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その年の十一月に県新人戦という私たち一年生にとって初めてになる大会が開かれた。
当時栃木県の高校ボクシングの大会は、宇都宮にある県立体育館で行われていた。会場は立派な本館の隣にある「別館」という、しみったれた建物の二階だった。
今調べてみたところその別館の広さは、14.00m×32.70m、平均的な小中学校の体育館よりよほど小さい。ここに大会のたびリングを一つ設営してその周りに応援席を並べると、それだけで会場の半分が埋まってしまう。その応援席へ選手の保護者や各学校の部のOB、下野新聞社の記者などの関係者がいっぱいに座る。そうして余った残り半分のスペースに選手やマネージャー、監督、コーチが待機する。こうなるといくら競技人口が少ない部活動の大会とはいえ、会場はけっこうな人口密度になり、入るとむっと人いきれがするのだった。この狭くむさくるしい会場に、私たちボクシングを志す栃木県内の少年たちの青春の全てが詰まっていた。
新人戦は前述の通り一年生にとっては初めての試合であり、一年生の部と二年生の部に分かれて行われる。学年ごとに体重別で全8階級のトーナメント戦が設定される。
トーナメントの人数は最も多くても8名までで、決勝まで闘ったとしても一選手当たり最大三試合までしか行われない。ボクシングという競技の試合の激しさから、各選手は一日一試合しか闘わないのだ。それを一回戦、準決勝、決勝と三日間連続で行っていく。運営上の様々な都合で三日以上の大会の日程が組みづらいため、このような大会スケジュールになっていたのではないかと思われる。
一つの階級で9名以上の選手が出場することもまれにあるが、その場合はトーナメントを二つに割る。つまり「一年生の部 フライ級A」「同 フライ級B」というように二つのトーナメントを作るわけで、この場合一つの階級で二名の優勝者が出ることになる。
後でこの稿で触れることになるが、栃木県の高校ボクシングの他の大会も、新人戦と同じように8名までのトーナメント戦で行われる。他の大会は一階級に9名以上の出場希望者が出た場合、事前に各高校で選抜が行われ、8名以下に数を調整してトーナメント戦が開かれる。
とにかく皇木はこの新人戦で、一年生の部バンタム級に出場した。