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1.黄色

 ――私が“奴”に出会ったのは、かの『蒼空戦線』を戦う部隊に編入されてからの初戦だった。

 当時、戦闘機の乗り手たる“空の騎士”たちの中でも抜きんでた技量を持っていると認められていた私は、我が祖国がかの戦争に参加した際、その先鋒部隊として選抜された。そして持ちうる技量を充分に発揮して己の才能を瞬く間に知らしめたのだ。

 数々の作戦に参加し、遂行し、完遂へと導いて着々と戦果を積み上げた私は、『撃墜王』の称号を手にするまでになっていた。

 ――私は空に愛されているのだ。

 かつて、従軍記者にそう語ったことがある。最前線で戦う部隊の中で、自分に敵う者は敵にも味方にもいないとも確信していた。

 ジェットエンジンの放つ轟音は子守歌ですらあり、機体は手足のように扱うことができた。自分の思い描いたとおりに飛ばすことができるのだ。そう思っていたのだから、負けることなど考えるわけが無かった。

 そうして『撃墜王』となってから、一つの部隊の隊長を任され数人の部下を持つことになった。部下は配属当初は実戦経験こそ無かったものの、私の課す訓練を着実にこなし腕を磨き、初陣やそれに次ぐいくつかの実戦においても一人の脱落者を出すこともなく戦果を挙げ、ここまで来た。

