11/いかがですか、悪魔のアンドロイドになった気分は
「フミフミおはよー!」
「あ、おはようショウコ」
「おはよー、ハックの修理終わったんだね、良かった良かった」
七月十四日、朝の八時過ぎ。既に蝉の鳴き声が木霊する中、上空をドローンが飛び交い続ける通学路で、僕と久野はこの世界のショウコさんとナナコさんに再会した。
「愛しのハック様ー! お願い腕貸してー!」
「腕? え、あ」
ナナコさんの言葉に反応して、僕の両腕はナナコさんの後ろで前ならえの状態のまま固定された。するとナナコさんは、僕の両腕をそれぞれ自分の両脇に挟むと、満足そうにため息をついた。
「あぁー……、超ひんやり。生き返るー……」
僕とナナコさんは、電車ごっこのような状態でふらふらと、線路脇の通学路を進んでいく。白く冷たい機械の腕に、ナナコさんの火照った身体の温度が直に伝わってくる。この世界のナナコさんは僕のことを、いつもこんな風に使っているのだろうか。まあでも確かに、冷たいペットボトルを脇に挟むのは体温を下げるのに効果的と聞いたことがある。つまり今の僕は、ペットボトル以下?
「ちょ、ちょっとナナコ?」
久野も珍しく慌てている。僕が何とかアイコンタクトすると、久野は僕の意図に気づいたようで視線を行き来させる。多分、ナナコさんの命令を上書きできる、僕への命令を考えてくれているのだろう。一方のナナコさんの方は、すっかり馴染んでリラックスしてしまっている。
「やっぱ夏はアンドロイドだよねー。フミフミも、ハックが家にいる間ずっとひんやりしてたんでしょー? 良いなー」
「いや! してないから! ……してないから、今、する!」
「え」
「コハク! 私の前で、前ならえ!」
「え……いや……、前?」
久野の言葉に反応して、僕の両腕は久野の前で前ならえの状態のまま固定された。そして久野は、僕の両腕をそれぞれ自分の両脇に挟んで、満足そうにため息をついた。
「ずるいぞフミフミ! ハックはフミフミだけのものじゃない! でしょ、ショコちゃん!」
ナナコさんが、負けじと僕の胴体に抱き着いてくる。状況は、悪化した。しかしこのやり取りもいつものことなのか、ショウコさんは手持ちの扇風機で優雅に涼みながら、興味無さそうに答える。
「え、あ、私? まあ……ハックは生徒会の備品だから、そう、なるのかな?」
「ほらー!」
「…………生徒会長、権限!」
目の前の久野が、真っ赤になっている。久野も暑さで割とおかしくなっているらしい。でも、僕にももう、どうにもできない。
「はいはい、二人とも行くよー」
「うあー! 独裁だー!」
平和な日常。でもそれは四人の日常ではなく、三人の人間の日常。
「……」
でも久野が、友達と笑っている。前回のアンドロイドの世界よりは、マシなのかもしれない。
「良い返事を、期待しているわ」
昨日ユキさんはそう言うと、ミオさんとレイナさんを引き連れて帰っていった。
「コハクが、決めるべきだと思う。すぐに返事をする必要も無いと思うし。ユキなら、きっとわかってくれる」
久野は、そう言ってくれた。そして僕は今、その言葉に甘えさせてもらっている。願望会のこと、この世界のこと、そしてジンのこと。どう考えても、僕達はユキさんの願望会を今すぐにでも訪れるべきだ。頭ではわかっている。それでも僕は、中学の時まで四人で過ごしたあの島へ、再び足を踏み入れる気になれずにいた。ミオさんがアンドロイドになり以前の記憶を失ってもなお、僕は覚悟が決められなかった。前回のアンドロイドの世界の時は、ミオさんとちゃんと向き合おうと、決意できたのに。
「それで良いんですよ、お兄様。あなたの命が、その感情を必要としているのであれば。それはこの歪な世界にも、必要な力ということですから」
コロンはそう言って、またどこかへと消えた。歪というべきなのかはわからないが、前回のアンドロイドの世界と今回のアンドロイドの世界が違うことは、確かな気がした。久野に元の世界の記憶があり、ミオさんに元の世界の記憶がないということ。ミウさんではなくユキさんが、願望会の一人娘であるということ。そして僕は久野のアンドロイドではなく、ユウヒ丸跡高等学校生徒会の、備品であるということ。つまり僕のオーナーは、久野ではなく…………。
