を、詳しく聞かされてなかった僕が何かを言うのは違う、っていう前提がありますけど……。確かに、父さんは蓮君を皆さんに引き合わせたのは、沢山の光に包まれて、蓮君が光へと帰還できる様に、その一助になれば、って話でした。ただ、あの時点で、蓮君は自分にとって最善の手を知ってしまっていた、デインおじさんが言っていました、蓮君は、デインおじさんを通じて、破壊の概念の最大の弱点を理解したんだ、って。だから、それを消滅させる道を選んだ。僕達は、結局蓮君を守りたかったのに、蓮君に守られたって事になりますね。」
「デイン殿は、そう言えば破壊の概念に乗っ取られていた、という話だったな。そして、蓮に力を分け与えた理由も、その干渉に対する対抗策だったと。そして蓮は、そのデイン殿の力を使い、自身にとって最善の手を打った。わかってはいるのだ、わかっているのだが、納得が出来ぬのだよ。蓮のような童が、まだ儂達より幼かった蓮が、世界の為にと言って、犠牲になった事、そして、それを享受しているにも関わらず、何も知らずのうのうと生きている人間達がいる、それが許せぬ、とも言えるな。ディン殿の言い分はよくわかっておる、異世界に対し、危惧しているという事も。ただ、蓮の事を秘匿事項とした、それだけが、納得できぬのだ。」
守護者達の共通事項、それは、蓮の事を公表しないと決めたディンの行動に関してだ。
蓮の十三回忌の時、改めて聞いたのだが、しかし、ディンの答えは変わらなかった、蓮の事、そして破壊の概念の事は話してはいけない、それを話す事は、蓮への冒涜になるだろう、と。
大地達からしたら、世界を守った英傑を讃えるでもなく、平和を何も知らずに享受している人間の方がおかしい、と思っていたのだが、ディンからしたらそれは当たり前で、守護者達が自分の周りに限定した話ではあるが、異世界に行っていた事を話しても良い、という方が特例なのだ。
ただ、ディンが一つ枷をかけていた、守護者達が異世界に行った事を話した相手、その相手が、守護者達と別行動をしている時は、その事柄を忘却する、という魔法だ。
異世界の事を広く知られるのは竜神としてまずい事だから、と言っていたが、基本的に人間を信用していない、というディンの言葉、それが反映されているのだろう、と大地は感じ取っていた。
「蓮君は、世界を守ったつもりは無いだろう、ってデインおじさんが言ってました。デインおじさんと蓮君は、力を通じてリンクしてる部分があった、それで、蓮君の感情がなんとなくわかったって言ってましたよ。蓮君は、世界よりも家族、友達である皆さんを守りたかった、そして、その為だけに自らを犠牲にした。犠牲だとも思ってない、それは、僕達を守る為の最善の一手だった、ってだけだ、って。」
「……。蓮がそう思っていたのであれば、儂達が何かをいう権利はない、それはわかっておるのだがな。世界を見て回って、思ったのだよ。世界は、守護者達によって守られているのにも関わらず、悪辣なのだと。ディン殿を殺めろ、という意見もあるというのは聞いておる、そして、儂達もその対象にならぬ様に、ディン殿は枷を掛けたのだろうな。……。蓮が守りたかった世界、それはもう少し、純粋なものではないか、儂達に何か出来る事があるのではないか、と思うのだ。」
「僕もそう思います、蓮君が守りたかったものは、僕達だった。そして、僕達は、世界を守る為に戦った。それって、蓮君も世界の為に戦ってたんじゃないかって。ただ、父さんのいう事もわかるんです。異世界の事を広く広めてしまったら、異世界に転生して、なんていう宗教が興って、その為にお金や命が犠牲になるって。だから、言えないんだっていう気持ちは、よくわかります。」
ディンがかつて言っていた事、異世界に関するこの世界での取り上げられ方、というのは、概ね間違っていないだろう。
それは大地も感じていた、ただ、それ以上に、蓮の犠牲を考えてしまう、というだけで。
「だいぶ暗くなって来ましたね。それじゃ、僕は帰らないとです。また会いに来ますね、大地さんのお子さんの名前、いいお名前になると良いですね。」
「うむ、暫し考えてみよう。」
そう言って、暗くなってきた外を眺めながら、竜太が転移で帰るのを見送り、そして寺に戻る大地。
車を運転しながら、これからの事、そして、自分の子の名前について、考えていた。