07/このストーリーに必要無いことは話すな
「え、何やってんのハック」
七月十一日、放課後。新生徒会室の扉を開けたところで話しかけられ、僕はあることを思い出した。ちなみにハックというのは、コハクのハクを取ったあだ名みたいなものだと思う。
「え、あの、僕、副会長なんだけど……」
「いや、そうじゃなくてさ。いや、それはそうなんだけどさ」
「……じゃあ、えっと?」
ゾンビやアンドロイドのいない世界に戻ったとはいえ、全てが本当の意味で元通り、という訳では無い。現在この学校の生徒会副会長は僕一人だけ。もう一人の副会長だったミウさんの存在は、変わらず失われたままだった。願望会の存在含め、誰も彼女達のことを覚えていない。逆にどうして、僕だけミウさんのことを、忘れていないのだろうか。
「ハック、その頭のうさ耳、何」
「え」
頭の上のうさ耳のカチューシャのことは、正直なところ今の今まで忘れかけていた。コクノのことやミウさんのことなど、他に考えることがあったからというのもあるのかもしれない。だが一番の理由は、このうさ耳のカチューシャについて誰一人、何も言ってこなかったからである。同じクラスの生徒も、先生も、今日会った人は誰一人、本当にこのカチューシャのことが見えていないらしかった。
「あ、もしかしてこの後遊園地デートとか? お熱いじゃーん」
今僕の目の前にいる、新生徒会保健委員長を除いて。
「え、いや、そうじゃなくて……」
「もーいい加減吐いちゃいなよー。ハック、フミフミと付き合ってるんでしょー?」
彼女は確か、沖谷ナナコ。新生徒会の保健委員長。そしてフミフミというのが、フミカのフミを取った久野のあだ名みたいなものだと思う。ナナコさんは基本的に誰とでも仲が良いので、僕とは別に特別仲が良いという訳でもない。多分いわゆる、陽キャである。
「そうじゃなくて。このうさ耳、見えるの?」
僕とナナコさんは会話を続けながら新生徒会室に入る。中に僕達以外の人影は無く、コロンこと新生徒会顧問の宮浦先生も見当たらなかった。
「へ? うん。見えるよ?」
「ホントに……?」
「え……? あー……。何かハック、話の逸らし方が雑になってきてない?」
ナナコさんが引きつった笑顔を見せた。とは言え今の今まで、登校中も含めて僕のうさ耳に気がついたのは、誰一人としていなかったのだ。何でナナコさんには、このカチューシャが見えているんだ?
「あ、ナコちゃん。ハックも来たんだ。おつかれさまでーす」
「お、ショコちゃん」
その時生徒会室の奥の書庫から、星形のサングラスをかけた生徒が一人顔を出した。彼女は確か、白津ショウコ。新生徒会の図書委員長。ちなみにナコちゃんというのは沖谷ナナコのナコを取ったあだ名みたいなもので、ショコちゃんというのは白津ショウコのショとコを取ったあだ名みたいなものだと思う。ショウコさんも基本的に誰とでも仲が良いので、僕とは別に特別仲が良いという訳でもない。つまりいわゆる、陽キャである。
「あ、おつかれさまです……」
「どしたのハック。元気無いけど」
「それなんだけどショコちゃん」
「どしたのナコちゃん」
「ハックの頭に、何ついてる?」
ショウコさんはサングラスをかけたまま、僕を見た。
「え? 何もついてないよ?」
「……え、え、まさかのショコちゃんもグルなの? 何のドッキリよ、これ」
「えー……? ドッキリって言われても、私もわかんないんだけど」
ショウコさんはサングラスを外して頭の上に置くと、背伸びをしながら僕の頭上をまじまじと見た。
「ショ、ショコちゃん。マジでわかんないの?」
「えー……………………、じゃあ…………、ふけ?」
僕はまた咄嗟に、右手で頭を払う。その拍子に、今回は手が当たってカチューシャが床に落ちた。そして僕は、慌ててそれを拾ってしまった。
「あ、ほら! 今ハックが拾ったやつだって!」
「……」
ショウコさんが頬をかいた。彼女も何かに、気づいたようだった。
「…………もしかして、私がおかしいの?」
「だってショコちゃん、このカチューシャマジで見えないの?」
「カチューシャ? いや、見えないけど……でも、ハックが何か拾ったようには見えたかも……?」
「ほら! でしょ?」
「うん。でも、何も持ってないように見えるし……」
