ジャックの胸騒ぎ
その知らせを聞いたとき、ジャックは妙な胸騒ぎを覚えた。
「ルーシー嬢とアルフレッド・バルフォアが正式に婚約……?」
知らせをもたらしたのはジャックの母である王妃だ。
「ふふふ、なんでもバルフォア侯爵家のアルフレッドはルーシーにとても夢中だそうよ!」
嬉しそうに顔を綻ばせながら話す王妃。王妃はルーシーを随分可愛がっていた。
元々ジャックの婚約者にルーシーをと勧めたのも王妃だった。だからこそ、ジャックがミリア・ブルーミス男爵令嬢を選び、おまけに随分とルーシーを蔑ろにしていた事実をレイスター公爵から聞かされた時には眩暈がするほどショックを受けていたものだ。
「ルーシーはきっと愛されて幸せになれるわ。……本当に良かった」
ジャックは何も答えられなかった。
王妃が自分の息子がしたことに対して、ルーシーに罪悪感と申し訳なさを覚えているのは気づいていた。それでもミリアとのことを反対せず、チャンスを与えてくれたことには感謝している。
しかし――。
「あなたたちも、早く婚約が結べるようになればいいのだけれど」
憂うような王妃の表情。
婚約するために決められた約束は『ミリアが妃教育の最低でも4割を完了させること』
これは随分優しい条件だ。ルーシーは婚約解消の時点で基本の教育は9割完了していた。あとはさらなる知識を、ということで、あれば助かるがカリキュラムには入っていない勉強を重ねていた。もっとも、1度目に全てを終えていたルーシーは実はそれ以上の知識を持ってはいたけれど。
ジャック自身が望んだ令嬢であること、婚約者であるルーシーが口添えしたこと、皆の前で宣言し、周知の事実になったこと、ミリアが男爵家の令嬢であったこと……もろもろを鑑みて、4割完了させることが出来れば、あとは婚約後でもよいだろうとの判断。
当然ながら妃教育は進めば進むほど難易度があがる。大変であることには変わりないが、4割は努力次第でそこまで期間をかけずに習得できる範囲であると言える。
つまりこれは教育の完成度を問われたのではなく、厳しい妃教育に真摯に取り組み、努力できるかどうかをみるための条件だったのだ。
「ジャック様ぁ、マナー講師のサブリナ夫人も私を目の敵にしているんです……きっとルーシー様より私が選ばれたことが許せないんです!もしかしたら、ルーシー様が私を悪く言っているのかも」
王妃とのお茶の時間を終えた後。自分も帝王学の勉強を受けるため、王城内を移動している時だった。
庭園の側を通ると、そこにいたミリアが目を涙で潤ませ、自分に訴えてくる。
(それこそ今は、妃教育を受けているはずの時間だ……)
ジャックの中には焦りがあった。このままではミリアに努力する気がないと思われてしまう。これでは彼女を妃に迎えることが出来ない。時戻りまでして自ら望んだ愛する人。
彼女は度々教師陣や使用人からのいじめを訴えた。
(それはありえない。ミリアの勘違いだ)
きっと、予想以上に厳しい教育に混乱しているのだろう。これまでのミリアが育った環境を考えると、使用人として節度を持って接する使用人や侍女の態度が冷たく感じるのかもしれない。
「ミリア、君に辛い思いをさせてしまって済まない。だけどどうか頑張ってくれないか?ここを乗り越えることが出来れば私達は正式な婚約者になれる」
(というか、このままでは婚約者にはなれない)
条件を満たせないという意味でも、――自分の気持ち的にも。
******
「ジャック、なんか荒れてんね」
項垂れていると、目の前に紅茶とケーキがおかれる。
今日は1人お忍びでカフェに来ている。例の隣国のリロイ殿下を伴ってきたあの時のカフェだ。
「彼女との婚約がなかなか調わなくて。婚約するために条件が出されているんだが、彼女には少し難しいみたいなんだ」
溜息を吐きながら答える。
『確かに自分は貴族だが、できれば平民の友人にするように接してほしい』
