09/折角だもの、悪魔にならなきゃ、勿体ないわ
「…………あれ、コハク君?」
駅で電車を待っていると、横から聞き覚えのある声が聞こえた。
「……ミウさん?」
見覚えのあるアンドロイド用のメイド服は、こんな田舎の駅舎にはどこか不釣り合いに見える。他の利用客がいれば悪目立ちしそうだが、真夜中の無人駅には僕とミウさん以外、人っ子一人いなかった。
「こんばんは。良い夜だね。でもこんな夜更けに、これからお出かけ?」
「え、あ、うん……」
「そうなんだ。あなたは、どこに行くつもりなの?」
「えっと…………、あ、あれ?」
ミウさんに尋ねられて気づく。そういえば、こんな時間に僕は一体、どこに行くつもりだったんだろうか。全くと言っていいほど、行き先について僕は思い出すことができなかった。何で僕は、こんなところにいるんだ?
「やっぱりまだ、わからないんだね。まあいいや。詳しい話は、電車に乗ってからだね」
「電車……?」
ふと見るといつの間にか、ホームには真っ黒な電車が停まっていた。急に目の前に現れた電車の窓から漏れる明かりに、僕は反射的に目を逸らす。
「……中で、久野さんも待ってるよ?」
「久野が……? あ、待って!」
ミウさんを追って、僕は一番近くの眩い車両に乗り込んだ。中にいたのは、白いワンピースを着た久野一人だけだった。奥に見える隣の車両にも、反対側の車両にも、他の乗客は誰一人乗っていないように見えた。
「久野さん、連れてきたよ」
ミウさんが久野に、親しげに話しかけている。でもそれが本物の久野でないことは、一目見ただけで分かった。
「……いや」
久野がワンピースを着ているところを、僕は今まで見たことが無い。というかこの白いワンピース、僕には心当たりがあった。するとミウさんが振り返って、こてんと首を傾げた。
「……コハク君?」
「あなたは、久野じゃないですよね?」
「…………」
「………………お前、誰だ?」
肩をすくめた久野の身体が、みるみるうちに縮んでいく。
「……」
「さすがはお兄ちゃん。どうしてわかったのかしら?」
そして目の前で僕をじっと見上げている久野は、白いワンピースを着たコクノの姿になっていた。
「久野はそういう格好しないんだ。それにその服、前会った時に着てたやつでしょ?」
「ええ、私のお気に入りなの!」
コクノはワンピースの裾を翻し、その場でクルリと回った。
「ということは、こっちのミウさんも……」
すると隣の車両から、学校の制服を着たもう一人のミウさんが飛び込んできた。
「いた! やっと見つけた……コハク君、と…………え、私?」
「ミウさんが、二人……?」
二人のミウさんが、向かい合った。
「あら、こんばんは。もう来たんだ」
制服を着た方のミウさんが身構えると、コクノはメイド服を着た方のミウさんに右手をかざした。するとそのメイド服は白いワンピースに変形し、メイド服を着ていたミウさんの身体はコクノの姿に変化した。
「ミウさん、じゃなくて、コクノが二人……?」
二人のコクノは横に並んで、近くの座席に座った。いつの間にか僕とミウさんも、二人のコクノが座っている席の向かい側の席に座っていた。電車はまだ、動き出す様子はない。
「ミウお姉ちゃんが、お兄ちゃんの夢に入りたそうにしてたから。だから私が、ちょっと手伝ってあげたの」
コクノは二人のまま、同じ言葉を同時に喋りながら、同じようにニッコリと微笑んだ。多分、どっちも本物なのだろう。
「ミウさんが……?」
「……コクノ。じゃあここは、コハク君の夢の中で合ってるってこと?」
ミウさんが、二人のコクノを交互に見た。
「そうよ。あなたはお兄ちゃんの夢の中に、ちゃんと入ることができたの」
「夢……」
今僕の見ているこの光景は、夢なのか。連日夢のような出来事をたくさん見てきたけど、今までのは全て現実だった。ただ今回のこれに関しては、どうやらちゃんと夢らしい。とは言え、きっと夢で済ませられるようなことでは無いのだろう。コクノにミウさん、今いるメンバーからしても、何かしら現実に影響が及ぶことは間違いないと思った。
「……そう。じゃあ、コハク君、久野さんはその、大丈夫だった?」
「久野?」
「うん。あの後、ちゃんと人間に戻れてるんだよね?」
ミウさんが僕の方を見た。僕の夢に入ろうとしてたらしいだけあって、ミウさんはコクノの話についていけているようだった。まさか久野の状態のことを聞くために、わざわざ僕の夢の中に入ったのか? 久野の夢の方には、入れなかったのだろうか。
「え、ああ、大丈夫。久野の家も元に戻っていたし。ミウさんこそ、大丈夫なの?」
「……うん。仲間と合流できたから。それよりコクノ」
仲間…………? 確かミウさんはフェーズ1、ゾンビの世界に逃げたはず。あのゾンビだらけの世界に、他に生存者がいるのか?
