戦争は計画的に その3
持ち物を奪われたグレイたちが閉じ込められたのは、高い塔の最上階であった。
月明かりの差す窓は鉄格子がされ、天井高くの位置にあり、当然そこをくぐった後は地上への落下が待っている。正面の扉はやはり鋼鉄で作られ、離れた所には見張りのオークが控えている。
「このくらい力技で破れないの?」
扉を蹴り飛ばしながらのルージュの指摘にグレイは首を振る。
「俺だけならば出来んでもないが」
傍らのノワールを見れば、何故か持ち込みを許可された棺桶の上でぐったりと倒れこみ小さくうめいていた。
「お腹が空きました」
そんなノワールの前を、どこかから現れた一匹のネズミが横切った。
瞳だけ動かしてその姿を追いつつ、その口がゆっくりと開かれる。
「それだけはやっちゃ駄目!」
ノワールの意図を察し、慌てた声を上げてルージュがその体を掴んだ。
知らぬところで身の危険にあっていたネズミは、その声に驚いて身を隠す。
「私の血を吸う?」
「ノワールは人間の血は吸わん。いや吸えん」
首を傾げるルージュに、グレイが説明する。
「血液は吸血鬼にとってアルコールの様なものだ。特に人間の血液は刺激が強いから子供のノワールでは悪影響出る」
「どうせ子供ですよー」
俯いたままノワールが不機嫌そうな声を上げる。その頭を撫でてやりながら、それならとルージュが尋ねる。
「吸血鬼ならコウモリに変身したりできないの?」
「さっきも言ったがノワールはまだ赤子だ。吸血鬼の寿命からすればだが……。せいぜい顔や体格を変える程度だ」
その言葉にルージュが肩を落とす。
「赤ん坊じゃしかたないわね」
「――やります!」
不意に怒気のこもった声を上げてノワールが立った。
空腹のせいなのか、別に嫌な事でもあったのか、その目が明らかに据わっている。
グレイが止めるのも聞かず、腕を組んで仁王立ちしたかと思えば、その背中からコウモリ型の一対の翼が現れた。驚くルージュと頭を抱えるグレイの心中も知らず、ノワールはその翼を盛大にはばたかせた。
「うおぉぉりやぁぁあ!」
吐き出された声をかき消すほどの羽音を立ててノワールは翼をはばたかせる。ともすれば天使がはばたいているようにも見えなくはないのだが、伝承とは違いこちらは荒々しく熱血している。
汗を拭うのも忘れてはばたいていれば、巻き起こった風によってルージュの服が僅かにまくれ上がった。時間にすれば一瞬の出来事だったが、近くにいたグレイの視線が僅かに流れたのをノワールは見逃さなかった。そしてそれが分岐点ともなった。
「ちきしょぉぉぉ!」
声と共にノワールは飛んだ。飛び上がった。
慌てて抱きしめるようにその身体に二人がしがみつく。
「ちょっとこれ大丈夫なの!?」
「大丈夫に見えるなら今すぐ病院に行くべきだ」
そんなやり取りの間にノワールが上昇する。背中の羽根がその大きさを増し、邪魔だとばかりに壁を突き破り天井を崩す。音を立てて崩壊していく塔から二人は全力で見ぬふりをし、せめて死傷者が出ないことを祈りながら、同時に自分達の無事を祈った。
とても楽しむ気持ちになどなれない飛行体験を続ける事約七分弱。空中で力尽きたノワールのごめんなさいの声と共に、三人は森の中へと落下した。
ルージュが最初にその質問をしたのは物心ついてすぐの事である。
「お父さんはどこにいるの?」
あるいは生まれて初めて母親にした質問だったかもしれないそれは、廊下の出会いがしらだった為か、多くの人間に聞かれることとなった。
