4-3
その異変は、試合時間残り三十秒のコールが白鴎高校と愛斗学園双方の選手団からされた直後に起こった。
皇木がガードを下げ、頭を左右に振って延々とウィービングしはじめたのである。
何かの作戦か、とはじめ私は思ったが、そのウィービングが三秒、五秒と続くうち、それが単なる挑発であることを理解した。
(何やってんだあいつ)
私は思った。皇木は完全にガードを下ろし、いったん頭を下げたのち横に移動させ、Uの字を描くように左に頭を振る。次は右にUの字。ただそれを繰り返すのだった。
焦れた岩崎がパンチを放った。
にゅるんっ
皇木はあざ笑うかのように素早くステップを踏んでその攻撃をかわした。
皇木が反撃に出るか、と思われた次の瞬間、皇木は再びガードを下げてウィービングをはじめ、ダンスを踊るように挑発を再開した。
また、岩崎が攻める。
にゅるんっ
皇木は簡単にそれをかわす。そうしてまた挑発……。
リング上の意外な展開に、観客はざわざわざわめきはじめた。愛斗学園応援席から、怒りを含んだヤジが二、三飛んだ。
試合後皇木になぜあんなことをしたのか、私は聞いた。すると彼は、
「勝ったと思ったから」
と言った。
「あの時点で、勝っていると思った」
と。
しかしリングの外で試合を観ていた私の感覚は違った。確かに試合はやや皇木の優勢だった。だが――
(愛斗判定があるぞ! 皇木、攻めなきゃだめだ)
私にはそう思えた。実際私は大声で、
「皇木! 攻めろ! 手ぇ出せ!」
と怒鳴った。
だが、結局皇木はこの残り三十秒間、一発のパンチも出さずにリング上を逃げ続けた。しかし(それはそれですごいと思うのだが)岩崎のパンチも一発もこの間皇木には当たらなかった。
試合が終わった。両者いったん自陣コーナーに戻り、やがてレフェリーに命じられてリング中央に戻った。リング正面を向き、レフェリーを真ん中に手を繋いで並んで、判定を待った。判定のアナウンスが試合会場に響く。
「ただいまの試合は、二対一で、愛斗学園高校岩崎君の判定勝ちでした」
ワッと愛斗学園の応援席が沸いた。岩崎の手がレフェリーによって挙げられた。
私はリング向こう正面から観戦していたから、この時皇木の後姿が見えた。彼はぼんやり立って、わずかに肩で息をしていた。黒地のユニフォームの肩の辺りに「白鴎足利」という白い文字が抜かれていた。
もちろん皇木の表情は見えなかった。