「何かしら? ミウお姉ちゃん」
コクノが二人とも、ゆっくりとミウさんの方を向いた。
「あなたは何で、コハク君の夢の中にいるの?」
「…………」
「あなたはクロコに、撃たれたって聞いたけど」
「……そうだ! コクノこそ、大丈夫なの?」
二人のコクノは顔を見合わせてから、和やかな視線をこちらに向けた。
「ええ、大丈夫よお兄ちゃん。感謝もしているわ。お兄ちゃんがカチューシャをつけたまま寝ちゃったおかげで、こうしてまたお兄ちゃんと会えたんだもの」
「……カチューシャ? それってあの、うさ耳のやつのこと?」
カチューシャをつけたまま寝ちゃった? 僕は確か、あの後風呂に入ってから、パジャマに着替えて歯も磨いてから、ベッドに倒れ込んだ気がするんだけど…………。
「大丈夫よお兄ちゃん。あれは防水性だから」
つまり僕は、カチューシャをつけたままお風呂に入ったのか? しかもそれに気づかずに?
「…………」
どうやら僕は、相当疲れていたらしい。二人のコクノから目を逸らすと、不意にミウさんの沈んだ表情が見えた。
「……やっぱりあのカチューシャ、あなた自身だったんだ」
あなた、自身?
「ええ。やっぱりミウお姉ちゃんは、気づいてたのね」
「…………」
「あなたみたいな勘の良い人、私は好きよ。気づかなくて良いことばかりに気づいてしまう、何だか昔の自分を見ているみたいだもの」
「…………昔、ね」
「ええ。でも、こういうことはよくあることなの。あなたも悪魔を目指すなら、覚悟した方が良いわ」
悪魔を、目指す……? ミウさんは、悪魔になるつもりなのか……?
「……忠告どうも。でも私は、あなたとは違う」
「そうかしら。あなたも私も、人間でないものを目指しているところは同じでしょ?」
二人のコクノの声が、寸分違わずきれいに重なった。二人とも今まで通り喋ってはいるのだが、その声はもう、一人分しか聞こえてこない。
「あなたもって……あなたは天使なんでしょ? 元から人間じゃない、よね?」
ミウさんが眉をひそめた。
「ええ。でも、あなただってそうでしょ?」
え……?
「…………」
「人は、人を人間扱いしないことができるみたいだから」
「……」
「それに心の底では、まだ信じてるんでしょ? 自分は選ばれた、特別な力を得ることができる存在だって」
選ばれた…………、特別…………。僕は何となく思った。コクノが言っているのは、恐らくミウさんと願望会に関することなのだろう。教祖の一人娘であることを、ミウさんが、その周りの人達が、気にしないわけがない。
「……」
「でも少し心配。人間はみな同じであることを求めるものだから。敵は、仲間よりも多いわ」
…………でも。そうだとしても。
「……でも何で、ミウさんは悪魔になんかなりたいの?」
僕は耐え切れず、ミウさんとコクノ達の会話に口を挟んでしまった。
「…………私は、恵まれているから」
「え?」
恵まれている……? どういう意味だ……?
