04/でも、それじゃあ人間と同じでしょ?
「こんばんは。どちら様ですか?」
七月九日、夜の十一時前。結局僕は考えることを放棄したまま、久野の家の玄関の前に辿り着いてしまっていた。チャイムを押すと扉がゆっくりと開き、中から真っ白なワンピースを着た小さな女の子が出てきた。
「どうも……。あの、久野さんのクラスメイトの虎丸と言います。学校のプリントを、届けに来ました」
「まあ! あなたがコハクお兄ちゃんなのね? やっと会えたわ!」
「え、あ、どうも……」
「私の名前はコクノ! お姉ちゃんが、いつもお世話になってます!」
彼女はコクノと名乗ると、丁寧にぺこりとお辞儀をした。久野に妹がいたとは知らなかった。家が隣とはいえ、何だかんだで久野の家に来るのはこれが初めてかもしれない。
「いえ、その、こちらこそ。……あの、久野さんの調子はいかがですか?」
「お陰様で、もう大丈夫よ!」
「ああ、それは良かった」
「あ、そうだわ! 届けてもらったお礼に、中でお茶でもいかがかしら? お姉ちゃんのことなら、実際に見てもらう方が早いもの!」
…………いや、今日はもう、久野の家に初めて来れただけで充分だろう。今日はもう既に疲れたし眠い。久野の前であまり疲れた顔は見せたくないし、無理もしたくない。
「……ああ、いえ、お気持ちだけで。夜も遅いですし、僕はこれで……」
「あ、でも…………」
プリントを渡そうとした途端、コクノの目がわかりやすく潤んでいった。
「……待って、泣かないで! わかった、お邪魔するから!」
人の涙が苦手な僕は、慌てて家の中に入る。
「ありがとお兄ちゃん! ……コハクが戻ったわ、お姉ちゃん!」
笑顔を取り戻したコクノは、家の奥にいるであろう久野に呼びかけた。戻ったという言い回しに妙な違和感を覚えたが、その疑念は、奥の部屋から出てきた久野の格好の衝撃で、眠気と共に吹き飛んだ。
「え…………久野?」
そこにいる久野は、何も身に着けていなかった。
「サンキュー、コハク。今日はもう休んでいいよ」
「え、いや、え?」
久野はそのままサンダルを履いて、僕の手にあったプリントを取ってから玄関の鍵をかけた。混乱する僕を見て、近づいてきたコクノがこてんと首をかしげる。
「どうしたの? お姉ちゃんはいつも、家では服を着てないでしょ?」
「いや…………そんなこと知らないし、それに、僕がいるんだけど……」
「それが?」
「ええ……、恥ずかしい、とかは?」
久野がプリントを見ながら、興味無さそうに答えた。
「アンドロイドに見られても仕方ないし。ていうか、今更どうしたの? もしかして、故障とかしてないよね?」
「…………アンドロイド?」
その途端、自分の体温が急激に下がっていくのを感じた。血の気が引く、というよりはまるで、血の通っていない、別の何かになっていくような感覚。そして視界に映る自分の両手、その色と光沢は人間のものではなく、真っ白なプラスチックそのものになっていた。
「今日はちょっと使いすぎたかな? じゃあコハク、おやすみ」
久野の一言で、僕は一瞬で意識を失った。いや、正確には、登録された音声を認識したことにより、強制的に僕の身体がシャットダウンした、ということなのだろう。
「…………お兄様、気がつきましたか? ああ、いえ、そうですね。正確には、電源がつきました、か」
七月十日、夜の二時前。僕は何者かに電源をつけられ起動した。
「侵入者を発見。通報を開始します」
「……もう自分のことも、私のことも、完全に忘れているようですね。腕以外はそんなにアンドロイドらしさは見られないですが……。さて、そんなことより壊れた機械は、叩いて直すとしましょう」
僕の頭部パーツを、侵入者が裏拳でスパーンと殴り飛ばした。
「情報送信システム、破損。迎撃モードに移行します」
僕は右腕を構え、侵入者に向けて発射した。しかし侵入者はそれをひらりとかわし、僕の右腕は玄関の壁にめり込んだ。
「……腕の断面は、ちゃんと機械ですね。その辺りは、先輩に配慮されているということですか。本物の人間の断面、お兄様は見たことありますもんね?」
その瞬間、僕の自宅の玄関で、二人の死体とそれを食べている一人のゾンビの映像がフラッシュバックされる。死体は僕の両親で、それを頬張っているのが、久野。
「いや、僕の、自宅…………? それに、僕の、両親…………?」
アンドロイドに家なんて無い。アンドロイドに親なんていない。じゃあ、このメモリーは……?