 間違いなく自慢の部下だと思っていた。彼らと共に歓声に包まれながら勝利を迎えられるはずだと、私は信じて疑わなかった。

 けれどそれは、一炊の夢として終わってしまった。

 気付けなかったのだ。

 “空に愛される”など、()()()()()ことだということに。


 ――“その時”の私は、『撃墜王』の貫禄も何もなく、無様に喘いでいた。

 真後ろに敵がいる。

 現状が危険であると報告する画面や、喚くようにがなり立てる警報を見るまでもなく聴くまでもなく分かりきっていた。首を捻れば、すぐそこに“奴”がいるのだから。

 いくら思考を巡らせても、この状況を脱する算段を思いつくことができなかった。悪態が口を衝いた。

 そして咄嗟に部下の名を叫んだ。しかし誰も応えない。

 無線を通して聞こえるのは、悲鳴を上げて助けを請う部下の声。そしてそれを塗りつぶしていく爆音だ。

 視界の端で、炎が上がった。

 誰かがやられたのか確認する暇はない。次は自分の番だろうからと。

 操縦桿を右に倒す。機体がふらりと舞いながら、右への急旋回に入った。スロットルを前方に押し上げる。

 急激な旋回によって発生した強烈な慣性に耐えながら、首を捻って後ろを見た。

 ――まだ“奴”が居る。

 まるで静止していると錯覚するほどに、ピタリと背後についていた。

 左に操縦桿を倒す。頭の上に大地が映るまで回り、そこで一気に機首を引き上げる。機首が地表を向いた。

 全身の血が足へと下がっていき、目の前が暗くなる。血の気が引く音が聞こえた気がした。

 暗くなる視界が全て黒に塗りつぶされようとした瞬間、引きっぱなしだった操縦桿を元の位置に戻す。

 すると私の視界には、青空が広がっていた。機体は蒼空の天井を突かんとするかのごとく、真上を目指して飛んでいたのだ。

 蒼かった。美しかった。吸い込まれそうなほどに深かった。

 けれど見惚れている場合ではない。今は探すべき敵がいる。首を捻って“奴”を探し始めた――その時だった。

 操縦席に影が落ちた。

 つられるように顔を上げると、急旋回よりさらに血の気が引いた思いをした。

 ――“奴”がいたのだ。

 それぞれの操縦席の風防を合わせるように、背面の“奴”が私と並んで飛んでいる。

 まるで手を伸ばし合えば、握手できそうだと思えるほど近かった。だからその機体を詳しく見ることができた。

 猛禽類の嘴のような鋭い機首。機首と胴体との間に流麗なくびれを描いた曲線は、主翼へと滑らかに繋がっている。

 その広い主翼の翼端は前進翼となっていて、主翼の後方には昇降舵。その付け根に一枚ずつ取り付けられた垂直尾翼の下で、二基のジェットエンジンが蒼炎を伸ばす。

 見覚えがあった。

 それもそのはずで、その姿は何度も敵対し撃墜してきたはずの、敵国の“空の騎士”が乗る主力戦闘機なのだから。

 けれどそのとき私が見たものは、私と切り結び空中戦を行う“騎士”ではなく、獲物を狩りにきた“狩人”だった。

 灰色の迷彩塗装に、左右の主翼の中ほどにそれぞれ一本ずつ塗られた黄色の識別帯。そして風防の下に添えられるように、飛行機を模して描かれた数えきれないほどの印。

 命を奪い合っている敵だというのに、そして何度も目の当たりにしてきたはずの機体だというのに、私はその姿に見惚れていた。

 凶暴に爪を剥く猛禽のようだとも、優雅に舞う水鳥のようだとも思った。それほどに、その姿に惹かれてしまったのだ。

 乗り手の顔は見えない。遮光バイザーと酸素マスクとヘルメットで覆われている。体も飛行服と人体保護部材に覆い隠されて、性別を見分けることすら敵わない。

 しかしそれでもヘルメットの中の視線は私に、正確に言えば私の機体に向けられていることだけは分かった。

 それだけを視認できた瞬間、“奴”の機体は後ろへと流れていく。

 我に返ったときには、すでに決着はついていた。

 体を揺らす衝撃。今までがなり立てていた物とは別の警報が悲鳴をあげ、機体情報を表示する画面は、この翼が戦う力を失ったことを主張していた。

 ――負けた。

 それを自覚した以上、迷っている暇はなかった。

 いかにも触れてはいけないと主張する毒々しい色に塗られた引き手を、間髪入れず引き上げる。

 爆砕ボルトが爆ぜ、操縦席の風防が強制的に排除された。

 固定具が巻き上げられて体が座席に固定される。首に力を入れた瞬間、私の体ごと座席が空中に放り出された。

 落下傘が開き、座席が体から離れて落ちていく。

 その布の傘にぶら下がりながら私は呆然と、燃え盛りながら墜ちていく愛機を見送っていた。

 無様に、負けてなどいない、と喚き立てることも出来ず、言い訳できる隙もないほどの完敗だ。周りを見渡しても、味方はどこにもいない。

 黒煙の伸びる蒼い空を目の当たりにして、今に至りようやく驚愕した。

 ――そうだ。味方が一機も存在していない。

 まさかそんなことがあるのか。二十を超える戦闘機が、この空域を確保すべく飛んでいたはずなのに。今作戦にあたって、腕の立つ戦闘機乗りが選抜されていたはずなのに。それが、もはや一機も飛んでいないなんて。その事実を受け止めることは、すぐには出来なかった。

