3-2
二〇〇三年の栃木県高校ボクシング新人戦、バンタム級二年生の部一回戦だった。皇木は前年度この一つ上のフェザー級の一年生の部を制した、愛斗学園の選手と対戦した。
試合開始直後、相手選手は0勝3敗という成績を残している皇木に対してまるで警戒感を持っていなかった。自信満々で距離をつめていき、なんの迷いも無くワンツーを放った。すると皇木は、
にゅるんっ
という効果音が聞こえてきそうな感じで素早く膝を曲げ、頭を下げてウィービングし、パンチを避けた。そのまま頭をずらした方向に一歩ステップし、相手の横に回りこんだ。
すぐに相手選手が皇木を追いかけてき、再びワンツーを打ってきた。
――にゅるんっ
皇木は今度は先ほどと逆方向にウィービングし、綺麗にパンチを外し、かつサイドステップを踏んでまた横に回りこんだ。
その後も同じような攻防が二、三度繰り返され、その全ての攻撃を外された対戦相手は明らかに困惑した。困惑して、リング中央で足と手を止めた。
それが皇木の待っていた瞬間だった。
皇木の鋭いコンビネーションブローが相手の顔面を襲った。相手はそれをもろにもらった。しかしパンチ力はそれほど無く倒れるほどではない。相手は慌ててパンチを返した。
にゅるんっ
皇木は再び頭を下げてパンチをかわした。
皇木の動きは――こういう場合格闘技を題材にした小説ではよく「闘牛の突進をかわす闘牛士のように、ひらりひらりと」とでも表現するのだろうが、観ていた私の印象ではそれは当たらない。海中をゆらゆらただよっているタコやイカが、捕食者に遭遇して攻撃を受けた瞬間、ぴゅっと墨を吐きながら多数ある脚を一気にうごめかして一瞬で移動して攻撃を避ける、そんな動きを想起させるものだった。
皇木の動きはどこまでも柔らかく滑らかで、それからも「にゅるん、にゅるん」と体を動かしては相手のパンチを空振りさせた。そして相手に隙ができるやいなや、コンビネーションブローを返していく。
結局この試合、皇木はほとんど攻撃をもらわず、一方的にパンチを当てて前年度の王者との闘いを終えた。
判定は皇木のものになった。
皇木は次の準決勝も愛斗学園の実力ある選手と闘い、攻撃を完封して判定で勝った。
私が彼の試合やスパーリングを見なかった五ヶ月間に何があったか知らないが、皇木のファイトスタイルは一新され、大きく進化していた。極端にディフェンシブな闘い方のそれは「顎が弱いなら、一発もパンチをもらわなければいい」とでもいうような、また「パンチ力が無いなら無理して打ち合わず、判定で勝てばいい」とでもいうような、皇木の弱点を完璧に補うものだった。そして皇木が元々持っていたスピードと反射神経、相手の攻撃をかわす勘の良さを十分に活かしたものでもあった。
皇木は決勝に進んだ。誰の目にも一年前に42秒で負け、0勝3敗という成績を残していた、あの皇木とはもう別のボクサーだった。
この大会を通じて、彼は自身のプライドを保ったと言っていい。攻撃的な御園のそれとは全く違う自分なりのファイトスタイルを確立し、それを活かすことで意地を貫いたのである。
皇木の決勝の相手は、愛斗学園高校のこの階級のエース格である岩崎という選手に決まった。