「思い出しましたか? それが、あなたが叶えたかった世界。あなたの居場所。そして……」
その時、玄関の明かりが点いた。
「……違う。ここがお兄ちゃんの家。お兄ちゃんの、帰る所」
淡々とした口調に似合わない幼い声が、二階へと続く階段から聞こえてきた。振り返ると、パタパタとスリッパで音を立てながら、コクノが階段を降りてきていた。
「出たな堕天使……」
目の前の侵入者、いや、コロンが、心底嫌そうな顔をしている。
「……コロン、コクノさんのこと、知ってるのか?」
「ええまあ…………。そういえば先輩、私のこと思い出してくれたようですね。自分が何なのかも、思い出しましたか?」
「え、ああ、そういえば。僕は確か…………バイトの帰りにミウさんに会って、それで……」
階段を降り切ったコクノが、横に立って僕を見上げた。
「大丈夫だよお兄ちゃん。ここが、お姉ちゃんのアンドロイドであるお兄ちゃんの居場所。そしてお姉ちゃんと私が、お兄ちゃんの大切な家族よ?」
だんだん、意識が朦朧としてくる。僕の記憶が、思い出そうとすればするほど消えていく。
「僕は……」
「あなたはアンドロイド、コハク。久野フミカの、唯一の、最高の理解者」
僕は…………。
「…………」
「……ああ、ったく。これが、あなたが欲した夢の世界ですか」
侵入者が、僕に背を向けた。
「ゆ、夢…………?」
そして、見覚えのあるコートを翻し振り返る。
「そう、夢です。何も心配はありません、お兄様。あなたはこの夢から、必ず覚める。夢の世界が夢の世界でないことに、必ず気づく時が来ます。その時にまた、私はあなたの力を借りに来ます。あなたの力は、私に必要ですから」
「それって、どういう……」
「ただまあ、役にのまれ過ぎないように。我に返った時恥ずかしくなりますよ?」
「役…………?」
するとしびれを切らしたコクノが、むっとしたまま僕とコロンの間に入って腰に手を当てた。
「もう! 帰るなら早く帰って! 現実と嘘に縛られた小悪魔のくせに。あんまり私のお兄ちゃんを、困らせないで!」
コクノが頬を膨らませると、玄関の扉の鍵が開く音がして、玄関の扉が勝手に開いた。それを見た侵入者は、コクノと目を合わせることなく吐き捨てた。
「はいはい、お邪魔しましたね。後はお任せしますよ、過去と夢の亡者さん」
そして侵入者は、スタスタと足早に去って行った。
「あなたはこの夢から必ず覚める。夢の世界が夢の世界でないことに、必ず気づく」
ほんの少しのエラーを、メモリーに残したまま。
「……」
「…………それじゃあおやすみ、コハクお兄ちゃん」
コクノの一言で、僕はシャットダウンした。ここは、アンドロイドが存在する世界。僕がアンドロイドである世界。虎丸コハクという、人間が、存在しない世界。
「学校には、行ってないんですね」
七月十日、朝の八時過ぎ。僕は久野の家のリビングの掃除をし終え、久野の話し相手になっていた。
「行っても、話す人いないし」
「……そうなんですか?」
久野が脱ぎ捨てた真っ黒な寝間着を拾って、脇に抱えていた洗濯カゴに入れる。なぜか寝る時は、ちゃんと服を着るらしい。
「……ねえコハク、ほんとに大丈夫? 昨日からメモリーの調子が悪いみたいだけど……他のに買い替えるなんて嫌だからね?」
数時間アンドロイドとして生活してみてわかったことだが、アンドロイドが普通に存在している世界の割に、それ以外は元の世界と特に変わり無い気がした。久野の家での恰好は予想外だったが、洗濯機や掃除機などの家電は何なら、ちょっと旧型位の性能だった。
「ああ…………いえ、昨夜少しプログラムの更新がありまして。メモリーのダウンロードが、まだ済んでいないんです」
