03/虎丸ちゃん、意外とハーレム系なんだね
七月九日、朝の七時過ぎ。いつもの寝室。僕は目覚まし時計の音で、目を覚ました。
「…………え、夢オチ?」
久しぶりにしっかりとした夢を見た気がする。自慢ではないが、僕は悪夢を見たことが無い。いや、正確には、夢を見た場合楽しかったという感想のまま目が覚める場合が多い。勿論続きが見たかったとがっかりする場合もあるが、それはその夢が面白かったからだ。
「…………」
カーテンを開け、着替えを終え、二階の自室から出て階段を降りる。今日の夢は、どうだっただろうか。起きた瞬間に忘れてしまって、思い出せなくてまたがっかりするということもよくあるが、今回の夢は今も、鮮明に覚えている。
「……おはよう」
いつものリビングに入りいつもの席に座ると、いつもの朝食をコロンが、僕の席に持って来てくれた。
「おはようございます、お兄様。今日は納豆ご飯と、レタスと油揚げの味噌汁です」
「ああ、ありがとう。コロンはもう食べたのか」
「はい。ですが以前お兄様が作ってくれたものほどおいしくできませんでした。明日はお兄様が当番の日ですから、楽しみにしていますね」
いつも通り僕がご飯に納豆をかけると、いつも通りコロンは空になった納豆のパックを流しに持って行ってくれた。
「そうかな? 僕は今日のもおいしいと思うけど。それにしても、コロンは相変わらず早起きだな」
「私はお兄様の様に夢を見ませんから。今日も、何か見たんですか?」
コロンがリビングに戻ってきて、隣に座った。
「ああ……」
「覚えてるんですか?」
「今回は、結構はっきり記憶に残ってる気がする」
「そうですか。じゃあ、なぜあの時彼女を撃たなかったんですか?」
「………………え?」
「なぜ、あなたを撃ったんですか?」
「いや………………え?」
何で、コロンが僕の見た夢の中身を知ってるんだ。僕はまだ、夢で見た内容を一言も話していない。確かにあの時、コロンは僕の後ろにいて銃を差し出してきた。いや、だったら知っていて当然なのか。いや…………あの時?
「コハク!」
聞き慣れた声がして振り返ると、寝間着姿の久野が僕の家のリビングに飛び込んできていた。
「久野? 何でここに」
「良かった……。生きてた……」
生きてた…………? まさか。
「……もしかして、久野も僕と同じ夢を?」
「おはようございます、久野フミカさん」
コロンが笑顔のまま椅子から立ち上がって、僕と久野の間に割って入った。久野が身構える。
「……おはようございます、コロンさん……だったっけ?」
こんな状況だが、一応ちゃんと紹介しておくべきだろう。僕はコロンの横に立って、軽く肩に手を置いた。
「ああ、久野は会うのは初めてか。紹介するよ。僕の弟の、虎丸コロンだ」
「コハクの…………弟?」
久野は訝しげに、僕とコロンを交互に見た。コロンは気にせず、久野にニッコリと笑いかける。
「お初にお目にかかります。私はコロン。あなたは久野フミカさんですよね。しかし朝からそんな恰好で先輩の家に押しかけるなんて。先輩の弟としてはちょっと、許容できないですね」
久野は寝間着のボタンを留めながら、コロンを警戒したまま近づいてくる。
「これは……慌ててて、家が隣にあるから」
「家が隣に、ですか?」
久野神社の方は学校の近くにありここから少し離れているが、久野の住んでいる家は僕の家の隣にある。だから寝間着で押しかけることも可能なのだが、今までそんなことは一度も無かったし、押しかけられた今それはそれで困っている。
「そう……まさか知らなかったの? …………コハクの、弟なのに」
「そうですか。でも、それは理由になっていませんよ」
落ち着き払ったままのコロンを睨みつけたまま、久野が僕に警告する。
「そうかもね…………。コハク、そいつから離れて」
「離れる? 何で……」
一旦なだめようと近づくと、久野にすごい勢いで腕を引っ張られた。そして今度は、久野が僕とコロンの間に立ち塞がる。
「……これ以上、コハクの邪魔をするなら」
途端に久野の皮膚が、だんだん灰色にただれていく。
「おい、久野…………?」
「お前も、私と同じ運命を辿らせてあげる」
後ろからでもわかる。この気配、この姿は、昨日の夜のと同じだ。
「ほお…………。もう慣れたんですか」
コロンが、少しだけ驚いたような顔をする。
「慣れた? いや…………思い出しただけ、なんでしょ?」
「……確かに、そうでしたね」
そして気が付いた時には、コロンは僕の背後に立っていた。
「先輩も、次に会う時までに思い出しておいてくださいね」
