九月オレンジ柄の、食べられる金木犀
ある日、知らない番号から電話がかかってくる。戸惑いながら電話に出てみると、卑猥な言葉を連呼されて、そのまま一方的に電話を切られる。大学でマルクス経済学を専攻した私だから言えることなのかもしれないけれど、生きるってこういうことなんじゃないかな。多分。
他人に迷惑をかけるような人ばかりの世界にももちろん神様はいて、神様は色んな場所やものに宿っている。あえて一つだけ例をあげるとすれば、ピクルスとかにも。でも、ピクルスはハンバーガーの中にしか存在していなくて、ハンバーガーといえばアメリカだから、ピクルスの神様がいるとすればきっとアメリカ人だ。
以下、私とピクルスの神様との会話。
「ねえ、ちょっとどうなってるの? 私の周りにろくな人間がいないんだけど」と私
「それは違うな。この世界には確かにろくでもない人間がたくさんいるが、それと同じだけ、良いやつだって存在している。自分の周りにろくな人間がいないと感じるのは、君が本気になってそういう人間を探そうとしていないからさ」とピクルスの神様
「仮にあなたの言うことが正しいとしてさ、どうしたらその良いやつっていうのは見つかるわけ?」と私
「じゃあ、良いやつを見極めるための方法を一つだけ教えてやる。すごく簡単だ。真冬の寒い日に、Tシャツにミニスカートという格好で、首にプラカードをかけて街中で立っていればいい。ただし、プラカードにはこう書いておく。『誰か良い人はいませんか?』って」とピクルスの神様
「何? プラカードにそう書いていれば、良いやつが『実はわたしがあなたの探し求める良い人なんです』って声をかけてくれるの?」と私
「いいや、違うね。自分で自分のことを何の恥ずかしげもなく良いやつって言える人間にろくな人間はいない。そういうやつは大抵やばいやつだ。できるのであれば、そういうやつとはできる限り関わらずに生きていきたいね」とピクルスの神様
そういえばピクルスの神様ってどういう肌の色をしているんだろう。そこでふと私は考える。パティの上にのっかっているやつみたいに、一度泥水の中に落っことしたみたいな、緑色をしているだろうか。試しにケチャップが塗られたピクルスに手と足を生やした姿を想像してみたけれど、なんだか食欲が失せるだけ。そして、そんな私にピクルスの神様がアドバイスを続ける。
「だけど、本当にまれに。これは本当にまれになんだが、『風邪を引きますよ』って声をかけてくるやつがいる。そいつは本物だ。死んでも離すな」
ここで下ネタを一つ。セックスした次の日ってさ、内ももあたりが筋肉痛みたいになるじゃん。あれってどうにかならない?
ブンブンブン。ハチが飛ぶ、ハチが飛ぶ。
そういえばだけど、私は小学生の時、パン屋さんになるのが夢だった。駅の中にあるようなお洒落なやつじゃなくて、住宅街の中にあるような素朴だけど、どこか雰囲気のいいやつ。だけど、小学生の私はパン屋さんと同じくらいにお金持ちにもなりたかった。だから、いっぱいいっぱい考えて、お母さんとかお父さんに相談してみたりして、結果、私はパンと一緒にお酒を売ることを思いついた。お酒はどんな時代にも沢山の人が買い求めるからだ。好景気のときは娯楽のために、不景気のときは現実逃避のために。
「まーちゃんがお店を出したら、私がお客さん第一号になるね」
