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まぎれもなく、恋。

 スマホを開き、アプリを一つ起動する。マイページにある、唯一フォローしているアイコンをタップした。格好いいイラストが描かれてある。


 BGMだけが流れる時間が1分と24秒。


「…ん、あ、あ、こんばんは~お待たせしました!タツヤです!生放送はじめていきますね!」


 聞き慣れた低い声が耳に入る。それだけで木村真奈美の心は嬉しそうな音を立てた。

「今日もぼちぼちやっていくんで、良かったら聞いていってください。面白かったら高評価とお気に入り登録もしてね」


 茶目っ気のあふれた言い方に、真奈美は無意識に首を縦に振った。


◇◇◇


 真奈美の生活は決して悪くはなかった。


 全従業者数150人くらいの大手ではないが、小さくはない会社に勤め、同僚との仲も良く、時々発生する残業以外は基本定時で帰られる職場環境。


 一人で生活して行くには十分なお給料ももらっていた。


 何でも話せる友達が2人。多くはないがそれで満足だった。


 真奈美はあと数か月で32歳の誕生日を迎える。結婚はしていないし、恋人もいない。


 けれど、自分で部屋を借り、規則正しい生活を送っていた。税金もきちんと払い、社会人のつとめを果たしている。


 時々泊まりに来る5歳の可愛い姪っ子もいて、母親の気分も味わえていた。大人としてちゃんと生活している。そんな生活は満足のいくものである。


 たけど、時々思うのだ。


 何かが足りない、と。


 楽しくないわけじゃない。でも、毎日あふれんばかりの笑顔でいられるかと言えば決してそうではなかった。


 もし今の現状を音楽で例えるのなら、ドドドドド――――。


 綺麗だが、ずっと同じ音が続いている、そんな感じ。 


 本音を言って許されるのならば、レもファもラもシも聞きたい。けれど決まって聞こえるのはドだけ。


 音が聞こえないより、不協和音よりいいのはわかっている。


 つらくない。苦しくない。幸せだ。でも、なんかさみしい。


 30歳をいくつか超えた今、余計にそう感じてしまっている。


 だからこそ、真奈美はスマホを開き、いつものアプリをタップする。


 そこに彼がいるから。


◇◇◇


 それは意図していない出会いだった。


 二年近く前、たまたま見た動画で彼を見た。といってもゲーム実況者だから見たのは、彼がプレイしているゲーム画面だったけれども。


 タツヤと名乗る彼は、年齢も出身地も非公表で、顔出しもしていない。


 それでも登録者は26万人を超る手前だ。登録者数が1万を超えることすら一握りと言われる世界。皆が皆知っているわけではないが、それでもその世界では彼は有名人だった。


 低く耳障りの良い声に、優しい口調。それが、魅力的だった。


 普段はクールなのに、時々子どものように甘えるようなことを言う。


 格好良くて、可愛くて。目が離せなかった。気づいた時には真奈美は、過去の動画を全て見終えていた。


 動画投稿がメインだが一週間に数回程度、生配信も行う。


 雑談の時もあれば、ゲーム配信の時もあり、友達の実況者とわいわい、がやがや遊ぶときもある。


 クールな感じを決めている彼が、友達と配信するときは末っ子のような振る舞いになるのが一番好きだった。


 配信者なんて他にいくらでもいる。もっと有名で皆が知っている人もいる。


 それでも真奈美は彼だけを追った。


 彼の何がそんなにいいのか、言語化するのは難しかった。


 それでも真奈美は落ちた。おそらく落ちたという言葉が一番ぴったりだと思う。


◇◇◇


 彼の動画が更新されれば、幸せになり、彼の生放送を見られれば幸せになった。


 自分の存在を知って欲しくて、彼を少しでもいいから支えたくて、生放送では定期的に投げ銭をした。


 名前を呼んでもらえるそれが泣きたくなるくらい嬉しいのだ。


 高い金額を贈ればそれだけ気づいてもらえる。自分の生活と相談しながら、できる限り彼に投げ銭をした。


 幸いにも服にも靴にもお金をかけない30代の真奈美にとって、彼への投げ銭は無理のあるものではなかった。


 『推し活の必要経費』『リアルイベントでの移動費のようなもの』

 

 そう考えれば一つも苦ではなかった。


 昨日までは。


◆◆◆

 

 真奈美はふと、自分の部屋を見渡した。


 部屋の隅に転がっているドライヤーも電気ケトルも、食器洗浄機も彼がおすすめしていたものだ。


 部屋の一角には彼が出したグッズを飾るスペースを設けてある。


 アクリルスタンドにバックに、Tシャツ。クッションはベッドの上に鎮座していた。

 