 壊滅だ。信じられない。何があったのだと、何かの冗談なのかと目を疑った。それでも、味方の翼を見つけることは叶わない。

 困惑と得体の知れない恐怖を抱いた私の耳に、金切り声にも似た甲高い音が届いた。

 その音の先には、この空の勝者。

 水鳥のように優雅に、猛禽のように荘厳に。その威容を示すかのように、機械の翼は私を中心に旋回している。

 ざわり、と心が騒めいた。言いようのない不安が私の体に走ったのだ。

 機械の翼が――“奴”が、鋭い旋回でこちらを向いた。

 見える。

 機首に開けられている黒い穴。

 それに撃たれたのだ。

 そしてそれが今、こちらを向いている。

 ――悪い予感がした。

 あの黒い穴が光り、私の命を刈り取るだろうという、暗い予感。

 背中に冷たい汗が滲む。

 酸素の足りなくなった肺に、喘ぐように空気を送った。

 その間にも“奴”の機影は大きくなってくる。もうすぐ射程に入るだろうか。

 私も何度も引き金を引いてきているのだから、その瞬間が近いことが分かってしまった。

 もう撃たれるだろう。そう感じて、体が勝手に動く。

 目を瞑った。顔を逸らした。手が顔を庇った。

 そして――落下傘が、揺さぶられた。

 揺れる落下傘にしがみつく私の耳に、甲高いジェットエンジンの聲が響く。

 惹かれるようにその聲のする方を向くと、“奴”が翼を煌かせて“奴”の仲間と合流しようとしているのが見えた。

 “奴”を含めた同じ姿の機械の鳥が五機、鏃のように編隊を組んで飛び去って行く。

 灰色が主体の航空迷彩と、両翼に一本ずつ描かれた真っすぐな黄色の帯。五機すべてがまったく同じ塗装だ。

 しかし、私を撃墜した“奴”が編隊の一番外に翼を連ねた瞬間を、私は見逃さなかった。見逃せなかった。

 あの位置は隊内で技量の一番低いものが飛ぶ位置だ。それはすなわち“奴”があの五機の中で一番“弱い”ということになる。

 そうして私は、彼らに完敗したことを悟った。一部隊の隊長として。一人の飛行士として。

 遠ざかる五つの機影に目を凝らしながら、私は、知らず知らずのうちにほうと息を吐いていた。落下傘にぶら下がりながら、頭上に広がる青空を仰ぐ。


 ――空に愛されていると、思っていた。

 空は自分に微笑み続けてくれていると、信じて疑わなかった。

 けれど、空に生身で放り出された時、私は知った。

 “空は、誰も愛してはいない”。

 飛ぶモノには果てなき自由を与えはするものの、それだけだと。

 空の果てを目指して飛ぼうが、命を賭けあった戦いを繰り広げようが、この偉大なる星の大気はそれを受け入れこそすれ介入などしないのだと。

 だから、私は拍子抜けしたのだ。先程まで殺し合いを繰り広げていたにしては、あまりにも静かに澄み渡ったこの空の在り様に。

 思わず口から、長いため息が漏れ出てくる。

 眼下を見渡せば、いくつもの落下傘が浮かび、揺れていた。あの中に、私の部下は何人残っているだろうか。

 これだけ居れば救助されるまで心細いということはないだろうから、部下と合流することも可能なはずだ。

 そう考えた私は、自らの落下傘を微調整して、降りた人間の数が多そうな場所へと降下地点を定めたのだった。


 私を叩きのめした“奴”らについて知ることができたのは、私が救助されて基地に帰還してからのことである。


 :自伝『蒼き空の騎士達~伝説の撃墜王~』より抜粋


 ◇


「黄色五番より黄色一番。隊列に復帰」

『黄色一番、了解』

 簡潔に報告すると、簡潔な返事が返ってきた。誰かの落下傘のそばを飛んでしまったが、まぁそれが合流のための最短距離だったのだから仕方ない。

『各機、状態を周囲警戒へ。制空、黄色一番より防空司令部。予定空域の制空権確保』

『司令部了解。黄色へ。任務更新。邀撃隊と合流し、護衛せよ』

『黄色了解。各機、任務更新』

 新しい任務が与えられたらしい。空戦が終わって緩めていた気を、引き締めなおす。

 間も無く、偵察機が敵爆撃機の大規模編隊を発見との報告が、司令部経由で齎された。以前から予測されていた敵の大規模爆撃が今日、決行されるという情報は正しかったらしい。

 それほど間を置かずに通信が入る。

『こちら邀撃、橙一番。そちらは護衛部隊か?』

『こちら黄色一番。護衛だ。合流する』

『護衛が黄色か、頼もしい』

 編隊を組んだ状態で緩やかに右上昇旋回すると、邀撃部隊が眼下を飛び去って行くのが見えた。邀撃部隊はなおも上昇を続けているのか、合流しようと左旋回に入る際に上下の位置が入れ替わったおかげで邀撃部隊の機体の底面が観察できた。