「えぇ……?」
「…………わ、わかったよ。二人とも、ちょっと」
何だか収拾がつかなくなってきた気がした僕は、ポケットからスマホを取り出してカメラを起動した。
「ハック? 何する気?」
僕はうさ耳のカチューシャを机の上に置いて、その写真を撮った。
「これを、見てください」
「…………え?」
二人に見せた画面に写っているのは、何も置かれていない机だけだった。カチューシャが置いてあるはずの場所には、何も写っていない。このカチューシャ、このようにスマホなどの人工物を通して見ると、僕にも見ることができなかった。昼休みに、宮浦先生ことコロンに撮られて気づいたばかりのことだったが。
「これがショウコさんの見ている世界。というか、僕とナナコさん以外のみんなが見ている世界。だから僕は、今日一日このうさ耳をつけてたけど、誰も気づかなかったし、誰も何も言ってこなかった」
「そう、なんだ…………」
スマホの写真が効いたのか、ナナコさんは僕の言ったことを思ったよりもすんなり受け入れていた。
「うん…………」
「で、でもさ……何で私だけ……?」
「いや、正確にはナナコさんと僕と、コロンの三人に見えてることになるんだけど……」
「…………コロン?」
「え?」
そしてナナコさんが、予想外の人物の名前に食いついた。いや、人と呼べるのかは、怪しいところだが。
「コロンって、あの悪魔のこと?」
「そう、だけど……。何でコロンのことを、ナナコさんが……?」
「ハックこそ、何でコロンのことを……」
すると確実に話についていけてないショウコさんが、頭の上のサングラスをかけ直して僕とナナコさんの顔の間に割って入った。
「ちょっとナコちゃん、ハックも、私のこと置いてかないでよ。そのコロン君って、誰?」
「ちょっと待っててねショコちゃん。じゃあハック、コロンのこと知ってるってことは、みーぽんのことも、覚えてるってこと?!」
そしてナナコさんの口から、さらに予想外の人物の名前が飛び出した。
「みーぽんって…………」
「みーぽんだって! 星木ミウ! ハックと同じ、副会長だったでしょ?!」
「ミウさん…………!?」
この世界に、彼女は存在しないことになっていた。何でナナコさんは、ミウさんのことを覚えてるんだ…………?
「やっぱり、覚えてるの!?」
「いや、ナナコさんこそ、何でミウさんのことを…………」
「そんなの……」
「ハック、危ない!」
突然横にいたショウコさんに突き飛ばされると同時に、また、銃声が響いた。ここ数日毎日のように見聞きしている気がする銃。しかしその銃弾が、目の前の人間に命中する瞬間を見たのは、これが初めてだった。
「あ…………」
僕を押し倒して倒れた彼女の制服が、赤く染まっていくのが見えた。ナナコさんがショウコさんに駆け寄る。
「ショコちゃん!?」
「…………」
彼女は完全に気を失っているようだった。僕は銃声のした方に視線を移す。
「誰だ…………」
「……」
誰かいる。
「いや、その銃…………!」
「……そうか。私とお前は初対面だけど、この色の銃、お前は見覚えがあるのか」
そこには、見慣れた金色の銃を構えた、少し背の高い悪魔がいた。
「金の銃……」
「そうだ。この銃は私達、悪魔の悪魔のための凶器」
コロンがいつも使っているのも、金色の銃だった。つまり今ショウコさんを撃ったこいつも、悪魔なのか。
「クロコ……!」
ナナコさんが、目の前の悪魔を涙目で睨みつけている。彼女はこの悪魔とも、顔見知りのようだった。
「久しぶり。ナナコ」
「クロコ、何でショコちゃんを撃った!」
「私が狙ったのはその人間じゃない。そこのフェイザーもどきを狙ったんだけど、それに気づいたその人間にジャミングされた」
フェイザー、もどき……? 僕のことを指しているようだが、どういう意味だ……?
「……じゃあ何で、ハックを狙ったんだよ!」
ナナコさんが、ショウコさんを抱きかかえたまま声を荒げた。一方のクロコは涼しい顔で、構えていた銃を腰の赤いホルスターに戻した。
「それはナナコが、星木ミウのことを口にしたからだ」
「っ…………!」
「これは、契約を違反している」
契約…………? ナナコさんは何か、この悪魔と契約したということなのだろうか。でも契約って、一体何を…………?