 彼と同じものを持ち、彼のグッズを購入した。少しでも彼を感じたくて。

 

「真奈美、どうしたの?また推しの話?」


 急に電話をかけたにもかかわらず、友人である瀬尾さやかは聞く姿勢を持って出てくれた。


 推し自慢を誰かにしたくなるとき、いつもさやかに電話する。そんな真奈美に慣れたのもあるのだろう。


「…うん」


「何?どうしたの?」


 いつもなら早口でタケルについて話し出す真奈美の声色が低いことに気がついたのだろう。さやかはそう尋ねた。


「…タケルさんに彼女がいるっぽい」


「え?」


 それは昨日の配信でのこと。配信していたゲームを終了し、最後少しだけ雑談の時間を設けられ、視聴者の質問にタケルがいくつか応えていた時だった。


「えっと…香水は付けますか?」


「つけるよー!でも、あんまり詳しくないんだよね。ちょっと、待って。…今、うちにあるのは…」


 そう言って読み上げた香水は、男性が好んで付けるものではなかった。一人暮らしであると公言しているタケルの部屋に、女性ものの香水がある。


 それが何を指しているのかは想像に難くない。


「えっと、真奈美って、ガチ恋勢だった?」


 ガチ恋勢とは、芸能人や配信者に対してファンという気持ちではなく、恋愛感情を持っている人を指す言葉だ。


 さやかがそう首を傾げるのも無理はない。なぜなら、真奈美は今までいわゆるガチ鯉勢の人たちをどこか見下していたからだ。


『会ったこともない人にどうしてそこまで本気になれるのかわからない』


 いつだったか、真奈美が言った言葉だ。


 けれど、タケルに恋人がいると知って落ち込む真奈美の姿は恋している姿そのものだった。


 だからこそ、タケルに恋人がいると気づいた時、余計に傷ついた。


 傷ついている自分に傷ついたから。


「…」


 黙ってしまった真奈美にさやかは状況を察する。


「大丈夫?」


「…うん」


 優しいトーンにどこか泣きそうになった。


 タケルの言葉の節々から、彼女の存在をなんとなくは感じていた。


 胸の苦しみは感じていたが、そのときは泣きたくなるほどではなかった。


 けれど、昨日の生配信で女性用の香水が家にあると言ったこと。それで決定的となった恋人の存在。


 そしてもう一つ傷つく出来事が起こった、真奈美は見つけてしまったのだ。タケルの裏アカを。


「裏アカ?それってタケルのやつなの?」


「うん、間違いないと思う」


 さやかの言葉に真奈美は頷いた。


 真奈美は活動歴8年目のタケルファンとしては新参者であったが、食い入るように彼のことを見ている。


 言葉の癖も言い回しも知っていた。そして、決定的だったのは、かすかに映った手の甲にある傷。


 それが、裏アカがタケルのものだと証明していた。間違えるはずなどないとの自信が真奈美にはあった、


「…裏アカに、ガチ恋勢、きもいって書いてあったんだよね」

 

 どこか自嘲的な口調。あまりの声のトーンにさやかはなんと言えばいいかわからなかった。黙ったのは今度はさやか方。


『マジでガチ恋とかきもいよな。何も知らないくせに、好きとか言ってんじゃねぇよwww』


 生放送で悪意のあるコメントに対して、タケルは言い返してしまうところがあった。


 言わなければいいのにと思う言葉を口に出してしまうのはタケルのいいところでもあり、悪いところでもある。


 けれど、そこに彼の心の弱さを感じて、真奈美はだからこそ彼に惹かれた。


◇◇◇


「…なんか、バカみたいだよね」


 いくらかの沈黙のあと、真奈美は自嘲的にそう言った。


「まあ、そうだね」


 さやかは偽らずそう伝えた。その言葉に真奈美は「あはは」と乾いた笑いを浮かべる。


「だよね」


「前はそんな風に言ってなかったのに、どうしてそうなったの?」


 さやかの言葉に真奈美は思考を巡らせた。


 はじめてタケルにはまったとき、真奈美の状況は最悪だった。


 初めて任された仕事。それなのに、上司とも後輩ともうまくいかない。陰口が聞こえてきて、誰も頼ることもできなかった。


 心も体もズタボロだった。


 そんな真奈美が見つけたのがタケルだ。

 

 アプリを開けば、必ず彼がいて、いつも笑ってた。目の前に映る世界が明るくなった。


 優しい気持ちがあふれたら、人に優しくすることも出来、職場の人間関係も徐々に改善していった。

 