 その翼下はなんとも物々しい。

 邀撃部隊の運用している機体には、並の爆撃機なら数発で砕けるほどの威力を持つ大口径の機関砲が二門、固定武装として存在しているのだが、そこにさらに同口径の外装式機関砲が四門、胴体に搭載できる分だけ装備されている。

「重そう」

『足りなかったら困る』

「……なるほど」

 呟きのつもりだったが、聞こえてしまったらしい。邀撃隊の隊長、橙一番から分かりやすい返答をもらった。

 どれほどに大規模なのかはうまく掴めなかったということか。

『護衛、黄色一番より防空司令部。意見具申。爆撃機への邀撃に参加』

『拒否。防空司令部より護衛、黄色。邀撃隊の護衛を行え。最優先』

『黄色一番、了解』

『橙一番より黄色一番へ。感謝する。我々でいける』

『黄色一番、了解。護衛に注力。爆撃機は任せる』

『橙一番、了解』

 淡々としたやり取りが繰り広げられている間、邀撃部隊の陣容を確かめた。

 四機を一組とした編隊が五つ。すべて同じ機種で揃っているが、迷彩塗装は編隊一つにつき違ったものが描かれている。

 邀撃隊が使用している機体は、高高度を飛行する堅牢な爆撃機などへの迎撃に特化した機体だ。

 爆撃機の防護機銃から操縦者を守るために、操縦席の周りを始めとして各所に空を飛ぶ人工物としては破格の装甲が施されているが、そんな頑丈さを謳い文句にする割には、胴体はほっそりとした印象を受ける。

 胴体の中央中段から延びる主翼は広く、全体では若干底辺の長い二等辺三角形を形成しているように見えるだろうか。推力は機体後方に揃えられた三基の推進器からもたらされている。垂直尾翼は二枚、水平尾翼はない。

 外装機関砲は主翼付け根に左右一門ずつ、主翼下にも二門装備されている。

『黄色一番より各機。邀撃隊の上方に遷移』

 一番機からの指示が来た。了解を返し、編隊の動きに追従して邀撃部隊の上空に移動する。

 真下は見づらいが、総数二十機になる邀撃部隊の上を飛んでいるというのは、なかなか壮観な光景だろう。

『こちら偵察、藍三番。敵爆撃隊まで残り五千』

『こちら邀撃、橙一番。目標をとらえた』

『藍三番より橙一番、了解。偵察、藍は離脱する』

『橙一番、了解』

 画面内の情報を確かめる。敵らしき反応が無数に発生したことを、画面に表示される光点によって確認できた。

 周囲には味方を示す光点。そしてその編隊の先にも味方の光点が一つ、ぽつんとある。これが偵察部隊か。

 一瞬一瞬ごとに、味方の光点も敵の光点も近づいてくる。もうしばらくすれば、交戦範囲になるだろう。

『黄色一番より護衛各機。敵護衛機を釣り出す。増槽投棄、増速』

 一番機の指示に従って装置を操作する。

 軽い振動が機体に一度だけ走った。胴体下の増槽が分離したらしい。これで機体が幾分か軽くなった。

 出力を上げる。機体の放つ唸り聲が大きくなった。速度が増していく。

 そして、編隊は敵大編隊へと突出を始めた。


 ◇


『(声をつまらせながら)……あの空戦は、わたしの経験するなかで最も強烈な経験でした。本来の任務は敵主要工業地帯への大規模戦略爆撃という大変なものでしたが、誰もが確実に任務を達成できるはずだと思っていたのですから。

 だってそうでしょう、20機以上の制空隊が先行し、私を含めた40機以上の護衛機に守られた50機もの爆撃機の大編隊が爆撃を敢行するという、これまでにない最大級規模の作戦なのですから、我々だって周到な準備を重ねてきたのです。いくらかの犠牲は覚悟していても、失敗に終わるわけがない。そう確信していました。

