真実に気づいたジャックの心
「ジャック……すまない」
リロイが苦しそうな顔で謝罪するも、ジャックは呆然としたままだ。
――ブルーミス男爵と夫人、そしてミリアが地下牢の中で息絶えた姿で発見された。
知らせを聞いても、ジャックは信じられなかった。己の目で確かめるべく出向いた牢で見たのは、確かに変わり果てたミリアの姿だった。
男爵の後ろにミラフーリスの貴族の存在が見え隠れしていることまでは分かっていた。男爵自身の言葉と、リロイの証言のおかげだ。おそらく、その人物によってブルーミス一家は「消された」のだろう。グライト王国は平和な国だ。それは緊張感が足りなかったと言い換えてもいい。どろどろと陰謀渦巻くミラフーリスの狡猾な高位貴族ならば、城に自分の手の者を紛れ込ませるのも簡単だっただろう。
事実、実行に関わった人物はすでに捕縛されている。
同時に、ミスリの薔薇を毒となるよう育てた容疑で拘束されていた庭師の無実が証明され、無事に釈放された。
事実は至極単純だった。正しくただ美しい薔薇を咲かせようとした庭師と、毒を生み出させようとする人物との行動で生育環境が乱れ、薔薇はすぐに枯れたのだ。
「必ず、黒幕が誰だったのか突き止めるから。ブルーミス男爵は証拠を隠す術をあまり知らなかったようだし、これできっと見つかるだろう。……時間は、かかるかもしれねえけど」
そうなればいいと思う。罰せられなければならない人間が何も罰を受けることなくのうのうと生きていることはとても許せることではない。
騎士団や陛下と事後処理や今後の方針の相談など、目が回る程忙しく動き回った。
やっと落ち着いて自室で1人になると、なんとも言えない虚無感がジャックを襲う。
ジャックは高をくくっていた。1度目に散々問題の植物片を見ていたし、随分と特徴のある香りだったので見ればすぐに分かると思っていた。
こんなにも簡単に匂いの変わる花や植物があるなど、思いもよらなかったのだ。
実際に今回、ミスリの薔薇を前にして、自分の知っている匂いとのあまりの違いにジャックは困惑した。
事件だけは少し様相が違うものの、同じようにして巻き起こったにも関わらず、どうして植物だけがあれほど様子を変えたのか……。
ブルーミス男爵邸に踏み込んでミスリの薔薇を目にした瞬間、自分のミスと母である王妃の身に起きたことを理解したジャック。
(確か、自分は王妃があの薔薇を大事にしているのも目にしていた)
すぐに枯れてしまったとはいえ、確かに目にしていたのだ。
ジャックはなおも、現実逃避の様にミスリの薔薇のことを考える。
そして、ふと気づいた。
(本来、1度目に、1番最初に私の身近で起こったあの薔薇の毒の事件の被害者は誰だった……?)
1度目にも専門家があの毒を解析した。今回もまた同じような見解が出始めている。
あの薔薇は取り扱いが繊細で、毒自体もほんのわずかな育て方の差で生み出されたり、その強さが変質したりするらしい。
長い年月をかけて、改良され続け、こうやってこの時期に大きな事件になるまでの毒になったのだ――。
最初は僅かに体を弱らせる程度の弱い毒。バレないように、少しずつ。恐らく表面には出ない被害者を出しながら毒は研究されてきたはずだ。
1度目にはその毒は徐々に強くなっていった。だからこそ表面に出るのが遅れた。すぐに死に至るようなものではなく、長く摂取し続けて体を内からぼろぼろにするような類のものだったから。
しかし、今回の被害者は早い時期に死に至った。不審死事件としてそれぞれが注目される程度には不自然に。
王妃はすぐに薔薇を枯らし、枯れた花がお茶にできると聞いて大事に飲んでいたらしい。ほんの短い期間摂取していただけの王妃があそこまで身体に不調をきたしたのだ。恐らく1度目よりも強力な毒だったことは間違いない。
(最初に命を落とすことになった被害者は――レイスター公爵だ)
それはブルーミス男爵にとっても予想外の出来事。あれは不運が重なった結果の偶然の死。レイスター公爵をよく思わなかった彼の同僚が例の「お茶」を入手し、彼に勧めた。お茶により毒を摂取した公爵は体を弱らせていき……そこにたまたまハイサ病という流行病が重なり、不運にも命を落とすことになった……。恐らくどちらか1つなら死ぬことはなかったのだ。
事実、お茶の摂取がほぼなされなかった今回は全く死の影は忍び寄らなかった。
1度目、その死の真実に気付いたブルーミス男爵は慎重になった。
それこそが、1度目の毒が今回の毒よりも弱かった理由なのだ。――予想外の死者に、その時点で全く安定していなかった毒の存在がバレることを恐れて、研究が、遅れていた……。
ジャックは1つの可能性に思い至り、愕然とした。
思わず1人でぽつりと言葉を零す。
「私が願ったのは、ミリアとの、結婚…………」
ミリアも恐らく、ジャックとの結婚、もしくは最低でも自分の幸せな未来を願ったはずである。
(私は時戻りしたばかりの時、なんと言った?)
『君の父上のレイスター公爵は来年、私達が14歳になる年に亡くなったと記憶している。13歳に戻れば1年ある。それだけあれば十分準備してその死を防げるだろうな。……つまりそういうことだ』
『つまり、私の願いは君との婚約が解消されさえすれば叶う。正式に婚約発表のパーティーを開いたのは学園入学前、15歳のデビュタントでのことだ。……それまでは大丈夫という判断なのだろう』
違う。最初から間違っていたのだ。あのタイミングはレイスター公爵の命を救える最低限の時間軸だと思ったが、そうではなかった。戻る時間は願いが叶うギリギリの時間。
3人の願い全て、あのタイミングでなければもう叶わなかったのだ……!
(誰の命も奪われていない、最後のチャンス。あの時に全てを止めることが出来ていれば……せめてレイスター公爵の死の回避のタイミングでブルーミス男爵のたくらみに気付けていれば……)
罪は罪だ。目を瞑ったところでなくなりはしない。それでも、例えばジャックがミリアを選び、そのことを「なかったことに」すればミリアとの結婚は果たされただろう。誰にも気づかれていない段階だったのだから。男爵やミリアの破滅も防げたはずだ。例えそれをジャックの良心が許さず罪を公にし、結婚の約束は果たせなかったとしても。
最低でも、あの毒で亡くなる者を出すことも、ブルーミス一家の死も、防げたのだ――。
ジャックはそれ以上、考察を続けられなかった。ミリアのことで頭がいっぱいになってしまったから。
「ミリア……」
ミリアはジャックの思っていたような人間ではなかった。男爵のしでかしたこと、そして全てを知りながらともに罪を重ねるような行動をしたミリアの処刑は免れなかった。
それでも……それでも。同じ死でも、正当な罪への罰と今回の死は違う。
例え止められるチャンスが自分にはあったと気付いても、全て自分のせいだと思う程ジャックは殊勝ではない。2度あった。その両方で罪を犯した。彼女たちは正しく犯罪者だ。不運にも道を踏み外した哀れな者とも違う。
それでも。
1度は、愛した人なのだ。生涯自分の隣にと、望んだ人だったのだ。
彼女への愛がなくなっても、愛した時間はなかったことにはならない――。
ジャックは1人、今日だけだと自分の心に言い訳をして涙を流した。
その心に、かつて確かに存在した最愛の人を想って……。
月明かりだけが、ジャックの涙を照らしていた。