ルージュの父親に関しては様々な憶測が流れていた。平民ないし下級貴族との子供説、あるいは異国の王子との子供説などが主流であったが、エルフや人魚と事におよんだなどと荒唐無稽な事を言う者達もいた。
そんな中で渦中のルージュから発せられた質問に、その場は一瞬にして静まり返り、聞き逃すまいと全員が耳をそばだてた。
そんな事を知る由も無く、無邪気に質問したルージュに、母でり女王であるクイーン。クリムゾンは、少しの思考の後言った。
「わからん」
「……はい?」
「候補が多すぎる。リストを作るのも億劫じゃ」
そう言って女王はその場を去った。数秒遅れながら従者達も一斉に歩き出す。その日の間に厳しい戒厳令が出されたのは言うまでもない。
幼かった故か、その言葉は数日で忘れ去られ、再度その質問をするのに数年の歳月を要した。
時は経ち、ルージュの成人を祝う宴会にて、再度その質問はなされた。更に多い聴衆の前で。
しかし流石と言うべきか、殊更ためらう事無く女王は数年前と同様の事を述べた。知る者からすれば数年前の再現であり、知らぬものからすれば青天の霹靂である。
そして今回は酔いが回っていたこともあってか、女王はこう続けた。
「心配せぬでもお前だって男の十人二十人すぐにできる。せっかくじゃ誰か立候補はおらぬか?」
ざわめきが波となって場を満たす中、別の感情で満たされたルージュはあらんかぎりの声で叫んだ。
「こんのクソババア!」
まったくどこで覚えた言葉だろうか。
その日の宴会は近年――いや、国の歴史の中でも類を見ない盛り上がりを見せた。
皿が飛び、ビンが割れ、樽は転がり、机が音を立てて燃え上がる。招待客達はドレスが破れるのも構わず逃げ惑い、止めに入った一個中隊は半数が火傷を負って休養を余儀なくされた。
後の歴史に名高き『炎の親子喧嘩第一幕』である。
「――という事があったの」
至極不機嫌そうにルージュは言った。
「以降ろくに話もしないし顔も合せてない。何とかあの女を玉座から引きずりおろせないかとネタを探しててこの街にたどり着いたってわけ」
「そこまで嫌うのか?」
「適当、偉そう、浪費はする、男癖は悪い、すぐ怠ける。およそ女王としても人間としても堕落しているくせに、すぐに周りを巻き込んでわがままばっかり言うんだから。しかも自分が悪いなんて少しも思ってないのよ」
「嫌う理由としては十分だな。聞いてすまん」
鎖で棺桶を引き進めながら、グレイは謝った。
「あらいいのよ。あの女の悪口言うの大好きだから」
美しくも品の無い笑顔をルージュは浮かべた。
運良く川の中へと落下したグレイは、水を浴びて気絶したノワールと動転して暴れるルージュを抱え上げ、無事に生還を果たした。
気絶したままのノワールは現在棺桶の中で安静にしており、足をくじいたルージュがその上に腰かけている。見れば遠くに太陽が顔を出している。
「そっちは?」
「うん?」
「この子のどこが好きなの?」
その質問にグレイは足を止めて振り返った。
「好きでも無い子と三年も旅しないでしょう」
「妄想するのは勝手だが、俺とノワールは何もない」
グレイは断言する。照れ隠しなどではなく、本当にこの二人は何も無いのだ。
グレイは一般的な男性がそうであるように性欲を持っており、時に持て余すこともあったが、それをノワールに向けたことは無かった。
一方のノワールはグレイに好意こそ持っているものの、それを表現し扱えるほど女として成熟してはいなかった。
そしてそんな背景など知らないルージュは、自らの妄想をもとにこう評した。
「玉無し」
「黙れ」
相手が王女と言うことも忘れてグレイは怒鳴った。
