02/この世界はその昔、神様の残酷な試練で出来ていました
「どうも、こんばんは。お邪魔してすみません。お食事中でしたか?」
七月七日、夜の十時前。家で一人晩御飯を食べていると、呼び鈴が鳴ったので僕は寝間着のまま、慌てて玄関の扉を開けた。小雨が降り始めていたようで、客は折りたたみ傘を畳むと真っ黒なコートのポケットから取り出したビニール袋にしまった。僕は一応、手で口を覆って会話を始めた。
「……えっと、まあ、はい。そうですね」
「これは納豆の香り、ですか?」
「ええまあ……食事中でしたので」
「私も納豆は好きです。とても……こう……スタイリッシュで」
確かにさっきまで、僕は納豆ご飯を食べてはいた。食べてはいたが、わざわざ今納豆を褒める必要は無いだろう。実際褒めていたのかどうかも怪しいが。
「あー、それは……どうも」
この人はつまり、納豆の訪問販売の人なのだろうか。見た感じ、僕と年はそんなに変わらない気がする。でもうちの学校は訪問販売に限らずバイトは禁止されていて、髪を染めるのも禁止されているのだが、この人はどう見ても金髪だ。だとすると、他校の生徒だろうか。
「ああそれと、そこにあるのは上着掛けですか?」
訪問者はそう言って、玄関に入ってすぐの二階へ続く階段の手すりにかかっていた、白いハンガーを指さした。
「これは…………洗濯物を取り込んだ時にちょっとかけておいたのを、片付け忘れたんだと思います」
「そうですか。お借りしても? このコートにはシワをつけたくなくて。お気に入りなんですよ、コレ」
「…………」
客は上着を脱ぐとそのまま渡してきた。その中には制服を着ていたようで、客は片手で襟を正す。初夏の夜間とは言え、暑くないのだろうか。というかやっぱり同級生なのか? 仕方なく僕は、そのままコートをハンガーにかける。
「それで、あなたが虎丸コハクさん、ですか?」
「え、はい、そうですけど…………」
訪問者はわざとらしく手を後ろで組んで、ニッコリと微笑んだ。
「お初にお目にかかります。私はコロン。あなたの力を、借りに来ました」
「…………えっと、何?」
「あなたの力が、必要なんです。力を貸して、頂けますよね?」
「……え」
一瞬で訪問者は、僕の眉間に銃口を突きつけていた。金色の銃が、目の前で鈍い光を放っている。僕は反射的に両手を挙げた。初めて見た、本物の銃。これは、納豆の押し売りどころの話ではない。これじゃあただの、強盗だ。
「………………入っても?」
僕は静かに頷いて、少しずつ後ろに下がる。強盗犯も、銃を構えたまま少しずつ前に進み、玄関の扉を閉めて手早く鍵をかけた。そして銃を構えたまま靴を脱ぎ捨てると、折りたたみ傘の入ったビニール袋を床の上に落とした。
「……」
「では、失礼します」
そう言った次の瞬間、金色の銃が床に落ちる音とともに、目の前にいた強盗犯は消え失せた。
「……………………は?」
強盗犯なんて最初からいなかったかのような静寂の前に、僕は一人立ち尽くしていた。僕は今、寝ぼけているのだろうか。
「………………何だったんだ」
頭が追いつかず、考えることをやめた。でも狐につままれたわけではないということは、残されたコートと靴とビニール袋と、金色の銃を見れば明らかだった。やはり強盗犯は、さっきまでそこにいた。そして、消え失せたのだ。外から聞こえる雨音が、段々大きくなっていく。雨はいつの間にか、本降りになっていた。
「あー…………、いや、ごめん。わかんない」
七月八日、夜の十時前。校則違反のバイト中。僕はバイト先のコンビニで、同じく校則違反を現在進行中の生徒会長、久野フミカに、昨日のコートと靴と折りたたみ傘と拳銃を撮った写真をスマホで見せていた。あれから、コロンと名乗った強盗犯は姿を消したままだ。置いてかれたコートが邪魔くさいだけで、その後の生活に支障は無い。ただ、だからと言って気になってないというわけではなかった。