「ええ。彼女の人生は、悪魔になるのに向いているの」
コクノが二人とも気の毒そうに、困ったような笑顔を僕に向けた。
「えっと、どういうこと……?」
「折角だもの、悪魔にならなきゃ、勿体ないわ」
その時、今まで開いたままだった電車の扉が、一斉に閉まった。
「……え、この電車動くの?」
そしてゆっくりと、窓の外の駅舎の明かりが遠ざかっていき、真っ暗な窓ガラスに僕達4人の姿が反射して見えた。
「夜が明けるわ」
片方のコクノが席を立ち、その片方のコクノだけがミウさんの方を向いた。
「…………」
「もうすぐお兄ちゃんも目を覚ます時間よ。お兄ちゃんの夢から出るの、私が案内してあげるわ」
夢の世界はまだ暗いが、現実の世界はもう日が昇る時間らしい。コクノに続いて、ミウさんも席を立つ。
「……ありがとう」
すると近くの扉が勝手に開いた。電車は走ったままなのに、風は一切吹き込んでこない。そこから一面に、真夜中の田んぼが広がっているのが見えた。
「ついてきて」
席を立った方のコクノが、開いた扉から田んぼに向かって飛び降りた。
「え」
「……」
ミウさんもためらうことなく開いた扉の前に立ったので、僕は慌てて呼び止めた。
「ちょっと、待って!」
「…………」
「……ミウさん、ほ、本当は?」
「……本当?」
ミウさんは返事はしてくれたものの、扉のそばの手すりに掴まり飛び降りる準備を進めているように見える。
「ま、待ってミウさん! よくわからないけど、ミウさんが悪魔になろうとしてるっていうのはわかった。ミウさんが他の人達より、悪魔になりやすい環境に生きてるっていうことも」
「…………」
「でも、それってただの事実でしょ? ミウさんは? ミウさんは本当は、どう思ってるの? 確かに、ミウさんは悪魔になるのに向いてるのかもしれない。でも向いてるからって、絶対にならなきゃいけないわけじゃないでしょ? ミウさんは、本当に悪魔になりたいの?」
「…………」
「…………」
ミウさんが、その場で振り返った。
「……それって本当は、私は悪魔になりたくないんじゃないかってこと?」
「…………」
そうであってほしいと、僕は思っていた。
「それは、あなたの願望でしょ」
多分心を読まれたわけじゃない。見透かされたんだろう。
「…………」
僕にも、薄々わかってはいたことだった。本当という言葉を僕が他人に対して使う時、俺が本当を求める時、それは僕がその事実に納得がいっていないだけ。ミウさんの言う通り、それは僕の、願望でしかなかった。
「私は、悪魔になる」
ミウさんが背を向けたので、僕はまた慌てて呼び止める。
「ま、待って!」
「……」
「……また、会えるよね?」
「えっ」
僕の口が開く前に、僕の後ろから、僕の声が聞こえた。振り返ると、コクノがコクノの姿のまま、僕の声でニッコリと微笑んだ。
「……独りには、ならないでね」
「……」
ミウさんは振り返ることなく、そのまま電車から飛び降りた。静かに、その扉が閉まる。
「大丈夫よ、お兄ちゃん」
コクノが近づいてきて、僕の横に立った。
「大丈夫、って……?」
「あの子はお兄ちゃんから逃げられない。コロンがお兄ちゃんのハエトリグサなら、お兄ちゃんはウツボカズラなの。一度入ると出られない、一度会ってしまったら、二度と忘れることはできないわ」
「……えっと、僕ってそんなに、かっこいいってこと?」
自分で言ってて恥ずかしくなってくる。でもコクノが言ってるのは、そういうことに聞こえた。
「ええ、そうね。死ぬ前のお兄ちゃんはそうでもなかったのかもしれないけれど、甦らされたお兄ちゃんは、きっとそういう風にできているのね」
「そういう風…………?」
その時、電車が速度を落とし始めたのが体感でわかった。
「続きはまた今度ね」
コクノがどこからか、見慣れたうさ耳のカチューシャを取り出した。
「それ……」
僕の身体が、勝手にコクノの方を向いて膝をついた。
「お兄ちゃん。これからも私達の事、よろしくね?」
コクノが僕の頭にそのカチューシャを付けたその瞬間、僕はベッドの上で目が覚めた。仰向けになったまま頭の方に手を持っていくと、確かにカチューシャのうさ耳が、指に当たった。
「……ほんとだ」
僕は昨晩、うさ耳のカチューシャをつけたまま、爆睡してしまったようだった。
七月十二日。朝の十時過ぎ。いつもの寝室。カーテンを開け、着替えを終え、二階の自室から出て階段を降りる。
「おはようございます、お兄様」
いつものリビングに入りいつもの席に座ると、いつもの朝食をコロンが、僕の席に持って来てくれた。
「………………おはよう、コロン」
「今日は納豆ご飯と、ヨモギと玉ねぎの味噌汁です」
「……コロン、何でここにいるの?」
いつも通り僕がご飯に納豆をかけると、いつも通りコロンは空になった納豆のパックを流しに持って行ってくれた。
「星木ミウは、必ず先輩のところに戻ってくる。お兄様のそばで待ち伏せするのが定石かと」
「……クロコは?」
「今はこの世界にいません。彼女同様に」
「…………」
ミウさんはやっぱり、もうこの世界にはいないのか。多分フェーズ1、ゾンビの世界に逃げたんだろう。自分の無事を伝えるため、夢の世界を通してこっちの世界に干渉した、みたいな感じだったのだろうか。仲間と合流できたみたいなこと言ってたし、ひとまずミウさんは無事なはずだ。
「それでお兄様、今日見た夢は覚えていますか?」
「…………」
夢であった出来事、コロンに伝えてしまっても大丈夫なのだろうか。いや、というか既にもう、コロンは僕の心、読んでいるんじゃないか?