「お、おはよう! 生徒会のみんな!」
七月十四日、朝の八時過ぎ。いつの間にか辿り着いていた校門前に、宮浦先生が立っていた。
「聞いてよミャーゴロ先生ー! フミフミがハックのこと独り占めするー!」
「な、ナナコが変な使い方ばっかりするからでしょ! 先生、コハクのこと早く預かって!」
ミャーゴロ先生と言うのは、宮浦悟朗先生のミヤとゴロを取ったあだ名みたいなものだろう。
「わ、わかりました。もうすぐチャイムが鳴りますから、後は俺に任せてください」
男子には異常な馴れ馴れしさで話しかけてくる癖に、女子には途端に弱腰になるのが宮浦先生のイメージだった。みんなも大体そんなイメージだったと思う。まさかこれが、悪魔の演技だなんて思いつくわけがなかった。
「よろしくお願いします、先生。ほら二人とも、早く行くよー」
ショウコさんがスマートに会釈する。ナナコさんは今度はショウコさんに抱き着いた。
「待ってショコちゃん、扇風機貸してー」
「はいはい、暑いから離れてねー」
「こ、コハク、じゃあまた、放課後……」
「あ、うん……」
ショウコさんに連れられ、久野とナナコさんは校内へ消えていった。
「……いかがですか、悪魔のアンドロイドになった気分は」
隣に立っていたはずの宮浦先生は、制服を着た金髪の悪魔、コロンの姿で僕の肩をポンと叩いた。
「コロン、その恰好……」
「はい。この世界、フェーズ3のユウヒ丸跡高等学校生徒会副会長はどなたか、お兄様はご存じですか?」
「えっ……?」
「星木ミウはゾンビの世界、フェーズ1へ逃げ去り、虎丸コハクはアンドロイドになった。つまり二人いたはずの副会長は、今や誰もいなくなった」
「え、まさか……」
「はい。私のことはユウヒ丸跡高等学校生徒会副会長、山河コロンと呼んでください」
「山河、コロン……」
「さあ虎丸! 生徒会室は覚えてるよな? 俺は一時間目の授業があるから、虎丸は生徒会室で、充電して待っててくれ」
目の前の山河コロンは、宮浦先生の声と口調で告げると僕の手に生徒会室の鍵を握らせた。その声に反応して、僕の身体は鍵を持ったまま、勝手に生徒会室の方へと歩き出す。
「ま、待って、コロン!」
僕は慌ててコロンを呼び止める。いや、この場から立ち去ろうとしているのは、僕の方なんだけど。
「どうかしましたか? 先輩」
「……願望会って、何なの?」
これだけは、今聞いておく必要があると思った。
「……」
「前ミウさんがいなくなった時は、願望会も存在しなくなっていたはず。でも今回は、ユキさんが願望会を名乗ってた。これって、どういうことなの?」
「……良い質問ですね」
後ろにいたはずのコロンが、下駄箱の影からぬっと現れた。
「……答えて、くれるの?」
「答えるデメリットが、私にはありませんから」
「デメリット……?」
僕は変わらず、コロンの命令通り生徒会室の方へと歩を進めていく。コロンは僕の後ろをついてくるので、表情が全く読み取れなかった。
「願望会が存続している理由。それは、誰かがその存続を願ったからです」
「誰かが、願った?」
「我々はあなた方人間と契約し、その願いを叶えることでその名を得ます」
「…………」
コロンとコクノは、久野から生まれたとコロンは言っていた。つまりもう一人の悪魔であるクロコも、三人目の悪魔であるレイナさんも、誰かから生まれ、その誰かの願いを叶えたということ。レイナさんはジンから生まれた悪魔らしいが、クロコに関しては今のところ、誰から生まれたのかも、叶えた願いもわかっていない。
「つまり誰かが願望会の存続を願い、我々の内の誰かが叶えたということです。それが誰で、誰から生まれた悪魔なのかは、勿論私にはわかりませんが」
「……そういえばコロンは、久野から生まれたって言ってたよね?」
「はい」
「久野は……何を願ったの?」