「そうか……。あの店なら似たようなコートがあったとか、この靴ならあの店で見た気がするとか、この拳銃ならこの店に売ってる、とか無い?」
「ここ、日本なんだけど。拳銃を売ってる店なんて知らないし」
拳銃はともかく、コートや靴がもし最近買ったものなら、買った店を張っていればまた現れるかもしれない。そう考えた末、僕はバイトが終わる寸前で、久野に相談することに決めたのだった。
「そうか……。ちなみに拳銃なんだけど、ネット見ながらやったら弾、取り出せたんだよね」
たまたま、だけど。
「え、何でそんなことしたの」
「暴発したら危ないかと思って。弾は置いて来たけどさ、本体は鞄に入れて持って来てるんだけどさ、久野も後で見てみる?」
「…………ねえコハク、もしかして何か浮かれてる?」
僕は別に銃火器について詳しいというわけではない。とは言え、実物を生まれて初めて手にしてしまった今、舞い上がってしまっているというのは事実な気がする。久野の方は、そんなに興味は無さそうだったが。
「いや…………、だって、銃だよ?」
「あー……、うん、そうだね。で、話を戻すけど。コートと折りたたみ傘はわかんないとして、こんなローファー、ここら辺の店ならどこにでも売ってるからね?」
「ローファー?」
「ローファーっていうのは…………、この写真の、靴のこと」
「ああ…………」
久野はローファーの説明をしようとはしたが、言葉に詰まり断念したようだった。レジカウンターから身を乗り出しスマホの画面をこちらに向ける。僕はレジ前の在庫処分コーナーを整理しながら画面を見た。どうやらローファーとは、昨日の強盗犯が履いていた靴の種類の名前のことのようだ。コートと折りたたみ傘の方も、久野に心当たりは無いらしい。
「……」
「……」
特に話が広がることも無く、また元の沈黙に戻った。別に沈黙が気まずかったから強盗犯の話を振った訳では無いが、話題作りのための出任せと思われてないかが心配になってきた。確かに昨日家で強盗に襲われたなんて、普通に考えたら信じられない気がする。そもそも久野は話を合わせてくれただけで、最初からまともに聞いてなかったのかもしれない。こうなったら、金の銃を持って来て見せるべきか?
「…………あ、いらっしゃ」
客が来たようで、背後の自動ドアが開いた。振り返って挨拶をしようとしたが、僕はそのままの勢いで客の方に引っ張られ、そしてその客に捕まった。目線を落とすと僕の首元には、包丁が突き付けられていた。
「さ、さっさと金を出せ! こいつがどうなってもいいのか!」
それは、強盗だった。
「マジ…………?」
というかこの強盗犯、覆面をしていて顔はわからなかったものの、声に関しては聞き覚えがあるような…………。
「レジの金を、全部出せ!」
それを聞いた久野が、僕に目配せをする。
「あー…………、それなんですけど、その人質の、制服のポケットの中です。レジの鍵」
勿論、僕の制服のポケットの中にレジの鍵なんて無い。
「だ、だったら早く出せ!」
強盗犯が僕の首元で包丁を揺らす。久野はゆっくりと、消火器のある隅の方へ近づいていく。ひとまず僕は、久野のでたらめ通りに話を進める。
「も、勿論です。ただ……無くさないように、鍵は上着の内ポケットに入れているんです。だからちょっと、この体勢だと取り出しづらいんで……どけてもらえますか? その包丁。ほんと、一瞬で良いので……」
「…………さ、さっさとしろ!」
首元の包丁が少し離れる。その一瞬で、僕がしゃがんで久野が強盗犯に消火器を投げつける、はずだった。しかし今、背後の強盗犯を殴り飛ばしたのは、僕の胸から生えてきた、人間の腕だった。
