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2-3

 一年時の新人戦で優勝を収めた御園だったが、その後の成績はしばらく伸び悩んだ。


 二年時の春夏の県大会は他校の実力ある三年生の選手に負けてしまい、秋の新人戦では年下の一年生に負けた。


 御園を破った一年生は、野球部の甲子園での活躍で有名な愛斗(あいと)学園高校の選手で、(前出の小山高校の選手と同姓でややこしいが)田村と言った。


 この稿で以前書いた通り、栃木県の高校ボクシングの新人戦は学年別で試合が組まれ、一年生と二年生は別々のトーナメントに出場する。しかし田村は高校に入る前からジムでボクシングの経験があったため、特別に二年生の部のトーナメントに出場した。


 新人戦の二年生の部で優勝すると、優勝選手はその後開かれる全国選抜大会の出場候補選手となる。一方一年生の部で優勝しても、その後上位大会には参加できない。そのため一人でも多く全国選抜大会の出場者を出したかった愛斗学園高校ボクシング部は、特別措置をもらって田村選手を二年生の部のトーナメントに出場させたようだ。


 とにかく御園はこの年下の選手に負け、二年連続での新人戦優勝を逃した。


 皇木に増してプライドの塊のような御園はよほど口惜しかったのだろう、その後この田村がいるフライ級に固執するようになる。


 御園は筋肉質でフライ級にしては体格が良く、元々減量がきつそうだった。そのうえ成長期で普段の体重が増えていくから、時を経るうち更に減量が過酷になっていった。それでも御園は田村へのリベンジを諦めず、フライ級で試合に出続けた。


 田村と御園、この二人の実力は県内では突出してしまっていて、他の選手は二人との対戦を敬遠するようになり、御園の三年時、田村の二年時には栃木県大会のフライ級は参加選手が他に居なくなった。トーナメント参加者は田村と御園のみで、いきなり決勝戦、一回勝てば優勝、負けても準優勝という状態になった。


 栃木県の高校ボクシングの公式戦は年間三回しか行われない。春の関東大会予選、夏のインターハイ予選、そして秋の新人戦である。それぞれ名前の冠された上位大会の予選大会となっている(先程述べたように新人戦は二年生の部が全国選抜大会の予選を兼ねている)。このうち関東大会予選とインターハイ予選は二年生・三年生が混じって闘う大会で、関東大会予選は優勝者・準優勝者の二名が、インターハイ予選は優勝者一名が上位大会の出場者となる。


 つまり二年時の新人戦で負けた御園が田村にリベンジし、上位大会へ進めるチャンスは、三年時春の関東大会予選、夏のインターハイ予選の二回だけであった。


 三年生になった御園はたった二人しかトーナメントにいない春の関東大会予選に出場して田村と再戦し、判定で負けた。


 しかし関東大会は予選大会の上位二名までが出場権を得られるので、御園も関東大会の本選に出ることになった。


 この関東大会で、私たち小山高校ボクシング部と白鴎高校ボクシング部は同じ宿舎に泊まった。そのため私たちは、ホテルの食堂で御園たちと一緒に食事をとることになった。


 御園は大会の準決勝までをなんとか判定で辛勝したが、彼本来の実力は到底出せておらず、減量の影響が透けて見えていた。翌日の決勝戦も苦しい闘いになりそうだった。


 準決勝のあったその日の夕食のことだ。


 食堂で、御園は夕食の豪華な弁当を前にむっつり黙り込んで、そのぎらぎら光る両目で弁当を眺めていた。彼は弁当にまるで手をつけず、周囲には気まずい空気が流れた。


「減量の最後にはな、釘を食べるんだ。錆びた釘を、食べるっていうか、こうぺろぺろ舐めるんだよ。それでそこから鉄分をとる。けっこう美味いんだこれが。今度やってみろ」


 そんな空気を読んでか読まずか、白鴎の北村監督があっけらかんと御園にそう話しかけた。御園はそれを聞き流し、やがて席を立って食堂を出て行ってしまった。


「……御園さん、グレープフルーツのひと房をスプーンですくって食べて、結局食べたのそれだけですよ」


 私の隣で食事をとっていた後輩が、私にそうささやいた。御園は減量がピークに達していたようだ。


(こんな状態で、明日勝てるわけが)


 私は一度も面と向かっては話したことのない、けれども一年生の時から見知っているこのボクシング仲間を、この時ばかりはさすがに不憫に思った。


 しかしどこから底力が出たのか、御園は翌日の決勝戦を、得意の左ストレートを駆使して1ラウンドKOで勝ち切った。


「俺は半年も練習すれば全国王者になれるんだ」


 そう高校一年生のはじめに宣言した不良の少年が、およそ二年を経て関東王者になった瞬間だった。


 関東大会は五月にあり、その翌六月にはインターハイ県予選大会が開かれた。


 御園はまた苦しい減量をこなし、相変わらず田村と二人きりしか参加選手のいない栃木県予選フライ級トーナメントに出場した。


(もし御園がフライ級にこだわらず、ひとつ上のバンタム級に出場すれば、簡単に優勝して全国大会に行けるのではないか)


 いつもの県大会会場――栃木県体育館別館――で配られた大会日程表の、御園と田村だけの名前が載ったフライ級トーナメント表を見て、私は思った。


 この年の栃木県内のバンタム級には、全国レベルの飛び抜けた実力を持つ選手がいなかった。それに比べて田村は愛斗学園ボクシング部の中で最も期待されている選手だった。その田村との対戦を避け、一階級増量して減量苦から解放されれば、御園の実力なら県予選のバンタム級を制するだろうと思えたのである。


 しかし御園はそういうことをしなかった。


 大会三日目になり、階級ごとの決勝戦が次々行われた。フライ級の御園は三試合目に登場した。


 関東大会を制した勢いのままに、御園は立ち上がり田村を攻めた。積極的に距離をつめ、得意の左ストレートを何発か田村の顔面にヒットさせた。田村は多少のダメージを負ったようであった。


 1ラウンド目は明らかに御園が制した。


(いける)


 試合を観ていた私は思った。応援していた白鴎高校の部員たちが俄然盛り上がった。試合は3ラウンド制である。次の2ラウンド目さえポイントを制すれば、判定で御園が勝つだろう。


 ――しかし2ラウンド目に入ると、田村は御園の左を読むようになり、しっかりガードして被弾しなくなった。そこへきて御園の手が止まり、失速した。減量の影響が出たのだ。形勢は第1ラウンドから逆転した。田村の右が御園を捉えるようになった。御園は守勢に回った。


 3ラウンド目も2ラウンド目と同じような展開になった。


 結局御園は判定で負け、全国大会への切符を逃した。判定を待ち田村の名前がコールされ、田村の手がレフェリーによって挙げられた瞬間、御園の高校ボクシング生活が終わった。


 この試合に勝った田村はこの後出場したインターハイ本選で二年生にしてベスト8という好成績を残し、名実共に愛斗学園の中心選手になった。


(フライ級――田村との対戦に固執せず、バンタム級に挑戦していれば)


 御園はきっとインターハイに出、それなりの成績を残しただろうと私は思わずにはいられなかった。


 しかし御園はそういうことをしなかった。彼なりに、意地を通しきったのである。

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