 ……だからこそ“奴”の姿は、我々にとって悪魔のように見えたものでした』


 :映像媒体の特別編成番組における、ある元戦闘機乗りへの聞き取り調査映像より


 ◇


 前方、左下方に敵の爆撃機と戦闘機からなる大編隊を視認した。編隊の全員も確認しただろうと思う。

『よし。いけ』

 一番機の言葉。それを聞いた瞬間、出力を全開にした。

「黄色五番、交戦開始」

 強烈な加速に体が座席に押さえつけられるが、構うことはない。機体が壊れなければそれでいい。一直線に敵大編隊へと向かう。

 接近に気づいたらしい敵の護衛戦闘機の一部隊が、機首を向けてきた。数は十機か。

 上昇してくる敵部隊の先頭を飛ぶ機体へと狙いをつける。

 そして、迷いなく引き金を引いた。

 機首から機関砲弾が吐き出され、その反動で機体が揺れる。充分撃ったと思った瞬間に引き金から指を放して射撃をやめ、敵の頭上を取るべく機首を上げて高度を取った。

 そして補助翼を使って反転、下方の状況を把握する。

 放った機関砲弾は命中したらしく、火を噴く敵機の生んだ黒煙が弧を描いて地面に向かっていくのが見えた。残り九機。一見散り散りに回避しようとしているように見えるが、よく見れば二機または三機一組の小編隊を組んで動いている。一番前を飛んでいたのは隊長じゃなかったのか。失敗した。

 だがまぁだからといって、どうという話でもない。

「黄色五番、一機撃墜。敵散開」

『黄色一番より黄色五番、殲滅しろ』

「了解」

 機首を上げ、降下を開始する。巡航まで下げていた出力を、最大に引き上げた。

 狙いは三機編隊の先頭だ。あれは間違いなく部隊長格だろう。

『各機、交戦開始。戦闘機部隊を殲滅する』

 三機編隊の背後についた。編隊がさらに細分化する。二機編隊と単機。出力を絞り、左旋回をする二機編隊の後ろに入る。

 ふと、警報が鳴り響いた。目の前の編隊以外の敵が背後に食いついたらしい。

 一瞬だけ機首を跳ね上げて発砲。そして出力を再び最大にする。

 目前には黒煙を吹く敵機。当たったか。僥倖だ。弧を描いて延びる黒煙をくぐるように機体を沈ませた。後ろを振り向く。見えた。二機。

 右に旋回。すると目の前に敵機が飛び込んでくる。そちらを追撃すべく、目前の敵機と同じ左旋回に切り替えた。

 追われていることを察したらしい敵機が右へ切り返す。機体は、ほぼ真横にまで傾いていた。全力で旋回して振りきろうということか。

 機体を左に回転させつつ機首を上げ、紐を捻るような軌道を一回取った。横転だけを止めて機首を上げたまま上昇反転で進行方向を真逆にする。真上には平原の大地。

 正面に目を戻すと視界の右手前上方に機首を上げて向かってくる敵機がいた。追っていた奴とは別の敵だ。狙ってくるだろうか。しかしそれなら少し無謀が過ぎるな。

 方向舵を右に目一杯踏み込む。機首が右に振れた。敵の軌道が射線に入る。引き金を引いた。

 射撃による振動が走る。数瞬で充分だ。引き金から指を離し、方向舵を正面に。

 吐き出された機関砲弾が敵機を穿っていく。

 刹那、背筋に悪寒が走った。方向舵を左に踏み込み、機首を上げながら左に横転した。

 数瞬も置かず、機関砲弾が背中側から目前へと通り過 ぎていく。機首を地面に向け、降下。さらに出力を全開にして失っていた速度を取り戻す。

 後ろを見れば敵が一機、ピタリと背後に食らいついていた。

 機体を右に傾け、機首上げ。足元を機関砲弾が通りすぎていく。

 追撃するために敵機が機体を右に傾け体勢を整えようとした瞬間を狙って即座に左に横転し、機首上げして切り返す。射線が通るととっさに判断したのか敵機から機関砲弾がばら蒔かれるが、流石に狙いが甘い。被弾なし。

