彼女の心を開くパスワード
「見ろよ、彩子。見たことないスーパーがあるぞ」
楽しく弾むような声を作って、私は後部座席に向かって声をかけた。
娘の千早と並んで座っている妻が、しょうがなさそうに私の視線の先を見て、すぐに鬼のような顔に戻り、「スーパーなんてどこも一緒よ」と吐き捨てた。
誰もいない助手席を冷たく感じながら、私は車を走らせ続けた。妻はずっと私とは会話しない。四歳の娘だけが比較的賑やかで、初めて訪れた町にお馴染みのキャラの看板を見つけるとはしゃいだ声を出した。
育児で疲れきった妻に気分転換してもらおうと、ちょっと遠くのおおきな町までドライブに来たが、妻はずっと不機嫌なままだ。
「ママ、お洗濯とか片付けとか色々することあったのになぁー」
妻が娘に言うのが聞こえた。
「こんなことしてる場合じゃないのにねー、パパが無理やり連れてきたんだよー。迷惑よねー」
雅之さんが私の気分転換にとドライブに連れ出してくれたのはわかっていた。
でも楽しい気分になんてなれない。彼はわかってるのかな。私は子育てに、家庭を守ることに、地域の付き合いにと、とても忙しいのだということを。
彼への愛も冷めかけている。
以前は同じことをして楽しいと感じていた。今は同じことをしても楽しくない。反発心のようなものが、どうしても頭をもたげてしまう。
浮気して、新しい恋人でも作っちゃおうかな。でも二人で築いた家庭は大事にしたい。娘の真奈のためにもいいお母さんでいたい。夫の雅之さんのためにも……
いっそ彼が浮気してくれたら……。やだやだ! 彼は私の伴侶なんだから!
ぜんぶ彼が悪いのよ! 私の大変さをわかってくれない彼が……。ううんわかってる。私も悪い。
楽しい気分になりたいよ。でもどうしたらいい? 思えば思うほどイライラしてしまう。
そんなことを考えていると、彼が「あ」と言った。
「あの店、覚えてるだろ? ほら、他の町で入った」
「覚えてない」
「前のスマホに写真入ってたよ。外部ストレージに保存してあるから見てみて?」
彼のスマホを受け取り、聞いた。
「これパスワードいるよ」
「1205」
パスワードって忘れるのが普通だと思ってた。
その数字を聞いて、思い出した。
それは二人が初めてキスを交わした記念日。
あの頃の楽しい気持ちが一瞬で蘇った。
「思い出した! あそこ、とっても楽しかったね。寄ってみる?」
「よーし、寄ってみよう」
二人の空気に少し怖がるような顔をしていた娘も笑顔になり、笑い声をあげた。