そう願ってからジャックの対等な友であるこのカフェの店主の息子、トニー。思えば、王族であるジャックにとって、こうして対等に話せる友人は彼が初めてかもしれない。
(私が王子であることを知ってもこうして話せるならいつでも伝えるのに)
トニーの気持ちは変わらなくとも、知ってしまえばこの付き合いは終わりにしなければならない。自分の立場はそういうものだ。
トニーは不思議そうに首を捻りながら、うーん、と声をあげる。
「婚約したい彼女って、こないだ一緒に来て先に飛び出していったご令嬢だろう?俺、貴族のことは分からないけど、雰囲気的にあの令嬢はジャックよりだいぶ身分が低いと見た」
お前の身分を聞くのは怖いからやめておくけど、と少しおどけながら。
「そうだ。だからこちら側の都合で出さざるを得なかった婚約の条件が、彼女にとってはハードルが高いものになってしまったんだよ」
(私もまさかミリアがこの条件で、そこまで辛い思いをするとは思わなかったが……)
トニーはジャックの向かいの席に座る。今は他に客もいない。ゆっくり話を聞いてくれるようだ。
「なあ、聞いてみたかったんだけど、どうしてあの令嬢だったの?ジャックっていいやつだし顔もかっこいいだろ?多分身分も高い。選びたい放題だろ?確かに顔はめちゃくちゃ可愛かったけど」
ジャックはこの優しい友にはなんでも打ち明けてしまう。腹の探り合いをしなくていいからかもしれない。
彼に、ミリアに恋に落ちるまでの経緯を簡単に話した。ご令嬢方の傲慢にも思える媚の売り方とアプローチに辟易していたこと。そんなときにミリアと出会ったこと。
「彼女はこれまで出会ったどの令嬢とも違っていた。傍目には淑女らしからぬ行動だと非難されるかもしれないが、無邪気に笑い、私の身分を気にせず懐に飛び込んできた。そんな姿が無性に可愛く見えたんだよ」
ツンとすまして、それなのに期待がありありと浮かんだ目で自分を狙う令嬢達とは違う。
ためらいもなく自分に触れ、恥ずかしがるわけでもなく、己の弱さを素直にさらけ出し、自分を頼ってくれる。最初は何とも思っていなかった。珍しい令嬢だなとだけ。でも媚を売るのとは違うあけすけな態度に、気付けば惹かれてやまなかった。
トニーにそんな話を具体的なエピソードまで交えて聞いてもらいながら、可愛いミリアの笑顔を思い出す。そうしていると幸せな時間が蘇ってきて、思わず顔も緩む。
(……思えば最近あの無邪気な笑顔をあまり見られていない)
やはり無理をさせているのだと心苦しく思った。
しかし、自分のそんな思いとは裏腹に、トニーはなぜかポカンとしている。
「なあ、ジャックって本当に身分の高いご令息なんだろうな……」
「は?」
どうも皮肉のように聞こえるのは気のせいだろうか。
「お前が辟易していたって言うご令嬢の媚の売り方っていうのがどんなもんか知らないけどさ。お前が今言った愛する彼女の行動はよく知ってるよ」
「え……?」
どういうことだろうか。
「それはな、まんま男好きの平民女が男をひっかけようとするときの行動と一緒だ。その彼女が貴族ならそういうつもりはないのかもしれないけどさ」
言われた意味が上手く理解できず、それでも頭が冷えていくジャック。トニーは眉間に皺を寄せて、ジャックを心配そうに見つめている。
「俺の勘違いなら申し訳ないけど……でもその令嬢、本当に大丈夫なの?」
ミリアは男爵家とは言え貴族の令嬢だ。平民ではない。だから恐らくトニーの言っているような平民の女性とは違うだろう。トニーはあまり貴族のことは分からないと言った、その言葉の通りよく分かっておらず、「同じだ」と感じてしまっているに過ぎない。
頭ではそう分かっているのに、なぜだろうか。
王妃からルーシーとアルフレッドの婚約を聞かされたときに感じた妙な胸騒ぎを、なぜ今、こうも思い出してしまうのだろうか――。
大事なことを教えてくれるトニーと、何かに気付きそうでまだ受け入れられないジャック…




