4-1
冬が終わり春が訪れて、私や皇木は高校三年生になった。進級してほどなく、五月に関東大会県予選が開かれた。皇木が残りの高校生活で出場できる県大会は、この関東予選と六月のインターハイ予選だけとなっていた。
皇木は危なげなく一回戦を判定で勝ち、準決勝に駒を進めた。準決勝の相手は半年前に敗れた岩崎だった。
(運が無い)
皇木の準決勝の相手が岩崎だと知って、私は思った。
既に書いた通り関東大会の本選へは、県予選の各階級の決勝戦に進めば出場できる。しかしここで岩崎に負けてしまえば、本選には出られない。岩崎ではなく他の選手と準決勝で当たれば、皇木はまず間違いなく順当に勝ち、本選への出場権を得ただろう。そういう大切な試合でその階級の優勝候補筆頭と当たってしまうところに、私は皇木のどうしようもない運の悪さを感じた。
この試合の前、試合会場で皇木は私を捕まえてきた。
「渡辺、ミットを受けてくれないか」
珍しくそんなことを言ってきたので、私は付き合うことにした。
両手にミットを持ち、いつもそうしているようにジャブから受けた。
皇木は軽やかにステップを踏んで右ジャブを放った。
一発ジャブを試したところで皇木は動きを止めた。
「今日、調子が悪い」
白い顔をして言った。
「え?」
「その日の調子はミットでジャブを受けてもらえばだいたい分かる。ジャブの感覚が悪い」
そう言いながら皇木は再び構えて、もう一発ジャブを私のミットに放った。
「ほら。キレが無い。調子が悪い」
そんなことを言った。私はどう答えてやればいいか逡巡した。今でもこの時の彼のジャブをよく覚えているのだが――踏み込みの鋭さも、打った後のステップバックの位置も、パンチのミットへのタッチも、全て素晴らしく、レベルが高かった。どこが調子が悪いのか、私にはレベルが高すぎて分からなかった。
調子が悪いなんてそんなことは無い、良いパンチだとこの時励ましてやったかどうか、私は覚えていない。いずれにせよこの後一通り彼のパンチを受けた。その後で、
(終わったな)
と思った。試合前からそんな弱気な気持ちを持ってしまったボクサーが、格下ならまだしも実力が拮抗している相手との試合に、勝てるわけが無い。
事実、皇木は終始試合をやや劣勢に進めて、判定で岩崎に負けた。
皇木に残された県大会は、次月のインターハイ予選だけとなった。ここで優勝できなければ、彼の高校ボクシング生活は終わりである。