薄々察しはついていたが、コロンの口から、聞いておきたかった。
「契約内容を私の口から明かすことは、契約違反になります」
「……そっか」
「ですがお兄様は、もう気づいているのでは?」
「…………」
見覚えのある病室で、今まさに白い布をかけられている自分の姿が思い出される。まるで幽霊になった自分が、自分の死体を見ているかのような光景。そのそばで泣き崩れているのは、幼い頃の久野。久野が叶えた願い。悪魔の力を借りてでも、僕のことを生き返らせたいと思ってくれる人物がいるとすれば。その答えは、明らかに思えた。
「そうですね。そうだとしたら、どうしますか?」
生徒会室の扉が勝手に開く。中から出てきたのは、僕の後ろを歩いていたはずのコロンだった。コロンのこの行動や、僕の心を読まれたこと、僕はもう、特に何も思わなくなっていた。僕の身体はコロンの命令通り、勝手に生徒会室の中へと進んでいく。
「……」
「今日の放課後までに、考えておいてください」
そしてまた耳元で、背後の悪魔が囁いた。
「彼女が叶えたかった世界について。そして、彼女が差し出した、代償について」
「代償……!?」
「契約には、代償が必要ですから」
僕が振り返った時には、コロンはもういなかった。
「…………」
代償……。僕を生き返らせるために、久野は、何を諦めたのだろうか。いや、それがわかったところで、僕は、どうしたら良いのだろうか。
「……店長に、相談したかったな」
できれば正体が悪魔ではない、人間の、店長に。
「いかがですか、悪魔のアンドロイドになった気分は、だってー」
生徒会室の扉を閉めると、聞き覚えのある声がして僕は我に返った。
「君は……」
全開になった窓にちょこんと腰かけていたのは、この世界ではユキさんとジンの妹で元悪魔、レイナさんだった。
「心を読めるのにわざわざ聞くなんて、変な悪魔だよねー」
「……レイナ、さん」
「うん、僕はレイナ。会うのは二回目だよね。覚えててくれてありがとー」
「いや……二回目じゃ、ないでしょ?」
「……え?」
「……君って、ジンだよね?」
知り合いに会って話をしたい一心で、僕は目の前にいる本人に、突拍子もないことを聞いていた。でも昨日会った時から、僕はこのレイナさんにジンの気配を感じていた。勿論それは、レイナさんがジンから生まれた悪魔だから、と言われれば、それまでのことだったのだが。
「…………」
「違ったら、ごめん」
「……いや、さすがは幼馴染って感じ、見破られちゃうなんてさー」
「……」
レイナさん、いや、ジンは、すんなりとその事実を認めた。
「でも僕は、まだレイナだよ。今ジンの身体は、僕が借りてるんだもん。だから今から、ジンに返すねー」
窓から室内に降り立った元悪魔は、昔と同じように悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「……久しぶり、トラ」
「ジン、なのか……?」
見た目はレイナさんのまま、声もレイナさんのまま。でも僕のことをトラと呼ぶその笑顔は、幼なじみのジンのものだった。
「さすがトラだ。よくわかったね」
「ジン、家出してるんじゃなかったの……?」
「そういうことにしてるんだけど、トラの顔が見たくなっちゃってさ。でも人前だと、今のトラはアンドロイドっぽくしてなきゃダメなんでしょ? だから授業中の生徒会室が、一番良いかなって」
「その言い方……。ジンも、元の世界の記憶があるってこと……?」
「レイナのおかげで、ちょっとだけね。だからトラ、まずはこれまでのことを情報共有しようよ」
「情報、共有……」
僕は生徒会室の扉の鍵をかけてから、ジンにこれまでのことを話した。久野やミウさんのこと、そして僕が知っている、願望会のことについて。
「そっか……なるほど。やっぱり、星木ミウが悪いんだね」
「え?」
しかしその第一声は、思いがけないものだった。
「星木ミウがそのゾンビの世界に逃げたから、姉ちゃんが、願望会まで面倒見なきゃいけなくなったんだろ?」
それは……そう言うことに、なるのか?