 そのまま紐を捻るように左に横転しながら水平に戻ると、攻撃を断念して上昇しようとする敵が視界に入ってきた。その機影に機首を向けると姿勢制御に使う装置を総動員して姿勢を安定させ、引き金を引いた。振動。数瞬の後、黒い筋が弧を描いて空に引かれていく。撃墜だ。

 すぐに反転、降下。高度を消費して速度を得る。

 警報がうるさい。後ろに敵機が迫っているらしい。反転降下して正解だった。

 先ほどの攻撃で出来た隙を好機と見て、食らいついてきたようだ。なかなか思い切りの良い連中が揃っているな。

 速度を充分に稼いで水平飛行に移る。後ろを確認。二機いた。

 機首を上げ、そこに右への横転を加える。螺旋のような軌道を描くこの動きに、敵も追従してきた。

 速度を確認。徐々に落ちてきている。後ろを見た。敵機は近い。

 だが放たれる敵の機関砲弾は当たらない。すべて機体の左へと逸れていく。

 機体を水平に戻す。もう一度だけ後方を確認。この距離なら出来る。

 出力を最低に下げ、制動装置も作動させた。さらに操縦幹を強引に引いて機首を乱暴に上向かせ、上昇はさせずに機体全体を制動装置にして急減速させる。

 そして機体を元の水平飛行に戻した。

 僅か数瞬の動作だったが、後方にいた敵機二機はその動作のお陰で射線に引きずり出された。

 引き金を引く。機首の砲口から吐き出された機関砲弾は、左を飛ぶ敵機に命中した。黒煙を吹いて落ちていく。

 その黒い筋を一瞬だけ確認した後、狙いを残った敵機に切り替える。

 次に狙われると分かっていたのだろうか、敵機は左に大きく旋回しており、右に旋回すべく機体を切り替えそうとしているところだった。

 機体の鼻先を敵機の通過予測位置に向け、引き金を引く。

 機関砲弾が空を裂き、敵の左翼が吹き飛ばされた。体勢を崩して螺旋を描きながら落ちていく。これでさらに二機撃墜。

 なんとなく右に急旋回。

 次の瞬間、背後を機関砲弾と敵機が掠めていった。まだ居たか。まだ居たな。

 出力を全開にする。面倒くさくなってきた。

 左に切り返して旋回。後ろを確認すると、敵機がそのまま背後に食いついていた。数は二。

 出力を半分に絞った。

 ふと、方向舵を右に最大まで動かす。

 その直後、敵の機関砲弾が近くを掠める音が操縦席にまで届いてきた。弾は機体の左に逸れている。

 今だ。

 機体を水平に戻し、出力を最大に押し上げる。機首を上げ、空を昇り始めた。

 後ろを振り向く。敵が居ない。なら機体の腹の方に居るだろう。敵としては絶好の位置のはずだ。だから、そこに居てもらわないと困る。

 出力を最低まで絞り、機首を上げた。機体の腹を天に向け、機体全体を抵抗にして急減速。

 天地が逆さまになった視界を真上に向けると、敵機二機が見えた。その機影は一瞬ごとに大きくなってくる。

 出力全開、操縦幹を最大まで引いた。目前の光景が目まぐるしく変化していく。

 先程まで天地逆さまだった空が、次に地面を正面に映し、やがて上下の正常な空へ。

 ――時の流れが、遅くなった。

 機体や体の動きが鈍い。敵の動きも鈍い。ただ思考だけがいつものように巡っている。

