アラクネ騒動記 3
今日の語り手はエマではありません。
生まれた時からここにいた訳ではなかった。
最初の記憶は暖かな家の中だ。
見たことのない生き物が私を見ていた。
それは目が2つしかなくて顔に比べて口が少し大き目な随分と私とは違う生き物。
暖かな寝床と美味しい食べ物をくれた人だった。
やがて続く穏やかな毎日。
彼女は私を優しい声で可愛い名前で呼んでくれた。
ピッパ。というのがその大事な大事な私の名前だ。
私が生み出す糸を紡ぐ彼女との日々は優しくかけがえないものだ。
私が生み出し、彼女に紡がれ、染められた糸をゆっくりとレースに編み上げるのに椅子に座る姿。指先から魔法のように生み出される繊細な模様たち。
自分が生み出した糸が姿を変えるその様は彼女を魅了してやまなかった。
「どうしたのピッパ?」
「私の糸が美しく変わるのが楽しいのよ。」
「そうさね。おかげで美しいベールができるよ。このベールを纏う花嫁は幸せになるよ。」
「私もそんな素敵な布を織りあげてみたいわ。できるかしら?おばあ様?」
「もう少し年を経たら人に変化することも出来ようからそうすれば自分で編んでみればいい。」
「ほんとに?じゃあ教えてくれる?」
私が尋ねるとおばあさまは頭を優しく撫でてくれる。
「・・・そうさね。それまで生きていなくちゃね。」
寂しげな笑みを浮かべてそう答えてくれた。
「嬉しいわ。ありがとう。」
私は嬉しかった。彼女の一瞬の沈黙に続く意味を理解できるほど大人にはなりきれていなかったのだ。
そう言っていた彼女は、やがて髪が真っ白になり動きがゆっくりになり、長くレースを編むことが出来なくなった。
私も懸命に看病はしたけれど、人間とは異なる体で満足のいく世話をしてあげれなかったのは今でも悲しい。
別れは突然だった。
「ピッパ、私はそろそろダメらしいよ。」
ついに枕から体を起こすこともできない彼女は弱弱しくそう呟いた。
「私の息子は私には優しい。でもお前にはきっと違う。私がいなくなれば誰かにお前を売ってしまうか、万が一退治してしまうかもしれない。
私は息子にそんなことをして欲しくもないし、お前を誰ともわからぬ人に渡すのも耐えられそうにないんだよ。だからお願いだ。私が死ぬ前にこの家を出て森へお行き。寂しいだろうが。」
彼女の息子は互いにとって不幸なことに蜘蛛がダメな性質だった。
それでも母の生きがいを奪うのも酷だ、と考える優しさは持ち合わせていた。母が生み出すアラクネレースは金になるのも一因だったかもしれない。
妥協の果ての森暮らしだ。
「いやよ。私ここしか知らないの。」
首を横に振って精一杯の我儘を言ってみるがこの日の彼女は固い決意を覆そうとはしなかった。
「ワガママ言うんじゃありません。大丈夫、お前は賢いアラクネだからね。」
「なんで。あなたの言うことが余程ワガママだわ。」
「おやおや。私の可愛い娘は立派な口ごたえするようになったんだねぇ。しかたないね。これは出来れば使いたくはなかったんだけどね。」
そう言うと彼女は小さく呪文を唱え指輪に触れた。と、同時にいたたまれない程の嫌悪感が私の身を苛んだ。
「な、なに?これは?」
「蜘蛛よけの呪いさ。早く敷地の外に出なさい。でないと・・・動けなくなるよ。」
「そこまで?私が嫌い?」
こんな風に追い出されることが悲しくてたまらなかった。
「聞き分けておくれ。これがあなたのため、あの子のためよ。さあ。愛しい我が子の旅立ちだね。こんな送り方しかできない私を許しておくれね。」
力なく笑うが指輪に魔力を、おそらく辛い体を押して注ぐことはやめない。
それでも離れまい、と私は体に力をこめた。だが、魔獣は人よりも生存本能に忠実だ。抗いきれない衝動にやがて私は扉を突き破るように外へと飛び出した。
離れなければ。ここから。この感覚から。
「さよなら。あなたにまたよき出会いがありますように。愛しい愛しい私の娘」
小さな声で呟かれた彼女の言葉は私の錯覚かもしれない。
それからどれくらいの時間がたっただろう。
ようやく近づけるようになった頃には懐かしい家は屋根がおち、蔓草に絡まれすっかり姿を変えていた。
さらに時間が過ぎ去る。森に住まい魔物を餌にする生活にも慣れた。美しいと言われた糸は巣作りにしか使わず、獲物を捕まえることも随分慣れた。
新しい人間が現れたのは突然だった。
眩しいほどの強い魔力を感じて私はそれに近づいた。それならば長い孤独を終わらせてくれるはずだ、と本能で察知した。
自分とは明らかに格が違う魔力に消されても構わなかった。
区切りの関係で短めになりました。




