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dirty boys

雨が激しく降りしきる夜だった。

俺は六歳の時、初めて人を殺した。

 俺がガキの頃に生まれ育ったのは、イーストLAの片隅の貧困地区だった。

 周りに多いのはチカーノと呼ばれるメキシコ移民系の連中だが、ウチがあったのはその一角の黒人居住区だ。

 親父と母ちゃん、兄のクレイと俺の四人暮らし。今思えばどこにでもあるような幸せな家庭ではなく、クソみたいな家庭だったのだと思う。

 家屋も二階建ての古臭い木造で、ところどころから隙間風や雨漏りをするボロ家だった。


 親父はろくに仕事もせずに酒を飲んでは夜な夜な家の中で暴れていたし、母ちゃんは家計を支えるために売春婦をやっていた。

 収入はほとんど親父の酒代に消え、小さかった兄貴や俺は毎晩聞こえてくる怒号に怯えながら生きていた。


 ……


 そんなある日、クレイと俺が小学校から連れだって帰ってくると、いつものように親父がリビングのソファで酒を飲み、赤ら顔になっていた。

 母ちゃんは買い物か何かで出ているようだ。


「ただいま」


「おう。クレイ、サム。母ちゃんはまだか? 酒がもうありゃしねぇ」


「さぁ。わかんない」


 兄のクレイが親父とやり取りをする。泥酔しているわけではないので機嫌はそこまで悪くないようだ。もしかしたら母ちゃんがわざと親父の酒の量をセーブしているのかもしれない。

 しかし、母ちゃんや兄貴はよくもこんな恐ろしい男とやりとり出来るものだと俺は思っていた。


「チッ。二階に上がってろ。晩飯までは下りてくるなよ」


 言われた通り、俺たち兄弟は二階へと上がった。


「クレイ。パパはどうしてあんなにいつもお酒を飲むの?」


「わかんない。おいしいのかな。でも、何か変になっちゃうから、もう飲まなきゃいいのにね」


「うん」


 この時、兄のクレイは十歳。俺は六歳だった。酒の味なんて知りもしないガキだ。アル中の気持ちなど分かろうはずもなかった。


「クレイ! サム! メシだぞ下りてこい!」


 それからしばらく経って、母ちゃんが帰ってきたらしく、親父が俺たちを呼ぶ声が聞こえた。

 この時ばかりは嫌いな親父の声でもありがたい。ようやく夕飯にありつけるという合図なので当然だ。空腹だった俺たちは飛ぶように降りていく。


 親父は口も悪く、働きもしない甲斐性なしだが、酔っ払ってさえいなければそれなりに話もできるし暴力を振るったりはしない。この日の夕飯の時も、みんなの話に合わせて笑ったり相槌を打ったりしていた。

 だが、食事の後に親父がウィスキーの瓶の蓋を開けるのを見ると、俺達はすぐに二階へと退避する。ここまでくると恒例行事のようなものだ。母ちゃんの目も「上がってなさい」と伝えているのが分かった。


 ……ガシャンッ!