「えっ」
最初僕は、強盗犯の右腕が僕の心臓を貫通したのかと思った。そう、見えた。胸から腕が生えてきたなんて、初見ですぐには思いつかない。しかし後ろを振り返ってみると、強盗犯は気を失って床に転がっている。すると僕の胸から出ていた腕は少しずつ伸び、次に上半身が現れ、下半身も出てきて、最後には人間の形となってその姿を現した。そしてその金髪の男は、僕の目の前で静かに立ち上がる。
「お前…………」
つまり今、僕の中から人間が出てきた。そして彼はわざとらしく手を後ろで組んで、今日もニッコリと微笑んだ。
「またお会いできて光栄です。私はコロン。あなたの力を、借りに来ました」
「嘘だろ…………」
「いえ、これは現実です」
昨日の強盗犯は、床に転がっている今日の強盗犯の方を向いた。近づきしゃがむと、今日の強盗犯の覆面を乱暴に脱がす。すると右目に眼帯を付けた、また見覚えのある顔があらわになった。恐る恐る近づいてきた久野も、気が付いたようだ。
「やっぱり……。ミウじゃん……」
「何で…………」
星木ミウ。生徒会副会長にして宗教団体の一人娘が、何でコンビニ強盗なんかに手を出したのだろうか。それに、このコンビニで僕や久野がバイトをしていることくらい、ちょっと調べればわかりそうなものだ。まさか、あえて僕達のいるコンビニを狙った、とか?
「ひとまず先輩方は、彼女をバックヤードに運んでください。私は監視カメラをハッキングして証拠を消します」
そう言うと、コロンは勝手に裏の事務室に入っていってしまった。
「え……僕達あの人の先輩なの?」
「……らしいよ」
そうは言っても、他の人に見つかって騒がれるとまずい。ひとまず客が来る前に裏に運ぼうと腕を掴んだ時、僕はその違和感に気づいた。
「…………身体が、冷た過ぎない?」
「……うん。何か…………死体みたい」
久野が直球で述べた。
「……まさか、死んでないよね」
「脈は…………ある気がするけど」
その時、ミウさんが目を覚ました。
「あっ……」
ミウさんは慌てて腕を振りほどき、立ち上がって少し後退りしてから、よろめきながらそのまま逃げて行こうとする。
「ミウさん待って!」
しかし、今度は開かなかった自動ドアにぶつかってまた気を失った。自動ドアの電源が落とされていたようだ。恐らく、コロンが裏で操作したのだろう。
「いえ、そうではありません。…………いえ、そうですね。もしそれ以外に可能性があるとしたら、あなたは何だと思いますか?」
いつの間にか、コロンが事務室から戻ってきていた。
「……コロン、さん? もしかして今、僕の心読みました?」
「はい、その通りです。……それで例えば、その自動ドアに木の板が打ち付けてあるとか、どうです?」
その途端、コンビニの自動ドアを封鎖するように巨大な木の板が浮かび上がってきた。まるで最初から、そこにあったかのように。
「はい。本当は最初からそこにあったんです。先輩方が、気づいていなかっただけですよ」
「…………久野にも、この木の板見えてるのか」
「見えてる。見えてるけど……」
隣を見ると、久野の身体が小刻みに震えだしていた。
「ど、どうかした……?」
「…………何か、寒く、ない?」
「え? 僕は別に……」
ふとコンビニの外を見ると、駐車場に一台白い軽トラが入ってきていた。コロンも気づいたようだが、昨晩と同じようにわざとらしく手を後ろで組んでから、ニッコリと微笑んだ。
「どうかしましたか、先輩」
「まずい。コロンさん、どんなマジック使ったのか知らないですけど、とにかく今はこの板、外してくれませんか? お客様が来たので、ちゃんと接客しないとお客様に怒られるんですよ」
「そうですね。それではあの客を接客してはいけないのだとしたら、店に入れてはいけないのだとしたら、なぜだと思いますか?」
