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3 十年ぶりの再会

 重い瞼をわずかに持ち上げると、ぼやけた視界に見慣れぬ天井が映った。

 飾り気のない漆喰の天井だ。ぼんやりと瞬きし、ゆるゆると目線を動かす。

 どうやら小さな部屋のベッドに寝かされているらしい。


(ここは……? わたし……夜会で、婚約を破棄されて……罪人だと、国外追放を命じられて……馬車が野盗に襲われて、それから……)


 そこまで思い出したところで、フランチェスカの唇から言葉がこぼれ落ちた。


「レオ様……」


 掠れた呟きに応えたのは、「あんら~」というのんびりした女の声だった。

 首を巡らせ声のした方に目をやると、部屋の隅に控えていたらしい年若い女が、そばかすの浮いた顔をにこりと綻ばせた。


「お嬢様、目が覚めたですかぁ。は~、良かったですわ~。丸一日以上も寝とったんですよぉ。うんうん、お熱も下がったみたいですねぇ。あ、ちょっくら待っとってくださいな。団長様、団長様ぁ~! お嬢様がお目覚めになったですよぉ~!」


 女は間延びした口調で、しかし口を挟む隙を与えず喋り続けると、フランチェスカが呆気に取られている間に大声を上げながら部屋を出て行った。

 まもなく慌ただしい足音が近づいてきた。と思うと、勢いよく扉が開いた。


「フランチェスカ嬢!」


 現れた騎士服姿のレオナルドは、部屋に足を踏み入れようとしたところでピタリと動きを止めた。そしてフランチェスカからパッと顔を背けた。


「すまない。レディの部屋に無遠慮に……」

「い、いえ……」


 自分の方こそ王族に対する礼を欠いていることにフランチェスカは気付く。


「レオナルド王弟殿下、申し訳ありません、殿下の御前にこのような恰好で――」


 慌てて上体を起こそうとしたフランチェスカを、レオナルドが手で制した。


「起き上がる必要はない。そのまま横になっていなさい」

「ですが……」

「まだ酷い顔色をしている。あなたの真面目な性格は知っているつもりだが、今は休むべき時だ。あんなことがあったばかりなのだから」


 労わるような声音に、レオナルドは事情を全て知っているのだと、フランチェスカは悟った。

 その言葉に甘えることにし、フランチェスカは起こしかけた上体をベッドに戻した。


「……部屋に入っても構わないだろうか?」

「はい、もちろんです」


 保護されている身で断るなど、フランチェスカには思いもよらないことだ。

 頷くと、レオナルドは静かにベッドサイドまで歩み寄ってきた。そしてフランチェスカと目を合わせると、ようやく眉間をゆるめた。


「意識が戻って良かった」

「……お心遣いありがとう存じます、殿下。それに、助けて下さったことも。殿下が来て下さらなければ、わたし……」


 馬車の中で聞いた、男達の下卑た話し声が脳裏に甦る。

 もしもレオナルド達、西境騎士団の助けがなければ、フランチェスカは今頃あの男達の慰み者にされていたに違いない。自由も尊厳も、何もかも奪われて。

 小刻みに震え出したフランチェスカの手に、レオナルドがそっと手を重ねた。


「落ち着いて、フラン。もう大丈夫だから。間に合って良かった、本当に……」


 フランチェスカの手を包み込む大きな手の温もり。吐息のように静かなレオナルドの声。

 震えが徐々に治まっていく。


「カルロ殿が鳥を飛ばして知らせてくれたのだ。フランチェスカ嬢が国外追放を命じられ、西の国境へ向かったと」

「お兄様が?」


 断罪劇が行われたあの夜会で、不誠実な婚約者の代わりにフランチェスカをエスコートしてくれていた兄。王太子の一方的な断罪に猛然と抗議の声を上げてくれたが、それが聞き入れられることはなかった。

 そのカルロは、王太子から屋敷での謹慎を命じられて自ら動くことがかなわず、密かにレオナルドに助けを求めたらしい。


「あなたが送られたのが西の国境だったのは不幸中の幸いだった。北や南ではすぐに駆けつけられないところだった」

「我が侯爵家の領地は東方にありますから……」

「侯爵家の邪魔が入らないよう、真逆の国境を指示したのだろうな」


 おまけに西の国境は紛争地帯。戦闘に巻き込まれて命を落とす可能性も他より高い。


(いいえ、きっと少し違う……)