そしてまた耳元で、悪魔が囁く。
「あなたが叶えたかった世界。そしてそれに差し出せる、代償を」
「コハク!」
久野が僕を押し退けようとして、足がもつれたのか僕を下敷きにして倒れこむ。その久野の身体は、触れるだけで寒気がするくらいに冷え切っていた。
「それじゃあお兄様、良い一日を。それと」
倒れたまま、横目でコロンの方を見る。コロンはいつの間にか、僕の家に残されていたはずのコートを羽織っていた。
「久野フミカさん、お兄様のこと、食べないでくださいね?」
嫌な予感がして久野を見上げた時には、その目から光は消えていた。昨日の夜、僕を食べようとした時の思考停止した目の奥が、僕の方に向けられている。
「久野…………!」
僕の上に馬乗りになった久野の口から、血の混じったよだれが落ちる。
「ごめん、コハク…………、やっぱり、コハクを見たら…………」
「そうですか。制御できたわけではなかったんですね」
横目で見ると、コロンが久野に銃口を向けていた。
「や、やめろ、コロン!」
「大丈夫です、弾は補充しました。それにちゃんと、それの頭だけ撃ちますから」
「そうじゃない、撃っちゃダメだ!」
久野は銃に気づいていないのか、僕の両腕を力いっぱい床に押しつける。何とか起き上がろうとするが、全く身動きが取れなかった。
「久野…………」
「なぜですかお兄様? このままでは、あなたはそれに食われて死んでしまう」
「……そうかもしれない、だけど、久野は」
その時またフラッシュバックしたのは、見覚えのある病室で今まさに白い布をかけられている、自分の姿だった。まるで幽霊になった自分が、自分の死体を見ているかのような光景。そのそばで泣き崩れているのは、幼い頃の久野だった。
「久野は僕の、最後の友達なんだろ?」
「その、記憶は…………」
コロンの目が、気のせいか少し潤んでいる気がした。
「弟なら、知ってるはずだ。僕の友達のことも、僕がもう、死んだことも…………いや、僕が、死んでる? ……それに……弟?」
その瞬間久野の顔が、僕の首元へ落ちるように迫ってきた。しかしその歯が突き立てられたのは僕の首ではなく、コロンが迷うこと無く伸ばした悪魔の右腕だった。
「コロン…………!」
「平気です。私は血の通った人間ではないので感染しません。それより久野先輩。思い出しましたか? ……血の通っていない、悪魔の腕の、食感を」
その途端、久野の肌の色が戻っていく。
「私は…………」
「久野先輩。やはりあなたは用済みです。もうお兄様とは距離を置いた方が良い。お兄様の、邪魔をしたくなければ」
コロンが顔色一つ変えず言い放った。
「…………」
「久野、大丈夫か」
「コハク……………………。ごめん、また、学校で」
久野はよろよろと立ち上がると、逃げるように去って行った。
「…………」
そして気づいた時には、コロンもいつの間にかいなくなっていた。
結局その日は、久野も、ミウさんも学校に来ることはなかった。いや、ミウさんに関しては、学校に来ないどころの話ではない。
「星木、ミウさん? この学校にそんな生徒いないよ?」
星木ミウという人間自体が、いなかったことになっていた。席も下駄箱の名前もなくなっていたため宮浦先生に確認したところ、宮浦先生は彼女のことを覚えてすらいなかった。慌ててスマホで調べてみると、彼女の父親が教祖を務める新興宗教団体、願望会の存在も丸ごと消えてしまっていた。
「あ、そうだ。虎丸の家、久野さんの隣だったよね?」
「ああ、はい」
「今日久野さんお休みだったでしょ? だから、ちょっと生徒会のプリントを届けてほしいんだけど……」
「はい、わかりました……」
「ホントか?! いつもありがとな虎丸……」
「ああ、いえ…………」
いずれにせよ、放課後様子を見に行こうとは思っていた。メールにはちょっと疲れただけといった旨のことが書かれてはいたが、何せ僕は、久野がゾンビになるところを見てしまっている。宮浦先生からプリントを受け取り、足早に教室を出る。しかし下駄箱で靴を履いたところで、バイト先のコンビニの店長から電話が入った。
「あ、虎丸ちゃん? 実は久野ちゃんが体調不良らしくってさ、今日代わりに出て来れたりしない?」
今日のシフトは店長と久野が出勤の日だった。代わりが見つからなければ久野が無理して来るかもしれないと思い、僕はその足でコンビニに向かうことにした。
「虎丸ちゃん、意外とハーレム系なんだね」
「……え?」
七月九日、夜の十時前。校則違反のバイト中。僕はバイト先のコンビニで、そこそこ仲の良い山河虎論店長に、これまでのことを相談していた。ちなみに店長の名前は動物の虎に論語の論と書いて、トラノリと読むらしい。
