第1話 厄病神
「それで君が今年入った新人さんかな? 珍しい名前だね」
営業に促され取引先のプロジェクトマネージャーに名刺交換後、いきなりこう言われた嘉太郞は、慣れた様子で、
「すみません、若作りしていますが、これでも三十前です。新人はこちらです」
と言って、自分の横に立っていた若干老け顔の新人を紹介した。
今回の案件では、嘉太郞と新人のセットで取引先のプロジェクトに参画する提案をしており、その顔合わせという名の面接に来ていたのだ。
嘉太郞。
語感だけみればイマドキでは無い、いわゆるシワシワネームだが、パソコンの文字変換でもキチンと出てくる名前である。最近の若者の中では珍しいだろうが、昔はそれなりに存在していたはずの名前だ。嘉太郞でネットを検索すれば、約9万4千件の検索結果が帰ってくる。
だが、そこに苗字が加わると途端に「珍しい名前」に変わってしまう。
彼のフルネームは本輪嘉太郞。
そのまま読めば、「ほんわか、たろう」になる。何とも呑気な名前だ。
—— なぜこんな名前にした
思春期の頃は、事故で鬼籍に入った両親の墓前で線香を供えながら、涙を溢していたものだった。だが、社会に出た現在では初対面の掴みとして「使える」名前になったと、達観していた。
「名前の事はよく言われます。どうぞお気軽にホンワカタロウと覚えてください」
そう言って、取引先の担当者に笑顔で返し、彼は新人とともに椅子に腰を下ろした。
29歳になったばかりの嘉太郞だが、童顔が災いして未だに新人と間違わられる。この日も、同行した新人が老け顔だったため、余計にそういう印象を与えてしまったようだ。
「なるほど、ホンワカさんね。ムードメイカーとしてギスギスしたプロジェクトの雰囲気を改善してくれると助かるなあ」
嘉太郞に対して機嫌よく軽口を叩いた担当者を見て、顧客の心を掴む事は出来たと一人満足していた嘉太郞であったが ——
***
「そうですか……わかりました」
(新人を預かるのは問題無いけど、一緒に来る人は何か問題があるのじゃないか? 業務経歴書を見たけど、ここ最近、極端に短い仕事ばかりですよね)
営業から伝えられたのは、断りの電話。
終始、和やかな雰囲気は、断った際の心証を良くするためだったのだろう。人柄ではなく事前に送付していた業務経歴書を見て判断されていた。そういう事だ。
「先輩?」
しばらくスマホを握りしめて呆然としていた嘉太郞に、新人が声をかけた。
「え? あ、ああ、悪い、悪い。あの現場へアサインが確定したよ。ただ、一緒に行く人が別になるので、別途営業から指示があると思うから。とりあえず案件の資料を佐山から受け取って、読み込んでおいて」
そして、取引先は新人と別の誰か――
そう指定してきたのだ。
複雑な気持ちを表に出さないように、努めて明るく答えた嘉太郞の言葉に、新人は爽やかな声で、
「はい!」
と返事をし、先にプロジェクトにアサインされていた嘉太郞の同期佐山のデスクへ走って行った。
「ホンワカ!」
「はい」
新人を見送った嘉太郞に少し乱暴な声が掛かった。少し甲高い特徴のある声は、振り返らなくても誰だかすぐに解る。嘉太郞が所属する開発2課の課長だ。
「どうだった? アサインは決まったか?」
「後藤のアサインはOKもらいました」
「お前は?」
「……」
その曖昧な笑顔を見て、課長は露骨に溜息を付く。
「お前、まだ余裕あるだろ?」
「すみません」
嘉太郞は頭を下げながらも、
(俺に落ち度があって落とされたんじゃねぇ! だいたい仕事を持ってくるのは営業の仕事だ!)
と考えていたが、
「案件を取ってくるのは営業の仕事とか考えていないよな?」
頭の中を見透かされたように、課長がこう言った。
「い、いえ」
思わず口ごもる嘉太郞を見て、課長は溜息をついた後、
「SEは技術だけと思っているなら、大学で研究でもしていろ。俺たちは現場が戦場だ。お前達の吐く息一つ、お前達の歩く一歩。その全てを金に換えてこい。そう教えただろう。お前はプロなんだぞ? 金を稼げないアマチュアを食わせている余裕は会社には無い」
(未経験の新人は雇って即戦力だと言って外に売り出すくせに……)
一瞬、そんな気持ちも過ぎったが、それは口にださず、ひたすら頭を下げた。さすがに半年近く、まともに稼げていない自分の状況は重々理解している。このままでは、さすがに会社も黙っていないだろう。良くて配置転換、最悪はリストラ——
(えっ?)