 馬車の中で聞いた野盗達の会話を冷静に思い出す。


「……殿下。馬車を襲った男達は、馬車に何が乗っているのか知っている様子でした。おそらく馬車が襲われたのは偶然ではなく……」

「ああ。あなたを狙ってのことだろうな」


 レオナルドがぎゅっと眉根を寄せた。

 馬車を襲った野盗達は、騎士団によって一人残らず捕えられていた。野盗達は尋問を受け、馬車を襲うよう金で雇われたことを吐いたが、雇い主の素性までは知らない様子だったという。


(黒幕は……? ロザリアさんの伯爵家ならば、まだいいけれど……)


 フランチェスカは、握られたままでいたレオナルドの手からそっと抜け出すと、ゆっくりと上体を起こした。背筋を伸ばし、まっすぐにレオナルドを見上げる。


「レオナルド殿下。命を助けていただいたこと、心より感謝申し上げます。この上図々しいお願いであることは承知しておりますが、数日分の水と保存食を頂戴できないでしょうか。それから、動きやすい衣服と靴も……」


 フランチェスカがそう言うと、レオナルドがスッと目を鋭く細めた。


「まさか、ここを出て行くなどと言わないだろうな?」

「日が暮れるまでには発ちたいと考えております」

「国外追放の命に従う必要はない。あなたは罪など犯していないのだから」

「……わたしを、信じてくださるのですか?」

「当然だ。私の知るフランチェスカ嬢は、賢く真面目で努力を怠らない人だ。陰で涙を流しながら、人前では毅然と胸を張り微笑んでいる、気高き侯爵令嬢だ。横領や嫌がらせだなどと、卑劣で愚かしい行いをする人ではない。愚かなのはアレッシオの方だ。長年の婚約者であるあなたに、このような非道な仕打ちをしようとは……。我が甥ながら情けない」


 レオナルドが震える拳を握りしめる。


「レオナルド殿下……」


 躊躇いもなく自分を信じ、そして怒ってくれるレオナルドの言葉に、フランチェスカの胸が熱くなる。唇を震わせ、何度も瞬きをして、込み上げてくるものをどうにかこらえた。


「ありがとうございます……。ですが、ここに居座るわけにはまいりません。たとえ冤罪であろうと、わたしは王太子殿下から国外追放を命じられた身。そのわたしを匿ったとあっては、レオナルド殿下がお咎めを受けてしまいます」


 国外追放を命じたのは王太子アレッシオだが、国王代理を務める王妃殿下の追認もある。その命に背くのは、王命に背くのと同じことだ。

 それに、フランチェスカを襲うよう指示したのは王妃殿下に違いないと、フランチェスカは推測している。この用意周到さは、直情的なアレッシオには似合わない。

 王妃がレオナルドを疎ましく思っていることは周知の事実。レオナルドに非があればそれを見逃しはしないだろう。


「わたしのために殿下を難しい立場に追いやるわけには――」

「その覚悟もなしに、あなたを助けたとでも?」


 射貫くような眼差しに、フランチェスカは息をのむ。

 固まってしまったフランチェスカから目を逸らさないまま、レオナルドはフッと目元をゆるめた。


「あなたは周りに気を遣いすぎる。こんな時くらい自分本位に……もっとわがままになるべきだ」

「わがまま……」


 そう言われて、フランチェスカは戸惑う。

 五歳で王太子の婚約者に指名されてから十二年。常に王太子と王妃の顔色を窺い、家族に心配をかけないよう気を配ってきたのだ。わがままな振る舞い方など、フランチェスカには分からない。


「あなたのことは、私が必ずなんとかする。あなたは何も心配せず、ここで心と体を休めてほしい」

「ですが……」

「私では頼りにならないか?」

「そんなことは……!」


 フランチェスカは慌ててかぶりを振る。


「本当に、殿下に甘えてしまってもいいのでしょうか……?」

「もちろん。あなたが甘えてくれると、嬉しい」


 レオナルドが、宝石のような緑の目を細める。その微笑みの甘さに、フランチェスカの胸がわずかに跳ねた。


「あ、あの。では、しばらくご厄介になります……」

「うん。良い子だ」


 意を決して言うと、レオナルドの大きな手が伸びてきてフランチェスカの頭をポンポンと撫でた。

 幼い時と同じようでどこか違うその感触に、フランチェスカは胸が温かくなるのを感じたのだった。


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