12/あの虎丸さんが、アンドロイドになって帰ってきたですって?!
七月十四日、朝の十時前。フェーズ1、ゾンビの世界。空は赤い雲に覆われ、地上に人類の繁栄は無く生ける屍だけが蠢いている。悪魔コロンに言わせれば、この世界が本当の世界。地球は、とっくの昔に命溢れる星ではなくなっていたらしい。
「これが、神様の残酷な試練……」
この地獄を無かったことにしたのが、悪魔達が作ったフェーズ2。僕が本当の世界だと思っていた、かつての現実。人間の世界。でも本当の現実は、この地獄絵図の方だった。
「でも……」
シャベルを握りしめる右腕を見る。それはまだ白く、プラスチックの光沢を帯びたアンドロイドの右腕。人とアンドロイドが共存する世界、フェーズ3で、僕は人間では無くアンドロイドだった。前回は久野のアンドロイドで、今回は学校の備品だった。
「何でまだ、僕はアンドロイドのままなんだ……? いや、そうか……」
口に出してから気づいた。フェーズ1、ゾンビの世界が本当の世界、悪魔の嘘で塗り潰されていない世界なのだとしたら。僕は悪魔の嘘で生き返った。つまりこの世界の僕はもう死んでいる。ゾンビがこの世界を支配する前に、病室で久野に看取ってもらいながら生きることを終え、とっくに灰になっているはずだ。だから、フェーズ3の僕がそのままこの世界に来てしまったのかもしれない。
「これは……」
階段の前に、しばらく歩いたにも関わらずゾンビと出くわさなかった理由がそびえ立っていた。
「バリケードか……」
机や椅子を積み上げて作られたバリケードからは、学校のプールのような塩素の匂いがする。この世界のゾンビは、塩素が苦手なのか?
「どうしよう……」
ひとまず壊すわけにはいかない。もしかしたらまだ、このバリケードのおかげで生きていけている生存者がいるかもしれない。でも早くミウさんを探しに行かないと、ミウさんの身に危険が迫っているのは確かだ。いや、もしかして……。
「警告、背後に銃弾を検知、回避します……え」
僕の口が勝手に動き、身体が勝手に動き、僕の身体は宙を舞った。銃弾が右足を掠める。
「対象を確認、捕獲します」
僕は空中で身体を翻すと、僕に向かって発砲した人影をロケットパンチで拘束した。
「えっ……、何……?!」
襲撃者の手から銃が落ちる。この世界の住人は本物のアンドロイドを知らない。人の腕が自分目掛けて発射されたら、そりゃ驚くだろう。
「え、ナナコさん……?」
「な、何で私の事を……? あんた何なの……?!」
「そうか……」
この世界の僕はとっくに死んでいる。だから高校のクラスメイトであるナナコさんは、この世界では僕と会ったことが無いのか。
「そのアンドロイドは虎丸コハク。私と同じ、平行世界の旅人」
「ミウさん……!」
教室の中から出てきたのは、この世界で僕のことを知っている数少ない人物の一人、ミウさんだった。恐らくこの世界のミウさんも僕と同じように既に亡くなっているはず。だから平行世界のミウさんがそのままこの世界にやって来れたのだろう。勿論右目の眼帯の奥に潜む、悪魔の指輪の影響もあるのだろうけど。
「みーぽん……!」
「コハク君、ひとまずこの腕、外してあげて」
「あ、ごめん……」
僕は慌てて手を離し、腕を元通り装着する。
「このロボット……? みーぽんの知り合いなわけ? 私ちょっとまだ怖いんだけど……」
ナナコさんがミウさんの陰に隠れる。この様子だと、ナナコさんにフェーズ2やフェーズ3の世界の記憶は無いらしい。
「大丈夫よ。信頼できるかどうかは、柏櫓さんに聞けばわかるから」
まさか……柏櫓、ユキさん?
「かぐやりんに……? あ、そういえば、コハクって確か……前そんな名前の幼馴染がいたって、かぐやりんが言ってたような……」
かぐやりんというのは、柏櫓ユキのかとぐとやを取ったあだ名みたいなものだと思うけど、かぐやりんのりんはどこから出てきたのだろうか。
「ユキさんもいるのか……?」
「今は他の仲間と一緒に、周辺の警備をしてる」
「警備……」
「それから、柏櫓さんの弟だけど」
まさかジンのやつ、もうミウさんのことを見つけて……?
「だ、大丈夫だったの……?」
「大丈夫……? どういうこと……?」
「え、ジンに、襲われたりしなかった……?」
「…………ああ、そういうこと。コハク君だけじゃなくて、柏櫓さんの弟もこの世界に」
「そう、なんだけど、そのことじゃないの……?」
「私はまだ、柏櫓さんの弟には会ってない。この世界の彼は、滅亡の日に建物の崩落に巻き込まれて亡くなったから」
「え……」
「そして久野さんは、感染した」
「…………」
「顔を合わせてすぐは、取り乱すかもしれないけど。……受け止めてあげてね」
「…………あれ?」
その瞬間フラッシュバックしたのは、僕の家の玄関に転がっている両親の死体と、それに食らいついている久野の映像だった。
「…………コハクだから、ハックでどう?」
「………………え?」
「ニックネームよニックネーム! ちょっとハイテクっぽいし、ロボットのハックにはぴったりでしょ!」
「え、あ、うん……」
この世界での僕のあだ名も、こうして結局ハックになった。いや、そんなことより、このゾンビの世界が、悪魔の嘘で塗り潰されていない世界なのだとしたら。久野が僕の両親を襲うところを、生きた僕が目撃できるはずがない。
「…………」
「じゃああの記憶は、一体……」
ユキさん達が戻るまで、僕はまた解ける気のしない謎について、考え込むことになった。
「あの虎丸さんが、アンドロイドになって帰ってきたですって?! これはもう、百人力の大勝利ね!」
「え、あ、ありがとう」
七月十四日、昼の一時前。僕とユキさんは、笑顔で再開した。
「……柏櫓さん、ブレない人」
「流石は我らがボスリーダー! かぐやりんが最強だわ」
ミウさんもナナコさんも驚いてはいるが、これがいつものユキさんだということを知っているくらいには、この世界でのユキさんとの付き合いは長いらしかった。
「本当に………………良かった」
ただ、僕の手を握る彼女の両手は震え、その目に涙が浮かんでいることは、目の前にいる僕にはわかった。