「で、虎丸ちゃんはどの子がタイプなのさ」
「いや、え?」
ゾンビとか悪魔とか、もっと気になるべきことはちゃんと言ったはずだ。僕の怒涛の一週間、何なら怒涛の一日の話を聞いた直後の一言目が、虎丸ちゃん意外とハーレム系なんだね、なのか。
「みーぽん、ショコちゃん、ナコちゃんに久野ちゃん、ユキちゃん。より取り見取りだと、俺は思うんだけどね」
「いや、もっと大事な話をしたつもりだったんですけど」
まさか、話題作りのための出任せと思われているのだろうか。確かに、知り合いがゾンビになって悪魔が僕の弟になったなんて、普通に考えたら信じられない気がする。そもそも店長は話を合わせてくれただけで、最初からまともに聞いてなかったのかもしれない。
「金と女以上に大事な話なんて無いんだから。虎丸ちゃん、いい加減な八方美人やって、女の子泣かせちゃダメだよ?」
確かに、店長が金と女性の話以外の話をしているところを見たことが無い。多分、それ以外の話に興味が無いのだろう。金と女性の話以外の話にフィルターがかかった結果、僕のクラスメイトのことだけが耳に残ったのかもしれない。
「……そういう意味ではその、もう、久野さんは、泣かせちゃったことになるんですけど」
「そうか……」
「…………僕は、どうすれば良かったんでしょうか」
思わず呟いていた。赤の他人にこんなことを言うなんて、僕は思ったよりも疲れていたらしかった。
「そうだなあ……。それはまず、久野ちゃんに聞いてみないとな」
「……久野さんは気を遣える人だから、本音を言ってくれるとは、思えないんですよね」
「確かにな。でもそれは、久野ちゃんに限った話じゃない」
「…………」
「この世界は、優しい嘘でできてるんだろ?」
コロンが昨日言っていたこの言葉。意味はよく分からない。でもどうやら店長は、僕の話をちゃんと聞いてくれていたらしかった。
「神の試練を塗り潰した、悪魔の優しい嘘……」
「嘘は、相手のためについているように見える時もあるけど、実は自分の気持ちを満足させるためだけでしかなかったりする。だから気を遣わせてると感じても、君が気にする必要は無いんだよ。気を遣うことを選んだのは、そうしたいと思い行動に移すことを望んだのは、久野ちゃんの方なんだからね」
「……そうじゃなくて、僕は」
「…………」
「本音が知りたいんです、久野さんが、本当はどう思っているのか」
「そうか……。でも大丈夫さ。久野ちゃんなら、これで良かったって言ってくれるよ」
これで、良かった……。本当にそうなのだろうか。いや。
「……それは、気を遣ってるから、本音じゃないんです」
「ああ、そうだろうな。だからこそ、久野ちゃんが人に気を遣えなくなるほど追い詰められている時、そのサインを、虎丸ちゃんは見逃しちゃいけない」
「え……?」
「嘘でできた世界は必ず綻ぶ。その一瞬の隙間から、真実を見るんだ。真実を見ることを、もし君が選ぶのならね」
「…………」
「久野ちゃんも人間だ、完璧じゃない。完璧じゃないんだから、いつか必ず綻びが出る時は来る。その綻びを目の当たりにした時、それでも久野ちゃんを必要としてあげられるかどうかは、虎丸ちゃん次第だよ」
「人間、ですか……」
「そう、久野ちゃんも、虎丸ちゃんも、人間だ。…………ん、いらっしゃいませー!」
「い、いらっしゃいませー…………!」
客が来たようで、背後の自動ドアが開いた。その後そこそこ忙しくなってしまったため、これ以上店長と話すことは無かった。そして僕の考えがまとまることも無いまま定時となり、僕はタイムカードを押してからコンビニを出た。
「ふう……」
一息ついたその直後、僕は誰かに呼び止められた。
「おつかれさま」
「……え、副、会長?」
店の外で腕組みをして壁に寄りかかっていたのは、右目に眼帯を付けた生徒会副会長、つまり昨日のコンビニ強盗犯、ミウさんだった。
「副会長、って……。コハク君だってそうでしょ?」
「それはそうだけど……何でここに……。だって、いなかったことになってたんじゃ……」
「……」
「ていうか、ここにいるってことは…………まさか、またコンビニ強盗?」
彼女は少したじろいだように見えたが、腕を組みなおして僕の横に立った。
「違う、けど…………昨日はその、ごめん。コロンを何とかして誘き出したかったんだけど、他に方法が思いつかなかった」
「えっ」
彼女の口から、コロンの名前が出てくるとは思わなかった。まさか会ったことがあるのか?