「それは…………。でも、その時は確か、私を食べるって…………」
私を、食べる…………?
「これは警告だからだ」
その悪魔はさながらアンドロイドのように、淡々と話し続けている。怒っているようにも、楽しんでいるようにも見えない。
「……」
「次は無い。ナナコ、このストーリーに必要無いことは話すな」
「ストーリー……?」
そしてクロコという名の悪魔は、一瞬で生徒会室の窓際へ移動するとそのまま窓の外へ飛び降りた。
「えっ! ここ四階……」
僕はその窓から身を乗り出して下を覗いたが、悪魔の姿はもうどこにも無かった。恐らくコロンと同じように、瞬間移動の様な事ができるのだろう。
「…………」
でも、この逃げ去り方…………。それに、背もどちらかと言えば高かった気がする…………。まさか…………あいつが久野の言っていた、コクノを撃った犯人…………?
「お兄様!」
そして悪魔クロコと入れ替わるように、もう一人の悪魔、コロンが生徒会室に飛び込んできた。宮浦先生の姿ではなく、いつもの金髪のコロンの姿。しかしナナコさんはコロンの方には見向きもせず、ショウコさんを抱きかかえたまま僕を見上げて叫んだ。
「ハック! とにかく救急車!」
「そ、そうだ……」
僕が救急車を呼ぼうとスマホを持つと、なぜかその腕をコロンが掴んだ。
「……先輩、そこの人間を撃ったのは悪魔ですね?」
「えっ、うん……」
「そうですか。だったらほっといて大丈夫です。それより面倒なことに……」
「コロン、何言ってんの? ハック、早く電話……」
ナナコさんの震える声が、コロンの声を遮る。するとコロンは、倒れているショウコさんの前にしゃがみこんでため息をついた。
「ああ、ったく……」
「コロン……?」
「失礼しますよ!」
コロンが、ショウコさんの撃たれたところの服を勢いよくめくる。しかし銃弾が命中したはずの腹部には傷一つなく、血で染まっていたはずの制服も、染み一つ無くなっていた。
「あれ…………?」
「これで理解できましたか? 悪魔の幻覚を真に受けるなんて、こちらとしては、いい加減そろそろ悪魔慣れしてほしいものですが」
「ちょっとー……、今日のキャミ、あんまかわいくないんだけど……」
いつの間にか目を覚ましていたショウコさんが、コロンを睨みつけている。そしてナナコさんが、コロンを無言で蹴り飛ばした。
「……ショコちゃん! 本当に大丈夫なの?!」
「うん、生きてるよー……。でも痛かったのは、本当なんだけどな……」
「ちょっとコロン! ショコちゃんはこう言ってますけど?!」
「そう言われましてもね……生きてたから良かったじゃないですか……」
「責任取ってよー!」
「そうだそうだー!」
調子を取り戻しつつある女子二人が、悪魔を言いくるめている。
「いえ、この私が人間ごときに言いくるめられるなんてことは決してありません、断じて。それよりもお兄様」
疲れ切った顔のコロンが、僕の心を読んでから女子二人をほったらかしにして生徒会室の隅の方へ僕を引っ張っていった。
「……で、どうしたのコロン?」
「久野フミカが、消えました」
「…………え?」
「恐らくこの世界から、存在ごと」
「……」
ふと冷静になって思った。ここ数日、冷静になって考えればおかしなことばかり起きていた気がする。ゾンビになった久野に襲われたり、久野のアンドロイドになったり、悪魔や天使に会ったりもした。そしてミウさんの存在が、無かったことになっていたりもした。だったら久野の存在が無かったことになることも、たまにはあるのかもしれない。
「…………」
別に思考停止してしまっているわけではないはずだが、僕はコロンの言ったことを思ったよりもすんなり、受け入れてしまっていた。
「ちょっと二人ともー? いつまで隅でいちゃついてんのさー」
するといつの間にか、本調子の女子二人が寄ってきていた。
「ハックとフミフミって、本当に仲良いよね……」
「そりゃそうだよー、さらにこの後遊園地デートなんだからー」
「ね、ねえ……やっぱり二人って、付き合ってるの?」
………………ん?
「いーなーハックー。ねえねえフミフミとはもうやったの?」
「ちょっとナコちゃん、フミフミの前で……」
「いや…………ん?」
危うく聞き流すところだった。フミフミの、前で?
