あまりに無力
トールが斧の二刀流に思ったよりも苦戦を強いられているときに、女の盗賊はトールの後ろでずっと、今までの戦いを見ていた人を見つけた。女はこの戦いが始まった時のことを思い出した。盗賊だからか、人間を殺したことが無いのかはわからないが、とにかく人には攻撃できないらしいのだ。女は嫌らしく笑う。悪巧みを思いついたというような酷い笑い顔。女はデンファレへとゆっくりと近づいていく。
トールは盗賊の女の行動に気が付き、それを止めたい。しかし、彼が女を止めようとしても、すぐに男が回り込んで、行く手を阻む。自分一人なら、どうとでもなる相手。しかし、デンファレを狙われるとなると話は変わってくる。彼女は人間と戦う訓練はしていない。いきなり、知恵のある者と戦うのは難しいだろう。ましてや、悪人でも彼女は自身の剣で斬りつけるのは無理だろう。トールはこの世界に来て、初めて危機感を覚えて、焦った。
今まで戦いを遠くから見てたデンファレは、自分に近づてい来る人に気が付いた。鞭を持っている女の盗賊だと気が付くと、剣の柄に手を掛けた。しかし、それ以上剣を抜くことはできない。まるで、何かに抑えられているかのように、手がそれ以上動かないのだ。剣から手を離せば、手は動く。剣だけが動かない。
(まずい。まずい。まずい。剣、剣が抜けない)
デンファレは焦るだけで剣を抜くことが出来ない。女はゆっくりと近づいてきている。近づく度に焦りが募っていく。しかし、剣は抜けない。魔法を使えばいいという頭もあるが、魔法は当てた瞬間に死ぬ可能性もある。魔法の手加減は難しい。相手の体にどれくらいの魔気が残っているのかわからないのだ。
トールに頼ることはできない。声の届く場所にいるが、彼も戦っているのだ。今回も自分で何とかしないといけない。
「う、ぐっ」
こんな時に何もできない自分が情けなくて、涙が出てきた。世界を救うどころか、トールがいないと無力だ。子供二人も守れない。世界がこんなになるまでにあんなに時間があったのに、無駄にしなければよかったと後悔してももう意味がない。
(いや、まだ、何もできないわけじゃない)
彼女は剣の握りから手を離した。確かに剣術を教わって、いくらか使える剣で戦うのに慣れていた。しかし、今、剣を使うことはできない。
(それなら、剣なんていらない)
彼女は両手の拳を握りしめ、手の甲を相手に向け、ファイティングポーズをとる。トールとは違い、戦う気をひしひしと感じる構えだが、手は震え、足は内側に向いてしまっている。怯えているのが、見え見えだ。
女が目の前に来る。女の鞭の攻撃範囲にはいるだろう。デンファレはそれも理解していない。相手が怖い。武器が無いことが、恐怖への抵抗を奪っている。それでも、己の拳を構えることで何とか抵抗していた。
「そんなに怯えて、戦えるのかい?」
デンファレを馬鹿にしたような笑みで、女はデンファレを見ている。そして、彼女を驚かそうとする目的だけで、鞭を何度も宙で鳴らす。その度に、デンファレが肩をびくつかせる。その反応が彼女の加虐心を呷り、鞭を続けて鳴らし続けていた。
「おい。体にあんまり傷付けんなよっ! あとでヤるんだからよ。綺麗な体じゃないと萎えるだろ」
女の後ろから、男がそんなことを叫んでいる。女はわかってるよと返していたが、本当にそれを理解しているのかはわからない。
女がデンファレの反応を楽しんでいるとき、彼女はかなり追いつめられていた。何もできない。負ければ犯されるかもしれない。それより先に女に殺されるかもしれない。子供たちは守れない。トールに頼らないと何もできない。このまま、怯えているしかない。彼女の心は既にボロボロだ。この短い間に、自身が駄目な女神であることが突き付けられた。少しは鍛錬してればこんなことにはならなかったかもしれない。信仰が無くなる前に、この世界の異変に気付けていれば、皆幸せに暮らせていたかもしれない。悪がここまでのさばることもなかったかもしれない。
(この世界が、悪くなったのは、私のせい)
彼女の心は暗闇に、その目はもはや、目の前の光景を映していない。漠然と、絶望と言うものを感じていた。この度を始めたときに感じた者よりも深く、暗いものだ。
「デンファレ。戦いなさい。なんでもいいですから、抗いなさい」
トールの声は彼女の耳には入っている。しかし、それは彼女を元気づけたり、行動させる力は無かった。
「どうせ」
「何? 最後に命乞い? それとも遺言でも残す?」
「どうせ。同じ、かしら。なら、私がやったって」
光の無い目で、真っ直ぐに女盗賊を見つめた。あまりに深い黒さを見た女は、一瞬、気圧される。デンファレは抜けなかったはずの、剣の握りに手を掛けた。そして、ゆっくりとその剣を抜いた。それはあまりに簡単に、鞘から抜け、その剣身を見せた。彼女はいつものように剣を構えていない。剣先は地面に向いていた。トールが拳を使うときにしていたような、構えの無い構えと言ったようなものでもない。
ただ、彼女は地縛霊のように、立ち尽くしているような風で、そこにいるだけだ。