「はいはい悪うございました。でも、だったら何でこの子と旅を続けてるの?」
その質問に、グレイはしばし考えた。
成人として認められる為。ノワールとの約束の為。あるいはノワールを裏切りたくない為。理由は多々あるが、根底にあるものは一つしかない。
「困っていたから」
「は?」
「困っていたこいつを見つけて助けたいと思った。それだけだ」
誰に決められたわけでもない。いや、あるいは神やそれに近い者に宿命づけられたものかもしれない。それが勇者として産まれたが故に感情なのかはグレイにも分からない。だが少なくとも、困っている者を助ける事に理由を求めた事はグレイには無かった。
「まあ、人それぞれよね」
「ああそうだとも」
気が付けば街の近くまで差し掛かっていた。
「イミテーションを載せた船は俺が何とかしよう。そっちはこの件をどう片付ける?」
グレイの問いに、しばし顎に手をやって考えてから、ルージュは口を開いた。
「こうなったら力技ね。街を治めてるポート男爵を説得して味方につけるわ」
「ふむそれで?」
「それから住民を扇動して抗議活動。国中に拡散させて革命勢力にまとめあげる。最終的にはあの女の所に乗り込んで、この国を乗っ取ってやるわ!」
はっきりとルージュは宣言した。何をどうしたらそこへ行きつくのかは分からないが、少なくとも最終的なヴィジョンを彼女は有しているようだ。
アホかこいつ。とおもわず思ってしまったグレイの顔面めがけて鋼鉄のブーメランが飛んだ。
「――で、俺は反逆者の先兵になったわけか」
頭を横に反らして紙一重でかわし、うなだれるようにグレイはもらす。そして戻ってきたブーメランを逆方向に頭を反らしてかわす。
「あるいは救国の勇者かもね」
ブーメランを受け止めてルージュが微笑み、グレイは大きくため息をついた。
「そんなものになりたくはない」
巨大な棺桶を鎖で引きながら、グレイは港へとたどり着いた。
朝一番というのもあり、漁船の出入りが多い。人々は漁船から荷を下ろすことに集中し、グレイを気にする者はいない。
屋根の上に上がり、水平線の彼方を眺めれば、その先に橙の国の国旗を掲げた一団が接近しているのが見えた。どうやら間に合ったようだ。安心したようにグレイがホッと息をつく。
はたから見れば何も解決していない状況で何を緩んでいるのかと言いたくもなるのだが、グレイからしてみればこの状況は既にどうにかなったも同じであった。
愛刀である冬の枯れ木は没収されている為、その辺に落ちていた折れた釣り竿を剣に見立てて構える。
本当にはたから見れば馬鹿らしい光景であるが、彼にしてみればとことん真面目であり、彼の半径数メートルにわたって波動のような波紋の様な何かが天高く立ち昇っている。その証拠に周りを飛んでいたカモメ達が羽根を撒き散らすほど慌てながら街の外へと避難していった。
ゆっくりと、棒きれを握る手を風車の様に回転させる。数回の回転で勢いをつけ、ギヤを上げるようにそのスピードを速めながら、グレイは叫んだ。
「勇者ぁー大・回・転!」
説明しよう。勇者大回転とはその名の如く、腕を回転させる技である。これによって発生したエネルギーは空気の流れを作り、一時的に疑似的な局地的強風を発生させるのだ。。
そのふざけたネーミングとは裏腹にその大回転――だか何だか知らないソレは、恐ろしいまでの猛威を持って放たれていた。
風が唸る。砂が舞う。波が荒れる。運の悪い魚たちが群単位で宙に浮きあがる。はっきり言って災害であるが、はたして何人がこれを人災と信じるだろうか?むしろ人がやったと信じるだろうか?