 その日の真夜中。

 何かが割れる音と叫び声、そして怒号で俺は目を覚ました。チラリと時計を見ると夜中の二時。

 クレイも目が覚めたようで、隣のベッドからむくっと立ち上がったのが暗くても分かる。音はいつものごとく、一階からだ。


「またパパだね。毎晩うんざりだよ」


「うん。こわい」


 いつもならこのまま布団をかぶってそのままじっとしているのだが、クレイは部屋の扉を開けた。


「階段を下りて見に行く」


「え、なんで?」


「何だか嫌な予感がする。サムは残る?」


「一人にしないで」


「分かった。一緒に行こう」


 クレイが俺の手を引き、そろりそろりと忍び足で階段を下って行く。

 たっぷり一分近くの時間をかけて一階のリビングを覗くと、信じられないような光景が広がっていた。


「ママ……!」


 母ちゃんが頭から血を流して床に倒れている。その横にはビール瓶を持った親父の姿が。

 親父は瓶を叩き割り、大きく振りかぶってそれを母ちゃんの喉元に突き刺そうとした。当然、刺されば即死は免れない。


「やめて!」


 とっさにクレイが大声で叫んだ。親父が振り返る。


「ひっ……」


 親父がふらふらとこちらへ近寄ってくる。目は座り、自分でも何をしているのか分かっていないのは明白だ。

 俺は息を飲んだっきり声も出せず、手足はガタガタと震えていた。


「サム、逃げろ!」


 クレイが叫んだ。親父の気を逸らそうと、テーブルにあったフォークやマグカップを投げつけている。

 俺は必死で震える手足を抑えつけ、ゆっくりと後ずさりを開始した。


 親父はまずは俺ではなく、抵抗を見せているクレイへと近寄って行った。その間も食器を投げていたクレイだったが、ついに親父に蹴り飛ばされて階段側へと倒れこんだ。


 次は……俺だ。親父が向き直り、こっちに向かってくる。


「いや……やだ……」


 尻もちをつき、俺はさらに後ろへ下がる。その時、俺の手に冷たくて固い何かが触れた。怪しく黒光りを放つそれが、無造作に床に転がっていたのを覚えている。

 それは……親父の拳銃だった。


 その当時、この町には決まったギャング組織は存在していなかった。だが、その辺のゴロツキとも関わりのある親父は、護身用にと拳銃を所持していたらしい。


「あ……あ……」


 俺はそれを両手でしっかりと握り、銃口を親父へと向ける。とても重たい。

 だが、不思議と迷いはなかった。引き金を引く。動かない。


 引き金を引く。動かない。


 引き金を引く。動かない。


 俺は、殺されるという恐怖から無我夢中だった。めちゃくちゃに銃を振り回し、引き金を何度も何度も引きながら癇癪を起こす。


「なんで動かないの!」


 その時、安全装置にたまたま指が当たって解除されたらしく、突如、拳銃は火を噴いた。


 パァン! パァン!


 両手で抑えていたのに、その衝撃は凄まじく、デタラメな方向に銃弾は飛んでいったようだ。

 握っていた手は衝撃で痺れ、俺はそれを床に取り落とす。


 すぐそばにまで来ていた親父は発砲に動じることもなく、俺の顔面を大きなこぶしで殴りつけた。鼻の骨が折れ、ボタボタと血があふれ出してくる。


「あぁぁぁぁっ!!」


 堰を切ったように泣き叫び始めた俺を無視して、親父は再び母ちゃんの方へと戻っていった。また、割れた瓶を振り上げようとしている。無意識のはずなのに、そんなに母ちゃんを殺したいのか。

 俺は取り落としていた拳銃を拾った。


 階段側に飛ばされていたクレイも戻ってきた。武器としてほうきを持っているので、あれを探してきたのだろう。

 先ほどの銃声で、俺か母ちゃんが撃たれたとでも思ったようで、その表情は凍り付いている。だが、誰にも銃弾が当たっていないことを確認できたようだ。


 次は外さない。しっかりと無防備な親父の背中に狙いを定める。


「サム!? ダメだ!」


 クレイが俺に叫んだが、もう遅かった。


 パァン! パァン!


 銃弾は親父の背中と腰のあたりを貫いた。

 どっと倒れこむ親父。クレイがほうきを捨てながら駆け寄り、その身体を揺すっている。


「父さん! 大丈夫!?」


 なんでだよ、クレイ。そいつは母ちゃんを殺そうとしていたっていうのに……

 俺は親父ではなく、母ちゃんへと駆け寄った。


「ママ! ママ!」


 出血だけで言うと誰よりも母ちゃんのものが激しい。既に死んでしまっていたのではないかという不安が襲い掛かってくる。だが、よく見ると浅く呼吸をしているのが分かった。


「ママ!」


「サム、父さんが……息をしていないかもしれない」


「え」


 クレイの悲しそうなその言葉で、やっと俺は自分が何をしたのか、その重大さに気づいた。

 俺とクレイはどうしていいのか分からず、大泣きした。


 雨が激しく降りしきる夜だった。


 ……


 おそらく銃声を聞いた隣の家の住民が通報したのだろう。

 警察がドアを蹴破り、玄関からぞろぞろと入ってきた。


「子供二人を確認。怪我を負っている。さらに倒れている男女二名。こちらは酷い」


 一人の警察官が何やら報告をしている。


「もう怖くないぞ。君たちもひどい怪我だな。よく頑張った。もう大丈夫だからね。病院へ行こう」


 俺たちはこうして警察に保護された。


 ……


 ……


 それからしばらく俺とクレイは同じ病室で療養していたが、クレイの怪我は打撲程度だったので、俺一人を残してすぐに退院となった。


 病院の先生の話では母ちゃんもそれと同日に退院したという。頭からの出血はかなりの量に見えたが、案外と傷は浅く、脳などにも何の影響もないとの事だった。

 逆に親父の話は誰もしてくれなかった。死んでしまったのだろうと俺は確信していた。それはつまり、俺が殺したということだ。それに気づいてからしばらくの間、俺の身体は恐怖で震え続けていた。