 鼻先から敵の機首が昇ってくる。

 引き金を引き、方向舵を左に最大まで切った。機関砲弾を吐き出す機首が、撃ち続けながら左を向く。

 時の流れが元に戻った。

 機首を下げて加速。振り返ると、黒煙の筋が二本伸びている。

 二機撃墜。あとは二機を残すのみ。

 その二機はいつの間にか反転して、邀撃隊の進路へと機首を向けている。邀撃隊の存在が無視できなくなってきたか。

『黄色一番より各機』

 一番機からの通信。なんだ。

『敵爆撃機への邀撃に参加する』

『三番より一番。防空司令部の指示と食い違っている。詳細を求める』

 三番機が即座に発言した。というよりは質問か。

『一番より三番。すでに防空司令部の許可は得た』

 仕事が早い。堕とす敵が居ない部隊を、遊ばせておく余裕は無いからな。

『各機、邀撃隊へ合流せよ』

 全員が了解を返す。

 ならば、あの二つの敵機は邪魔になるか。

 出力を引き上げる。粒のように小さくなっていた敵機が、だんだんと大きくなってきた。

 敵の進路の先に機首を向ける。少し遠いな。だから敵も、流石に撃ってこないだろうと思っているはずだ。

 方向舵で機首の向きを調整しながら、引き金を引いた。

 機関砲弾が白い軌跡を描いて飛んでいく。

 敵機が気付いた様子はない。

 充分だ。引き金から指を離す。

 機関砲弾が、敵に吸い込まれるように命中した。

 黒煙が一つ。二つ。これで交戦していた部隊を全機、撃墜した。

「黄色五番、敵護衛二編隊を撃墜」

『こちら邀撃、橙一番。攻撃位置に到達。攻撃開始』

 橙の隊長の交戦宣言だ。

 邀撃隊の飛んでいるはずの方角に目を向けた。蒼天に邀撃隊が描いていた白い飛行機雲が、折れたように角度を変える。降下を始めたか。

 敵爆撃機から、機銃弾の軌跡が伸びていく。防護機銃が邀撃隊を狙い始めたか。

 密集隊形で飛ぶ爆撃機からの防護機銃による掃射はかなり濃密なものであるにも関わらず、邀撃隊は殆ど一直線に突っ込んでいく。

 先頭を飛ぶ敵の爆撃機が爆散した。文字通り、爆ぜるように爆炎を上げ、機体を四散させながら墜ちていく。

 その爆散を皮切りに敵の爆撃機が次々と黒煙を噴き上げ、炎を纏いだした。片翼を根元からもぎ取られ、為す術もなく墜ちていく機体もある。

 邀撃隊が敵爆撃機編隊と一度目の交差を終えた時には、十を超える数の爆撃機がこの空から追い堕とされていた。

 二度目の攻撃態勢を整えた邀撃隊は敵爆撃機編隊の下方から上昇をかけようとしていたが、既に敵爆撃機は隊列を崩して空域から離脱しようと足掻いている。もう本来の爆撃任務は放棄したようだ。

『橙一番より各機。隊列を維持。編隊を維持している敵機に集中する』

『黄色一番より黄色各機。単体の敵機を駆逐する』

 それぞれの一番機から指示が入る。了解の返答を返した。

 編隊から逸れた敵爆撃機が標的だ。邀撃隊ほどの大口径ではないから、敵機の主翼と推進器が狙い目か。

 爆撃機の後下方に移動。敵の機銃配置が少ないこの方向からなら、ある程度は落ち着いて撃てるだろう。少ないと言っても比較的といったところだから、防御機銃からの迎撃も多少はあるだろうが。