その当時一番仲の良かった佳菜子ちゃんの言葉。こういうのは大体実現しない。佳菜子ちゃんはマリーっていう名前のラブラドールレトリバーを飼っていて、そいつはいつも牛乳を浸した雑巾みたいな臭いがしていた。想像できる? 牛乳を浸した雑巾みたいな臭いって? 結局佳菜子ちゃんとは別々の中学に進学してから疎遠になって、地元の成人式で五年ぶりに再開した時にはもう、彼女は二人の子供の母親になっていた。相手は誰? と私が尋ねると、三十歳年上の会社員だと答えてくれて、幸せ? と私が尋ねると、幸せだよと少しだけはにかみながら答えてくれた。過程がどうであれ、そして、結果がどうであれ、愛し合うことはとても素晴らしいことだ。お金持ちになるよりも、沢山の人から称賛されることよりも。愛し合うことそれ自体を心の底から馬鹿にできる人は、とても可哀想な人だと思う。これはあくまで私の意見。ちなみに、犬のマリーは三年前に皮膚がんで死んだらしい。それもそれで同じくらいに可哀想なこと。これもあくまで私の意見。
ここらへんでまた下ネタが来ると思った? 残念でした。童貞はマスでもかいてさっさと寝な? へいへいほー。へいへいほー。
カール・マルクスは経済ではなく、愛を説いた。だから、私は彼の言葉に心を揺さぶられる。大学のゼミの教授の口癖。教授はいわゆる左派系の論客として有名な人で、たくさんの支持者とたくさんのアンチを持った人だった。同じゼミに在籍していた男の子は根っからのネトウヨで、言い換えるならば、教授の周りにいるたくさんのアンチの一人だった。面と向かって言う度胸はさすがになかったらしいけれど、彼は影で教授のことをボロカスに言っていて、将来は国会議員になって、ああいう左翼の人間とか韓国人を日本から追放してやるんだと息巻いていた。教授は数年前、横浜駅構内で体液のような液体を女性にかけた容疑で逮捕された。教授はきれいな奥さんも教授という立派な肩書も手に入れていたけど、性欲だけはどうしようもなかったのかもしれない。ちなみにネトウヨの男の子は、大学中退後に美容師の道に進んで、今は三鷹市の床屋で毎日誰かの髪の毛を切っている。チョキチョキチョキ。チョキチョキチョキ。
人生は本当に何が起きるかわからない。もう一度だけ。人生は本当に何が起きるかわからない。チョキチョキチョキ。チョキチョキチョキ。
さっきは愛なんて大それたことを言ってみせたけれど、お前もそんな立派な人間じゃないだろ? と言われると、えへへってなっちゃう。果たして私はこれまでの人生において、どれだけ人を愛し、どれだけの人から愛されてきたのだろうか。そのことについて考える時、私はいつも大学時代になんとなく付き合って、なんとなく別れた男の子のことを思い出す。彼の顔はもう思い出せないけれど、品川の原美術館でやっていたヘンリー・ダーガー展を一緒に周ったことだけは今でも覚えてる。翼の生えたよくわかんない女の子の絵を二人で見ながら、私達は他愛もない会話をした。こんな風に。
「このヘンリー・ダーガーという作家が本当に望んでいたものが何かわかる?」と彼が尋ねる。
「わからない」と私が答える。
「それはね、自分を必要としてくれて、なおかつありのままの自分を受け入れてくれるような幼い女の子なんだ」と彼が言う。
「可哀想に」と私が感想を言う。
「きっと、大人の女性と対等な関係を結ぶ自信がなかったのね」
それから私達は売店でお揃いのポストカードを買って、その二ヶ月後に別れた。彼は大学卒業後、千葉県の県庁職員になった。何をもって『素晴らしい県庁職員』とすべきなのかはわからないけど、多分彼なら素晴らしい県庁職員になれる気がする。頑張って! 里中くん!
もう話すこともなくなったし、そろそろ終わろうと思う。好きなときに始めることができて、好きなときに終わることができるというのは大変助かる。人生における大概のことはそうではないから、なおさら。最後に一つだけ教訓めいたこと言うとしたら、ペダンチックであることにも憧れるけれど、やっぱりキッチュであり続けるほうが私らしいかなって。わけわかんない? 大丈夫。私が一番よくわかってないから。
それじゃあ、バイバイ。さようなら。車には気をつけてね。