 骨を折っていた俺は、それからしばらく病院に一人で泊まりつづけた。

 しかし、母ちゃんもクレイも一度も見舞いに来てくれない。理由があるのは明らかなのだが、幼かった俺は、人殺しの俺なんか嫌われて、捨てられてしまって当然だ、と思っていた。

 もう、家族には二度と会えない。クレイは撃つなと止めてくれた。それを無視した結果がこれだ。だが……


「サム。無事でよかったわ……」


 数日がたったある日、母ちゃんとクレイが突然、迎えに来てくれた。

 俺は捨てられてしまったと思い込んでいたので、その顔を見るなり大泣きした。


 クレイは笑ったが、母ちゃんは一緒になって泣いてくれた。


「サム、一人にしてごめんね。怖かったでしょう、ごめんね……」


 母ちゃんは俺が父親を撃ってしまったことを怒るどころか、そう言って抱きしめてくれた。母親のデカさを知った。


 ……


 二人は毎日やってくる警察の取り調べだかなんだかで俺の見舞いに顔を出せなかったと話してくれた。朝から晩までそれは続き、夜中にこの病院の扉を叩いても時間外だと追い返される毎日だったらしい。


 結局、銃についた指紋から発砲したのは俺だということは簡単に分かったらしいのだが、親父が毎晩暴れていたことと、俺がまだ六歳だということもあり、大きな事件として取り上げられることもなく終結した。


 だが、近所では噂が広がり、俺たち家族は人殺しの一家と呼ばれた。特に、俺には親殺しの悪魔の子という呼び名がついていたらしい。事実無根ならば反抗するところだが、真実なので俺にはどうしようもない。直接は殺しに関係のない家族にまで迷惑をかけてしまっているのも情けなく、俺は次第に学校に行かなくなり、部屋に引きこもってしまった。


 兄のクレイはその間も休まず学校に一人で通っていた。しかし、学校では俺の代わりにいじめられているようだった。噂は当然、学校でも広まっていたからだ。

 毎日、身体に新しいあざを作って帰ってくるクレイ。それを見ているうちに俺はだんだん腹が立ってきた。そんなことをする奴にも、逃げ続けている俺自身にも。


 ある日、いつものように帰ってきたクレイ。

 その日はいつにもまして怪我がひどかった。顔は腫れ上がり、服はズタボロだ。

 俺の中で、ついに何かが弾けた。


 話を訊くと、クレイは決まって「やりたい奴にはやらせておけばいい」と答えた。しかしその日、クレイは初めてこう言った。


「俺は何を言われても平気さ。殴られたって気にしない。たとえサムが父さんを殺したことで、それが始まったんだとしてもね。その矛先が俺ならば許せる。でもね、サムの事を悪く言うやつは許せないんだ」


 クレイはニッコリと笑った。それは、俺の悪口を言った奴らにたった一人で立ち向かったことを表していた。

 一人だけ逃げていた自分が恥ずかしい。そして、クレイが兄貴で本当に良かった。


「クレイ。僕、君がお兄ちゃんで誇りに思うよ。世界一かっこいいお兄ちゃんだ」


 俺はわんわんと声をあげて泣いた。クレイは傷だらけのボロボロの顔で、ただ微笑んでいた。


 ……


 次の日、俺はクレイと一緒に久しぶりの学校へと向かった。


 校内では、授業時間以外のすべてを二人で行動した。文句や悪口を言ってくる奴らもいたが、相手にしなかった。

 クレイも、俺が学校に出ていなかった間に俺の悪口を言ってくる奴らとは戦っていたが、俺が登校するようになってからはそういう奴らも気にとめないようにしていたみたいだ。ケンカになれば俺が巻き込まれるからだろう。

 しかしそれでも、避けられないケンカを売られた場合は堂々と戦った。


 もちろんほとんどが負けだ。こっちは二人しかいないのだから。だが、それでもめげずに俺達は毎日学校に行き続けた。


 次第にいじめはなくなり、ちらほらと遊んでくれる友達もでき始めた。


 二年後、クレイは小学校を卒業し、一足先に中学校へ進学していった。

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