「こんなものか」
ひとしきり腕を回し終え、いい汗をかいたとばかりに額を拭ってグレイはその場を後にした。
なお、沖合数キロの所で港に向かう船団が、突然の突風で数十キロ押し戻されてしばらく航行不能に陥ったのだが、その原因について解明されることは永遠に無かった。
一方グレイと別れたルージュは街の郊外に位置するポート男爵邸に赴いていた。
突然の王女の訪問に、門番達は驚き疑ったが、ルージュの顔を知る執事が通りかかった為に事態はスムーズに進んだ。数分待っていると中年の紳士が現れた。
「これはルージュ王女。朝早くから何事ですかな?」
「ポート男爵ごきげにょう。実は緊急の要件でお話を聞いていただきたいのです」
その言葉に男爵はとある方向を見やる。
「お話というのは領事館の一部が倒壊した件ですな。女王陛下を困らせる真似をいたしますな」
「それもこれもあの女が――。ゴホン、女王が全部悪いんです」
「またそのような……」
それなりに事情を知っているために男爵はルージュの言わんとする事を察したが、どうしたものかと頭を抱える。
「何を恐れているの!あそこまででかい顔をされて悔しくないの?」
「その事なのですがその……。実は女王陛下から口止めされていたことが――」
男爵の言葉をさえぎり、門番の男が声を上げた。
「だ、旦那様!」
その声に振り向けば人混みをかき分けて男爵邸を目指す一団が映った。統率のとれた行進は軍隊のように美しいが、その面構えを見ると極道じみていた。
「御機嫌よう男爵。やはりここにおりましたかルージュ王女。昨夜はずいぶんとお転婆なされましたな」
列の先頭を務めるドン・ビッグがうやうやしく頭を下げた。
「壊した塔を弁償して頂こうと思っていたのですが、女王陛下に代わってもらいますかな?」
「あの女に請求するなら止めないけれど。いい機会だから国へ帰りなさい」
「これは酷い言いぐさですな」
ドン・ビッグが手で合図をすると、背後に控えていた部下が額に入った一枚の証書を渡した。
「これを御覧なさい。この国の女王と交わした約束です。一万個の宝石と引き換えにあの一等地と諸々の特権を与えてくださると書かれてあるのです」
掲げるように両手で見せ、ドン・ビッグは続ける。
「これがある限り私は自由に物を買い、家を建て、仲間を住まわすことができるのです。たまに粗相があるかもしれませんが、そこはご容赦願いたい」
「うーむ、しかしそれはそちらの誠意次第ではないかえ?」
音色のような高貴な声がその場に流れた。
ドン一党をはじめ、遠巻きの住民達までが一斉に振り向いた先に、豪華な六頭立て馬車が立っていた。ただ二人、ルージュと男爵だけがそこに乗っているのが誰なのかを瞬時に悟る。
ざわめきすら起こらない戸惑いの中、一人の女性が馬車から降り立った。
燃えるような赤い髪に磨き抜かれた肌と魅力的な笑顔を併せ持つその女性こそが、赤の国の女王でありルージュがこの世の誰よりも嫌うクイーン・クリムゾンその人であった。
「こ、これは女王陛下。このような薄汚い港町に何の御用で?」
いち早く混乱から立ち直ったドンがうやうやしく頭を下げた。
「用も何も、お前がなかなか返済に来ないから取り立てに来たまでのこと」
その言葉に目を丸くして頭を上げる。
「は?いやいや今年の分は確かにお納めしたはずですが?」
「足りぬ足りぬ。確かに箱積めで千個ばかし届いたが、それだけではのう」
「足りぬとは何事か!十年分割で利子一割。そう取り決めたではありませんか!?」
声を荒げるドンをに憐れむかのような視線を女王が向ける。
「確かにそう取り決めた。しかし呆れたのぉ本当にそれっぽっちで買い取れると思ったのかえ?しっかり最初から最後まで読んでみよ」
そう言われてドンは手にした契約書を隅まで目を凝らして。その内容は要約すると以下となる。
大粒の各種宝石一万個にて土地と利権を購入する。
分割で納入する場合は全体の額の一割を利子として計上する。
十日ごとに返済の機会が与えられ、同時に精算が行われる。
年に一度も返済が行われない場合は強制的に徴収が可能となる。
「何ぞ勘違いしておるようだから言ってやるが、返済すべき量は十日に一度精算されるのじゃ。利子を含めてな」
その言葉にドンは女王の言いたいことを悟った。
つまりこういう事である。一万個だった返済量は十日を迎えた段階で利子の一割を加えた状態で精算され、一万個が一万千個となる。そしてその十日後に新たに利子が発生し、雪だるま式にそれが膨らんでいく事になるのだ。
お分かり頂けただろうか?