「でも、ユキさんは何というか、昨日会った時は、願望会の支配者になって楽しそうにしてたよ」
僕にはそう見えた。ユキさんは小学生の頃から、児童会活動に精を出していた。そういう特殊な活動が好きなんだろうと、僕は思っていた。
「姉ちゃんは、楽しんでいるように見せるのが、上手過ぎるんだよ」
「え……」
「本当は、願望会の面倒を見るのも、生徒会長として学園の世話をするのも、もうやりたくないはずなんだ」
昨日、僕にはそんな風に見えなかった。自分の願望会、そして自分が生徒会長として支配している学園へ招待できることを、嬉しく思っているようにすら見えた。あの誇らしげな顔は、僕の父さんや母さんが仕事の話をしている時の顔と、一緒だ。
「…………」
「それに本当は、姉ちゃんは弟じゃなくて、妹が欲しかったんだ。だから僕は、悪魔の力を借りて姉ちゃんの妹になった。後は願望会を消して、学園を消せば、姉ちゃんにとっての夢の世界が、完成するんだ」
「学園を、消すって……」
「その方法はまだわからないけど、願望会を消す方法なら、今わかった」
「え?」
嫌な予感がした。
「前、星木ミウが消えた世界では、願望会も存在しないことになってたんだろ?」
「まさか……」
「星木ミウを消せば、願望会も消える」
「待って! それは……」
「心配すんな。トラの手は汚させない」
もう、最初に感じたジンの気配は、全く感じられなくなっていた。目の前にいるのは、話の通じない、昨日会ったばかりのただの悪魔。でもこれが、この世界のジンなのだとしたら、僕が見過ごすわけにはいかなかった。
「そうじゃなくて、今言ってたこと、本当にユキさんが望んでることなの? 本当に、ジンに頼むと思ってるの? ミウさんを……消してほしいって」
「いや、姉ちゃんはそんなこと言わない」
「……」
「でも、それは気を遣ってるから、本音じゃないんだ」
「え……」
ぞっとした。全く同じセリフを、以前僕は自分の口から聞いたことがあるからだ。山河店長に、久野のことを話していた時だ。
「姉ちゃんは、もっと自由な世界で、姉妹で、のんびり幸せに暮らしたいはずなんだ」
そして僕は、今度は以前ミウさんが僕にかけてくれた言葉を、そのままジンに返していた。
「それは、ユキさんじゃなくて、ジンの願望なんじゃないの?」
不思議な感覚だった。山河店長と話した夜も、ミウさんと話した夢も、確かに今も覚えている。全て、同じ僕が経験した現実なのか。
「……」
ジンが黙っている。いずれにせよ、ジンを止める必要があるのは確かだと思った。
「そんなにユキさんが辛そうにしているなら、ミウさんのことを追いかけるより、そのユキさんのそばに、いてあげるべきなんじゃないの?」
「……すぐ、終わらせるよ。全部終わったらすぐ姉ちゃんのところへ帰る。悪魔の力があれば、すぐに終わる」
気づくと窓の外が、赤くなっていた。
「え……?」
フェーズ1。ゾンビの世界。何で今このタイミングで、世界が変わったんだ……? まさか、ジンの悪魔、レイナが……?
「トラはここから動かないでね。トラはアンドロイドになったままだから嚙まれても大丈夫だと思うけど、それでも何が起きるか、わからないから」
ジンが窓に足をかけた。
「で、でも……」
ジンが振り返る。しかしその気配は、悪魔レイナのものになっていた。
「ねえ。ジンのお姉ちゃんが本当はどう思ってるかなんて、誰にもわからないんだよ?」
「え……」
「わかるのはね、自分が、今、どう思ってるかだけ」
「……」
「だからジンはね、今、自分が本当にしたいと思っていることをやってるんだよ」
「それは……」
「ねえ。君は、今自分が本当にしたいと思っていること、知ってる?」
「…………」
そんなの、わからない。わかっていれば、もうやっている。
「じゃあ、教えてあげるね」
「え?」
「誰かのためじゃなくて、その誰かに嫌われたとしても、したいこと。それが、今の君が本当にしたいことだよ」
「……」
「次に会う時までに、思い出しておいてね。本当にしたいことを思い出した人にだけ、悪魔は力を貸してくれるから」
そう言うとレイナは、ひょいと窓の外へ飛び降りた。
「……」
その窓から下を覗いたが、レイナの姿はもうどこにも無かった。その代わり、そこから見える学校の中庭には、ボロボロの制服を着たゾンビが徘徊を始めているのがわかった。
「今、僕が本当にしたいこと……」
僕はまだ白いままの右手で、部屋の隅にあった新品のシャベルを手に取る。
「…………」
そして深呼吸をしてから、生徒会室の扉の鍵を開けた。