「フェイズ1……、空が赤くなる前に、終わらせなきゃと思って……」
自分自身に言い聞かせているかのように、彼女の声が段々小さくなっていく。
「……ミウさん、コロンのこと何か知って」
「避けて!」
「え」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。僕はミウさんに押し飛ばされて尻もちをついた。そしてミウさんは、コンビニの中から飛び出してきた山河店長に突き飛ばされ、駐車場の隅にうずくまっていた。いや、ミウさんを突き飛ばしたそれは、多分もう山河店長では無かった。山河店長の姿をした、赤い空に照らされた、ゾンビ。
「店、長……?」
それが、ミウさんの右足を踏みつける。彼女の悲鳴が、赤い空に響く。
「ミウさん!」
「コハク君、逃げて……」
「え、いや……」
「早く、久野さんのところに……」
その時なぜか、ゾンビが思い出したようにこちらを見た。音は立てていなかったはずなのに、目が合った気がした。掴んでいたミウさんの右腕を離し、僕を見ている。
「……あ」
いや、違う……? 僕じゃなくて、僕の、手元……?
「その銃……」
ふと目を落とした先、コンビニの駐車場に、金の銃が転がっていた。手を伸ばせば届く距離。なぜそこにあるのかはわからない。辺りを見回すが、コロンの姿は見当たらなかった。
「…………これで」
「いや、そうは、させない!」
僕の方に向かってこようとしていたゾンビの足を、なぜかミウさんが掴み足止めした。ゾンビの標的は、再び彼女へと戻る。
「……」
悪魔が使っていた金の銃。咄嗟にそれを拾った僕は、何も考えることなく立ち上がり、ミウさんに馬乗りになっていたゾンビに、銃口を向けた。
「コハク君……」
そして、そのこめかみを撃っていた。次に口の辺りを、その次に脳の辺りを、僕はその銃弾が無くなるまで、そのゾンビの頭部を撃ち続けていた。気づいた時には、ゾンビだったものは倒れ動かなくなっていた。
「…………」
「最悪…………」
少し気まずそうなミウさんが、倒れたゾンビの下から這い出てきた。我に返った僕は、慌てて駆け寄り手を貸す。
「ミウさん、足、大丈夫ですか?!」
「大丈夫じゃない、けど……ごめん。私、余計なことしかしてない」
いつの間にか、コンビニの周囲にはまた別のゾンビが徘徊し始めていた。
「いや、そんなことは……」
「とにかく、久野さんに会って。フェイズ2、世界が戻れば、この傷も、あの人も元に戻るから」
足をさすりながら、彼女は疲れた顔で店長の死体を見つめる。
「…………」
「……その銃、貸してくれる?」
「え、はい。でも、もう弾は残ってないと思うけど……」
「うん。その銃は、私が空にしなきゃいけなかった」
彼女は僕から受け取った弾の入っていない銃を、僕に構えた。
「え?」
「コハク君、久野さんに、よろしくね」
「いや……後ろ!」
彼女の背後に、いつの間にか別のゾンビが迫っていた。そして彼女が引き金を引く前に、振り返った彼女の右肩、しっかりと嚙みついた。
「ミウさん!」
僕は無我夢中で、ゾンビを殴り飛ばしていた。しかし僕のいる位置からでは、彼女の後ろのゾンビに手は届かないはずだった。でも、確かに手応えはあった。
「え…………」
僕の右腕は、僕の身体から発射されて、ゾンビを殴り飛ばしていた。
「……」
そしてその右腕は宙を飛び回り、周囲にいた残りのゾンビ全ての頭部を粉砕して僕の身体に戻ってきた。真っ白な、明らかに人間のものでは無いその腕。それはもう、いわゆるロケットパンチだった。
「これが……フェイズ3……?」
ミウさんが、右肩を押さえながら銃を拾って立ち上がった。
「ミウさん……これって……」
気づくとまた、別のゾンビの群れが僕達の方に集まってきている。
「……ごめん、後は任せて」
「いや、でも、ミウさん……今、嚙まれて……」
「大丈夫。私ももう、死んでるから」
「え」
「……コハク君だって、そうでしょ?」
今朝見た、病室で白い布をかけられている自分の姿が思い出される。僕は本当に、もう死んでるのか? そして、ミウさんも…………?
「…………」
ミウさんが改めて、僕に銃口を向けた。そして周囲が、真っ暗になった。
「…………コハク君、久野さんのこと、守ってあげてね」
目を開けると、久野の家の前に僕は一人で立っていた。空は黒く、ミウさんも、大量のゾンビもいない。
「……」
ミウさんのことも心配だが、今はまずオーナーのおつかいを済ませなければならない。僕はプラスチックの白い手で、オーナー、久野フミカの自宅の玄関のチャイムを押した。