「ねえねえフミフミ、やっぱりフミフミから告ったの?」
「……」
そしてコロンが、何かに気づいたように自分で自分を指さした。
「まさか…………フミフミって私のことですか?」
「え? うん」
「そうだよ?」
ナナコさんもショウコさんも、特に引っかかることなく当然のように話を続けている。
「フミカのフミを取ってフミフミ。ていうかフミフミさんよー。敬語はいらないっていっつも言ってるでしょー。同い年なんだからさー」
二人は明らかに、コロンのことを久野だと思って話しかけていた。でもナナコさんは、確かコロンのことを知っていたはずだ。
「いや、ナナコさん、コロンと会ったことがあるんでしょ? コロンって、この人のことじゃないの?」
「コロン? えっと……それって、人の名前?」
「え…………じゃあ、ミウさんのことは…………?」
「ミウさん? ちょっとハック、まさかフミフミの前で他の女の子の話? さすがにそれは……」
話が通じているようでどこかずれている。何だこの違和感…………。まさか、さっきの悪魔の仕業か…………?
「コロン……これって……」
「仕方がありません……」
するとコロンは落ち着いた様子で、咳払いを一つした。
「コロン……?」
そしてコロンの見た目のまま、久野の声でこう告げた。
「あー…………、いや、ごめん二人とも。それでちょっと相談なんだけど、今日の生徒会、先帰らせてもらっても良い? 私この後、コハクとデートだから」
「ひゅー!」
二人の声が被った。
「お願い! 宮浦先生に何か言われたらごまかしといて!」
「そんなのいいに決まってんじゃんよ! フミフミってばいっつも素直でよろしい!」
「先生には、私達がうまいこと言っとくから!」
ナナコさんとショウコさんは、二つ返事で快諾してくれた。ていうか宮浦先生の正体も、何ならここにいるコロンなんだけど。
「二人ともありがと! コハク、行こ?」
「え、あ、うん…………。ナナコさんショウコさん、後よろしく……」
「オッケー、楽しんでらっしゃい!」
久野の真似をしたコロンに連れ出され、僕はカチューシャを持ったまま生徒会室を後にした。
「コロン、これって一体…………」
「はい。詳しくは帰ってからお話ししますが」
コロンは僕の腕を引っ張ったまま、校内を淡々と進んでいく。
「うん…………?」
「簡単に言えば、私が久野フミカから生まれた悪魔だからです」
「久野から生まれた…………?」
「はい。久野フミカとコクノが消えた今、この世界で次に一番久野フミカっぽい存在は、久野フミカから生まれた、私なんです」
「久野フミカっぽい存在……?」
下駄箱に到着する。ミウさんの靴箱と違い、久野の靴箱はまだちゃんと存在していた。それは恐らく、この世界で次に一番久野フミカっぽい存在、コロンがいるからなのだろう。僕達はそのまま学校を出る。
「はい。それで……」
「……いや、それより何で今、コクノの名前が出てくるんだ?」
「それは勿論、私が久野フミカから生まれた悪魔だからです」
「え?」
「そしてコクノが、久野フミカから生まれた天使だからです」
「待った。その流れで行くと、前言ってたこの世界の神って……」
「はい。彼女です。彼女こそが今回のサンプルであり、彼女のためにこの温室は作られました」
「サンプル……、温室……?」
「我々の実験には、サンプルと温室は必須項目ですから」
実験……。コロンは僕が理解できないことを見越してか、難しい単語を並べて自慢気にしている。いや、単語自体は難しいものではないが、コロンの言っていることが、やっぱり僕にはよくわからない。
「よくわからないけど、この世界が久野のために作られたのだとしたら、そんなにすごい久野が消えるって……」
「はい、ありえません」
「……え?」
ようやく辿り着いた馴染みの一軒家を、コロンはゆっくりと見上げる。
「つまり、その名前の力を失った彼女がいるとしたら、恐らくここに」
僕は家の鍵を開けようとして、既に鍵が開いていることに気づいた。そして扉が勝手に開く。中にいた何者かが、僕が帰ってきたことに気づき開けてくれたようだった。
「おかえりなさい、オーナー」
「…………え」
そこには、久野とミウさんがいた。二人とも、手が白い。続けて二人の声が被る。
「ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも……」
「……」
僕は、ついに思考停止していた。