 機首上げ。防御機銃から放たれた機銃弾が機体の傍を掠めていく。狙いを右翼に吊り下げられた推進機に合わせ、引き金を引いた。

 機関砲弾の軌跡が、爆撃機の推進器へと飛んでいく。

 命中。推進器が火を吹いた。

 さらに致命傷を与えるべく、翼に狙いを定めて機関砲弾を放つ。

 火花をあげて穴が空いていく主翼から燃料が吹き出し、その燃料に火が着いた。一瞬にして右の翼は炎に覆われ、まもなくもがれるように機体から脱落していく。

 機体を左に向け、墜ちてくる機体をかわして上昇した。

 目線の先で、幾つかの爆炎が瞬く。

 大勢は決したかな。防御機銃があるとはいえ、護衛の戦闘機がいない爆撃機は的に過ぎない。

『黄色一番より各機。敵の作戦遂行能力は喪失。攻撃やめ』

 一番機からの命令が来た。

 改めて周囲を見渡すと、いつの間にか立ち昇っていたいくつもの黒煙が空を覆っている。

 操縦席の画面に目を移した。敵の光点がない。味方の光点しかなかった。一番機の位置が思ったより近い。合流するか。

『橙一番より邀撃各隊へ。敵爆撃部隊の撤退を確認。攻撃を停止、損害を報告せよ』

 各部隊からの報告が上がってくる頃、邀撃隊の頭上ですでに組まれていた編隊に合流する。

『黄色一番、被撃墜無し』

 邀撃部隊全体の被撃墜は無しか。

『橙一番より黄色へ。援護に感謝。帰投後、一杯奢ろう』

 報告を済ませた一番機に、橙一番から魅力的な提案が来た。

『拒否』

『つれないな。分かっていたが』

 一番機の返答に、橙一番は苦笑いで返す。声色からは特に気分を害した様子はないか。

『橙一番より作戦参加中の各機へ。防空司令部より、邀撃任務の完遂が認められた。作戦完了だ』

 歓声が上がる。わざわざ全員に聞こえるようにしているようだ。ここぞとばかりに雑談で通信が溢れだした。

 邀撃部隊の各隊が帰投を宣言し、機体を翻して基地の方角へと飛んでいく。

 ふと右手を見ると、いつの間にか橙一番と思われる機体が、同じ塗装の邀撃機を連れて浮かび上がっていた。

『これから勝利を祝うんだ、貴隊の参戦を切に望む』

『拒否』

 橙一番の説得を一番機は即座に断る。橙一番の溜め息が聞こえてきた。これは何か一言、物申しをしてくるかな。

『黄色は黄色で行う。邀撃隊は邀撃隊で開催されたし』

 一番機が何かを言い掛けた橙一番よりも先に、そう宣言する。

 その宣言のあと、小声で喜びの声を上げた奴が居たがまぁどうでも良いか。

 橙一番からの反応がない。通信に異常が発生したのかと橙一番の機体の方を振り返ると、橙一番の頭が大きく振られていた。

『――ハハハハハハハ! 黄色も飲むのか! そうか! わかった、ありがとう!』

 錯乱状態に陥ったのかと声をかけようとしたが、こう勢い良く返してきたのなら問題はないだろう。

『いつか顔を合わせ、共に飲もう! こちら橙一番、帰投する!』

『こちら黄色一番、了解。黄色一番、帰投する』

 了解を返し、編隊の動きに従って機体を翻す。橙の機体はすでに目を凝らさなければ見えない小さな粒ほどの大きさになっていた。





 私の生まれ育った土地は、年間を通して美しく澄んだ蒼い空を眺めることが出来ると有名だった。

 父と母はその空を愛し、宝であるとして写真や絵画をよく拵えては大事に仕舞っていたほどで、私もこの蒼空が好きだった。

 この空と土地は国防上での重要な位置か、もしくはその途上に存在するらしく、しきりに軍の飛行機が飛んでいたことを覚えている。

 そんなある日、甲高い轟音が響いたと思うと、何か大きなものが我が家の上空を通り過ぎた音がした。

 家族総出で音の原因を見ようと家を飛び出すと、五機の小さな――軍用機として見慣れていた輸送機などと比べると小さく見えてしまった――戦闘機が、翼から雲を引いて左に旋回していく姿が見えた。

 よく見ようと目を凝らすと、翼が金色に染まっているように見える。

 純粋に見えたものだけを父に伝え、「あの金の翼の飛行機はなに?」と問うと、父は「この王国を護ってくれる守り神様だよ」と言った。

 私を抱え上げて『守り神様』達が消えていった方角を見る父の目が、なぜか不安そうな物だったことの意味を私は知る由もなかった。


 :自伝『我が生涯は空と共に』一部より抜粋

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