わずか一年で彼は元の三十倍近い量を彼は支払わねばならないのだ。
この方法は遥か遠方において帝王と呼ばれた男が行っていた由緒正しき借用形態なのだが、赤の国では違法とされている。あくまで国内どうしでの場合である為、今回は適用されていないのだが。
あまりの事に固まり声も出ないドンに歩み寄り、威圧を込めた視線と共に言った。
「誰の入れ知恵か知らぬが、帰って伝えるがよい。わらはの国は戦争はせぬ。だが喧嘩なら買ってやる。三十倍返しを覚悟しているのならば、好きな時に来るがよい――とな」
女王が背を向けるのと同時にドンは崩れた。魂が抜けたように膝をつき頭から倒れたのだ。そしてついにはその目から大粒の涙を流し始めた。
しかしそれに構わず女王はルージュの前に立った。
「酷い顔じゃのう。寝不足に偏食。すり傷まで作ってからに」
「ほっといてよ。だいたい何なのいきなり現れて丸く収めたような顔して」
「なんじゃ、わらはが悪い事でもしたのかえ?」
「元はと言えば貴女が勝手に決めたのが原因でしょう」
指をさして言い放つルージュに、女王は否と首を振る。
「勝手になど決めておらん。ちゃーんと皆に話した上で決めたぞ。のう?のう?」
確認するように男爵に、そして住民達へとその顔を向ける。
困ったように男爵は頬をかき、住民たちは声を上げた。
「女王様ぁ、俺らちゃんと一年耐えましたよ」
「スパ建てる約束守ってくださいよ」
「公園の改築もお願いします」
「な、な、な……」
湧き上がる声にルージュの顔が驚きで固まり、同時に頬が髪のように赤く染まる。
「身体は大きくなったのにおつむはまだまだじゃのう。母として情けないぞ」
その言葉に今度はルージュが涙を流した。それを隠す様に背中を向け、大声を上げてて走りだす。
いい年をして恥ずかしい姿だったが、親の教育不行き届きも一因にあるのではないのだろうかと思わずにもいられない。
街の一角。人気の無い埠頭に、打ちひしがれて嗚咽を漏らすドンの姿があった。
上着を丁寧に折り畳み、靴を脱いでそろえる。僅かな躊躇いを振り切っていこうかとしたところを、背後から掴まれて足を止める。
「何があったかは、だいたい想像がつくが。そう早まるな」
そう言ってグレイはハンカチを差し出した。
「放っておいてくれ」
俯いたまま言うドンに、何かないかとポケットを探したグレイは、すっかり潰れてしまった砂糖菓子の包みをポケットから出した。
「食うか?」
しばし間を置き、ドンは大きい口を開けて食いつまんだ。
「ローズ亭の新作か。部下が買い損ねた」
「失敗は誰だってある」
「だが取り返しのつかん時もあるもの」
申し訳なさそうに、かつ物欲しそうにグレイを見やるが、彼は首を振ってからのポケットを見せた。むしろ空腹なのは彼の方だ。
「部下の為にも、この身を持って償う他は――」
「ああああああぁぁぁぁ!」
何やら知っている声が通り過ぎ、代わりに海中へと飛び込んだ。
しばらくして浮き上がってきた赤い塊にグレイはその場から問いかけた。
「何をしてる?」
「うっさいわね。放っときなさい」
巨大な龍にでも睨まれたかのようにグレイは後ずさった。
グレイのそばにドンを見つけ、ルージュが指をさす。
「そこのあなた。今からクソ女王被害者の会を作るから入りなさい」
「だそうだ」
「これはまいった」
目を合わせればどちらともなく苦笑してしまう。
「ところで気付いていないなら言っておくが。部下が待っているぞ」
その言葉にドンが驚いて振り返る。そこには離れた所からドンを見守るオーク達の姿があった。
「死なないでくださいドン」
「俺達を率いてくださいドン」