 タケルの存在がすべてをうまくしてくれたそんな気がした。


 タケルを見ると幸せになった。それだけで十分だった。


「…わかんない。気づいたら、かな」


 小さく笑いながら言う。本気で彼に恋をしている。それに一番驚いているのは真奈美なのだ。


 知らぬ間に真奈美の世界はタケル一色に染まっていた。


 彼のいいと言ったものを求め、彼に関連するもので世界が埋め尽くされた。


「そっか」


「うん」


 でも、それだけ思っても、彼女がいることを知って泣きたくなるくらい悲しんでも、それを伝えることすらできない。


 だって彼にとって真奈美は視聴者といういだけの存在だから。個人ですらない。視聴者数の1という数字、ただそれだけ。


「まあ、いんじゃない。それでも」


「え?」


「配信者に本気で惚れて、何が悪いの?」


「…」


 さやかの思いがけない言葉に真奈美の反応は止まった。けれど、それに構わずさやかは言葉を続ける。


「それだけ、落ち込むくらい好きになれるものがある方が絶対人生楽しいと思うけどな。私、好きな人いなくて久しいし、推しもいないし、正直羨ましいよ」

 

それは慰める口調ではなかった。思ったことをそのまま言葉にしたようなそんな声色。


「でも、気持ち悪いって…」


「別に良くない?片思いなんて、そんなものでしょ?…それに、タケルを好きで誰かに迷惑かけたの?」


「…かけてないよ」


「ならいいじゃん」


「…」


「まあ、でも、本気で好きだとしても、真奈美の世界のすべてをタケルで埋め尽くす必要はないと思うけどね」


 それはきっと家に遊びに来るたびタケル関連のものが増えている今の状況についての苦言なのだろう。


 優しいなと思う。気持ちを受け止めてくれることも、きとんと注意してくれることも。


こんな優しい友達が傍にいる。それだけで十分だった。


「確かにね」


「うん。誰を好きでいてもいいけど、盲信は違うと思うよ」


「…そうだね」


「飽きるまで好きでいればいいよ。でもさ、そこには真奈美の意志が絶対に必要だと思うんだ」


「うん」


「タケルの意見を参考にするのはいいと思う。でも、それに従うのは違うと思うよ。全部、真奈美が決めるの。どうしたいのか、何がほしいのか」


「…うん」


「タケルがガチ恋を好きじゃなくても、それはガチに恋しない理由にはならないよ」


 さやかの言葉に、そうだ、と真奈美は思う。


 誰を好きでもいい。


 誰を推してもいい。


 それがどんな気持ちでも、本気だとしても構わないと思う。永遠に会えない人だとしても。


 けれど、自分の人生を生きなければいけないのだ。


 彼が好きだと言っていたから選んだ香水ではなくて、彼がもっているドライヤーではなくて、自分が良くて自分が選んだもので部屋を埋めよう。


 そうして初めて、「盲信」じゃなくて「好き」になるのだろうと思う。


「私は…私が好きだって言いたい」


「…うん」


 あと少しで32歳。


 夫も子どもも彼氏もいない。


 でも、それでもいいと思う。誰かに愛されなくてもいい。


 けれど、と真奈美は思う。


 私は私をこの世界で一番に愛したい、と。


「さやか」


「何?」


「ありがとう」


「うん」


「大好き」


「知ってる」


 そう小さく笑ってさやかは電話を切った。


 真奈美は握ったままのスマートホンを操作する。


 一つ呼吸をして、アプリを開いた。


 キラキラ輝く彼を見る。彼ではなくアイコンだけど。


 楽しそうに笑う彼がそこにいた。生放送はしてないくても動画やアーカイブがいつも残っている。いつだって、彼はそこにいるのだ。


 インターネットを通じて、同じ世界にいる。彼と同じ時間を共有している。


 やっぱりそれだけで幸せだと思った。


 きっと会うことも触れることもできない。


 それでも好きだと思う。


 それを自分で選んだのだから、彼がどう考えていようが、それは関係なかった。


◇◇◇

 

 真奈美は一つ大きく息を吸い、吐き出した。胸を張る。


 推しでも好きでも嫌いでもなんだっていい。


 それは決めるのは自分なんだから。


 そこに痛みが伴っても構わなかった。


 自分で選んだのなら思うとおりにすればいい。途中でやめたって構わない。


 だってそれが真奈美の人生なのだから。だから何をしたっていい。

 

 だからこそ、真奈美は言える。


 これは、まぎれもなく、恋だと。




 


読んでいただき、ありがとうございました。

楽しかった!!

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― 新着の感想 ―
[一言] なんと言うか……分かる気がします。 私も真奈美ちゃんほどではないけれど推しのゲーム実況者さんがいるので、結婚したと報告があってテンション下がった覚えが(笑 アイドルでも実況者でも公で活躍して…
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