プロローグ
「私は彼女を心から愛しているんだ。だから君とは結婚できない」
婚約者の王子様、ジャック殿下は突然王宮に与えられた私の部屋へ訪ねてきたかと思うと、申し訳なさそうに頭を下げてそう宣った。
レイスター公爵家の長女、ルーシー・レイスター。18歳。
私は今、人生で最大の屈辱を味わわされている。
そもそもこんな夜更けにわざわざこっそりと訪問してきた時点で嫌な予感しかしなかった。いや、いい話であるわけがなかった。――なんたって婚約者たる私の部屋に、可愛らしいご令嬢をベッタリとくっつけて来たわけだからね!!
「紹介するよ、彼女が私の恋人であり愛する人、ミリア・ブルーミス男爵令嬢だ」
当然のように部屋に入り込み、私の対面のソファに2人寄り添うように並んで座って、自分がどれだけ彼女を愛しているか、彼女がいないと生きていけない、などなど、甘ったるいことを殿下は神妙な顔でつらつらと並べ立てる。いや、もうどうでもいいんだけど。
とりあえず、問題だらけのこの状況、何が1番問題かって?
明日が私たちの結婚式だってことだよ!!!
「君には本当に申し訳ないと思っている」
いやほんと、何考えてるの?明日だよ?あと数時間したら結婚式!
それを前日の、それも夜更けにいきなり「君とは結婚できない」?いやいやいや。今更どうしろっていうわけ?せめてもう少しどうにかできる段階で言ってくれないかなあ!?
「私も悩んだんだ。だが、どうしても彼女以外を伴侶に迎えるなど考えられない」
隣にべったりくっついて座っているミリア男爵令嬢も、申し訳なさそうにしおれて見せているけど、口元ちょっと緩んでるぞ!嬉しいのを隠しきれてない!分かるよ!大好きな麗しい王子様が、自分のために婚約者に「結婚できない」って言い渡してくれたんだもんね!どれだけ自分のことを愛しているか目の前で何度も言ってもらえて舞い上がるよね!でもね、数時間後には私この人の妻になってるはずだったんだってば!
そう、数時間後には妻になる予定なのだ。ほんと、今更そんなこと言ってきて、このオウジサマは一体どうしたいわけ?
「君にとっても、愛のない結婚をするのは不幸でしかないと思うんだ」
この段階で結婚取りやめだとか、私にとっては恥でしかないんだけど?
我が家の家名にも傷がつく。政略結婚ではあるけれど、今そんなことを言いだすくらいならばせめてもっと早ければどうにでもできたはず、多分。その場合でも恥をかき傷が残るのは私なのが解せないけれど。でもさすがに今からどうにかできるわけがないでしょう。馬鹿じゃないの?ていうか今の時点で女としてのプライドと尊厳はズタボロだよ……。殿下に愛はなかったし、私たちはほとんど婚約者らしい交流もなかったけれど、これはさすがに酷い。
その上、私に泥をかぶって屈辱にまみれて社会的に死ねと?
「ただ、私としても、君の名誉に傷をつけることや君に恥をかかせることはしたくない」
は?いや、もう今の時点で屈辱でしかないわけだけど。
ここまでなんとか貼り付けていた仮面の笑みがいよいよ崩れそうだ。
そう思っていると、ジャック殿下は思いもよらないことを口にした。
「だから、一緒に過去に戻ってこの婚約を取りやめにしないか?」
「――は?」
ついに笑顔の仮面が剥がれた私は全然悪くないと思う。