「ええまあ、その通りですので、確認にしかなりませんが」
早速コロンに心を読まれたところで、玄関のチャイムが鳴った。
「これは、久野、かな……?」
「ああ、ったく。またですか……先輩、私が出ましょうか?」
「ああいや、僕が…………何かここ最近、僕が起きたら丁度久野が来る流ればっかな気がするな」
「そうですね…………お兄様は、起きたらすぐにカーテンを開けますよね?」
「え? まあ、うん」
コロンは久野が入ってくる前に、エアコンのリモコンに手を伸ばすと設定温度を二十八度に上げた。久野は別に、設定温度のことを気にするようなタイプではない気がするのだが。
「あいつは、隣の家からカーテンが開けられるのを見て、先輩が起きたのを確認してから、いつも押しかけているんですよ」
「えぇ…………?」
それが本当なのだとしたら、久野って僕の事好きじゃん。勿論それが本当なのだとしたら、だけど。玄関のチャイムがもう一度鳴ったので、僕はひとまず玄関へ行って扉を開けた。扉の向こうから、いつも通りの久野の声が聞こえた。
「コハク、おはよう」
「ああ、おはよう……」
「……コハク、あのカチューシャ、つけてる?」
「うん、つけてるよ」
僕がうさ耳のカチューシャをつけている確認がとれてから、いつもの白いパーカーを着た久野が、扉の陰から現れた。
「…………コロンって、いる?」
「うん……」
「やっぱり……。じゃ、じゃあさ、ちょっと私の家で、話さない?」
久野が声を潜める。しかしその後ろに、既にコロンはいた。
「おはようございます、久野フミカ。残念ながら、あなた方の夢に星木ミウが現れたこと、そこで話したことは全て筒抜けです。隠す必要は、ありませんよ」
突然背後に現れたコロンに久野は少したじろいだが、諦めたように大きなため息をついた。
「そう…………じゃあコハクの夢にも、出てきたの?」
「うん……」
どうやら久野の夢にも、ミウさんは出てきたらしい。いや、待てよ……?
「コハク、どうかした?」
「いや……久野、今日何時に起きた?」
「え、八時位、かな……?」
「八時…………」
僕の夢に現れたミウさんは、久野の状態を気にしていた。つまりあの時点で、ミウさんは久野の無事を確認できていなかったことになるはず。ということは、ミウさんは僕の夢に出た後に久野の夢に向かったことになる。でもあの後すぐに僕は目が覚めて、時間は十時過ぎ位だった。あの後すぐにミウさんが久野の夢に向かったとしても、あの時点で久野はもう起きているはず…………。
「ねえコハク、どうしたの……?」
「…………つまり、どっちかは、偽物?」
「え……?」
「……いえ、どちらも本物ですよ」
階段の手すりに寄りかかっていたコロンが、僕達を置き去りにしてスタスタとリビングの方に戻っていく。
「……」
「……」
「……コハク、上がっても良い?」
「……うん、立ち話もなんだしね」
観念した久野と僕は顔を見合わせてから、コロンの後を追った。リビングの椅子に久野と並んで座ると、コロンはエアコンの設定温度を二十七度に下げてから僕達の向かいの椅子に座った。
「賢明な判断です、お兄様」
「……それで? 僕にもわかる言葉で説明してもらえると、助かるんだけど」
「はい。まずあの指輪の力を使えば、星木ミウは意識を分裂させて、二人の夢に同時に出ることができます」
よくわからないけど、少なくとも僕の夢で会って話したミウさんは、本物だったということか。すると久野がふと、僕の手の真っ黒な指輪を見た。
「…………そういえばあの指輪って、もしかしてこの、コクノのくれた指輪と同じもの?」
見た目は全く同じに見える。あの指輪も、コクノがミウさんに渡したのだろうか。
「それは天使の指輪ですが、あれは悪魔の指輪です」
「悪魔の指輪……?」
「はい。私があげました」
「…………え?」
あっさりと告げたコロンは、またエアコンの設定温度を二十八度に上げた。
「………………な、何で?」
「理由、ですか? 欲しがっていたから、あげたんです。あの程度のもの、私はいくらでも用意できますから」
コロンがすっと右手を上げると、その五本の指には全て真っ黒な指輪がはまっていた。しかしその手を翻すと、その指輪はまるで蒸発するかのように消えてしまった。それを見た久野の声が、だんだん小さくなっていった。
「……じゃあコロンも、このカチューシャを作れるってこと? じゃあ何で、早く作ってくれなかったの? そうすれば私は、あんな風にならずに済んだかもしれないのに……!」
「久野……?」
そして立ち上がった久野が、堰を切ったようにまくし立てる。
「何で私が! コハクを襲う前に、コハクのお父さんやお母さんを、殺してしまう前に! 作ってくれなかったの……?」
このタイミングで、久野はゾンビだった頃の記憶を、取り戻してしまったようだった。