ひとまず適当な嘘で誤魔化す。今日、久野に電源をつけてもらった時点で、僕の記憶は元の世界の、人間だった時のものだけになっていた。つまりこのアンドロイドが普及した世界で、アンドロイドとして、久野に仕えていた記憶は一つも無い。
「プログラムの更新? そんなのあったっけ?」
七月になってもなお出しっぱなしになっているこたつに、久野は首まで潜りこんで目を瞑っている。寒いなら服着ればいいのに。
「はい……たまに。それでもう一つ確認したいのですが、僕は、あなたのことを何と呼んでいましたか?」
まさか、持ち主のことを呼び捨てということは無いだろう。それにここには、久野という苗字を持つ人物が他にもいる。ベランダを見ると久野の妹、コクノが背伸びをしながら洗濯物を干していた。
「え、アンドロイドって、買い主のことを呼ぶときはオーナー、なんじゃないの?」
飼い主……。少なくとも久野は、アンドロイドのことをペット感覚で認識しているようだ。
「まあ、はい……ただ最近は、ニックネームで呼ばせるオーナーも増えてきていますので」
また適当な嘘で誤魔化す。とにかく、この世界のアンドロイドは主人のことを、オーナーと呼ぶようだ。
「それが更新プログラムの一つ? んー、でも私はオーナーでいいや。渾名とか、あんま馴染みないし」
「そうですか、わかりました。……それでオーナー、その、身体の調子はいかがですか?」
「身体の調子?」
久野が、眠そうな目でこちらを見た。
「そうです。例えば皮膚がただれたりとか、肌が灰色になったりとか……」
「え、いや、別に大丈夫だけど……。ていうか私の体調のことなら、コハクの方が詳しいよね? 何なら今、スキャンする?」
久野がこたつから這い出てきて、気を付けの姿勢で目を瞑った。スキャンする時の体制なのだろうが、僕は慌てて背を向けた。
「あ、でも、僕を見ても、何も問題無いんですよね?」
「コハクを見ても……? えっと、ぱっと見じゃよくわかんないんだけど、何か見た目もアップデートされた?」
「あ、いや……」
「え、ちょっとよく見せてよ」
久野がそう言うと、僕の身体は勝手に久野の方に向いて動けなくなった。音声認識によるものだろうか。久野は顎に手を当てて、僕の身体をまじまじと見ながら僕のそばを一周した。僕はその間、指一本動かすことができない。
「お、オーナー……?」
「あー…………、いや、ごめん。わかんない」
僕を直視しても、久野はゾンビになる様子も、暴走する素振りも見せなかった。その時、洗濯機の洗濯終了音が聞こえた。
「いえ、もう、大丈夫です。その様子なら……」
「ほんとに大丈夫? 一応スキャンしてよ」
その一言で、僕の視界は大量の数値で埋め尽くされた。久野の体温や心拍数だったのだろう。そして最後に、正常の文字が表示された。これがいわゆる、アンドロイドの持つ人体スキャン能力なのだろう。皮膚の腐敗や自我の喪失の形跡も見られない。どうやら本当に、久野は正常らしい。
「あ、いや、ほんと、問題無いようなので、では、僕は洗濯物を干してきます」
「あー…………、それも、説明し直さないとダメなんだっけ」
久野はこたつに戻り、伸びをしてからベランダのコクノの方を向いた。
「説明、ですか……?」
「洗濯物を干すのはコクノの日課。生活してる感じがして、好きなんだって」
「……生活してる感じ、ですか」
「うん。まあ洗濯物を持って行ってあげるくらいなら、喜んでくれるかもね」
そして久野はまた、こたつに潜ってうたたねを始めた。
「…………」
この世界なら、久野がゾンビにならずに済む可能性はある。というか現時点で、僕を見てもゾンビになってしまうことは無いようだ。僕がアンドロイドになってしまっていることに関係があるのかはわからない。とは言え、そもそも僕はまだこの世界のことについて知らなすぎるはずだ。僕はリビングを後にし、確実に色々知っているであろう久野の妹、コクノのいるベランダへ向かった。