どうやら、この謎の問答には付き合うしかなさそうだ。
「…………そうだな。じゃあ、あの人も実はコンビニ強盗、とか?」
コロンは、再びニッコリと微笑んだ。
「いえ。実はそれ以上です。実はあれは、いわゆるゾンビなんです」
コロンのその一言で、外の景色が一変した。深夜の星空が一面、真っ赤な雲で覆われている。それに照らされた軽トラからは、いつの間にか火の手が上がっている。そして自動ドアの前に立ち尽くすその客には、頭部が無かった。
「何だ…………? いや、この、光景」
そして僕は、この景色に見覚えがあった。
「先輩、思い出しましたか?」
頭部の無い客が、外から自動ドアを両腕で叩き始める。その音につられて、周囲から人間の死体が、ぞろぞろと集まってくる。
「僕は…………」
「先輩」
コロンが、僕の隣の方を見て言った。
「その人、大丈夫ですか?」
「え?」
「…………コハク」
久野が、こちらを見た。
「ねえコハク、私の手が、ボロボロで、服も、ボロボロで…………」
久野が、こちらを見ている。
「コハクが、すごくおいしそうなんだけど…………」
「おい、久野…………?」
「ねえコハク…………」
「……」
「…………コハクのこと、食べても良い?」
「は…………?」
思わず後退りする。その拍子に、いつの間にか背後にいたコロンが僕を、背中から包み込むように抱き留めた。
「先輩…………どうぞ」
その手には、金の銃があった。
「これ…………」
「先輩の鞄から、先程返して頂きました」
コロンがそっと、僕の手にその銃を握らせる。そして僕の右手を両手で支えながら、銃口を、目の前の久野に向けた。
「ですが今は、先輩にお貸しします。だって……」
耳元ではっきりと、コロンが囁いた。
「ご両親の、仇でしょう?」
「…………」
その瞬間フラッシュバックしたのは、僕の家の玄関に転がっている二人の人間の死体と、それに食らいついている一人の人間の映像だった。その死体は僕の両親で、それを頬張っているのは、久野だった。
「先輩から家族を奪った、先輩の日常を奪った張本人が、目の前にいるんですよ?」
…………そうだ。思い出した。僕の両親は、食われたんだ。
「とっても、おいしかったから…………」
今目の前にいる久野に、食われたんだ。
「コハクのお父さんも…………お母さんも…………おいしかったから…………」
久野が足を引きずりながら、一歩一歩近づいてくる。
「だからコハクも…………きっとおいしい」
視界の隅に、銃がちらつく。背後のコロンが、また囁く。
「さあ先輩、あなたが決断する時です」
「……」
だとすれば、今の僕に、できることがあるとすれば。
「…………」
そして僕は、コロンの両手を振り払って右手の銃を、自分のこめかみに突きつけた。
「え?」
「……あっ、ダメ!」
我に返った久野が駆け寄る前に引き金を引く。そして、気の抜けた音が響いた。やはり銃に、弾は入っていなかった。
「…………」
久野がその場に座り込んだ。肌の色が、肌色に戻っていく。僕は銃をその場に捨てた。コロンの声だけが、冷たく響く。
「先輩。それがあなたの決断ですか」
「…………」
「そしてその決断が、彼女に悪魔の嘘を思い出させた、と」
「……悪魔の嘘?」
「はい。この世界はその昔、神様の残酷な試練で出来ていました。それを塗り潰したのが、我々悪魔の優しい嘘。それを彼女は、思い出したのです」
「……えっと、僕にもわかる言葉で、お願いしても?」
「わかりました。では」
突然周囲が、真っ暗になった。
「え」
「ゲームオーバーです、先輩。プレイヤーであるあなたが、死を選んだのですから」
「……」
七月九日、朝の七時過ぎ。いつもの寝室。僕は目覚まし時計の音で、目を覚ました。
「…………え、夢オチ?」