そう考えつつ顔を上げた嘉太郞は、課長の表情を見て固まる。
その目元は厳しい表情でも何でもなく、むしろ目が赤く潤んでいるように見えたのだ。そして、
「こう説教してやれるうちは良かったのだがな」
課長はこう言って、
「はい?」
机に額を擦りつけるように頭を下げたのだ。
嘉太郞は目の前の光景に目を疑う。
混乱する嘉太郞に対し、課長は顔を伏せたまま、
「すまん。これ以上お前を庇う事が出来なくなった。今、部長が人事に呼ばれている」
こう続けた。
「え?」
—— 人事から呼ばれている?
嘉太郞の背筋を何か冷たいものが伝い落ちる。
「秋口のプロジェクト中止の責任を問う声が元からあったんだ。それでも部長はお前を庇い、部署一丸となってカバーする……こう言って動いていたんだがな」
初めて聞いた事実に驚きつつも、嘉太郞は、それ以上に納得出来ない言葉に対して抗議の声を上げる。
「で、でも、あのプロジェクト中止は私のせいでは」
「解っている。新聞沙汰にもなった、あの会社の不正経理が理由なのは皆も知っているよ」
半年前、当時若手のトップとして嘉太郞が社員やパートナーの技術者20人を率いていた案件が、突如、システムとは全く関係しない要因—— 取引先の不正経理による新規プロジェクトの全てを中止するという判断が、嘉太郞をトップとしていた大規模プロジェクトチームに下された。
「だがな。あれから我が社の業績も、お前がアサインされる取引先もなぜか傾く一方で……事実、お前が入ったプロジェクトは、すべて途中で頓挫してしまっているじゃないか」
「確かにそうですが……」
課長の説明の通り、問題のプロジェクトが中断して以降、改めてアサインされたプロジェクトでは、嘉太郞がトップに立とうが、メンバーとして動こうが、例外なく中断に追い込まれている。
そして、そのどれもが嘉太郞のせいではない。
何せ、秋以降参画したプロジェクトは一番長いもので2週間、短いと半日でプロジェクトの中止が決まったのだ。さすがに嘉太郞が影響力を発揮する時間も無かった。
それでも、それら取引先は軒並み業績が傾き、引きずられるように会社の業績も落ちていた。
「すみません、まるで厄病神ですよね……」
少しは自覚もあった。
陰でそう呼ばれているのも耳に入っていた。
—— それでも、俺のせいじゃない
「そんな迷信、俺も部長も信じていないんだけどな。社長の耳にまで入ってしまって……今回の案件が最後のチャンスだと、確実な所に突っ込んだんだが」
部長も課長も知らなかったが、この時、人事部長と営業部長の間では話しはついており、嘉太郞については先方の意見に関わらず、案件にはアサインせず、開発部へのポーズとして最後のチャンスを与えていたのだ。
さすがに迷信じみた話だろうと厄病神と呼ばれる人物をこれ以上使う訳にはいかない。そしてそんな人物をこれ以上雇い続ける訳にはいかない。
経営側は、すでにそう判断していた。
「あ、部長」
課長と嘉太郞が話している所へ部長が戻ってきた。
「ホンワカ。すまんが人事部に今から行ってくれないか。人事部長が直接面談したいとの事だ」
「退職勧告……ですか」
嘉太郞が何とか言葉を絞り出す。
その様子に部長は何も言わず肩を一つ叩き、自分の席に戻った。
(肩叩きって本当にあるんだなぁ)
呆然とそんな事を思ったのが、会社での最後の思い出。
人事部で早期退職勧告を受けた嘉太郞は、その場で退職届けを出す引き替えに満額の退職金と色を少しつけた早期退職報償金が支払われる事になった。半年近く、ちゃんとした案件を担当していなかった嘉太郞は、特に引き継ぐ物もなく、後日開くという送別会も断り、私物だけを抱え会社を去ったのだった