涙ながらに訴える部下達に、ドンの目にも涙が浮かぶ。
「お前達……」
ゆっくりと歩み寄ったドンを、部下たちが囲んだ。
「すまんな」
「いいんですドン」
「俺達のドン」
「ドン!ドン!ドン!」
何故か始まる合唱の中、ドンの巨体が担ぎ上げられ、胴上げに発展する。
そこへ海から上がってきたルージュが現れ、目の前の光景に首を傾げた。
「何これ?」
「わからん」
騒動の翌日。晴れ渡った空の下をグレイはノワールと歩いていた。
すっかり回復したノワールは頭にフードをかぶり、露店で買った菓子を美味そうに頬張る。隣を歩くグレイは軽くなったポケットを撫でていた。
そんな二人の前に、見覚えのあるオークの紳士が現れた。
「先日はどうも」
やつれた顔でドン・ビッグが挨拶した。その頭には包帯が巻かれている。
「どうだった?」
「何とか頭を下げて十分の一にまけてもらいました。床の舗装代は取られましたが」
「それは大変だったな」
余程の勢いで頭を下げ続けたのだろうと察し、労いの言葉をグレイはかけた。
「当てはあるのか?」
「国の家と家財を売れば何とか」
「そうか……。これからどうする?」
「国へ帰って再出発と言ったところですかな。今度は誠実に事業を行いたいと思います」
そう言ってドンは包みを取り出して渡した。
「先日のお礼にどうぞ」
漂ってくる甘い匂いに二人は中身を察した。大きさは昨日グレイの渡した物の倍程で、分け合うのにちょうどよさそうだ。
「そちらのお嬢さんにはこれを」
そう言って今度はノワールにハート形の首飾りを差し出す。
「それは銀か?」
「いえ残念ながらイミテーションです」
「十分だ」
嬉しそうに受け取ったノワールが早速自分の巻き付け、水面に映る姿を見つめた。
「喜んで頂いてなによりです。私の一族は代々銀が苦手でして、それを隠すために錬金術師から教わった技術なのです」
楽しそうなノワールから視線を外し、ドンはグレイに向き直って頭を下げた。
「ではよい旅を」
そう言ってドン・ビッグファング公爵はグレイの前から去った。
その後数年に亘って彼の家は財政難に陥る事となる。しかし商品化されたイミテーションの装飾品のヒットによって、緩やかにかつ力強い再興を見せるのだが、それはまだ遠い先の話である。
去り行く背中から視線を外し、袋の中身を見ると見事な装飾菓子が入っており、戻ってきたノワールが目を輝かせた。
「情けは人の為ならずか」
苦笑しながらグレイはつぶやいた。
「俺にはこれで十分だ」
「わ、私の分は!?」
涙ながらに訴えるノワールに、慌ててグレイは謝った。
「そうだな半分こだ」
そこへ船の出発を知らせる鐘が鳴り響いた。
「っと、のんびりし過ぎたな」
二人は慌てて走り出そうとするが、その前に赤い影が飛び込んだ。
「間に合ったわね」
「うげぇ」
何とも嫌そうな顔をするノワールの視線の先にいるのは、大きな旅行カバンを持ったルージュだった。
「何故ここに?」
「家出してきたの」
清々しい笑顔でルージュは答えた。
「もうあの女とは家族じゃないわ。見分を広めて力をつけてこの国を乗っ取ってやるから見ていなさい」
「何故乗っ取る事にこだわる」
「細かい事はいいの。せっかくだから一緒に行きましょう」
その提案に二人は顔を見合わせ、同時に頷き合って明後日の方を指さした。
「ところで気になっていたんだが」
「あれは何ですか?」
「うーん?」
指された方を見るルージュであったが、特に変わったものも見えず、確認しようと振り返ると二人の姿は無かった。
「何なのよもう!」
一人残されて憤慨するルージュが遠ざかるのを、二人は船の上から眺めていた。
七色大陸は今日も平和だった。