「あら、もうシーツの洗濯が終わったのね」
コクノは僕の手元のシーツを見ると、ベランダの隅に置いてあったいわゆるミカン箱の様な物を持ってきて、物干し台の傍に置いた。
「はい。オーナーから、あなたは自分で洗濯物を干すのが好きだと伺いました」
シーツを差し出すと、コクノは受け取ってミカン箱の上にぴょんと飛び乗った。真っ白なワンピースが、初夏の風になびく。
「ええ。何だか、生きてるって感じがするの」
コクノは背伸びしながらも、慣れた手つきで物干し竿にシーツをかけシワを伸ばしている。
「…………どういう意味ですか」
コロンはコクノのことを、堕天使と言っていた。それがそのままの意味を持つのか、何かしらの揶揄に当たるのかはわからない。ただ、コロンが悪魔なのだとしたら、コクノが天使であったとしても最早、不思議ではない気がしていた。
「どういう意味って……そのままの意味よ? アンドロイドの普及した科学の世界に、非科学的な天使を登場人物にすることは、できなかったの」
「……えっと、僕にもわかる言葉で、お願いしても?」
コクノはミカン箱からまたぴょんと飛び降りて、僕の正面に立った。
「わかったわ。でも、何がわからないのかは、私にはわからないわ」
「いや……全部、だよ。昨日コロンは、この世界が夢の世界で、僕が欲しかった世界だと言っていた。つまり僕は今、夢を見ているってこと?」
楽しい夢はたくさん見てきた。だがこんなに長い夢を、僕は今まで見たことが無い。これが夢だとしたら、僕は一体何時間眠り続けていることになるのだろう。そもそも、いつまでが現実で、いつからが夢なんだ?
「悪魔の言うことは無視してれば良いの。でも、お兄ちゃんが誤解したままなのは良くないわ」
「……誤解?」
「あの時あいつは、お兄ちゃんにだけ話しかけてたわけじゃなかったの。ここは確かに夢の世界だけど、それは夜に見る夢のことじゃなくて。お兄ちゃん達が、小さい頃に憧れていた夢のことなの」
「小さい頃……」
「そう。もう覚えていないかもしれないくらい、お兄ちゃんも小さかった頃の話」
コクノが横目で、家の中の久野の方を見た。久野は相変わらず、こたつの中で寝息を立てている。
「こんな世界を…………望んだっていうのか?」
「僕は、久野に命を救われた」
「え?」
コクノの口から、僕の声が聞こえた。
「だから残りの人生は、久野のために使う。もうそうするしか、僕には無い…………。夕方の公園で、二人でブランコに乗っていた時に言ってもらったあの言葉。お姉ちゃんは、今でもしっかり覚えてるの」
いつの間にか、コクノの声は元に戻っていた。
「……」
「お兄ちゃんも、覚えてるでしょ?」
そしてコクノが演じた僕のセリフ。一言一句、僕は覚えていなかった。僕には今、元の世界の記憶しかない。でも昔の記憶に関してはなぜか、思い出そうとしてもかなりあやふやな部分が多かった。つまりコクノの言っていることは、本当である気も、嘘である気もする。
「…………じゃあ僕が、アンドロイドになる理由は?」
「それは私にもわからないの。私は、世界を再現しているだけだから」
「再現……? まさか君が、この世界を作ってるっていうのか」
「そうよ! すごいでしょ?」
「まあ、確かに……」
勿論本当に彼女が作っているのだとすれば、だが。
「それにこの世界、楽しいでしょ?」
「…………」
僕が言葉に詰まると、きょとんとしたコクノが不服そうに首をかしげる。
「……楽しくないの?」
「………………久野が家にこもるようになったのも、僕のせいなのか」
「大丈夫。あれはお兄ちゃんのせいじゃないわ。それを選んだのは、お姉ちゃんだもの」
でも、それじゃあ…………。
「コハクー、買い出し行くよー」
