乗り越えるべきもの
デンファレの意識はどこかに浮いていた。彼女は自分がどこにいるとか、どうなっているとか、そう言うのは気にならなかった。何より、記憶の途切れたところから、時間が止まっているような感覚。彼女が思い出せる最後の記憶は森の中で剣をいやいや振っていたところだ。しかし、今の彼女にはそれすらもどうでもよかった。この場所にいれば、もう怖い思いはしなくてもいいのかもしれない。彼女はそんなことを思いながら、どこかで漂っていた。
「思ったより、頑張ったじゃん。ま、ここで終わりみたいだけど」
その文字列が意識の中に聞こえた。声の判断はできない。だから、誰が言ったのかわからない。ヴィクターなのか、トールなのか、もしかすると、自分のものかもしれない。しかし、妙にその言葉が気になる。彼女は自分が頑張っていたのかはわからない。ただ、目の前のことに首を突っ込んで何とかやってきただけだ。いつか躓くかもしれない。そんな思いが頭の片隅にあるのを無視して、やってきた。それだけだ。それに一人じゃ何にもできない。ヴィクターがいなければ、退屈なまま、消滅を待っていただろう。トールがいなければ、地上でもすぐに死んでいたはずだ。ここまでの道のりでは、彼に頼りっきりだった。一人でできたことは、あるのだろうか。
それなら、ここでくじけていいのだろうか。ここまで人に助けられて、ここで勝手に終わっていいのだろうか。これからも迷惑はかけるだろう。助けてもらわないと、戦えない。だとしても、ここで一人で諦めるのは、間違っている。少なくとも、トールやヴィクターが終わってもいいと許してくれるまで、諦めてはいけない。
でも、きっと外は怖いことばかりだ。不鮮明で不安なこれから。それでも、誓ったことくらいは守りたい。恐怖に負けても、不安にくじけても、彼らが許してくれるまで、正面を見て進まなければいけないだろう。それが助けてもらったことへの、恩返しをするスタートラインだ。
「それなら、今、超えるべき恐怖があるはずよね」
きっと、それは自分の言葉だ。彼女は体も認識できないままでも、体に力を入れる。浮遊しているだけの彼女の意志に何かが集まっていく。彼女の意志に触れるそれは冷たいものだ。しかし、彼女の意志に触れて混ざり合えば、それは彼女の意志と同じくらいに温かくなっていく。そして、それは彼女の意志を大きくして、彼女の体を形作る。
オブストはデンファレの剣を受け止め続けていた。しかし、その剣が急に止まった。
「悪かったわね。まさか、勝手に体が動くとは思わなかったわ」
「やっとか。それじゃ、稽古つけてやる」
剣を地面に突き刺して、腕を組む。その瞳には意志の光が宿っていた。オブストはそれを見て、恐怖を超えたことを悟った。だからこそ、彼はこれから稽古の本番だと考えていた。
「デンファレ。大丈夫ですか」
デンファレとオブストの間に、トールが入り込んだ。トールはオブストをじっと見つめていた。そこには敵意が含まれていることがオブストには理解できた。そして、トールが三百年やってきた格闘術をもってしても敵わない相手だということも理解できた。だから、オブストは両手を上げた。
「戦う気はない」
「どうでしょうかね。デンファレと戦っていたようですが?」
「そんな心配しなさんな。ちょっと稽古つけてやっただけだっての」
「手を出したことには変わりないようですが?」
「ちょ、ちょっと、トール。大丈夫だから。大丈夫」
トールが珍しく白熱しそうな様子を見て、デンファレが彼の前まで行って、両手で彼を押し留める。トールは訝し気な表情をしていたが、本人が大丈夫と言っているため、それ以上は何も言わなかった。
「そいつが、あんたをここまで連れてきたのか。なるほどな」
オブストはトールであれば、強力な魔獣と戦えるほどの力を持たない彼女をここまで連れてくるのも難しいことではないだろうと思った。彼はトールへと向き直り、挨拶した。
「俺はオブスト。ここら辺で警備の仕事を任されてる」
「そうですか。私はトール。彼女の旅の付き添いです」
トールは先ほどまでの訝しんだ表情を引っ込めていつもの真顔で彼の挨拶に答えた。オブストが出した右手を見て、その手を握る。握手するだけで、オブストがかなりの手練れだと理解できた。そして、それはオブストも同じだ。
「トールには稽古をつけてほしいくらいだな。相当強いと見た」
「私が稽古をつけるほど弱くないでしょう」
デンファレから見れば、いきなり仲良くなっているような雰囲気を感じた。おいて枯れたような気分になり、二人が握手しているその手を包むように手を重ねた。彼女は二人に微笑んだ。男二人は特に、彼女に掛ける言葉も無く、握手した手を離した。
「エルフの国に行くんだったら、案内するぜ」
そう言って彼は歩き出した。トールとデンファレはそのあとに付いて行った。