玄関の方から久野の声がした。多分荷物持ちか何かだろう。するとコロンの様に僕の心を読んだらしいコクノが、つぶらな瞳で尋ねる。
「でも、それじゃあ?」
「…………このままじゃいつか、独りで死ぬことになってしまう」
「……」
「…………久野には、独りで死んでほしくない」
「それはあの時お兄ちゃんが、お姉ちゃんに看取ってもらったから?」
「…………ああ」
あの時僕の死ぬ恐怖を打ち消してくれたのは、最後までそばにいてくれた久野の存在、未来ある人の手の温もりに他ならなかった。久野のお陰で僕は、自分の人生にも意味はあったような気がしたまま、眠りにつくことができた気がした。
「でも、それじゃあ人間と同じでしょ?」
「に、人間……?」
「この世界には、独りで生きることを望む人がいるように、独りで死ぬことを望む人も大勢いるの。それをかわいそうだと思ってしまうのは、かわいそうな人間のすることだもの」
「……何が言いたいんだ」
「ちょっとコハクー?」
「あ、はい、今行きます!」
玄関の方から、また久野の声がした。コクノは一応、彼女なりに色々教えてはくれたのだろう。でも結局のところよくわからなかったが。するとまた僕の心を読んだらしいコクノが、しゅんと俯いて答えた。
「ごめんなさい、説明が上手じゃなくて」
「ああ、いや…………アンドロイドになっても、僕の頭の良さは変わらないみたいだ」
いずれにしても、一日ゆっくり考える時間は欲しい。時間をかければ僕でも理解できるかもしれない、多分。
「……でも、私がこの世界を再現したのは本当なの。だから、私が死ねば、世界は元に戻る」
「…………え?」
「そしたらお兄ちゃんはアンドロイドじゃなくなって、お姉ちゃんはゾンビになる。お姉ちゃんがゾンビになるのは、人間のお兄ちゃんを見た時なの。それだけは、忘れないでね」
「……」
「コーハークー? 早くー」
また久野の命令に反応して、勝手に足が動き出す。僕の意思に反して、身体が玄関の方へ向く。
「い、今行きますから! ……コ、コクノ!」
「……何かしら? お兄ちゃん」
もう、コクノの方に振り返ることもできない。この話は、また今度だ。
「…………留守番を、お願いします」
「任せて! でも、早く帰ってきてね」
「……はい」
僕の身体が、勝手に久野の後を追う。
「来た来た。どうしたのコハク?」
「あ、いや、オーナー、あの……」
久野は大きめの、白いパーカーだけ羽織っていた。
「ん? 何?」
「いえ、その……」
「……」
「……」
「あー…………、すぐ、そこだから」
元の世界でも、この格好で現れて悶々としたことがあった気がする。このパーカーは、元の世界では僕が死ぬ前、小さい頃にプレゼントしたもの。この世界では誰からもらったのだろうか。アンドロイドである僕が、プレゼントしたとは考えにくい。普通に、自分で買ったのかもしれない。僕は玄関の壁に掛けてあったエコバッグを右手に掴んでから、久野の後を追って扉を開けた。
「お……」
見上げると、真っ白なドローンの群れが空を覆いつくしていた。
「え、いつものことじゃん。何やってるかは………………知らないけど」
後で久野に聞いてみたところこの世界では、このドローンはいつもの光景らしかった。真っ白なドローンの群れは互いにぶつかることなく、器用に進路を変えながら各々が目指す方向へと飛んでいく。そしてそのおびただしい数のドローンは、一台が飛び去ればまた次の機体がどこからか現れを繰り返し、空を埋め尽くし続けていた。
「…………」
どうやらこの世界では、自称入道雲の町、ニュウ都シティでさえ入道雲がきれいに見えることは無いらしかった。元の世界では、この町へ来てもうニ年経つ。それは未だにこの町に慣れることができていない僕にとっては、この景色は少しだけ、ありがたいことなのかもしれなかった。